【第896回】『マップ・トゥ・ザ・スターズ』(デヴィッド・クローネンバーグ/2014)


 フロリダ発LA行きの高速バス、周りが眠りに就く中、アガサ(ミア・ワシコウスカ)は窓側と通路側の席を強欲に2つ使い爆睡している。空調で冷えないように、肩にかけられたジャンパーの「いけない子供」の文字。ロサンゼルスに到着すると、リムジンの運転手ジェローム・フォンタナ(ロバート・パティンソン)が彼女を待ち構えている。1時間45ドルのハリウッド・ツアー、ジェロームは駆け出しの俳優で脚本家であり、運転手として糊口を凌ぎながら夢を追っていた。「不都合な真実」のゴア元副大統領やテイタム・オニールを乗せたことを自慢するジェロームに、スター子役だったベンジー・ワイス(エヴァン・バード)の自宅を知っているかと尋ねる。一方その頃、ホジキンリンパ腫の少女を見舞うかつての人気子役こそベンジー・ワイスだった。母親のクリスティーナ(オリヴィア・ウィリアムズ)は、スキャンダルで人気が失墜したかつての名子役のステージママとしてマネージャー業で息子を溺愛する。父親のスタッフォード・ワイス博士(ジョン・キューザック)はワイス家の家長であり、有名セレブのクライアントも多く抱える心理学者だった。その日、彼の顧客の1人である人気女優のハバナ(ジュリアン・ムーア)がカウンセリングに来ていた。マッサージと精神統一の部屋で、何故か涙が止まらないハバナは、低迷期に入った落ち目の女優でなかなか欲しい役が見つからない。

 ロサンゼルスの女優の内幕ものと言えば、近年ではデイミアン・チャゼルの『ラ・ラ・ランド』やニコラス・ウィンディング・レフンの『ネオン・デーモン』が真っ先に連想されるが、今作はまるで趣の異なる2本のバランスを取るよりも、異端児として振る舞う。『マルホランド・ドライブ』よりも真っ赤な鮮血が滲むある一家の『サンセット大通り』との形容こそ相応しい。セレブ一家のワイス家の内情と焼けただれた忌々しき過去、女優として絶頂にあったスターの実母を巡る深刻なトラウマはある日ひょんなことから同期し、幸せな日常を歩んでいたはずの登場人物たちは一気に狂気に引き込まれる。これまで70年代後期のホラー映画の中でも「幽霊」の描写を極力排除して来た大ベテランのクローネンバーグ映画に訪れた夢遊病者たちの夢まぼろし。お湯の入っていないバスタブに浸かる女、キャンピング・カーのトイレで用を足すミスター・アソコことロイ(ショーン・ロバートソン)の無防備な背中、自宅のプール・サイドで火に包まれた愛しき妻の残像。狂信的なイメージにとらわれ役を失った男、皮肉にも親友の息子の不慮の死で役を勝ち取った女優の人生は交差する。前作で母親の子宮のようなメタファーとなったリムジンの中に篭ったロバート・パティンソンの死んだ魚のような目、役のためなら3Pをも厭わないジュリアン・ムーアの放屁混じりの怪演ぶりは今作のハイライトだが、12000ドルのカウチにこびりついた生々しい経血が月の満ち欠けを促す。それ以上にジョン・キューザックの死んだ魚の目のような表情が素晴らしい。

【第895回】『コズモポリス』(デヴィッド・クローネンバーグ/2012)


