【第982回】『フランシス・ハ』(ノア・バームバック/2012)


 ニューヨーク・ブルックリン、流行の発信地とも呼ばれる街に暮らす27歳のフランシス(グレタ・ガーウィグ)は、プロのモダン・ダンサーを目指し、修行の日々を送っていた。家賃の高い一等地にルーム・シェアするのは親友で編集者見習いのソフィー(ミッキー・サムナー)。朝から太極拳でじゃれ合い、「飼い犬は食べない」と冗談を交わす2人は理想の友人関係を構築していた。「猫と俺と住もう」というボーイフレンドからの言葉に首を横に振ったフランシスとソフィーの姿は、まるで若年性のレズビアン・カップルのようにも見える。そんな平和なある日、突然ソフィーはマンハッタンのトライベッカでリサとルーム・シェアするからと宣言し、部屋を出て行ってしまった。住処をなくし、途方に暮れたフランシスは友人たちの間を転々とする中で、周囲の成長に焦りを覚え、自分の人生について見つめ直していく。『ベン・スティラー 人生は最悪だ!』で初めての起用となったグレタ・ガーウィグを再度ヒロインに据えた日常の物語。ヌーヴェルヴァーグのような自然主義、低予算と手持ちカメラの使用、ロケーション主体の撮影スタイル、現代口語的な日常の会話劇はまさに「マンブルコア」映画の様相を呈す。

 ノア・バームバックの映画では住居の移動が精神的影響を伴い、その度に主人公の成長を促した。『イカとクジラ』では母親ジョーン(ローラ・リニー)との不和によりバーナード(ジェフ・ダニエルズ)は今の家から5駅先に仮住まいを設け、兄弟はその間を行ったり来たりした。『マーゴット・ウェディング』や『ベン・スティラー 人生は最悪だ!』では、止むを得ぬ理由からかつての生家に戻った主人公たちマーゴット(ニコール・キッドマン)やロジャー(ベン・スティラー)に自分自身の闇と向き合い、成長を促す。今作においてもソフィーとの安全地帯に逃げ込み、平穏に暮らすフランシスは突如住処を失い、途方に暮れる。恋人の代わりに、親友を選んだヒロインの悲哀、長年追ってきたモダン・ダンサーという夢の挫折。チャイナタウンの男友達の家に身を寄せていたヒロインの焦燥感は、クリスマスにサクラメントの両親の元に帰っても治らず、しまいには貯金を切り崩し、大見栄を張ってパリへ飛ぶ。途中、銀行に走るフランシスの裏ではフランソワ・トリュフォーの59年作『大人は判ってくれない』の「L'Ecole Buissoniere」の印象的なフレーズが流れる。モノクロ映像に包まれた青春群像劇、LAでもパリでも東京でもない生粋のニューヨーカーたちの青春の光と影。ラストのDavid Bowieの『Modern Love』に思わず涙腺が緩む。

【第981回】『ベン・スティラー 人生は最悪だ!』(ノア・バームバック/2010)


 アメリカ・ロサンゼルス、緑生い茂るなだらかな別荘地、等間隔に鉄塔が張り巡らされた田園地帯。フローレンス(グレタ・ガーウィグ)はマーラーと呼ばれる犬の散歩をしていた。一旦家に犬をつないだ後、車に乗り街まで降りて行く。その横顔をカメラは助手席から据える。やがてクリーニング店に立ち寄るが、引き換え券を忘れたことに気付いた彼女は、「フィリップ・グリーンバーグさんの荷物です」と説明する。何とか荷物を引き取った彼女は再び邸宅に戻ると、その家に住む娘が笑顔で迎え入れる。マーラーと家でお留守番をしていた彼女は、グリーンバーグ家のお手伝いさんとして働いていた。家長であるフィリップ(クリス・メッシーナ)と妻キャロルは3週間分の給料を小切手ではなく、現金で手渡す。今年で25歳になった彼女は大学を卒業してから、何とはなしに時を過ごしていた。数年間付き合った彼とは最近別れたばかりで、彼女は実業家のお手伝いとして頑張ろうとしていた。そんなある日、グリーンバーグ家は6週間のベトナム旅行へ向かうことになり、フローレンスは愛犬のマーラーの面倒を見ることになった。だが最近精神病院を出て来たばかりのフィリップの兄ロジャー(ベン・スティラー)がNYからLAへやって来る。フィリップはフローレンスに、何かあった時だけロジャーを助けるように説明し、兄ロジャーには6週間でマーラーの犬小屋を作ってくれるよう依頼する。

