【第786回】『次の朝は他人』(ホン・サンス/2011)


 肌寒い年末の韓国ソウル、タプコル公園楽園商店街、人通りの少ない横断歩道を駆け足で行く。先輩に会うためにソウルを訪れた映画監督ソンジュン(ユ・ジュンサン)は足早に歩きながら何度も電話をかけるが、ヨンホ先輩(キム・サンジュン)とは一向に繋がらない。ソンジュンは4本のフィルモグラフィを持つ映画監督でありながら、今は監督の仕事を辞め、ソウルから少し離れた大邱で映画講師として暮らす。今回の旅は3泊4日だが、先輩に会う以外はまったくやることがない。男は冬のソウルの街を散策しようと静かに歩き出す。坂道を登ろうとした矢先、後ろから駆け出しの女優パク・スミンに声をかけられる。『オープニング』という舞台劇に出ているという彼女と2,3会話した男は、仁寺洞というレストランで一人寂しく飯を食べていたところを、映画学科の学生という3人に声を掛けられる。酒を酌み交わした男4人はソンジュンの奢りで果物屋にも入るのだが、ソンジュンは突然怒り出し、彼らに付いて来るなと罵声を浴びせ、2年前に別れたキョンジン(キム・ボギョン)のアパートを訪ねる。別れた男の突然の訪問に困惑気味の女と謎の一夜を過ごした後、ソンジュンは満面の笑みで「キミのことを応援している」という言葉を残す。

 翌日、ようやくヨンホ先輩を捕まえたソンジュンは、彼の連れてきたポラム(ソン・ソンミ)という映画学科の教授と共に、誘われるまま食事をし“小説”というバーに流れる。この店はいつも決まってカギが開いているが、店には人の気配がない。数時間酒を酌み交わしていると、遅れてバーのママがやって来る。3人で酒を酌み交わし、酩酊し歓談していたソンジュンは、遅れてやってきたママ、ソン・イェジョン(キム・ボギョン)の姿に目が釘付けになる。2年前に別れた彼女と1人2役のキム・ボギョンの薄幸の女っぷりが素晴らしい。いつも営業時間に遅れてやって来るバーのママなどプロフェッショナルとしてあるまじき行動だとは思うが 笑、初めましてとお辞儀をしたソンジュンの様子に、イェジョンは満更でもない笑みを浮かべる。ホン・サンスの映画はいつだって教授や監督などのいわゆる教養人が、若い女との三角関係に巻き込まれる。主人公の単なる知的好奇心でしかない散策の過程で、彼はすれ違う筈の幾人もの人々と出会い、笑顔で酒を酌み交わす。その単純な反復の中に、いつだって男と女の濃密な人生の可笑しみが溢れる。夢を諦め、在野に降りたはずの男は学生だった年下の女の恋心に火をつけるが、男は既に別れた女にソックリなバーのママに心奪われている。単純なティルト・アップやズーム・アップの巧妙な反復、一見アドリブにも見える会話劇の緻密な計算などのあざとさは随分高等だが、ソウル市内の凍てつくような寒さをモノクロ映像で据えたキム・ヒョングの手腕が素晴らしい。雪の中、5人がタクシーを待ち構える場面の凍てつくような素晴らしさはホン・サンス映画史上屈指の魅力を誇る。

【第190回】『自由が丘で』(ホン・サンス/2014)


今作の特徴は『次の朝は他人』から3作ぶりの女性目線から男性目線への回帰である。
それも日本人俳優・加瀬亮を主演に起用し、これまでの長編映画で一番短い67分で一気に綴る。

クォン(ソ・ヨンファ)は以前勤めていた語学学校で、モリ(加瀬亮)からの分厚いラブレターを受け取る。
モリはクォンに会うために、再び日本から韓国を訪れていた。
モリはクォンの部屋の近くのゲストハウスに泊まり、彼女を探していた。
手紙は、彼女を探しながら過ごしたソウルでの日々を綴ったものだった。
クォンは手紙の1ページ目を読んで語学学校を出るが、立ちくらみがして手紙を階段に落としてしまう。
拾った手紙は順番がバラバラになり、1 枚は拾い忘れてしまった。
クォンはカフェ自由が丘に寄り、バラバラの順番のまま手紙の続きを読み始める。

今作が面白いのは、クォンがページをめくる度に新しい映像が始まるのである。
モリはカフェ自由が丘にいればいつか彼女に会えると思い、
『時間』という本を持ってカフェに入り浸る。
彼女を探して、ソウルの街を行ったり来たりしていたモリは、
同じゲストハウスに泊まっているアメリカ帰りの男サンウォン(キム・ウィソン)と意気投合し、
毎晩のように呑み語らっていた。
帰りにはいつも肩を組み、親友になったように千鳥足で歩く姿は
これまでのホン・サンスの映画で何度も見られたお馴染みの光景である。

