【第1048回】『ヘルブレイン/血塗られた頭脳』(モンテ・ヘルマン/1989)


 十字架のネックレスをした少女が病室のベッドに眠っている。そこへどこからともなく「ローラ、ローラ」と声が聞こえて来る。どこまでも白い病室の壁、ローラ(サマンサ・スカリー)はリッキー(ビル・モーズリイ)にどこまでも追いかけられていた。次々に開ける病室のドア、ローラは右手を切られ、絶叫のうちに我に返る。パート2で射殺されたはずだったリッキー・コールドウェルはニューベリー博士(リチャード・ベイマー)の脳再生手術により一命を取り留めたものの、6年間の昏睡状態にあった。「命の重さは犯罪者も同じ」という医療哲学を持つ博士は、盲目の美少女ローラのテレパシーをもって彼の蘇生を試みようとしていた。季節はクリスマス、農場を営むお婆ちゃん(エリザベス・ホフマン)の家でクリスマス・パーティをするために、兄クリス(エリック・ダレー)と共にパイルまで向かう約束をしていた。兄の恋人で超能力者であるジェリー(ローラ・ヘリング)との出会いの場面、兄の恋人に嫉妬したローラは彼女に辛く当たる。十数年前、クリスとローラの兄妹の両親は飛行機事故で帰らぬ人となった。今は兄とお婆ちゃんだけが頼れる肉親のローラは、3人でパイルへ向かう。一方その頃、病院ではサンタの歓待を受けたリッキーが突然目覚め、ローラのテレパシーを受信し彼女を追う。

 サンタを殺人鬼に仕立て、全米中のPTAを敵に回した『悪魔のサンタクロース』シリーズ第三弾。サンタの紛争をした強盗に両親を殺されたトラウマから、自身もサンタの格好で同様の犯罪に手を染めるようになったビリーの凶行から3年、ビリーの実弟であるリッキーの凶行を描いた前作では孤児院の院長を殺めたリッキーだったが、今作では6年間の昏睡状態にある。だがサンタの姿に反応し、昏睡状態から目覚めたリッキーは、ニューベリー博士に改造されたヘッドギアをつけて、次々に罪のない人々を殺して行く。田舎町の事件の操作に当たるコノリー警部補(ロバート・カルプ)はニューベリー博士と共に、3人が既に向かったパイルへ遅れて向かう。寄る辺無き盲目の美少女が辿り着いたお婆ちゃんの家には、既に彼女の気配はなく、自身の写真が収めれらたフォト・スタンドが消えて無くなっている。レオナード・マンやエリザベス・ホフマンらを次々に殺して行くリッキーは確かにスラッシャー映画の殺人鬼に違いないのだが、先回りしたはずのお婆ちゃんの家ではどういうわけかなかなか姿を現さない 笑。だがラスト・ミニッツ・レスキューをするはずだった2人の背広の男たちの揃わない足並みに殺人鬼は助けられる。アメリカン・ニュー・シネマ傑作中の傑作『断絶』や『コック・ファイター』の監督として知られるモンテ・ヘルマンの演出は確かにチープだが、どうしても嫌いになれないクリスマス映画の珍品中の珍品である。

【第17回】『旋風の中に馬を進めろ』(モンテ・ヘルマン/1965)

4年ぶりくらいに観たが、やはり何度観ても素晴らしい。

若き日のジャック・ニコルソンが
主演だけでなく脚本も担当したオルタナ西部劇。

低予算B級西部劇を作るヘルマンの職人としての才能と
売れない役者の野心とがぶつかり、とんでもなく火花を散らした82分間。

いきなり縦の構図でスタートするあたりも痺れるが、
タイトルバックで馬と馬の間のアップが出て来た時は本気で卒倒しそうになる。

B級プログラム・ピクチュアを作らせたら
コーマン門下生のヘルマンの右に出るものはなかなかいない。

バジェットから逆算して、導き出された答えがこの映画なのだ。

エキストラを雇えないから、町も酒場も酒場のセットも出て来ない。
広大な土地を自由自在に行き来したいところだが、それでは早撮りが出来ない。

それで導き出されたのが縦の構図になる。
明らかにアクションに不向きな崖の上と下で執拗にショットを切り返し続ける。

途中、ヘルマンお得意の炎が出て来るが、それとて丸太小屋一つを焼いたに過ぎない。

お尋ね者と自警団の追いつ追われつの物語は、西部劇の従来の型通りと言えるが、
ニコルソンとヘルマンは主人公たちを、自警団に強盗と間違えられた男たちに設定する。

正義でも悪でもなかったごく普通の人々が
いきなり悪役に間違われ、一歩逃げ出した瞬間から追われる者へと変貌する。

そんな馬鹿な話があるかよと思うが 笑、これぞ映画じゃないか。
出鱈目を愛するヘルマンのB級活劇なら、どんな設定でも許容される。

仕方なく逃げたニコルソンたちの前に現れたのが、老夫婦と世間知らずのその一人娘。
この一人娘がキレイなのに、圧倒的に華がない 笑。

名前はミリー・パーキンスというB級女優なんだけど、
この映画の他にも『銃撃』とか『コックファイター』など
初期のヘルマン作品の常連だった美人なのにまったく愛嬌のない女優さん 笑。

昔拝見した『銃撃』のスチールでは、自然な笑顔が印象に残ったが、
概してフィルムの中ではそのように映らない女優と言えるのかもしれない。

このミリー・パーキンスには随分歳の離れた父親と母親がいて 笑、
前半に出て来た炎上した丸太小屋よりも遥かに小さいあばら屋に一日中住んでいて 笑、
そのあばら屋と庭の往復をおやじにわざわざ2回繰り返させる憎い演出をしている。

まず1回目でこの家族のルーチン化した日常の風景を見せたところで、
2回目に決して求められていない訪問者の到着を描く。

省略に次ぐ省略、制約を逆手に取った演出を続けておいて、
大事なところでは同じ一連の動作を2度繰り返してみせる。

このあたりがヘルマンのしたたかな職人魂炸裂といったところだろう。

当時は酷評に次ぐ酷評で、ジャンルのゴミ箱に無造作に捨てられた映画だったが
今や生きる伝説となったヘルマンのB級西部劇。

しっかり拾い上げられ、ようやく陽の目を見た。問答無用の大傑作。

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