 『イカとクジラ』で4人家族の不和、『マーゴット・ウェディング』で久々に会った姉妹の不和を描いたノア・バームバックは、今作ですれ違いの再会を果たす兄弟の不和にフォーカスする。大学時代、ギタリストのアイヴァン(リス・アイファンズ)と一度はメジャー・デビュー直前まで行ったものの夢破れ、単身ニューヨークへと渡った男の姿は、『マーゴット・ウェディング』の挫折した中年であるマルコム(ジャック・ブラック)とも重なる。生まれ故郷のLAに戻って早々、かつての親友のアイヴァンに連絡を取るロジャーの歩みは明らかに20代で止まっており、結婚・子育てを経験した同世代との溝は埋まらない。航空会社のリクライニング・シートや騒音妨害、スターバックスにクレームをつけるロジャーの病巣は、恋人との関係が終わり、やけっぱちになるフローレンスと重なり合う。コロナ・ビールを2人で分けあってからの突発的な情事(射精はない)の後、ある種の気まずさから癇癪を起こす男と寛大な女の姿は、バームバック作品の根幹をなすような男女のレイヤーの差異を見事に紡ぐ。孤独な癇癪持ちのロジャーが吸い込まれるように入ったシルバーレイク・ラウンジでのフローレンスの目配せと牧歌的なカントリー・ミュージック、翌朝彼が爆音で聴いたGalaxie 500『Strange』の轟音、自己免疫疾患でダウンした愛犬マーラーの様子にロジャーは自分の姿を重ね合わせるが、彼よりも先にヒロインに訪れた人生の休息時間。カレン・ダルトンを入れたセレクトCD-R、リップクリームをひたすら塗り続けた男に訪れた結末、惜しげも無く裸体を晒したグレタ・ガーウィグの熱のこもった演技。全てが素晴らしく愛おしい!!

【第980回】『マーゴット・ウェディング』(ノア・バームバック/2007)


 アメリカニューヨーク州ロング・アイランド、11歳の息子クロード(ゼイン・パイス)は昼食を買い、列車の席に食事を運んでいた。その様子をステディカムはすぐ後ろからグラグラとした手つきで映す。ブロンドの母親の横顔と見間違い、3つ後ろの席に座りかけるが、対面して気付いたクロードは「Sorry」とだけ言い残して、母親の隣に座る。作家のマーゴット(ニコール・キッドマン)は妹ポーリン(ジェニファー・ジェイソンリー)の結婚式に出席するため、思春期の息子クロードを連れて久々に実家を訪れる気になった。姉妹の関係はどこかぎこちなく、長らく疎遠だった。「ニューヨーカー」誌に寄稿する作家のマーゴの姿は、前作『イカとクジラ』の母親ジョーン・バークマン(ローラ・リニー)に呼応する。11歳の息子クロードと母親マーゴットの関係も、どこか『イカとクジラ』の次男フランク・バークマン(オーウェン・クライン)と母親ジョーンの関係を思い起こさせる。列車は目的の駅に着き、親子はサングラスをつけたり冗談めかして過ごすが、妹ポーリンの迎えが来ない。やがて渋々迎えに寄越されたマルコム(ジャック・ブラック)は初対面の母子に物怖じをしない気の良い男だった。妹ポーリンとの久方ぶりの再会。抱擁をする2人にはわだかまりなどないように見えるが、姉のマーゴットはこの結婚への不安を露わにし始める。