やがてモリは迷子になった犬クミを見つけたことで、
カフェ自由が丘の女性オーナー・ヨンソン(ムン・ソリ)と親しくなり、お礼にと飲みに出かける。
酔っ払って調子に乗ったモリは彼女の相談に乗り、2人の距離は急速に縮まっていく。
今作はクォン(ソ・ヨンファ)とヨンソン(ムン・ソリ)とモリの三角関係を描いている。

かつてのホン・サンスの映画では、冒頭四角関係が提示され、
ある土地を訪れたモテ男の主人公は、早い段階であっという間に2人の女性と関係を持ってしまう。
しかしながら近年のホン・サンスのフィルモグラフィの中では
男性の方に明確な愛がないままに2人は行きずりの恋になだらかに進んで行く。

今作もまさにそれを絵に描いたような展開で2人はあっという間に肉体関係になってしまう。
2人の仲を取り持ったのはカフェの犬であるが、やや短絡的に主人公は女を抱く。
いま思い返せば、ホン・サンスの映画の中にはSEXをしたことに罪悪感を抱えるような男性というのは
1人も出て来なかったかもしれない。今作の主人公も罪悪感にかられることはほとんどない。

今作をもう一つ特徴付けているのは、21世紀の物語にも関わらず、
一度も携帯電話が登場していないことであろう。
普通はかつて付き合っていたパートナーの携帯番号くらいは知っているはずだし、
今やFacebookやtwitterやLINEや各種SNSの発達により何らかの形で連絡を取るのは容易い。
それがどういうわけか今作では主人公モリはクォンのために長い手紙をしたためる。

この真に古風な男女のやりとりを21世紀の映画に取り入れるために
あらゆる表現を禁欲的に描いたことこそが、今作の魅力に他ならない。
モリは何のあてもないまま韓国に再びやって来て、幾日も幾日もハズレを食らいながら
無意味な日々を過ごしながら、やがて感動の再会を果たす。
しかしながらこの真に感動的な場面も、あえて大袈裟にしないホン・サンスの演出がすこぶる良い。
ここまで淡々とした筆致で描けるのはホン・サンスならではだろう。

ここ数作には顕著だった出会う人物全てが主人公と恋仲になり得る可能性の描写は今作でも引き継がれ、
家出娘役で『ヘウォンの恋愛日記』のチョン・ウンチェが出て来るが
彼女と軒先で会う描写があるものの、彼女の背中を目で追うだけで恋愛には発展しない。

ここ数作において少し自制気味だったズームの多用も今作における旨味となる。
特に前半部分においては微細な動きがユニークなズームで行われるが
そのどれもが『アバンチュールはパリで』の頃の破壊力を失ってしまっている。
後半に至っては、明らかに監督がズームの使用を忘れてしまったのではないかと考えるほど
極端に少なくなっていく。

作品全体を観て、どうしても今作の評価が厳しくならざるを得ないのは
設定や描写の1つ1つがこれまでのホン・サンスの全ての作品を観ている層には
ややマンネリ化してみえる点である。
今作で言うと、主人公があてもなく海外に行くという設定は『アバンチュールはパリで』にそっくりで
行きつけのお店のオーナーと関係を持ってしまうのは『次の朝は他人』によく似ている。

ホン・サンスは一貫して男女の三角関係や四角関係を描き、
彼の映画には明確なアクションや爆発や殺人が一切出て来ない。
ある意味エリック・ロメールよりも愚直なまでに同じスタイルを突き詰め
その作風が世界的に大きな支持を集める稀有な作家である。

ただ私の見立てでは『アバンチュールはパリで』や『次の朝は他人』級の傑作は
2010年代に入ってまだ生まれていない。
このマンネリズムの打破こそがホン・サンスの次へのステップなのかもしれない。

(追記)
昨日発表になったスイス・ロカルノ国際映画祭において
ホン・サンスの新作『Right Now, Wrong Then』が大賞となる金豹賞を受賞した模様
新たな『アバンチュールはパリで』や『次の朝は他人』級の傑作の誕生となるか?

【第126回】『ヘウォンの恋愛日記』(ホン・サンス/2013)


前作『ソニはご機嫌ななめ』や前々作『3人のアンヌ』と同様に
女性目線で綴られたラブストーリーである。

映画系の大学に通うヘウォン(チョン・ウンチェ)は女優志望で
妻子ある大学教授で映画監督の男ソンジュン(イ・ソンギュン)と付き合っているが
2人の中はすっかり冷えきっている。

男女の出会いの瞬間から初めてのSEXまでを印象的に描写して来たホン・サンスが
『教授とわたし、そして映画』と同様に恋の終わりかけの様子を淡々と描写した珍しい作品と言える。

彼女の母親はカナダへ移住することが決まり、
まだ自分の未来や将来の見えないへウォンは韓国に残り学業を続けることを約束するが
実の母親との別れの寂しさから清算しようとした不倫相手ソンジュンと再びヨリを戻すことに。

ここ数作では、男女のまぐわうシーンはほとんど観られないが、
その何倍も印象的なのが路上での熱烈なキス・シーンである。
男女の唇が触れ合い、ずっと離れない情熱的なキスが何度も観られるのだが今作でも例外ではない。

