【第1216回】『ハハハ』(ホン・サンス/2010)


 おじさんの写真店を継ごうと、カナダに移住することを決意した映画監督で大学教授のムンギョン(キム・サンギョン)は、チョング山で先輩の映画評論家チュンシク(ユ・ジュンサン)と久しぶりに出会い、マッコリを片手に語り合う。再会の場面はモノクロのストップ・モーションにより展開され、ふたりは酒の肴に、ひと夏の出会いについて語り始める。ムンギョンとチュンシクは互いに将来への不安を抱えながら、南の港町トンヨンに行ってきたばかりだった。ムンギョンはふぐ鍋食堂を営む母親に、カナダに行く決意を伝えにトンヨンに来た。だがムンギョンは昼間、暇にまかせて辿り着いた史跡の観光ガイド、ソンオク(ムン・ソリ)に一目惚れ。彼女には海兵隊出身の恋人チョンホ(キム・ガンウ)がいたがムンギョンは気にしない。ソンオクの後をつけたムンギョンは、彼女の家に入るチョンホが、自分がトンヨンに被ってきたものと同じ帽子を被っていることに気付く。一方その頃、チュンシクは妻子がありながら、愛人であるヨンジュ(イェ・ジウォン)と付き合い、アバンチュールのためにトンヨンヘ寄った。ついでに会った後輩のチョンホの紹介で、トンヨンでいちばんというふぐ鍋料理屋に入り、そこでジョンファという美しい女性を紹介される。

 モノクロのストップ・モーションで描かれる現在の場面とは対照的に、色彩を帯びた回想シーンの瑞々しさ。人生をリセットしようと思い立ったかつてのエリートは、トンヨンの地で運命の女ソンオクに出会う。彼女の後を付け、自宅を特定する様子は真っ先に『気まぐれな唇』でキム・サンギョンが演じたギョンスを想起させる。子供じみた思いを吐露する男を女は最初、気味悪がるが、緑の数珠を渡したあたりから徐々に距離を縮めることとなる。不倫の愛を精算出来ない男、最愛の女がいながら、新しい女との出会いに鼻の下を伸ばす男、人生の再スタートさせようともがく主人公の3人の男たちのレイヤーは互いに異なるものの、母親の営むふぐ鍋食堂を媒介に一つに束ねられる。30代の恋を繰り返し描いて来たこれまでの作品とは対照的に、今作では主人公に人生を教えた母親の陰影が示唆に富む。自分の息子に、父親の長所を聞かれた母親は、「あの人は女を追い回すことくらいしか能がなかった」と疲れ切った表情で言い放つ。男と女の心のひだを丹念に描く今作では、港町特有の急な雨の景色も印象に残る。チュンシクが飲む鬱の薬、緑の数珠と赤い帽子、赤い花と叩きつけられる草、市場で買って来た新鮮な西瓜、壁の崩れた506号室と6800ドル。2人で良いことだけを見ていこうと心に決めた男女の心は、皮肉にも真に気まぐれなその日の天気のようにただただすれ違う。

【第1215回】『よく知りもしないくせに』(ホン・サンス/2009)


 映画はある映画監督ギョンナム(キム・テウ)が駅に到着したところから始まる。主人公を演じるキム・テウは『女は男の未来だ』と『浜辺の女』に続いて、3度目のホン・サンス作品での起用になる。駅を出ると1人の映画祭コーディネイターの女性ヒョニ(オム・ジウォン)が待っており、会場へと案内される。彼は映画祭の審査員としてこの地に招かれている。やがて映画祭も中盤を迎えた矢先、会場にギョンナムの後輩であるサンヨンが現れ、彼の妻であるユ・シン(チョン・ユミ)と深夜まで吞み明かすが、ホテルの部屋の中にサンヨンからの「二度と俺の前に現れるな」という警告文を見つける。慌ててサンヨンの家に駆けつけるが、怒り狂ったサンヨンはギョンナムに向かって石を投げつける。その石のせいで顔にケガを負ったギョンナムは映画祭審査員の辞退を申し出るが、ヒョニには「出来ない約束はするな」と怒られ、二度と現れるなと釘を差されてしまう。映画祭から逃げ出した数日後、済州島へと向かったギョンナムは。そこで映画学校の講師を務める先輩に会い、彼の教え子を紹介される。