 ニューヨーク市マンハッタンの早朝、髪を切りに行きたいと呟くエリック・パッカー(ロバート・パティンソン)は白いリムジンを背もたれにする。警備隊長のトーヴァル(ケヴィン・デュランド)は今日はプレジデントが来る日だから危険と警告する。エリック・パッカー28歳、資本家マイク・パッカーの息子として巨万の富を動かしていた男は、一夜にしてITバブルの潮目に乗る。その総資産額は数十億にものぼるまさに1%の富を独占する男だった。最高級の白いリムジンは防弾ガラス、アルコール・サービス、ウーファー・サウンド、トイレも完備する住居のような空間だった。早朝、男は同じく巨万の富を動かす投資家と株の話に興じているが、横付けしたタクシーの中に1人の女を目撃する。妻エリーズ・シフリン(サラ・ガドン)とは新婚から僅か半年目だが、『クラッシュ』同様に2人の愛は冷え切っていた。窓際の席で食べるサンドウィッチ、新婚の妻はエリックからのSEXの提案に対し、いつか必ずとお茶を濁している。煮え切らない妻の態度に、エリックは熟女のディディ・ファンチャー(ジュリエット・ビノシュ)に走る。リムジン内でのSEX、42歳の女を好奇心で褒めるエリックの野心、半地下のブック・ストア、「SEXの匂いがする」というエリーズの女の勘、6人の富豪たちと哲学的な話をするエリックは中国元の暴落が読めずに、一夜にして巨万の富を全て失いそうになる。

 全てのノイズや暴力を無効化する白いリムジンは、母親の子宮のメタファーとして主人公を無菌状態で守る。これまでのクローネンバーグ映画の主人公のように、ロバート・パティンソンは蒼白い顔をしながらI-PADの小さなhレームの中の株価の動向に目を光らせ、窓の外の現実の光景を一切見ようとしない。左右に2人の護衛を付け、SEXの時にはブラインドでプライバシーを隠す男の病巣は、毎日定期検診を行うほど過敏に死を恐れている。巨万の富を得た億万長者にとって一番の苦痛は、明日突然に自分が死ぬことでしかない。『イグジステンズ』の中華料理店を真っ先に想起させるテロリストの両手にぶら下がった2匹のネズミの死体、ドクター・イングラムの初めての検診、未来に対するデモ、ガソリンを被り火をつける自殺者、アンドレ・ベトレスク(マチュー・アマルリック)の突然のクリーム・パイ、中国元の暴落による大損に加え、たった24時間以内に起こった様々な出来事と最愛の妻の疑念から、エリックのマインドは徐々に正気を失って行く。前立腺が非対称のエリック、理容室505のアンソニー、髪型すらも非対称なままストリートに再び繰り出した主人公の病巣は運命的なテロに巻き込まれる。1%の富が残りの99%を収奪する現代、欧米への憎悪を募らせるイスラム国のように、格差社会の是正を訴える男の主張は時に大胆な行動に打って出る。ナンシー・バビッチの暗号はグローバリズムの中で唯一の記号化された呪文だが、インターネット上で売り買い出来る投資システムはボーダレスに蠢き、実存を雲散霧消化する。ほとんど動的なアクションがなく、非常に難解な哲学的な物語ながら、今作でクローネンバーグと原作者のドン・デリーロとは、グローバリズムとナショナリズムがぶつかり合う臨界点の軋轢を情け容赦なく晒してみせた。

【第894回】『イースタン・プロミス』(デヴィッド・クローネンバーグ/2007)


 イギリス・ロンドン、クリスマス・シーズンのアジムの散髪店、甥っ子エクレムは恐る恐る店の看板を「CLOSED」にし、静かにブラインドを閉める。カットも仕上げの段階に入り、ロシア人の客とアジムは談笑しているが次の瞬間、戦慄が走る。「ロシア野郎のクビを切れ!」。言われたエクレムはナイフで喉元を掻っ切る。一方その頃、1人の少女が薬局に駆け込んでいた。「助けて」とか細い声で懇願する少女のスカートからは破水し、血液が流れ出ていた。救急搬送されたトラファルガー病院、助産婦のアンナ(ナオミ・ワッツ)は危険な母体と引き換えに、赤ん坊はこの世に生を受ける。絶命した少女のバッグから見つかったロシア語で書かれたダイアリー、イギリスとロシアの混血であるアンナにはまったくロシア語が読めない。母親ヘレン(シニード・キューザック)と同居する家には、元KGBだと言って憚らない伯父ステパン(イェジー・スコリモフスキー)が出入りしていた。アンナには昨年、恋人である黒人との子供を流産した苦い過去があった。タチアナという名の少女の記憶を探るべく、ダイアリーに挟み込まれた「トランス・シベリアン」というレストランに手がかりを探しに行くアンナは、オーナーのセミオン(アーミン・ミューラー・スタール)と出会う。ダイアリーのことを知ったセミオンは優しい口調で私が翻訳してあげるからと微笑む。彼には放蕩息子のキリル(ヴァンサン・カッセル)とその運転手であるニコライ(ヴィゴ・モーテンセン)がいた。

