【第1016回】『エル ELLE』(ポール・ヴァーホーヴェン/2016)


 黒い画面に響き渡る女の悲鳴、陶器が床に落ちる音、パリの高級住宅街で一人暮らしをしているミシェル・ルブラン(イザベル・ユペール)は突然、黒の目出し帽を被った男に強姦される。露わになった両方の乳房、破られたパンティ・ストッキング。普通なら放心状態に陥っても良さそうだが、女は割れた陶器をちり取りでごみ箱に入れ、使い物にならなくなった黒い下着も捨てる。何事も無かったかの様子で体液を洗い流し、血をさっと洗い流した女は、平然とした表情のまま、今夜の息子との再会のために電話で鮨を頼む。だが肝心要の警察に連絡する様子はない。女の中に訪れたレイプという大きな事件をまるで何事も無かったかのように冷たく受け流す。この冷酷無比な主人公をイザベル・ユペールが自信を持って演じているのが印象に残る。実年齢よりも役柄の方が10歳若い独身女性はゲーム会社の経営者であり、しばしば強権的な手腕を発揮するやり手の女社長に他ならない。共同経営者のアンナ(アンヌ・コンシニ )とは若い頃からの苦労を共有する間柄だが、あろうことか彼女の旦那のロベール(クリスチャン・ベルケル)と肉体関係を持っている。時折り出会う息子のヴァンサン(ジョナ・ブロケ)とは関係が思わしくなく、妊娠中の恋人ジョシー(アリス・イザーズ)に振り回される息子に嫌気が差している。

 60歳を越えて、セクシュアリティ全開の役を演じるミシェル・ルブランの周りには、アブノーマルで好感の持てそうなまともな人物など1人もいない。離婚した夫のリシャルト・カサマヨウ(シャルル・ベルラン)は売れない作家で、若い女性エレーヌ(ヴィマラ・ポンス)にうつつを抜かし、母イレーヌ(ジュディット・マーレ)はHIV陽性ながら、娘名義の部屋で生活費を貰いながら、若い愛人に目がない。極め付けは彼女の父親が、ナントで27人の命を奪った連続殺人鬼だったことである。『ベティ・ブルー―愛と激情の日々』の原作者として知られるフィリップ・ディジャンの新たな物語は、刑事にも頼らずにミシェルが真相を解明しようとするのだが、ヴァーホーヴェン監督の旧作『氷の微笑』のようにミステリーの謎解きに主眼が置かれない。単なる被害者でも復讐者でもないミシェルの本性が露わになってからがヴァーホーヴェンとイザベル・ユペールとの真骨頂となる。清廉から程遠い女は男たちが振るう暴力の渦中に放り込まれることで、父が引き起こしたかつての大量殺人の記憶を呼び覚まされた女は、真犯人のインモラルな関係性に進んで溺れ、あえて火中の栗を拾う。当初アメリカ映画として想定された物語は、ミシェルのキャスティングが難航し、イザベル・ユペール主演のフランス映画へ軌道修正されたのだが、それが大成功している。

【第1015回】『4番目の男』(ポール・ヴァーホーヴェン/1982)


 蜘蛛の巣にかかった虫のアヴァン・タイトル、ベッドの上に十字架が置かれた敬虔なクリスチャンである作家ジェラルド(ジェローン・クラッベ)の部屋には蜘蛛の巣のかかった女神の石像が置かれている。書庫に入れられた大量の文学、下半身を剥き出しにした男はゆっくりと階下へ歩き始める。足下は千鳥足で覚束ず、ヴァイオリンの鳴る方へ向かいながら、鏡の前でヒゲを剃り、再び酒をあおる男の行動は怠惰で頼りない。男は帽子掛けに掛かった黒いブラジャーを無意識に持ちながら、後向きでヴァイオリンを弾く愛人の男の首を閉めようとしていた。バイセクシャルな男はすっかり愛人との仲は冷え切っていた。駅まで送ってくれというジェラルドの頼みを男は断わり、仕方なくジェラルドは駅へ向かう。本屋でエロ本を物色していた男は裸の男のグラビアに目を留めていた男ハーマン(トム・ホフマン)に目を奪われる。足早に立ち去ろうとするハーマンの後をつけた男は改札を入り見失うが、ケルン行きの列車に乗ったという情報を手にする。旧約聖書・士師記に登場するサムソンとデリラの物語、キリストはそこにいるというメッセージ、網棚に置いたバッグから零れ落ちたトマトジュース、男は眠りにつき、ある高級ホテルの4つ目の部屋から飛び出した目玉を目撃する。列車を降りる頃、同じ列車に乗っていたはずの霊柩車は自分のものではないかと主張した男は、「HERMAN」という別の名前の印字を目撃する。

