『美しき棘』(レベッカ・ズロトヴスキ/2010)

もうすぐ17歳のプリューデンス(レア・セイドゥ)は母を亡くしたばかり。
父親は海外出張で不在、姉は、「母のいない家には住めない」と、親戚の家に泊まり込んでいる。
広いアパルトマンに独り、誰からも干渉されない自由の身は孤独を募らせていく。

レベッカ・ズロトヴスキの記念すべき処女作にして2010年代の思春期映画の金字塔。

冒頭、万引きをしてしまった主人公が女性警官に咎められるところから物語は始まる。
下着姿になり、親に電話するからと言われるが、「母親は死んでいる」と告げる。

冒頭の女性警察官への冷めた態度とは対照的に、
父親の海外からの電話には、急に甘えたような態度を見せる。

この情緒不安定な16歳の主人公をレア・セイドゥが演じる。
台詞は非常に簡素で、表情のみで感情を伝える場面が多いのだが、
16歳の焦燥感だったり、母親を失った空虚感を見事に表現している。

パテ社の孫とか色物的レッテルを貼られることが多かったレア・セイドゥが
フランス映画の中でNo.1の若手としての地位を確立した1本だと思う。

今作の中では微笑みの場面がほとんどない。
常に暗く重苦しい表情を抱えながら、漂うようなヒロイン像をしっかりと捉えている。

プリューデンスという名前は、あるレコードのタイトルから付けられたものであるが、
おそらくフランスにそんなレコードはないはずである。
恐らくこの作品のために作られた架空のバンドの架空の歌であろう。

父親が国際電話をかけてきた時の受話器に始まり、
このプリューデンスのレコード、やや大きいブラウン管テレビと
時代を感じさせるものに囲まれ、80年生まれらしからぬ監督の繊細な感性が光る。

プリューデンスはその古いブラウン管テレビでバイクの映像をじっと見つめている。
彼女はバイクとスピードに強い憧れを持っている。

友人のつてで初めて深夜のバイカーのたまり場に足を運ぶシークエンスが実に素晴らしい。
夜の闇を抜けて、林の中を抜けて、彼女の息遣いや鼓動さえも聞こえて来るような
躍動するヒロインの姿を、手持ちカメラで捕らえた実に生々しい場面である。

けたたましいエンジン音、地面とタイヤが擦れて発火する火花の光が
夜の闇に紛れて躍動するこのシークエンスの質感は35mmフィルムならではの空気である。
ズロトヴスキの映画にはしっかりとこのフィルムの感覚が確かにある。

その後、バイカー集団の中から意中の人を見つけるのだが、
だからと言って映画が男女の恋愛一辺倒にならないのも良い。

親友との描写だったり、親戚の家の食卓の風景などを
脱線しない程度に丁寧に描写するあたりがいちいち素晴らしい。

親戚の家では長男が、父親に一から十まで咎められている。
放任主義の主人公の家とは対照的に
当たり前の家族の光景を丁寧に描写することで、主人公の孤独は一層深まる。

SEXシーンも二度ほど出て来るが、監督はそこにはあまり重点を置いていない。
そのことが端的にわかるのは、恋人の部屋でSEXに興じた翌朝のシーン。
恋人の母親との抱擁を少し引いたところからカメラは据えている。
クライマックスに向かう非常に重要な場面である。

ラスト・シーンの大雨は『グランド・セントラル』のクライマックス・シーンにも呼応する。
孤独=死というあまりにも短絡的なイメージに対して、
その死を別の人間に置き換えたあまりにも残酷な場面である。

この映画には若い女性監督が陥りがちな
恋愛に浸る少女の遊戯性や甘い観念といったものがほとんど出て来ない。

好きな男のバイクの後ろに乗ったところで、彼女のクローズ・アップが一度だけ出て来るが
人と人との触れ合いをドラマチックに描かず、出来るだけリアルに描写しようという意図が見える。