 前作『イカとクジラ』において、4人家族の不和を描いたノア・バームバックはまたしても姉妹の不和を描く。妹の婚約者マルコムは明らかにうだつの上がらないミュージシャンで無職だが、ポーリンは何故か彼の絶望的な才能の無さに惹かれている。だがそれを姉マーゴットは男を見る目がないと陰口を叩く。マルコムには十代の連れ子イングリッドがいて、同世代のクロードに接近しようとするのだがマーゴットは気に入らない。しかし自分自身は生家のベッドでマスターベーションし、ジム(ジョン・タトゥーロ)との関係もギクシャクしている。姉妹の確執の原因はやがて明らかになるが、今作には姉妹の生みの親である母親はおろか、父親ももう1人の姉妹ベッキーも出て来ない。その上、クロードの兄であるジョシュも会話には出て来るが登場しない。バームバックは過去の回想シーンを巧妙に隠しながら、登場人物それぞれの屈折した感情を露悪的につなぐ。クロードが盗み見た隣人の姿、マーゴットが脚本で協力するディック・クースマン(キアラン・ハインズ)の娘メイシー(ヘイリー・ファイファー)の前作同様のファム・ファタールな眼差し、中盤マーゴットがよじ登った大木は大黒柱不在の家を憂うが、全てを見守った上で壮絶に朽ち果てる。『イカとクジラ』と比すればこちらはかなり難解で、観客を突き放すような描写が延々と続くが、『イカとクジラ』の姉妹編のような後味を帯びている。

【第979回】『イカとクジラ』(ノア・バームバック/2004)


 テニスコートのネットで仕切られたダブルス・コンビ、父と兄はパパ組で母と弟はママ組となり、テニス・ゲームに興じていた。父親バーナード・バークマン(ジェフ・ダニエルズ)と母ジョーン(ローラ・リニー)の大人気ないやりとり、癇癪を起こし、叩きつけられる父のラケット、息子たちは空気を察してかあまり言葉を発さない。気まずい帰りの車中、後部座席から兄弟は、ジェスチャーでやりとりする前列の両親の絶望的な姿に諦めの表情を浮かべていた。1986年、ブルックリン、パークスロープ。兄ウォルト(ジェシー・アイゼンバーグ)と弟フランク(オーウェン・クライン)は両親ともに作家というインテリの家庭に生まれ育った。ウォルトは父親を心から尊敬しているが、父はかつては人気作家として文壇の脚光を浴びたものの、現在は長くスランプ状態が続き、教職に就いて糊口を凌いでいた。一方の母ジョーンは『ニューヨーカー』誌での華々しいデビューを控えた新進作家で、両者の男女関係は完全に逆転していた。平和に見えた家族の肖像はある日を境に一変する。父親は新進気鋭の妻の才能を妬み、偏屈な夫にうんざりしていた母親は別の男の元へ走る。兄弟は必死に家族関係の修復を試みるが、すっかり冷え切った夫婦は関係を修復する気などない。

 17年婚姻関係を維持して来た両親の離婚危機、公園の反対側に別宅を設ける父親、自らの恋愛遍歴を隠そうともしない母親の抑圧に置かれた兄弟の行方。地下鉄で5駅先に邸宅を設けた父親は共同親権を謳い、兄と弟は母親の家と父親の家を何度も行ったり来たりする。冒頭のテニス・ゲームでネットに仕切られた関係性のように、弟は母親を慕い、兄は父親を慕うのだが、やがてその2人の屈折した感情と裏腹な本心が露わになる。年頃の兄に訪れた束の間の淡いロマンス、父親を巻き込んでのリリー(アンナ・パキン)との屈折した三角関係、Pink Floydの『Hey You』を悪びれる様子もなくパクって見せた兄の病巣、図書館の本棚に擦り付けたフランクの自慰行為と精液。デヴィッド・リンチの1986年作『ブルーベルベット』のイザベラ・ロッセリーニにそっくりなソフィー(ヘイリー・ファイファー)の眼差し。手持ちカメラと固定を行き来する絶妙なフレームワークと即興性に溢れた役者の演技、絶妙なタイミングで鳴り響くLou Reedの『Street Hassle』やTangerine Dreamの『Love on a Real Train』、The Carsの『Drive』のメロディ。逃げた猫を追った父親が最後に放つのは、『勝手にしやがれ』のジャン=ポール・ベルモンドの言葉に他ならない。ウェス・アンダーソンの2004年作『ライフ・アクアティック』の共同脚本を手掛けたノア・バームバックの長編処女作は、並外れた初期衝動と瑞々しい感覚に溢れ、何度観ても新たな発見がある。

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