【第54回】『フランドル』(ブリュノ・デュモン/2006)

1時間30分の作品だが、観終わった後にずっしりと重いものが残る作品である。

物語はデュモンが生まれ育ったフランス最北部の街フランドルの半径数kmの間で繰り広げられる。

ロング・ショットで撮られた田舎町の荒涼とした牧歌的な風景。
空はどんより暗く、あたり一面に農村地帯が広がっている。

冒頭の無人の風景ショットのように、どこか寒々しく人のいない風景の中で
寡黙な主人公と少女バルブが突然性行為に及んだところから、物語は動き始める。

この少女の衝動的なSEXはそれだけでは終わらない。
BARで目が合っただけの男とも体を重ねる。

自分の女を獲られても、具体的な行動に出ない温厚な主人公。
やがて主人公は自分の彼女を寝取った男と共に、戦場へと駆り出されていく。

ジャンルとしては一応戦争映画の範疇に入る作品だと思うが、純粋に戦争映画ではない。
確かに目を覆いたくなるような戦場の光景も出て来るが、
むしろ出兵する前の主人公と少女と、帰還後の主人公と少女の姿を描くために
戦争そのものがあると言ってもよい。

その証拠に、彼らが戦った戦争が何戦争で、どこに出兵したのか?
具体的なことがまったく描かれていない。

そもそも同郷の出身者が、同時期に召集され、同じ部隊に入ること自体が稀であろう。

戦う相手や戦う動機もはっきりしない若者たちが、戦場に駆り出され、
自分たちの命を守るために、ゲームのような殺人に興じる。

ここにはかつてのアメリカ映画にいた戦場の英雄は存在しない。
任務を遂行するために集められた少数精鋭の集団というよりも、
むしろ軍隊の中で居場所がなくなった空虚な若者たちの集団が戦場で罪を犯す。

少年を躊躇なく撃ち殺し、老人を射殺し、女をレイプする。

生き伸びることがゲーム性を帯びた男たちの姿に
田舎の農村で衝動的にSEXを繰り返し続ける少女バルブの姿が重なる。

彼らが戦場で生と死の境目で揺れ続ける度に、
故郷フランドルで暮らす少女バルブも精神に異常を来たし、ある決断をする。

恐らく戦争映画を愛している人の逆鱗に触れたのは、
戦場の描写と並行して、彼女の精神の破綻を描いたからだろう。

ただその生と死の危うさこそ、デュモンが本作で描きたかった部分に違いない。
何てことない若者たちに宿った生と死の対比と宗教観は、
否応なしにベルイマンやブレッソンを想起させるのであった。

帰還した男は、当然祝福されて然るべきであるが、ある一つの理由からそうはならない。
SEXでは埋まらない空虚さに対して、ラストに提示された答えのようなものにしばし絶句した。

本国ではロベール・ブレッソンの後継者や
ヌーヴェルヴァーグ最後の末裔と評されているようだが、
むしろオーストリアのミヒャエル・ハネケや
デンマークのラース・フォン・トリアーのような
フランス映画の範疇には収まらないEUマーケットのスケールを感じさせてくれる。

賛否両論の作家だが、間違いなくデュモンは21世紀の映画を面白くしている才能の一人である。

【第53回】『欲望の旅』(ブリュノ・デュモン/2003)

撮影のロケハンのため、南カリフォルニアを旅行する
デヴィッド(デヴィッド・ウィザック)とカティア(カテリーナ・ゴルベワ)。

恋人同士のふたりは道中何度も愛し合い、お互いの気持ちを確かめ合うが・・・。

不思議な映画である。

冒頭、男と女が車であてのない旅へと向かうのだが、
この2人の関係性や背景がまったく描かれない。

2人は夫婦なのか?それとも恋人同士なのか?または不倫相手なのか?
それらは結局最後までわからぬまま物語は進んでいく。

またこの2人の旅の目的や目指す目的地も、
2人の関係性と同じようにはっきりと提示されない。

日本でも行きずりの男女の恋を描いた『ヴァイヴレータ』という映画があったが
あちらは車中の会話の中で人物像・職業・人間性がそれとなく観客に提示されていた。

これほど情報量が圧倒的に不足したまま、物語が進むのは稀と呼んでいいだろう。

ただそれでもこの映画が観客を混乱させないのは、
この2人の男女の他者とのやりとりが極端に不足しているからである。

おそらく男の側は映画監督が写真家かそういう職業の人物だろうと推測出来るが
彼の社会性を示す行動が具体的に一切明示されていない。

女は女優かモデルのどちらかであろう。
ただそれもカラックス『ポーラX』のカテリーナ・ゴルベワが演じているから
そういう情報を知ってこの映画を観ているから、女優かモデルだと思ったに過ぎない。

この2人が自分たち以外の他者と積極的にやりとりをした場面というのは、
食事のために入ったレストランで注文した場面のみであり、
それ以外は全ての場面が、この2人しか世界にいないかのように描かれている。

だからこそ、ラスト15分の突発的な他者の介入には驚き、陰惨な気持ちにさせられた。

カメラに関して言うと、
プールの場面と夜中の道路でケンカする場面で印象的な長回しが見られる。

デュモンは室内よりもロケーションの演技の付け方の方が遥かに上手い。

食べる、まぐわう、排泄する、寝るという一番人間の原始的な欲求を
ただひたすら淡々と繰り返しているだけのようにも見えるが、
実は男女の些細な機微やすれ違いを捉えるのが上手な監督だと思う。

運転手を変わった時の不機嫌さとか、犬を轢いてしまった時の狼狽の仕方とか
そういう些細な演出が実に器用でリアリティがある。

この男女の一貫して低体温な様子が観ていてつらい人もいるだろうが、私はかなり楽しめた。
2人は心底愛し合っていないし、おそらく肌を重ねた回数ほどの互いへの理解もない。

劇中何度精神的にぶつかったかを考えれば、とても相性の良いカップルには見えない。
だからこそのラストの主人公の判断なのかもしれないが、
映像で提示された事実には、心底嫌な気持ちになった。

キアロスタミのように、観客を惑わす魅惑のユーモアの範疇に収まっていれば許せるが、
あの吐き気をもよおす不快な終わり方は、ハネケやギャスパー・ノエに近い。

この映画がデュモン初体験だった私には、しばらく嫌な先入観だけが残った。

今作で大胆なヌードを惜しげもなく披露したカテリーナ・ゴルベワはもうこの世にいない。
『パリ、18区、夜』『ポーラ X』そして今作と素晴らしい映画的記憶だけを残して
44年の短い生涯を閉じた。故人のご功績を偲び、謹んで哀悼の意を表したい。

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