【第76回】『ロビンソンの庭』(山本政志/1987)


久しぶりに観返したが、
ひりひりするような感覚と初期衝動があまりにも素晴らしくて
観た後しばらく呆然としてしまった。

都会の一角、住宅地にあるシェアハウスに住んでいるクミは
社会に属さず、学校でシャブをさばいたりして生活している。

冒頭のシーンに象徴的なのは
仕切りが取っ払われ、開放的な空間となった住居
その中で育まれる雑多で多国籍な人間関係は山本政志作品に根底する重要な要素である。

家を出た時に靴紐がほどけ、しゃがんで結び終わって前を見ると友人はいない。
冒頭、シェアハウスの人間関係の結びつきの強さを見せておいて、
友人関係の希薄さを暗示する素晴らしいショットである。
道がわからず途方に暮れたり、行き先も無く彷徨い歩く若者達の姿が何度も現れる。

80年代後半の時代性もあるのだろうが、
山本政志の映画には世界各国の雑多な料理屋が出て来る。
一般的な和食屋や洋食屋は一切出て来ず、
アフリカ料理、インド料理、エスニック料理屋に若者達はたわむれる。

酔っぱらって帰路につく途中、間違って廃墟へと足を進めてしまったクミは
その場所に何らかのインスピレーションを感じ、シェアハウスから引っ越す。

外壁や内壁にペンキで自分好みの絵を描き、
広大な草を刈り、畑を耕してキャベツを栽培する。
タイトルにもあるように、
まるでロビンソン・クルーソーのような逞しさで悠々自適の生活を送る。

やがて廃墟の屋上に昔の仲間達を集め、ホーム・パーティを開くのだが
楽しいはずの雰囲気はあるケンカによって一変する。

日本人同士の騒音問題に関する言い合いも面白いが、
マリファナ信仰で神と交信しようとするジャマイカンと日本の小学生達の齟齬が面白い。

少し離れたところに座っていたパンクスが、突如ジャマイカンに襲いかかる。
ありきたりな暴力ではなく、不健全な人間関係の暴走が強烈な印象を残す。

廃墟はしょせんただの廃墟だが、その場所自体が何かしらの特殊な力を持っているように描かれる。
ジャームッシュ『ストレンジャー・ザン・パラダイス』の撮影も担当したトム・ディチロは
この場所が持つ不思議な力に特化し、幻想的な風景を切り取る。

中盤の町田町蔵が真夜中の廃墟を彷徨い歩き、
やがて祭壇のような神々しい場所に出会う場面が象徴するように
様々な神秘体験がこの場所にいる人間に次々に立ち現れる。

ありきたりのファンタジーでも類型としてのホラーでもない
大括弧で括ればアジアの混沌としか言えないようなジャンルのはっきりしない映像詩が続く。

廃墟の屋上で友達が離れていき、やがて恋人もいなくなり、
主人公の孤独と病はどんどん深まってしまうのだが、
後半部分の主人公に漂う重苦しい死の雰囲気がやがて狂気へと変貌していく。

採ったばかりのキャベツを抱え、新宿の喧噪に向かうクライマックスの
主人公と大都会の対比はあまりにも過酷で、あまりにも残酷で胸を打つ。

列車の中で彼女は幻想を見る。
何かに取り憑かれたかのように
マクドナルドの前に駐輪してある自転車を盗み、
祭りの喧噪に命を預ける場面はただただ残酷で美しい。

バブル前夜の日本の空気感と若者の苛立ちを見事に描写した本作は
孤独死、家族の崩壊、移民の流入に悩む21世紀の日本の姿を暗示している気さえする。

流石に映像は時代を感じるが、その感覚は少しも衰えていない。
ホウ・シャオシェンにも激賞された87年の35mmデビュー作である。

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