【第889回】『ゾンビ/ディレクターズ・カット版』(ジョージ・A・ロメロ/1978)


 20世紀末、謎の光線の存在により突如アメリカ各地で死者が蘇り、人間たちに襲いかかった。フィラデルフィアのTV局では、この絶望的な光景を各地に伝えるべく、放送をしていた。ディレクターのフラン(ゲイラン・ロス)は徹夜続きの疲れからウトウトしているが、同僚に起こされる。TV曲で働いている同僚のステファン(デイヴィッド・エンゲ)は恋人に対し、屋上に21時集合と約束する。同じ頃、フィラデルフィアの貧民街の低所得者アパートにやって来たSWAT部隊。ウーリー班のでフランと旧知の仲のロジャー(スコット・H・ラインガー)は、地獄絵図のようなアパート内部の光景に心が折れかけていた。喫煙所での一服中、半透明カーテンの向こうに気配を感じたロジャーは身構えるが、やって来たのは隣の部隊の黒人隊員ピーター(ケン・フォーレ)だった。2人は互いを労いながら、何故か不思議に意気投合する。地下室の死体置き場はさながら蘇ったゾンビたちの地獄絵図となっている。ロジャーとピーターはフランたちと合流し、TV局屋上のヘリコプターで4人で飛び立つ。途中給油地を経由し、4人の足跡はジョーンズタウン内にあるショッピング・モール「モンローヴィル・モール」へ。武器と食料を確保することに成功した4人は計画を変更し、コミューンのような倉庫の中に隠れる。

 ジョージ・A・ロメロの『リヴィングデッド』サーガの記念すべき2作目。今作は冒頭から既に地獄絵図のような光景に達し、明るい未来など見えない。地獄が満員になると、死者は地上を歩くというピーターの言葉。刑務所に投獄された男と野球選手の2人を兄弟に持つピーターの背景は真に得体が知れない。フランとステファンの恋もやがてカナダ時代の中絶が2人の未来に暗い影を落としていることが明らかにされる。孤独だったロジャーは3人と合流し、水を得た魚のように動き回る。4人が辛くも逃げ込んだのは、19世紀末に人々の新しいユートピアとして誕生した文明社会の象徴のようなショッピング・モールである。横長で広々とした店内、階下を有に見渡せる施設、店員のいない店内の商品は4人が全て独り占め出来る。ゾンビたちは人間時代の懐かしい記憶からこの空間の磁場に吸い寄せられ集うが、皮肉にも経由地として指名したはずのモールに安住の地を見つけた4人は、ゾンビたちに食い殺される恐怖よりも物質消費主義の名残りに縛られる。ヘリの操縦の疲れから、ステファンがうとうとする中、マテリアリズムに犯されたピーターとロジャーは危険を冒してまでフロアへ侵犯する。結果的に人類はマテリアリズムの誘惑に負けたことがきっかけとなり、悲劇の連鎖を生む。

 それにしても中盤の4人の逃げることを忘れたようなマテリアリズムの白昼夢のような度を越した享楽ぶりが素晴らしい。平和ボケした彼らの脳裏にバイカー集団のエンジンが突如鳴り響くが、なぜ人間たちは結託せずに、ゾンビを尻目に皮肉にも人間同士で殺し合わなければならないのか?そこにジョージ・A・ロメロが提唱した人間の哀れが滲む。バイカー集団の長であるブレイド(トム・サヴィーニ)の大袈裟な描写、ラスト20分の破壊描写は低予算映画の概念を覆すような力に満ちている。「カニバリズム」と「伝染性」という2つの凡庸性を有したゾンビ映画の決定版はグローバリズム前夜の海を易々と渡り、数々のフォロワーを産み落とす。ルチオ・フルチの80年の『サンゲリア』や『地獄の門』、81年の『ビヨンド』、サム・ライミの81年作『死霊のはらわた』、ダン・オバノンの85年作『バタリアン』など今作が生み出した影響は計り知れない。高尚な人間も一度毒牙にかかれば、もれなく死体以下のゾンビになり下がるという恐怖、ヘリコプターとトラック、バイクへと連なる人間たちの動線、物語の展開には流石に古さを感じるのは否めないものの、3人の男たちに混じり、銃の撃ち方からヘリの操縦法までを学ぶゲイラン・ロスのヒロイン像は、リドリー・スコットの『エイリアン』よりも1年早かった。盟友ダリオ・アルジェント編集によるEU版ほどのタイトさはないが、今作のゾンビ映画におけるポジションは永遠に揺るがない。あらためてジョージ・A・ロメロ監督のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

【第30回】『URAMI 〜怨み〜』(ジョージ・A・ロメロ/2000)

ヘンリーは真面目だが気が弱く、傲慢な上司に馬鹿にされている。
しかも、美人の妻がその上司と不倫している瞬間を目撃する。
株式仲買人の友人には、預けた株の利益を横領される。
上司、妻、親友に裏切られ、絶望のどん底に陥った彼が朝目覚めると、
仮装パーティの時に作った白い仮面が顔に張り付いていた。

『ゾンビ』や『〜デッド』シリーズ等、
一連のゾンビ映画に熱狂的なファンを持つロメロの非ゾンビ映画。

まず白い仮面の出来映えにそれはないだろうと失笑してしまう。
CGやSFX全盛の世の中で、白塗りでもなければ特殊メイクでもない。
ただのプラスチック製のお面を被った主人公が、首から上の表情もまったくないまま
声だけで喜怒哀楽を表現しようとしても、土台無理であろう。

ほぼ全てのシークエンスで、ロメロは侵入する者と侵入される者の攻防を描く。
冒頭の家の中のシーンは、妻の眠りを妨げる主人公が描かれているし、
家政婦を殺して主人公がじっと息を潜める場面も、妻の侵入が描かれている。

この攻防はほとんど全てのシークエンスで折り目正しく反復される。
浮気の現場を目撃するシーン、写真に撮って証拠を押さえるシーン、
警察が事情聴取に主人公の家を訪れるシーン

非ホラー映画であっても、執拗に繰り返されるイメージが
侵入する者と侵入される者の攻防というのが、ロメロの作家性であり限界点でもある。

中盤の首つりシーンなんて、明らかに盟友アルジェントや自らのゾンビ映画の亜流でしかない。
自動で締まるフェンスも、部屋の内部の構造自体も、既知の光景そのものである。

クライマックス・シーンのヘビー・メタルで踊るライブ会場の設定も
いったいいつの時代だよとツッコミを入れたくなる。
21世紀はもう革ジャンに鋲の時代じゃないだろう 笑。
『ロッキー・ホラー・ショー』や『爆裂都市』からもう20年以上経過しているんだから。

エンドロールのA-HA『Take On Me』のカヴァーまで
2000年代の作品とはとても思えない古めかしい演出に最後まで乗れず。

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