 この作品がな特異のは、ホン・サンスお得意の三角関係ないしは四角関係が、主人公を介さずに回っていることである。映画祭の会場に着いて、彼は一目見た時からヒョニというコーディネイターの女性にトキメキを感じるが、他の審査員やレセプション会場にいる女優、監督などに阻まれ彼女との距離を縮めることが出来ない。かと思うと翌日唐突に彼の後輩が出現し、彼を自宅に招き入れ接待する。そこでギョンナムとユ・シンは恋に落ちない。やがて映画監督である主人公と学生たちの交流の酒席の場面が出て来る。先輩の画家チョンス(ユ・ジュンサン)が合流し、楽しい宴が始まる。結局、ここでは先輩で初老の画家であるチョンスが女子学生をつまみ食いし、それに激高したもう1人の学校講師の先輩は早朝1人で部屋を出て行く。宙吊りにされた恋の行方は『アバンチュールはパリで』以上の迂回を見せる。カメラの根源的な動きであるパン、ティルト、ズームの頻繁な使用は極端にコメディに寄った物語と溶け合い、見事な効果を上げている。『浜辺の女』の犬、『アバンチュールはパリで』の鳥やイノシシ(犬説もある)のように、今作でも尺取り虫がユーモラスな場面の結び目に現れる。

【第1214回】『アバンチュールはパリで』(ホン・サンス/2008)


 2007年初夏、アメリカ人留学生と弾みでマリファナを嗜んだソンナム(キム・ヨンホ)は、彼の逮捕の知らせを受け、警察の目から逃れようとフランスのパリへ飛ぶ。故郷に新婚妻(ファン・スジョン)を残し、憧れの地に降り立った男は、空港に降りた瞬間から不安でタバコが手放せない。火を貸してくれと強請る男は、「ここでは気を付けろ!!」と絶妙な忠告をする。8月8日、韓国人の宿主(キ・ジュボン)が経営する民宿に泊まった男は、新しいフィリップモリスにも気持ちが晴れることはない。パリに到着して5日目で、男は極度のホームシックに陥り、韓国に残した妻に電話をかけ、ひたすらメソメソする。絵描きのソンナムは数週間経っても、絵を描くテンションになれないでいる。そんな彼の様子を見かねた宿主は、パリ観光の案内役としてヒョンジュ(ソ・ミンジョン)という留学生をソンナムに紹介する。クールベの「世界の起源」の絵をしげしげと眺めた男はヒョンジュを通り過ぎ、やがて彼女の友人でルームメイトの画学生イ・ユジョン(パク・ウネ)と出会う。

 うだつの上がらない男が故郷から旅先へ出かけ、やがて運命の女と出会うというホン・サンス映画の骨子は揺るがない。それに加え、今作ではエリック・ロメールの映画のような日記的な叙述スタイルが新味を与える。マリファナの恐怖に怯える自閉症気味の男は、やがて太陽のように溌剌とした自由奔放なユジョンと出会うことで、生きる気力を取り戻す。それと共にソンナムの自分探しの旅は、10年前に付き合っていたミンソン(キム・ユジン)との出会いを経て、奇跡のようなロマンスが始まる。側溝に捨てられた犬のフン、公園の片隅で行われる太極拳、6回中絶した元カノの退廃的態度、ひな鳥が落ちた撮影現場。ピンク色のタオルケットからうっすら覘く彼女の綺麗な脚に、男は衝動的な行為にひた走る。男の癖にという年下女の冷ややかな侮蔑の態度、元カノやヒョンジュの精一杯の強がりと嫁の嘘、言葉が通じず買えなかったコンドーム、好奇心で昇る螺旋階段、割れた白磁、砂の上に捨てられたゴム紐、窓に映るイノシシの鼻。青い空にもくもくと立ち並ぶ雲の絵は、ソンナムの夢という奇妙な罪悪感を相まって巧妙にティルト・アップされる。据え置かれたカメラのあざといズーム・アップとズーム・アウト、90°パンの巧妙な使用は反復を繰り返し、ホン・サンス映画独特の味わいとなる。

【第1213回】『ワンダー 君は太陽』(スティーブン・チョボスキー/2017)

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