普通は処女作の重要なモチーフにバイクなんて持って来ないだろう 笑。
彼女の心の内が夜のバイクが見せるけたたましいエンジン音、
地面とタイヤが擦れて発火する火花の光と同期した時、
そこに新たなエモーションが生まれている。
極めて動的な心理的ショットの連なりの中に、ズロトヴスキの革新性はある。

あとは昨日の『グランド・セントラル』のエントリでも書いたが、
ズロトヴスキの特筆すべき音楽の使い方の巧さにも注目したい。

ピアノの伴奏をする女性を見つめる場面の現実音のリアリティ
先ほど書いた鉛の車体が奏でる騒音だったりプリューデンスという曲に込めた思いが
物語の中でそれぞれ重要な意味を持ち、存在している。

シンプルに研ぎすまされた1時間20分弱。恐るべき30代のデビュー作である。

【第80回】『グランド・セントラル』(レベッカ・ズロトヴスキ/2013)

仕事を転々とし、原子力発電所で働き始めたギャリー(タハール・ラヒム)。
放射性物質にさらされた、原子炉に最も近いこの場所で、
同僚のトニの恋人キャロル(レア・セドゥ)と恋に落ちる。

そしてふたりの不倫関係は、恐ろしくも悲しい現実で終わろうとしているのだった。

『美しき棘』でフランス映画界に新風を巻き起こした
女流監督レベッカ・ズロトヴスキの長編第二作。

冒頭、列車の中で財布をすられる主人公の一連の様子を
短いカッティングでリズミカルに描いたタイトルバックが秀逸である。

一連の動きを終えたところで、黒バックに赤字でタイトルが出て来るのだが、
この短い数分の間にも、ズロトヴスキの溢れる才能が伺える。
この人のアクションが一度観てみたい気さえする。

2000年代のヨーロッパ圏の映画では、
貧困や移民が切り離せない問題だということは昨日も書いた。

今作でも主人公は最も危険でリスクの高い原発作業員という職業を選ぶ。
主人公の過去はここでは明らかにされていないが、
相当切羽詰まった様子はタイトルバックからも窺い知ることが出来る。

前半は主人公が原発作業員になるまでと原発作業員の仕事の様子が丁寧に描かれる。
彼らの仕事は常に線量計が欠かせないことと
作業員達は一つのチームで活動し、連帯責任を負うということが
何気ない行動の中からしっかりと明示されていく。

ズロトヴスキという人は率直に言って、
当たり前のことをしっかり描くことの出来る監督である。

強引にエモーションで押し切れば押し切れる作品だが、
しっかりと手順を踏み、周辺要素の書き込みにも余念がない。

原発に向かう前に、主人公がペットボトルの水を呑み干してしまう場面に顕著なのだが、
彼らの作業が個人としてではなく、常にチームとしての尊厳に関わって来ることを
監督はじっくりと丁寧に描く。30代前半にして実に肝が座っている。

主人公は町の酒場のロデオ・ゲームに勝ち、チームに加えられる。
原発で働くということは、昼も夜も行動を共にしなければならない。

夕食を食べる中で、トニの恋人キャロル(レア・セドゥ)と運命的な出会いをする。
そこでは被爆した時の例を冗談めかして語るセドゥだったが、
次に会った時は、2人は隣り合う車内で目も合わせようとしないのである。

その後部座席の様子を開け放たれた車の窓からじっくり撮った場面が素晴らしい。
2人の恋に落ちる絶妙な距離感を、
ズロトヴスキはあえて台詞ではなく、演技のみで表現させる。

フランス映画においては、出会ってから恋に落ちるまでが圧倒的に早い。
それはズロトヴスキも例外ではない。
出会ったと思ったら、次の瞬間にもうことに及んでいる。随分情熱的な2人である。

