【第757回】『オマールの壁』(ハニ・アブ・アサド/2013)


 Tシャツにジーンズ姿のオマール(アダム・バクリ)は、壁を背にして静かに立っている。辺りには強い風が吹いており、Tシャツがたなびいている。やがて3台の車が通り過ぎるのを見守ると、壁に掛けられたロープを使い、8mの断崖絶壁を力づくでよじ登る。だが壁を跨いだ瞬間、男の足元に銃弾が撃ち込まれる。男は壁の向こう側に飛び降りると、狭い路地裏をジグザグに逃げ回り、やがて一軒の民家の前を訪れる。ノックして出て来たのはナディア(リーム・リューバニ)だった。「タレクはいるか?」の言葉に彼女は応じ、中へと案内する。中には既にナディアの兄タレク(エヤド・ホーラーニ)とアムジャド(サメール・ビシャラット)がいた。椅子に腰掛けくつろぐタレクたちはナディアにお茶を一杯出すよう命令する。女は明らかにオマールに好意的な視線を寄せる。アイコンタクトをしながら、お茶を渡したオマールに対し、アムジャドには『ゴッドファーザー』のドン・コルレオーネ(マーロン・ブランド)の真似をしないとお茶を渡さないというSっ気たっぷりの姿勢で迫る。兄貴のタレクは妹の恋心に気付いているが、今はそれどころではない。やがて庭先に出た3人は、ドラム缶の上に置かれた電子レンジに照準を定め、銃を撃つ練習をする。アムジャドが見事に電子レンジを破壊し終えると、タレクは嬉しそうな表情をしながら、組織に早速電話するぞと息巻いている。3人は幼馴染みで家族のような関係を築くが、8mの断崖絶壁が彼らの密なコミュニケーションを引き裂いている。

 落書きやタギングがしてある8mものこの壁は、2005年にイギリスの正体不明の芸術家バンクシーが絵を描いたことでも知られているいわゆる「分離壁」に他ならない。この分離壁はヨルダン西岸地区に、2002年からイスラエル側が強引に建設を押し進めているものだが、第一次中東戦争(1948年)の停戦協定で定められた境界線(グリーンライン)よりパレスチナ領側に築かれているため、国際的にも大きな非難を浴びている。分離壁は堀・有刺鉄線・電気フェンス・幅60~100mの警備道路からなる部分と、コンクリート壁の部分で構成されている。オマールがよじ登り、友人たちに会いに行くのは射殺覚悟の危険なコンクリート部分である。若者を中心に人工の流出が止められなかった東ドイツは1961年8月、秘密裏に有刺鉄線とコンクリートで僅か2日間で4mもの壁を築く。東西ドイツを2分したこの「ベルリンの壁」が高さ4m、総距離150kmだったのに対し、2012年の時点では総延長の62.1%である439.7 km が完成し56.6 km(総延長の8%)が建設中、残りの211.7 km (総延長の29.9%)が未着工の計画中区間とのことで、実に「ベルリンの壁」の約3倍もの距離を既に分断していることになる。イスラエルは自爆テロ防止のためという名目で、否応無しにパレスチナ人の関係性を一方的に分断する。普段はタレクやナディアと分断された壁のこちら側でパン屋の仕事をするオマールは両親に囲まれ、少し年の離れた妹や弟と暮らしている。タリクとナディアは兄妹であり、アムジャドには7人もの姉がいるが、彼女たちは婚期を逃し、今もアムジャドの実家に身を寄せる。

 イスラエルの支配下にあるパレスチナ自治区では若者たちに重苦しい閉塞感が漂う。先進国の20代は自由を謳歌し、平和な時代を享受する一方で、パレスチナの若者たちには一切の自由が保証されず、しばしばイスラエル軍の高圧的態度により危険を被る。オマールが命の危険を冒してでも、壁の向こう側に飛び降りるのはナディアへのひたむきな愛に他ならない。ひょっとしたらオマールはタレクやアムジャドとは違い、イスラエルへの抵抗の思いなど最初から無かったかもしれないが、皮肉にも彼は秘密警察に一番先に検挙されてしまう。イスラエル秘密警察の捜査官ラミ(ワリード・ズエイター)は狡猾なやり方でオマールに口を割らせようとする。執拗な拷問、出国の誘惑を餌に無理矢理に「革命家」を「協力者」に転向させようとするラミは、実刑になれば最低でも「懲役90年」だぞとオマールを脅す。恋の絶頂にあるオマールは90年間、ナディアに会えない日々を思うと心底ゾッとするが、そこが秘密警察の落とし所に違いない。結婚と作戦成功を同軸に据えられたオマールのミッションはタレクたち革命軍とイスラエル秘密警察との板挟みに遭い、容易に身動きが取れない。そんな中、寂しさに耐えかねたファム・ファタールの妥協的決断がトライアングルの友情さえも引き裂いて行く。行き当たりばったりな男たちの革命計画に女の影が差し、真に陰惨な結末を迎えるクライマックスは偶然にもフィルム・ノワールの構造と酷似している。ナチスのホロコーストにより、祖国を追われたユダヤ人たちが先住民だったパレスチナ人を徐々に追いやり、ベルリンの壁以上の過酷さで劇中の人々を抑圧し、痛めつける様子は歴史は繰り返すの証左たり得る。ナディアの息子と娘が大きくなる頃には、どうかこの問題が円満に解決することを強く望まずにはいられない。