 アル中で両刀使いの作家ジェラルドが講演会で出逢った女クリスティン(ルネ・ソーテンディック)は男に無断で8mmカメラを廻し続ける。ブロンドの髪に興味有りげな瞳、時には質問も投げ掛けてくるなど積極的な女は、町一番のホテルへと男を誘うが、そこはジェラルドが悪夢で目覚めたホテルだった。「SPHINX」という名の美容室のネオン管が切れて「SPIN(蜘蛛)」となった姿、紅い薔薇を持った聖母マリアと拳銃のように構えられた屋敷のカギ、初めての夜に男が見たハサミでナニを切られる悍ましい夢。バイセクシャルな男は引き出しに入れられたハーマンのビキニ写真を見て欲情するが、「君のために 君だけの」とほくそ笑むのは何も彼だけに限らない。絞首刑の縄のような巨木を縛るロープ、突然落下する海鳥、海岸線から登場した右目が潰れたハーマンの姿はいったい何を意味するのか?やがて金庫に入れられた3本の8mmフィルムが女の秘密を明らかにする時、4番目の殺人の幕が開く。まるで毒婦のようなルネ・ソーテンディックのファム・ファタール感と圧倒的エロス、女を征服したはずのアル中の妄想男に取り憑いた何度目かの警告、そして最悪の悲劇。後のアメリカ時代の『氷の微笑』や『ショーガール』のプロトタイプとなったオランダ時代の名作は、男をそそのかし、裸一貫でのし上がって行く女のしたたかさが強く印象に残る。

いよいよ明日、勤労感謝の日になります。宜しくお願いします。
11月22日(木)祝日@ music bar LYNCH 21時〜3時
『映画の日 7』ポール・ヴァーホーヴェン特集

【第1014回】『ポール・ヴァーホーヴェン/トリック』(ポール・ヴァーホーヴェン/2012)


 オランダ・ユトレヒト、映画ミーティングに呼ばれたのはオランダ屈指の大御所監督であるポール・ヴァーホーヴェン、御年74歳。オランダ映画史上最大の25億円をかけた『ブラックブック』から6年、その華々しい新作完成の告知は突如幕を開ける。プロの女流脚本家キム・ファン・コーテンが書いた脚本は僅かに4ページのみ、時間にして5分ほどの告知映像で公募された脚本の続き募集に対し、世界から集められた700もの脚本。その中から選りすぐりの集合知を結集し作られたのが60分にも満たない中編である。その前にはポール・ヴァーホーヴェンによるドキュメンタリー・タッチの紹介映像が34分ほど収められるのだが、栄光のアメリカ時代を自慢げに語りつつも、新作のことになった途端、自慢の弁舌は突然湿り始める。送られて来た脚本700本のうち、モノになるのはせいぜい2本か3本、そのダイヤの原石を探す作業に膨大な時間を費やし、突如マフィアが出て来たり、唐突に主人公が殺されたりするアメリカナイズされた物語に辟易しながら、総勢397名の脚本家のマテリアルを散りばめながら、今作は完成した。映画は主人公を務めたピーター・ブロック以外はほとんど映画学校出身の素人俳優だが、演劇ではなく映画の勉強をした彼らの能力に監督は一定の信頼を示す。ヴァーホーヴァン曰く、フェデリコ・フェリーニには『8 1/2』という映画があるが、今作は『14 1/2』の性質を持つとドヤ顔で嘯く。