セドゥの恋人であるトニは、ただの同僚ではなく、
自分を仕事に引き入れてくれた恩人であり、その上お金まで借りている。
そういう伏線の使い方、人間関係の描き方も実に丁寧で好感が持てる。
割とここまできっちり描く監督は最近ほとんど見ない。

当然トニはセドゥとラヒムの様子の変化に気付き、ラヒムに疑惑の目を向けるのだが
そんな中、原発の作業所でラヒムの機転により、トニは命を救われる。

しかしトニを助けるために手袋を外してしまった主人公は、最初の被爆をしてしまう。
更に被爆量が増えれば、彼は原発作業員としての仕事を失い、即故郷に帰らなければならない。

中盤から後半にかけてはこの主人公の被爆へのどうしようもない恐怖が描かれる。
それと共にセドゥの方も、お腹に赤ん坊がいることがわかり、
その事実を無精子症のトニにどう伝えれば良いのか思い悩む。

愛し合う2人がそれぞれに葛藤する様子を、圧倒的な画力を持って描き切る。

海に泳ぎ出した主人公が、海辺で抱き合うトニとセドゥを
水面からじっと見つめる場面なんて実に巧い。

コンテナ・ハウスの窓から、じっとセドゥの様子を見るところとか
タハール・ラヒムの焦燥感が伝わる実に素晴らしい演出である。

そして今作は音の使い方も非常に素晴らしい。
原発作業中のノイズの使い方が、情け容赦なく緊迫感を伝える。

彼らが作業を終えて、戻って来た時の現実音も凄い。
脱衣所に向かうゲートには線量計があり、
金属探知機のように音でラヒムの絶望を知らせるのである。

クライマックスの結婚式の場面も、
彼らが話していることは我々には一切聞こえてこない。

それはタハール・ラヒムのレア・セドゥに対する
絶望的な心の距離として描写されているかのようである。

ラストの場面はどうしてあの場所に足を踏み入れることが出来たのか若干疑問は残るが
フィクションとしての丁寧さと主要キャストの演技にぐっと引き込まれた。

ズロトヴスキはこの映画の脚本に取りかかってから、偶然福島の大事故を知る。
当然役者達は原発の中には入れないため、ドイツの廃炉になった核施設を使用したらしい。

この手の不倫劇というのは、古くはシェークスピアの時代から現代に至るまで
繰り返されてきた題材と設定だと言えるが、そこに原発を絡めた監督の大胆さを買う。

ただその大胆さが、駄目な人にとっては一番整合性を欠く部分なのかもしれない。
命を落とす危険性のある仕事というのは、何も原発作業員ばかりではない。
また今作に出て来る作業員たちは頻繁に被爆の可能性に曝されるが、
そこにどれだけリアリティがあるのかもはっきりとしない。

脱原発推進派がこの映画を脱原発映画として観たらガッカリするかもしれない。
ズロトヴスキはあくまで、悲恋の舞台として原子力発電所を選んだだけで、
この映画で原発の全てにNOと言っているわけではない。

しかしこのあまりにも素晴らしい不倫劇がDVDスルーというのはいただけない。
『美しき棘』と今作でレベッカ・ズロトヴスキの才能は十分過ぎるくらい伝わって来る。
タハール・ラヒムはともかくとしても、
本来ならばレア・セドゥのネーム・ヴァリューだけで上映されなければならないはず。

またせっかく版権を買い取ってDVD化してくれたオデッサ・エンタテインメントには
大変申し訳ないのだが、このジャケットはいかがなものなのか 笑?
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確かにレア・セドゥは大胆な脱ぎっぷりを見せてはいるが、
『アデル、ブルーは熱い色』の二番煎じと勘違いされるようなコメントはいただけない。
まったく映画の中身に沿ったジャケットでもない。

何よりレベッカ・ズロトヴスキの才気に失礼である。
DVDスルー作品の中では、極めてレベルが高い作品と言って間違いない。
普通にスクリーンで公開された新作よりも、遥かに丁寧な内容である。

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