 前作『ヒストリー・オブ・バイオレンス』同様に、クローネンバーグ作品とはとても思えない地に足の着いた世界観は、ファミリーの流儀に抗えないロシアン・マフィアの流儀に肉薄する。タチアナの出自に関わる物語が知りたいアンナはほんの好奇心がきっかけでマフィアの男と男の世界に足を踏み入れてしまう。その意味では今作も過去のクローネンバーグ作品同様に、普通の人間がおかしな世界へ足を踏み入れてしまう「こちら側とあちら側の境界線」に纏わる物語でもある。アンナの甘い衝動はマフィアの恐ろしい流儀に絡め取られるのだが、そんな彼女の未来に興味を持つ男の姿。舌でタバコを消し(凄い光景!!)、葬儀屋として人間の最期に色を付ける男の姿は、人間の生を見守る助産師としてのアンナとは対照的に映る。『ヒストリー・オブ・バイオレンス』とは違い、拳銃ではなく刃物による鈍い痛みは身体を切り裂き、人間の内側にある痛みをもえぐり出す。アンナのエンジンが壊れた愛用のバイク、ニコライの首に掲げられた十字架のタペストリーと胸を覆うような黒い十字架、保護者同伴のハンバーガー屋の店内で触れる指先、身篭った子供を失うような大失恋の後、男が誰1人信じられなくなった助産婦に対するクリスマス・プレゼントの言葉。売春婦とホモが横行するロンドンの湿気た夜、バカ息子の妄執と同性愛者の疑惑、チェチェン人に命を狙われた男に残された猶予はあと2日に過ぎない。

 主人公の幼少時代のサンプトベテルブルクでの血塗られた暴力、12回も独房に放り込まれた男の粗暴さ、クライマックスのフィンズバリー区公衆浴場での皮膚を突き破るようなナイフの暴力性は、『アウトレイジ』を手掛けた北野武が真っ先に影響を受けた作品として挙げている。局部を露出したヴィゴ・モーテンセンの危険なアクション、盟友ジェレミー・アイアンズの嫁をアンナの母親役に起用したクローネンバーグの匙加減、前作『ヒストリー・オブ・バイオレンス』とは同じ殺し屋ながら、心底対照的な血の通わない役柄を演じたヴィゴ・モーテンセンはこれまでのクローネンバーグ作品同様に一切の笑みを浮かべることはない。心底憂鬱でこの世の終わりのような苦み走った表情を浮かべる。これまで男社会の有り様を描いて来たクローネンバーグ映画には例外的な女性主人公の起用は、クローネンバーグの40年にも及ぶフィルモグラフィの特徴をアップデートする。イェジー・スコリモフスキー、アーミン・ミューラー・スタール、ヴィゴ・モーテンセンの心底絶望的な情け無さなど幾つもの男たちの印象的な顔も滲むものの、それ以上に前景化するのは、祖国を追われた少女たちの悲しみに他ならない。身篭った子供の誕生に立ち会えなかったタチアナの姿、売春宿のベッドの上、愛情もない男に蹂躙された悲しみの中で東欧の民謡を唄うウクライナのキエフ郊外のキリレンコ、助産婦としての倫理観以上に生と死の本質を見つめ、危険な賭けに出るアンナなど、ここには幾つもの印象的な女性たちの表情が克明に描かれている。

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 何だよこれは 笑。

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