【第1014回】『ポール・ヴァーホーヴェン/トリック』(ポール・ヴァーホーヴェン/2012)


 オランダ・ユトレヒト、映画ミーティングに呼ばれたのはオランダ屈指の大御所監督であるポール・ヴァーホーヴェン、御年74歳。オランダ映画史上最大の25億円をかけた『ブラックブック』から6年、その華々しい新作完成の告知は突如幕を開ける。プロの女流脚本家キム・ファン・コーテンが書いた脚本は僅かに4ページのみ、時間にして5分ほどの告知映像で公募された脚本の続き募集に対し、世界から集められた700もの脚本。その中から選りすぐりの集合知を結集し作られたのが60分にも満たない中編である。その前にはポール・ヴァーホーヴェンによるドキュメンタリー・タッチの紹介映像が34分ほど収められるのだが、栄光のアメリカ時代を自慢げに語りつつも、新作のことになった途端、自慢の弁舌は突然湿り始める。送られて来た脚本700本のうち、モノになるのはせいぜい2本か3本、そのダイヤの原石を探す作業に膨大な時間を費やし、突如マフィアが出て来たり、唐突に主人公が殺されたりするアメリカナイズされた物語に辟易しながら、総勢397名の脚本家のマテリアルを散りばめながら、今作は完成した。映画は主人公を務めたピーター・ブロック以外はほとんど映画学校出身の素人俳優だが、演劇ではなく映画の勉強をした彼らの能力に監督は一定の信頼を示す。ヴァーホーヴァン曰く、フェデリコ・フェリーニには『8 1/2』という映画があるが、今作は『14 1/2』の性質を持つとドヤ顔で嘯く。

 資産家で会社経営者のレムコ(ピーター・ブロック)は50歳の誕生パーティで妻子に囲まれ、裕福で幸せな人生を噛みしめていた。食卓で愛娘からもらった黒い手帳、妻イナケ(リッキー・コーレ)が催したホーム・パーティには数百人もの人々が集合、宴は繰り広げられる。娘の親友のメレル(ゲティ・ヤンセン )はパーティの途中に現れ、娘と共に兄トビアス(ロベルト・デ・ホーフ)の部屋を訪れる。2人が覗き見た兄のPCの中のメレルのアイコラ画像、フレームを構える兄の前に大胆に見せたおっぱい。するとそこに、日本で暮らしていたはずの元愛人ナジャ(サリー・ハルムセン)が不敵な笑みと共に現われる。妻と2人の愛人、同時に3人を愛する主人公は7ヶ月の身重になったナジャの姿に困惑の表情が隠せない。とびきりの美女3人を手玉に取った辣腕社長の身に思ってもいない悲劇が起きてから、会社の経営は傾き、一気に窮地に陥る。冒頭のレムコの部屋に全てが帰結するかのように、父親レムコへの妻の疑惑の目、奥手な兄トビアスのメレルへの病んだ眼差し、そしてメレルと生娘との友情の行方と愛人ナジャに隠された壮絶な秘密が活性化させる物語は、ソープオペラ的なメロドラマでありながら、次の瞬間がまったく予知出来ないコラージュ的な脚本の魅力に左右される。冒頭のドキュメンタリーにおけるヴァーホーヴェンの自信の無さを覆すような二転三転する展開の妙、今回も男の欲望を3人の女(愛娘も加えて4人!!)は高飛車な欲望を翻弄するファム・ファタール的な妖艶な魅力を放つ。

【第1013回】『ブラックブック』(ポール・ヴァーホーヴェン/2006)


