【第24回】『エレクトリック・グライド・イン・ブルー』(ジェームズ・ウィリアム・ガルシオ/1973)

『イージー・ライダー』『バニシング・ポイント』『断絶』と並ぶ
アメリカン・ニュー・シネマの知られざる逸品。

フランク・ザッパのマザーズ・オブ・インヴェンションにいたガルシオが
後に初期シカゴのプロデューサーとして巨万の富を得て、
その大金を全てつぎ込んだ唯一の映画である。

それまで映画畑にはいなかったガルシオだが、
撮影監督のコンラッド・L・ホールの協力を得て、
助監督経験の無さを逆手に取ったような瑞々しい映画を撮った。

あまりにも広大なアリゾナの砂漠地帯。2人の白バイ警官。

1人はいい加減な男で、仕事に執着がないが、
もう1人は刑事になることを夢見て、日々一生懸命交通法規を取り締まる。

スピード違反以外は、事件という事件も起きない平和な町で、
ある日起きた自殺と見せかけた殺人事件を、主人公は他殺だと見抜き、刑事に抜擢される。

しかし夢を抱き続けた刑事という職場は、失望の連続だった。
いかにも70年代初頭の権力と反権力の二極構造を描いたヒーローのいない物語は
まさにアメリカン・ニュー・シネマそのものという印象。

何と言っても冒頭のクローズ・アップばかりで
俳優の表情を一切追わないオープニング・シーンの斬新さが目を引く。
恐らくガルシオの思いつきと過度な思い入れで始まったものだろう。

その後はむしろクローズ・アップよりも引きの絵を多用しながら
どのシークエンスもショットを割らずに、長回しを多用する。

主演のロバート・ブレイクとは『冷血』でもタッグを組んだ
撮影監督のコンラッド・L・ホールが効率の良い長回しを披露している。

ガルシオにはヘルマン、シーゲル、フライシャーのような確固たるショットの意識がない。
それゆえにカットを割ったシーンと割れなかったシーンが混在し、
フレームの中の緊張感に欠ける場面が散見される。

中盤のカー・チェイスならぬバイク・チェイスの場面こそ、その失敗の最たる例だろう。
活劇的な場面をスピードを生かしながら、どうショットを割っていいのかがわからない。
異業種監督の致命的な欠陥が出てしまっている。

決定的な場面のスロー・モーションは完全にペキンパーでオリジナリティもない。

クライマックスのあの衝撃的な場面も、今観るとだいぶ青臭く感じる。
明らかに『イージー・ライダー』を意識しただろうが、
銃口を向けられて、主人公のクローズ・アップを何故挟んだのか 笑?
一手多かったり、一手少なかったりするのがガルシオの処女作らしいところである。

描写は決して上手ではないが、ハーレーとかシカゴとかヒッピーとか
当時のアメリカの文化的背景や風俗が非常に懐かしいし、愛おしい。

特にMADURAのコンサート・シーンはあまりにも貴重だし、
プログレ・ファンなら観ておいて損はない。

70年代と聞いて、真っ先に挙がる映画ではないが、
こんなものもあった程度に懐かしみたい、味わい深い小品である。

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