【第88回】『ガーゴイル』(クレール・ドゥニ/2001)


ひたすら痛い映画である。
脳よりも五感に訴えかけて来るようなイメージの連続。
女性監督らしい生理的不快さを画面に漂わせながら、深くイメージへと入り込む。

10代の頃にこの映画を観ていたら、間違いなくトラウマになったと思うが
歳を重ねると純粋な愛の映画にも見えるから不思議だ。

アメリカから新婚旅行でフランスに来た一組の新婚夫婦シェーンとジューン
一見ごく普通の新婚旅行にも見えるのだが、
夫シェーン(ヴィンセント・ギャロ)の様子がおかしい。

一方でフランスで医師を務める黒人男性とその妻は
妻のある病が元で、彼女を自宅軟禁状態にしている。

別々の夫婦の物語を平行して描きながら、やがて両者が一つの線で結ばれる。

台詞を極端に排した映像世界が独特な雰囲気を醸し出している。
冒頭の8分間である殺人事件からそれを隠蔽しようとする黒人男性の存在が描かれるが
夫婦の間に会話らしい会話は一切無い。およそ8分間、映像のみで物語が語られる。

一方の新婚夫婦の方も、夫は妻の話に相づちを打っているものの、
確信に触れるような会話らしい会話は一切無い。

ただSEXの時に男が見せる異常行動の中に物語の本質が隠されているらしい。
観光旅行中の妻の緑のストールが風に飛ばされる様子だったり、
ある研究所で彼の脇にあるメーターが異常に作動したり、
どこか不穏な空気を醸し出している。

この映画はジャンル映画としてはどの範疇に入るのかはっきりしないが
どれか一つに無理矢理入れるとすれば、21世紀のドラキュラの恋愛物語である。

新婚旅行中の夫と自宅に軟禁されている妻の間には
かつてある接点があったことが物語の中盤で語られる。

この物語の中では直接触れられていないが、
彼ら2人の不貞が、おそらく黒人医師の逆鱗に触れ、
何らかの形で表に出たのだと理解した。

だからこそラスト30分のヴィンセント・ギャロとベアトリス・ダルの再会の場面は
もっと丁寧に描いても良かった。

階段をゆっくりと降りて来る血まみれのベアトリス・ダルの姿は素晴らしかったが
その後唐突に再会の場面は細切れにされ、不完全燃焼の形で提示される。

またヴィンセント・ギャロとアレックス・デスカスの再会を
何故描こうとしないのかも疑問が残る。
もしかしたらあの火事の後、彼らは会っていたのかもしれないが、
映像としてはどこにも出て来ない。

定石通り、あそこをクライマックスに持って来て、
もっと丹念に描けば、21世紀のドラキュラの恋愛物語として最高の終わりになったはず。

物語としては、綻びはいくつもある。
何故これだけ殺害や死体遺棄を繰り返しながら警察が出動しないのかとか
物取りの少年2人組はなぜ窓から姿の見える部屋に押し入ったのかとか
それこそ無数に矛盾点はあるのだが、
ミニマルに徹底して削ぎ落としたクレール・ドゥニの演出の前では無効になる。

しかしクライマックスで餌食となってしまった女性がある意味一番哀れだった。
殺人映画史上、あそこまで殺されるタイミングがゆっくりなのはある意味例がないかもしれない。

2組のカップルの物語の中に、突然伏線として挿入され、
伏線にも関わらず、やがて物語の中で大きな起爆剤となる哀れな女性を
フロランス・ロワレ=カイユが実にリアリティのある演技で表現している。

ある意味、トリシア・ヴェッセイよりもベアトリス・ダルよりも
この端役のフロランス・ロワレ=カイユの哀れさの方にぐっと来てしまった。

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