 1956年10月イスラエル、ロニー(ハリナ・ライン)はカナダ人彼氏と共にキブツ・シュタインを訪れていた。車を降り、奥にある外国語教室にゆっくりと歩を進めるロニーはヘブライ語の教師エリス・デ・フリース(カリス・ファン・ハウテン)の姿に目を輝かせる。1944年9月、ナチス・ドイツ占領下のオランダ。美しいユダヤ人女性ラヘル(カリス・ファン・ハウテン)はかつて歌手だったが、今はユダヤ人狩りを逃れるためにとあるオランダ人一家のもとに匿われていた。ラヘルが湖で英語の曲を聴いていると、爆撃機が落とした爆弾が隠れ家を直撃。彼女は、湖で知り合った親切なオランダ人青年ロブ(ミヒル・ホイスマン)のところに身を寄せる。その夜、ファン・ハイン(ピーター・ブロック)がラヘルの新たな隠れ家を訪ねてくる。彼はドイツ軍が彼女の行方を追っていて、かくまったロブも逮捕されるだろうと警告する。親切にも既に連合軍によって解放されているオランダ南部への脱出を手引きすると約束するのだった。船着場で別のユダヤ人グループと合流し、離れ離れになっていたラヘルの両親や弟のマックスとも再会。ファン・ハインに別れを告げ、一向は船に乗り込む。夜更け、彼らの船の前に突然ドイツ軍の船が現れた。銃弾の雨の中、なすすべなく倒れてゆくユダヤ人たち。両親や弟、そしてロブも殺され、とっさに川に飛び込んだラヘルだけが辛うじて生き残る。

 オランダ映画史上最大の製作費25億円を投じられ、製作された物語はナチス占領下のオランダを舞台にしたある1人のユダヤ人の悲劇の物語に他ならない。幼い頃から音楽が好きで、天性の歌声を持った女は第二次世界大戦下の動乱の時代に翻弄され、各地をたらい回しにされる。親兄弟も皆殺しにされたヒロインの生きる道は、レジスタンスに協力することしかなかった。ユダヤ人だと分かる名前を捨て、ブルネットの髪をブロンドに染め、今日から彼女はラヘル・シュタインという名前を捨て、“エリス・デ・フリース”として、レジスタンス活動に身を投じていく。類稀なる美貌を持った女はある日の列車内で、切手の収集をしているナチスドイツのルートヴィヒ・ムンツェ親衛隊大尉(セバスチャン・コッホ)と出会う。最初は国のために体を捧げたはずの男に、女の心は惑う。ルートヴィヒ・ムンツェとギュンター・フランケン(ワルデマー・コブス)の対比には、ナチスを勧善懲悪として描かないヴァーホーヴェンの態度が滲む。「簡単に人を信用するな、今は危険時代だ」と公証人スマール(ドルフ・デ・ルイーズ)に告げられたヒロインは歌と美貌を通じて戦火を辛くも生き抜くが、悲劇が待ち構える。シーツの下の勃起したペニスに見せかけた衝撃の場面、汚物を頭から被るクライマックスなど、ヴァーホーヴェン特有の露悪的な表現も滲むが、一貫して戦争の悲劇に翻弄された女性の姿を通して、ナチス・ドイツの悲惨な歴史を紡ぐ。

【第1012回】『インビジブル』(ポール・ヴァーホーヴェン/2000)


 尻尾を掴まれたマウスが施設の中で解放される。マウスは小さな移動を繰り返し、やがて牢獄の中へ閉じ込められる。其の身体はみるみるうちに透明になり、ゲージにぶち当たったところで赤く干からびる。天才科学者であるセバスチャン・ケイン(ケヴィン・ベーコン)は、国家の極秘プロジェクトとして「生物の透明化とそこからの復元」を研究している。彼と研究チームは、動物実験において既に透明化を実現していたが、透明化した生物はその状態が長時間続くと精神に影響が及んで凶暴性が向上してしまい、復元も成功できる物では無かった。ある日のラボ、いつものようにパソコンの前で研究していたセバスチャンは突然数式を思い出し、助手で元恋人であるリンダ・マッケイ(エリザベス・シュー)にTV電話をかける。モニター画面でマシュー “マット”・ケンジントン(ジョシュ・ブローリン)の姿を隠し、電話に応じるリンダは元彼っであるセバスチャンを心から尊敬していた。遂にセバスチャンは透明化した生物を復元させるための薬の開発に成功するが、更なる名声を求める男はこの事を国家には報告せず、チームの反対を押し切り、自らを使って初となる人体実験を行う。デヴィッド・クローネンバーグの『ザ・フライ』のような人体実験、脳波異常、過剰な痛みを伴いながらも、セバスチャン自らが行った実験は成功したかに見えた。

