【第96回】『カリフォルニア・ドールス』(ロバート・オルドリッチ/1981)


ロバート・オルドリッチ監督の遺作にして
実に味わい深い魅力をたたえた小品である。

この映画が撮影された81年と言えば、
ジョン・カーペンターが『ニューヨーク1997』を撮り、
スピルバーグが『失われたアーク』を、
デ・パーマが『ミッドナイトクロス』を撮った年として知られている。

ハリウッドに押し寄せたこうした若い力の波に影響されること無く
オルドリッチは良くも悪くも古色蒼然とした最後のハリウッド映画を描いた。

題材には「女子プロレス」という映画的には最も危険な題材を選択しながらも、
リングの上を躍動感たっぷりに闘う2人のヒロインの姿を活き活きと描いている。

マネージャー役のピーター・フォークが絶妙で、
すっかり枯れた飄々とした役柄を実に見事に演じている。
特技はバットを振り回すこととリング・サイドでのヤジで
どこか抜けた敏腕マネージャーとレスラーとの恋は深い味わいを醸し出す。

しかもこのピーター・フォークと
悪の興業主であるバート・ヤングとのやりとりがいちいち面白い。
バート・ヤングと言えば『ロッキー』のエイドリアンの兄貴を真っ先に思い出すが、
70年代のTHE良い顔の代表格であるフォークとヤングの掛け合いが面白い。

徹底して男性の映画にこだわって来たオルドリッチが
日陰の女性たちにスポットライトを当てるのだが、
やはりピーター・フォークやバート・ヤングら男性俳優陣の使い方の方が圧倒的に上手い。

それでもベッドで将来を不安視して泣いたり、
途中マネージャーとレスラーの恋を積極的ではないが描いたり、
要所要所に登場人物の心の葛藤が描かれていて泣かせる。

スポーツ映画にありがちなのは、プレイ中の動的なショットに対して
それ以外のショットが極端に静的になることだが、
オルドリッチはあえてモーテルや控え室で話せばいいことを車の中で話し、
その車での移動の様子をあらゆる角度から据えたロング・ショットでまとめる。
流石に職人らしい素晴らしい演出とショットのつなぎである。

広いアメリカをぽんこつキャデラックで巡業する様子がある意味この映画の核であり、
ロード・ムービーの様相さえも感じることが出来る。
バーガー・ショップ、電話BOX、モーテルなど70年代末の情景を感じ取れるし、
カリフォルニア・ドールスの2人のファッションもこの時代を生きた者にとってはひたすら懐かしい。

ラストの入場シーンはリングの上での闘いの前にもう一度見せ場を作る。
ピアノの伴奏者や子供たちと示し合わせて行う演出がひたすら憎い 笑。
あの堂々とした古臭さこそがオルドリッチの真骨頂である。

80年当初のレスリングはまだまだクラシックな魅力を讃えているが、
数ヶ月に渡り、プロレスの修練を積んだフレドリックとランドンの動きも頑張っている。
危険な投げ技などはほとんどないが、一歩間違えば大ケガである。

ラスト・シーンのそんな馬鹿なというような強烈な爽快さはオルドリッチならではの力業で
リアリティよりも作り物の素晴らしさに徹底的にこだわっている。

生涯現役で一生を終えた監督の場合、遺作となった作品はどうしても議論になるが、
ハリウッドきっての骨太監督の遺作が
こんなに軽快なプロレスものだったというのはあまりにも痛快ではないか?