【第44回】『パラダイス・ナウ』(ハニ・アブ・アサド/2005)

イスラエル占領地のヨルダン川西岸地区の町ナブルス。
幼なじみのサイードとハーレドは、戦火の中で希望のない日々を送っている。

そんなある日、サイードはヨーロッパで教育を受けた女性スーハと出会い互いに惹かれ合う。
しかしその矢先、彼とハーレドはテルアビブでの自爆テロの実行者に指名されるのだった。

幼なじみの2人は、車の整備工として働いているが、客のクレームからその仕事を失う。
街が見渡せる小高い丘の上に座って、2人は自分の将来のことを漠然と考える。

そんなパレスチナの普通の若者の日常をごく自然に捉えた冒頭部分が素晴らしい。
整備工場での長回しとその後のアクションつなぎは、
アメリカ映画やヨーロッパ映画と比べてもまったく遜色ない。

そんな時に自爆テロの実行犯に指名され、一気に緊迫の度合いが高まる。

「神の思し召しならば」と二つ返事で受け入れたサイードだったが、
ここでごく普通の若者の葛藤する姿を否応なく見せるのも監督の演出の上手さだろう。

母親に自分の父親のことを聞いたり、
夜中に寝床を抜け出して、愛する女のところに鍵を返しに行く。

そういうごく普通の若者の葛藤をしっかりと描くことが
その後の展開のリアリティを一層も二層も深いものにしている。

英雄になり、天国に行けると信じて自爆テロを起こすような人間は
我々日本人から見れば、視野が狭く、愚かにしか見えない。

けれど大抵の自爆テロ犯の生い立ちを見ると、
移民だったり、貧しいところの育ちだったり、
生まれた時から境遇の悪い若者が少なくない。

その上、この映画が我々の心に訴えかけて来るものは、
主人公が密告者の父親を持っていたということである。

密告者として処刑された親を持つ息子の思いは、我々には計り知れない。

自爆テロに向かう前の理路整然とした描写がある意味で生々しい。
頭を刈り込み、全身を剃り毛して、VTRで遺書を読み上げる。

記録出来るメディアを一般人が気軽に持てるようになった時代が
戦争の悲惨さ・残酷さを物語ってしまう冷静な恐怖の中で、
ユーモラスな描写を交えながら、淡々と演出する監督の力量が実に素晴らしい。

2人は英雄になると彼らを説得する男の英雄気取りな様子さえもごく淡々と描写する。

結局、一回目の自爆テロはある理由があり失敗に終わるのだが
この失敗を起点にして、2人の心の葛藤はますます深まる。

ここでもう一段、ドラマツルギーが盛り上がる。

サイードを探すハーレドの焦燥感、サイードの心理的葛藤
これを監督は鬼ごっこのように
捕まりそうで捕まらない2人の物理的距離を通して誠実に描く。

特に車の中でハーレドとスーハが言い争うところは素晴らしい。
英雄の娘は戦争の終息を願い、命の重さを訴えるが、ハーレドは一切聞き入れない。

ヨーロッパで外部の教育を受けた者と、
生まれた時から戦争でひっ迫した状況下で育った者とでは、
簡単に埋まらない心理的距離があるのだということを、あの車中の場面は物語る。

あまりにも衝撃的なクライマックスには賛否両論だろうが、
ラストの主人公サイードの目のアップが否応なく訴えかけて来る悲しさは
我々の心を捉えて離さない。とても印象に残るラスト・シーンである。

イスラエルとパレスチナの争いを題材にした映画でありながら、
戦闘シーンが一つも出て来ないところに、ハニ・アブ・アサドの誠実さを見た。

彼は戦争を肯定も否定もしていない。
パレスチナを悲劇のヒーローにも悲しみの地点にもしていない。
またサイードとハーレドの選択の違いさえも肯定も否定もしない。

それゆえに観客はごく普通の人間の葛藤や生への執着をじっと見つめる。
派手なアクションはないが、この映画にはしっかりとした心がある。葛藤がある。

そこが凡百のアメリカ映画とは一線を画す。

ハニ・アブ・アサドは生まれはイスラエルだが
19歳の時にオランダに留学し、帰国後はパレスチナ人になった。

ある意味パレスチナ側の心情もイスラエル側の心情も
どちら側の感情もわかり過ぎるほどよくわかる立場であり、
ラストのサイードとハーレドの決断の描写は、
そんな彼の二面性を現しているのかもしれない。

今回10年ぶりに観てみたが、まったく古びていない。
それどころか昨今のシリア情勢で、より強度を増したようにも見える。

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