【第112回】『チャッピー』(ニール・ブロムカンプ/2015)


冒頭、TV画面の中で女性キャスターが何かを話す様子が描かれ、
インタビューに答える開発者の様子が映し出される。
『第九地区』と同様にこの映画はフェイク・ドキュメンタリーの手法で始まる。
それも80年代に使い古されたトニー・スコットとかヴァーホーヴェンのそれである。

やがてロボット警察がギャングたちをアジトに追いつめるが、
そこでチャッピーの原型になったロボットはギャングに派手にやられてしまう。
ある限定された地域の中で、ターゲットを追いつめる様子も『第九地区』を想起させる。
これは『第九地区』の変奏曲のような作品である。

プログラマーである主人公が夜通し作業に没頭しながら
世界でたった一つのロボットを完成させるまでは決して悪くないのだが、
その後の脚本の出来があまり良くない。

たまたま持ち出したロボットを会社のトラックに詰めて早退きするまではいいのだが
どういうわけかギャングに誘拐されてしまう 笑。
これも理解不能なのだが、その後は主人公は自宅から毎日ギャングのアジトに通い詰める 笑。

途中、ギャングが夜間にしっかり睡眠を取る様子も描かれているので、
こんなものは夜中にこっそり忍び込み、ロボットを取り返し、
その後匿名電話で彼のアジトを警察に密告すれば万事OKのように思えるが、
主人公はどういうわけかそれをしない。

またロボットはどうやって背中に回った火を消したのか?
またどうやってロボットは深夜アジトに戻るルートを知ったのか?
またヒュー・ジャックマンはロボットを閉じ込めたトラックの後部ドアをなぜロックしなかったのか?
そういう極めて重要な細部をブロムカンプはきちんと描こうとしない。

主人公の会社における立ち位置の描写も随分子供じみている。
同僚のヴィンセント(ヒュー・ジャックマン)とは折り合いが悪く、
ことあるごとにぶつかっているのだが、
幾らなんでも職場の衆人環視の前で、銃を突きつけるのはないだろう 笑。

そもそもブロムカンプは平行描写がしっかり出来ていない。
まず主人公がいて、3人組のギャングがいて、ヒュー・ジャックマンがいる。
この3組には平行して同じ時間が流れているはずである。

しかし途中ロボットをギャングが鍛え上げ、犯罪を教え込む場面になると
毎日のようにアジトを訪れていた主人公がどういうわけかまったく現れなくなる 笑。
御都合主義も甚だしいブロムカンプの演出には苦笑いを禁じ得なかった。

またヴィンセント(ヒュー・ジャックマン)の狂気の意味もさっぱりわからなかった。
何故彼がブレーキを外し、狂気の道に進んだのか?
そこが丁寧に描けないで人工知能もへったくれも街の治安の悪化もありはしない。

警察も突入した瞬間、内部犯行を睨んでヴィンセントを聴取するだろう普通は 笑。
意気揚々とオフィスに戻り、ミシェルと談笑する様子には心底呆れ果てた。

そもそも主人公にとって敵役とはいったい誰なのか?
ニンジャなのか?ヨーランディなのか?ヤンキーなのか?ミシェルなのか?ヴィンセントなのか?
そこを明確に出来なければ、映画としてはほとんど失敗していると思っていい。

だからこそラスト・シーンで主人公とロボットの間に、あんな人物が介在してしまうわけだ。

相変わらずエスタブリッシング・ショットを巧みに用いながら展開する
折り目正しいアクションはなかなか目を見張るものがあるし、
高低差を意識したロケーションとロボットの動線も文句なしに素晴らしい。
クレーン弾連発の場面はCGだとわかっていても興奮する。
ブロムカンプ作品は明らかに漫画を意識したであろう荒廃した空などの風景描写が出て来るが
決して悪くないしむしろ状況を落ち着かせる効果がある。夜景の切り取り方も上手い。

ただ映画はそういうヲタク的な上手さだけでは成立しないものであるのもまた事実である。
人物の相関関係、背景描写、細部の深い練り込みを入念に緻密に行った上でCGでを書き足していけば
このような幼稚な映画にはならなかったはずだ。

ある意味ニール・ブロムカンプの才能の限界がはっきりと見えた作品である。
『グランド・ブダペスト・ホテル』も『インターステラー』も今作も
画面にまとわりついた尋常じゃないレベルのコクの無さを自覚した方がいい。
内容があまりにも薄い。薄過ぎる。15点。

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