チャップリンの『ライムライト』の助監督で映画の世界に飛び込み、
『カリフォルニア・ドールス』でその生涯を終えた。享年65歳だった。

【第12回】『ギャンブラー』(ロバート・アルトマン/1971)

ジャンルとしての西部劇と言える要素はここには何もない。
活劇としての馬もなければ、荒涼とした乾いた土地もゴツゴツした岩場もない。

流れ者の博打打ちと阿片中毒の売春宿のおかみの恋を
レナード・コーエンの歌に乗せて描いたラブ・ストーリーであり、
西部劇であろうが、現代劇であろうが、
反骨の人アルトマンらしいドラマが展開されていく。

正義vs悪の明確な構図が黄金時代の西部劇だったとするならば、
今作に出て来る構図は悪vs巨悪という形容がぴったりかもしれない。

運良く富を得て、弱いものから搾取しながら更に多くの富を得ようとする金持ちが
自分より更に悪い男たちに命を狙われ、乗っ取られそうになる。

ここでは正義のヒーローなどどこにも存在しない。
暴力に対して、暴力で返そうとする冷たい関係性が、
ヴィルモス・ジグモンドお得意の光量の弱い靄がかった暗さの中で徹底的に描かれる。

教会の高い建物はシンボリックにこの街の象徴のようにそびえ立つ。
冒頭、ウォーレン・ベイティが桟橋を渡り、画面手前に歩いて来るところから
桟橋と教会が映画の中で最も重要な舞台装置になることはわかるのだが、
実際にクライマックス・シーンを観ると、
せっかくの舞台装置が台無しになる演出を平気でしてしまっている。

人物の動線もショットの割り方もこれでは物足りず、
西部劇として活劇としての最低限のカタルシスも巻き起こせていない。

アルトマンという人は、群衆シーンを描くことに長けていても
活劇は不得手でどうにも物足りない。

『ワイルド・バンチ』や『明日に向かって撃て』の登場で
70年代の西部劇はマカロニ・ウエスタンの影響も受けながら、
どんどん暴力的になっていく。活劇としての暴力性を増して行く。

ただアルトマンはその方向にはっきりと異を唱えているとも言えるのではないか。

ウォーレン・ベイティは共同経営者である阿片中毒の女への恋心を抱きながら、
その気持ちを打ち明けられない。

それでも死を覚悟し、向かって行く。

折しもアメリカは朝鮮戦争、ベトナム戦争にたくさんの兵士を送り込んだ時代。
その中で監督の中に芽生えた反戦の感情が、この西部劇には盛り込まれている。

クライマックス・シーンで
相手の銃口が西部劇にあるまじき卑劣な方向を向いている。
その銃口が身体のどこを打ち抜いたかを考えれば、アルトマンの志がわかる。

【第10回】『相続人』(ロバート・アルトマン/1998)

90年代に大ブームを起こしたジョン・グリシャム小説の映画化
その最後期の作品ということで、
やはり『ペリカン文書』、『依頼人』、『レインメーカー』あたりと比べると
物語が凡庸でやや独創性に欠けるのだが、いま振り返るとこれはこれで悪くない

90年代のアルトマンの作品の中では凡庸の部類に区分けされるこの作品

エリート弁護士が典型的なファム・ファタールに捕まり、
人生を狂わせて行く物語は思いっきりフィルム・ノワールの類型で
最初からほぼ筋立てがわかるのが難点と言えば難点だが、
荒れた天候を織り交ぜながら、アルトマンらしからぬ携帯電話の使用とか
状況設定に上手く現代要素を盛り込んでいる。

でも結局大事な場面は電話ボックスだったり、
双眼鏡だったりするところが実にアルトマンらしい 笑。

法廷シーンの演出とか
ロバート・デュヴァルの大統領が言えるかのくだりなども
アルトマンにしかなしえない余裕と気品を感じる。

冒頭とラストの空撮も思いっきり肩の力を抜いて
自分のやりたかったサスペンスを徹底してやっている感じ。

舞台俳優を中心にした役者陣も各人それぞれに上手いし手堅い。
特にロバート・ダウニー・Jr演ずるクライドの軽妙さは絶品。

余談だがあたかもロバート・デュヴァルが大ボスであるように見える
この予告編の人を騙す感じはいかがなものなのか 笑?

徹底してウェルメイドな小品を久しぶりに堪能した。

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