 H・G・ウェルズの小説『透明人間』を原案とする物語は、ジェイムズ・ホエール監督による1933年版、小田基義監督の1954年版、ジョン・カーペンター監督の1992年版に次いで4回目の映画化となる。孤独な天才学者は最愛の恋人リンダを職場の同僚であるマットに奪われ、国家機密の秘密の実験だけが彼のプライドを支えていた。動物実験を何度も繰り返し、ようやく成功に漕ぎ着けたかに見えた実験だったが人間の場合はそう上手くいかない。並外れた野心を持ち、透明人間になった男だったが、3日で元に戻れるはずが10日を過ぎたあたりから徐々に精神が狂い始める。痴漢、覗きなど透明になった男の欲望が中二レベルなのはご愛嬌だとしても、監視カメラに細工をした男の欲望は徐々に暴走し、次第に国家の要人をも殺めるに至る。マッド・サイエンティストの暴走は研究チームの人々を次々と殺し、警備システムを破壊しリンダとマットを追い詰める。リンダの起死回生のあっと驚くアイデア、ラストのエレベーター場面の高低差のあるアクション、そして何よりもジェリー・ゴールドスミスの音楽が効いている。だが今作は北米では製作費を回収出来ずに失敗、世界観を酷評されたヴァーホーヴェンはハリウッドに見切りをつけ、失意のままオランダへ帰国する。

【第1011回】『スターシップ・トゥルーパーズ』(ポール・ヴァーホーヴェン/1997)


 TVモニターに映る戦争賛美のコマーシャル、民主主義の崩壊した近未来の地球、地球連邦では軍部を中心とした「ユートピア社会」が築かれていた。連邦政府の支配の下、一般民は市民権を得るためには軍隊に志願し、兵役につくことが必要とされていた。ブエノスアイレスのハイスクールを卒業目前のジョニー・リコ(キャスパー・ヴァン・ディーン)は、授業中に落書きしていることを担任のラズチャック(マイケル・アイアンサイド)にたしなめられる。恋人のカルメン・イバネス(デニース・リチャーズ)へタブレットに書いたキスの絵を送る。そんな彼の背中をもう1人の恋のライバルであるディジー(ディナ・メイヤー)は見つめていた。宇宙海軍のパイロットを目指す、俊才にして親友のカール(ニール・パトリック・ハリス)との昼休み。エスパーの能力を持つ彼との透視ゲーム。アメフト部のエースであるジョニーは、敵チームの最大のライヴァルであるザンダー(パトリック・マルドーン)と死闘を繰り広げる。卒業式の日、カルメンやカールと共に軍に志願した男は、最も苛酷な機動歩兵部隊に配属され、鬼教官ズィム軍曹(クランシー・ブラウン)の下、彼に恋する同級生のディジー(ディナ・メイヤー)と猛訓練の日々を経て優れた兵士に成長する。分隊長に任命された彼だが、ある日、実弾訓練で仲間のひとりを死なせてしまう。

 ロバート・F・ハインラインのSF小説『宇宙の戦士』を原作とする物語は、80年代前半より何度も映画化が取り沙汰されたが、CG/VFX技術の拙さから何度も頓挫した。1959年という冷戦時代の真っ直中、ベトナムの情勢が戦争へ向けて大きく傾いていた時期に刊行された小説は、軍国主義の復権、暴力を肯定しているとして賛否両論が巻き起こった。戦争賛美の陳腐なコマーシャル、ナチスを模した軍隊のイメージ、陰惨極まるむち打ちの虐待など、ヴァーホーヴァンの描き方はファシズム社会への冷笑が垣間見える。フィル・ティペットによるクリーチャーの造形は数百体にのぼり細かく描かれ、ウォリアー、ホッパー、プラズマ、タンカー、ブレイン、チャリオットと多岐に及ぶ。中でもピンクがかかった体色とノズルのような触覚を持つブレイン・バグの造形は何とも強烈で印象に残る。プラズマ砲とウォリアー・バグの前に、地球軍は一瞬にして10万人の戦死者を出し、攻撃は大失敗。ラズチャック愚連隊からジョニー愚連隊へ、メンターの死で人間の命の尊さ・責任を知った主人公は地球連邦軍を率い大量のアラクニドバグズたちに戦争を挑む。身体を切断され、頭をかち割られ、脳みそを吸い取られる人間たちの最期はあまりにも悲惨で見るに耐えないが、ナチスドイツの支配下にあったオランダで幼少期を過ごしたヴァーホーヴェン流の強烈な反戦映画に他ならない。