【第50回】『青春のマンハッタン』(ブライアン・デ・パーマ/1968)

グリニッチビレッジを舞台に、3人の青年の姿を通して
ケネディ暗殺、ベトナム戦争、徴兵に揺れる60年代アメリカを見つめた力作。

あのブライアン・デ・パーマの記念すべき商業映画処女作にして、
後に『ゴッドファーザー』シリーズでアメリカきっての名優にのし上がった
若き日のロバート・デ・ニーロの出発点としても知られる作品である。

『アメリカン・スナイパー』が出来るだけリベラルに戦争を見つめた映画だったとすれば、
今作は全編に渡って漂うその重苦しい反戦テイストが見所であり、旨味になっている。

ベトナム戦争を描いた作品とパナマ侵攻や湾岸戦争を描いた近年の戦争映画が
ある種まったく別のベクトルにあるとするのは、徴兵制の有無である。

明らかに当時世界の文化を席巻したジョンとポールに似た若者たちが
徴兵により、ベトナムの戦場へと駆り出されていく。

彼らは志願して戦地に赴いたのではなく、
国の意向によって出兵したに過ぎないのである。

冒頭のジョンソン大統領の演説は
演説そのものをモノクロ映像で見せるのではなく、
テレビのブラウン管を通してフレーム内フレームで提示される。

まるでこの映画は全てがシニカルな作りもののような
現実味のないちぐはぐな倒錯性を帯びているのである。

徴兵制を免れるためにあらゆる策を練る3人の滑稽な姿を
一切のセットを用いずロケーション撮影した前半部分は、
はっきりと同時代にフランスで起こったヌーヴェルヴァーグを意識している。

SEXの時にケネディ大統領の暗殺の様子になぞらえて
ある種の倒錯した世界の中にしか性的興奮を感じられない若者の侘しさ。

覗き見癖があり、8mmカメラの前で女が裸体になることに性的興奮を感じる若者。

コンピュータでのバーチャルなやりとりにしか興味が持てない若者の三者三様の悲哀は
およそ50年前の映画とは思えない先見の明に満ち溢れ、
70年代の闇に身を落とす若者たちの行き場のない病理を幾分誇張し伝えている。

もうこの処女作からデ・パーマの覗き見根性は徹底していると言ってよく、
中盤の万引き犯の女が服を1枚ずつ脱いでいって最後は下着姿になる様子を
8mmカメラで撮った映像の変態性は、68年には相当ショッキングだったに違いない。

ケネディ暗殺の真相を知ろうと路上で話を聞くロイドの脇で
手持ち無沙汰なジョンとポールが走り回るシーンはおそらく即興撮影されたものだろう。

警備員が彼らに声をかけようとする様子が収められているのだが、
最後に有り得ない部分でズームになる。
突拍子もないショットの連なりに思わず笑ってしまう。

途中、トリュフォーとヒッチコックの映画術の書物も出て来るが、
あまりにも無邪気なヒッチコックへのオマージュは、処女作から炸裂していたことになる。

これ以外にもとにかく奇抜な構図のショットがやたら多い。
人物の動きにカメラを合わせるのではなく、
ショットの構図こそがデ・パーマの肝であり、本懐なのである。

後半パーティ会場で見かけた美女をストーキングする場面では、
芸術家気取りの謎の男から卑猥な8mmを5ドルで買う描写もある。

ヴィスコンティ『郵便配達は2度ベルを鳴らす』への無邪気なまでの模倣ぶりは
デ・パーマがアメリカ映画を撮っていながら、
ヨーロッパ映画の土壌の中から大事なエッセンスを吸収していたことがわかる。

そういう細かい性癖や覗き見根性を執拗に描写した熱量に比べて、
戦争そのものの描写が少ないのは難だが、この予算の映画ならば致し方ないところではある。

むしろここで描けなかった戦場描写に関しては、
『カジュアリティーズ』や『リダクテッド 真実の価値』で詳しく描かれていく。

1968年というサイケデリックど真ん中の時期の作品ではあるが、
アメリカが70年代半ばまで直接的に伝えることが出来なかった戦争の狂気というものに
一早く向き合ったのがこの映画だったのかもしれない。

アルトマン『M★A★S★H』より1年半早く、
『ローリング・サンダー』や『ソルジャー・ボーイ』よりも遥かに早く、
アメリカの判断の愚かさに気付いていたデ・パーマの審美眼にはただただ唸らされる。

そして何より、アメリカ映画の中の人物としての振る舞いを
ひたすら拒否するデ・パーマの姿が本当に微笑ましい。

『ファントム・オブ・パラダイス』『キャリー』『スカーフェイス』
『カリートの道』と純粋にキャリアを積み重ねた職人というイメージの強いデ・パーマが
そのキャリア初期にこんなにも清々しい反戦映画を撮っていたことは特筆に値する。

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