【第15回】『コンボイ』(サム・ペキンパー/1978)

これも久しぶりに再見
ペキンパー最大のヒット作品ながら、
彼自身はこれが代表作と言われるのは相当不本意だったんじゃないかと思う。

『キラー・エリート』以降というか『ガルシアの首』の時点で
彼のショット割りは相当サイケデリックでドラッギーになり、
すっかりシーゲル譲りの職人監督としての意匠を失ってしまっている。

今作でもかなり前半に出て来る酒場での保安官とトラッカーの乱闘騒ぎだが
無駄に長いし、ショットのつなぎが要領を得ておらず混乱するばかり。

縦に隊列を組みながら走るトラックも
その重さは感じても、スピード感はまったく感じない。

これは縦の構図と横の構図、上下の構図の配置が混乱しているからで
そういう見込み違いの欠陥のある映像が最後まで続いて行く。

対立構造も少々雑にまとめ過ぎて、物語にコクがない。
トラッカー軍団を反権力の象徴に見立て、
保安官どもや政治家は賄賂に汚職と鼻持ちならない描写が延々と続くのだが、
もう少し対立構造を練っても良かった。

しかしながらイメージに固執して票集めに必死な政治家に扮した
カサヴェテス映画の常連シーモア・カッセルは流石に上手い。

『ゲッタウェイ』に続いて登場となった気丈な女アリ・マッグロー

『ラスト・ムービー』の枯れた味わいを継承した
クリス・クリストファーソンの朴訥とした味わい

『ロッキー』や『カリフォルニア・ドールズ』で愛嬌のある役柄を演じた
アメリカ映画きっての名脇役バート・ヤングのこれまた愛嬌ある相棒ぶり。

『北国の帝王』の憎きアーネスト・ボーグナインが
あれ以上の苦み走った憎らしさをみせている。

彼ら俳優たちの上手さで、映画が何とか持っている印象である。

もう既にアルコール中毒とドラッグ中毒により、
撮影中もわけのわからない奇声を発するなど、烈しい酩酊状態だったと言われるペキンパー。

結局、この次の『バイオレント・サタデー』が遺作となってしまう。

【第7回】『わらの犬』(サム・ペキンパー/1971)

昨日3年ぶりくらいにMy倉庫から引っ張り出して観たけど、凄まじい映画だったな

教会の場面の激烈なカッティングとは対照的な
視線の交差を描いた前半部分の抑制の効いたトーンは久々に観ても痺れる
冒頭とか完全に現代劇の『ワイルド・バンチ』だし、
ホフマンの猟とスーザン・ジョージのレイプ・シーンをクロス・カッティングした中盤は
何度観ても戦慄が走る。

駄目な人は徹底して駄目だろう。
生理的な嫌悪感を感じるだろうし、44年経った今でも
人間の本能や良心を逆撫でするようなショットのつなぎ方に勝手に滲み出てしまう活劇性。

この予告編を観ると、
若い人ならば真っ先に『ライク・サムワン・イン・ラブ』を思い浮かべるだろうし、
人によっては『ジャンゴ』や『タクシー・ドライバー』や
もっと言えば『チェンジリング』や『さまよえる残響』や『プリズナーズ』を感じるかもしれない。

単純に『ヒストリー・オブ・バイオレンス』と比較されてもいい。

そのどれもが正解だけど、
ペキンパーの一つ一つのショットに漂う緊張感は
それらの映画とはまったく次元の違うところにある。

もともとの構造自体は、明らかにポランスキー『袋小路』の影響下にありながらも、
中盤以降、まったく違うペキンパーにしか描けない狂気の暴走に至る。
強引に世界観を自分のものにしてしまう説得力がある。

『ダンディ少佐』でハリウッドから声がかからなくなり、
そこから復活した『ワイルド・バンチ』から
『ガルシアの首』や『キラー・エリート』くらいまでのペキンパーは
どの映画を観ても文句なしに素晴らしい。

それに加えて今作は主演にダスティン・ホフマンを起用し、
ニュー・シネマの香りを漂わせたいびつな現代劇になっている。

この後、マックイーンを召還して男の映画を撮ったペキンパーが
その前にホフマンで1本撮っているというところに70年代アメリカ映画のいびつな深みがある。
時代を突き動かす力と50年代の骨太な世界を守ろうとする力が
じりじり拮抗しながら有り得ないほどの緊張感を持った時代。
その先頭をペキンパーは真っ先に走り続けた。

ラスト・シーンのカッコ良さなんて70年代屈指だろう。
ペキンパーは時代ではなく、たえず自分自身と向き合い続けた希代の名監督だった。
もう10回目くらいなのに心が震えた。何度観ても痺れる映画である

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