 資産家で会社経営者のレムコ(ピーター・ブロック)は50歳の誕生パーティで妻子に囲まれ、裕福で幸せな人生を噛みしめていた。食卓で愛娘からもらった黒い手帳、妻イナケ(リッキー・コーレ)が催したホーム・パーティには数百人もの人々が集合、宴は繰り広げられる。娘の親友のメレル(ゲティ・ヤンセン )はパーティの途中に現れ、娘と共に兄トビアス(ロベルト・デ・ホーフ)の部屋を訪れる。2人が覗き見た兄のPCの中のメレルのアイコラ画像、フレームを構える兄の前に大胆に見せたおっぱい。するとそこに、日本で暮らしていたはずの元愛人ナジャ(サリー・ハルムセン)が不敵な笑みと共に現われる。妻と2人の愛人、同時に3人を愛する主人公は7ヶ月の身重になったナジャの姿に困惑の表情が隠せない。とびきりの美女3人を手玉に取った辣腕社長の身に思ってもいない悲劇が起きてから、会社の経営は傾き、一気に窮地に陥る。冒頭のレムコの部屋に全てが帰結するかのように、父親レムコへの妻の疑惑の目、奥手な兄トビアスのメレルへの病んだ眼差し、そしてメレルと生娘との友情の行方と愛人ナジャに隠された壮絶な秘密が活性化させる物語は、ソープオペラ的なメロドラマでありながら、次の瞬間がまったく予知出来ないコラージュ的な脚本の魅力に左右される。冒頭のドキュメンタリーにおけるヴァーホーヴェンの自信の無さを覆すような二転三転する展開の妙、今回も男の欲望を3人の女(愛娘も加えて4人!!)は高飛車な欲望を翻弄するファム・ファタール的な妖艶な魅力を放つ。

【第1013回】『ブラックブック』(ポール・ヴァーホーヴェン/2006)


 1956年10月イスラエル、ロニー(ハリナ・ライン)はカナダ人彼氏と共にキブツ・シュタインを訪れていた。車を降り、奥にある外国語教室にゆっくりと歩を進めるロニーはヘブライ語の教師エリス・デ・フリース(カリス・ファン・ハウテン)の姿に目を輝かせる。1944年9月、ナチス・ドイツ占領下のオランダ。美しいユダヤ人女性ラヘル(カリス・ファン・ハウテン)はかつて歌手だったが、今はユダヤ人狩りを逃れるためにとあるオランダ人一家のもとに匿われていた。ラヘルが湖で英語の曲を聴いていると、爆撃機が落とした爆弾が隠れ家を直撃。彼女は、湖で知り合った親切なオランダ人青年ロブ(ミヒル・ホイスマン)のところに身を寄せる。その夜、ファン・ハイン(ピーター・ブロック)がラヘルの新たな隠れ家を訪ねてくる。彼はドイツ軍が彼女の行方を追っていて、かくまったロブも逮捕されるだろうと警告する。親切にも既に連合軍によって解放されているオランダ南部への脱出を手引きすると約束するのだった。船着場で別のユダヤ人グループと合流し、離れ離れになっていたラヘルの両親や弟のマックスとも再会。ファン・ハインに別れを告げ、一向は船に乗り込む。夜更け、彼らの船の前に突然ドイツ軍の船が現れた。銃弾の雨の中、なすすべなく倒れてゆくユダヤ人たち。両親や弟、そしてロブも殺され、とっさに川に飛び込んだラヘルだけが辛うじて生き残る。

 オランダ映画史上最大の製作費25億円を投じられ、製作された物語はナチス占領下のオランダを舞台にしたある1人のユダヤ人の悲劇の物語に他ならない。幼い頃から音楽が好きで、天性の歌声を持った女は第二次世界大戦下の動乱の時代に翻弄され、各地をたらい回しにされる。親兄弟も皆殺しにされたヒロインの生きる道は、レジスタンスに協力することしかなかった。ユダヤ人だと分かる名前を捨て、ブルネットの髪をブロンドに染め、今日から彼女はラヘル・シュタインという名前を捨て、“エリス・デ・フリース”として、レジスタンス活動に身を投じていく。類稀なる美貌を持った女はある日の列車内で、切手の収集をしているナチスドイツのルートヴィヒ・ムンツェ親衛隊大尉(セバスチャン・コッホ)と出会う。最初は国のために体を捧げたはずの男に、女の心は惑う。ルートヴィヒ・ムンツェとギュンター・フランケン(ワルデマー・コブス)の対比には、ナチスを勧善懲悪として描かないヴァーホーヴェンの態度が滲む。「簡単に人を信用するな、今は危険時代だ」と公証人スマール(ドルフ・デ・ルイーズ)に告げられたヒロインは歌と美貌を通じて戦火を辛くも生き抜くが、悲劇が待ち構える。シーツの下の勃起したペニスに見せかけた衝撃の場面、汚物を頭から被るクライマックスなど、ヴァーホーヴェン特有の露悪的な表現も滲むが、一貫して戦争の悲劇に翻弄された女性の姿を通して、ナチス・ドイツの悲惨な歴史を紡ぐ。

このカテゴリーに該当する記事はありません。