ヘウォンは妻子ある男性を愛してしまった罪悪感が消えないし、
ソンジュンはソンジュンで教授という地位にいながら、教え子との関係を断ち切ることが出来ない。
今作はホン・サンスには珍しいドロドロした「悲恋」の映画と言えよう。

かつて男と女の恋の駆け引きをユーモラスに描写したホン・サンスの世界観はすっかり影を潜めている。
街中で逢い引きしていたのを教え子に見られ、辻褄合わせの嘘をつくが、
へウォンがトイレに入った瞬間に、彼女の悪口を言い合う学生たち。
やがてへウォンと1年付き合っていたという学生が現れ、ソンジュンは平静を装うが内心面白くない。

そのソンジュンの嫉妬の感情が2人の登山の場面で突然爆発する。
へウォンの軽さも悪いと言えば悪いが、この時のソンジュンの女々しさったらない。
彼女を一方的に罵り、下山させることしか出来ないソンジュンの姿。
あれだけ男性キャラクターの描写が得意だったホン・サンスとは思えない凡庸な人物設定である。

三角関係のもう一角はやがて古本屋の軒先で唐突に現れる。
マーティン・スコシージの友人でアメリカからやって来た韓国人の男。
ご丁寧に同じ場所でイケメン風の若者も出て来たが、
彼女は父親コンプレックスで年上しか愛せないのである。

ここでへウォンにまったく共感が出来ないのは、
たった一度だけ出会った男とのアメリカでの生活を夢想しているところである。
彼女は願わくば母親のような幸せを願っているが、
またしてもドロドロとした不倫劇が彼女の行方に暗い影を落とす。

また映画の落としどころが実に曖昧ではっきりしない。
こんな中途半端な作品ならば作らない方が良かったのではないかと思うし、
何もこの手の凡庸な不倫劇をホン・サンスが監督する意味はないと言える。

母親の登場は『ハハハ』以来の主人公の心の成長を促すのかと思いきや、
脚本の進行上必要なだけでそれ以降はほとんど意味を為さない。

またその脚本も実に穴だらけで矛盾点が多過ぎる。
教授と教え子の不倫関係ならば、普通は用心して学生のたむろする街を歩くはずがない。
あれでは見つけて下さいと言っているようなものだろう 笑。

学生たちとの焼き肉店での呑み会も、店員は絶対に客に対してあんなことは言わない。
飲食店の店員は不倫の関係だとわかれば空気を読み、絶対に口をつぐむはずである。

ソンジュンが悲しくなった時に聴く曲も何だかさっぱり乗れなかった。
妻とケンカして山を登ったのに、会った瞬間子供が気になるはないだろう 笑。
ソンジュンの描写がいつになく投げやりで、面白くも何ともなかった。

もちろん細部を眺めれば幾らでも楽しみは見出せる。
冒頭ふいに現れたジェーン・バーキンや『ハハハ』のあるカップルのその後の姿などが
映画の中にはふいに登場して愛おしくなる。
ただ全体を俯瞰で観ると、これまでのホン・サンス作品の中では最もコクがない。

2004年から毎年コンスタントに1本以上映画を撮り続けている作家は私の見立てでは
ウディ・アレンとホン・サンスと三池崇史くらいしか知らない。
園子温も調べたら2010年には1本も撮っていない。他に誰かいれば教えて頂きたい。

ホン・サンスにとって2004年は
『女は男の未来だ』から始まるスランプの時期で傑作とは言えない作品が3本続いた。
そしてその短い低迷期を抜け出し、
2008年の『アバンチュールはパリで』からは嘘のような快作を連発した。

あの頃のホン・サンスに比べれば、近年の作品はいささか寂しい出来となってしまっている。
これは次作『自由が丘で』を観てもあまり変化がない。
間違いなく世界有数の監督であるホン・サンスの再度の奮起に期待したい。

【第125回】『ソニはご機嫌ななめ』(ホン・サンス/2013)


近年のホン・サンス作品に顕著なのは、男目線の物語から女性目線への物語への転換である。
初期の作品は映画監督か大学教授の男性が先輩あるいは後輩と酒を呑み語り合い、
やがて1人ないしは2人の女性とのSEXに辿り着くという構造を持っていたのだが、
前作『3人のアンヌ』からそれが一転し、女性目線で物語が紡がれるようになる。

主人公のソニを演じるチョン・ユミは
『教授とわたし、そして映画』『3人のアンヌ』と重要な役で登場していたが
ここに来て3人の男を翻弄する若きファム・ファタールを天真爛漫に演じ、
近年のホン・サンス作品のミューズとしての地位を確立している。

映画学校を卒業し、誰とも連絡を取っていなかったチョン・ユミ扮するソニが
秋の季節に久しぶりに映画学校に顔を出す。
校内では友人に会い、酒を呑まないかと誘われるがソニは気が乗らない。
いきなり恩師だったチェ教授(キム・サンジュン)に電話をするが繋がらず
その友人に聞くと、海外にいるという。
失意に暮れるソニだったが、学内のベンチでチェ教授と偶然再会する。

とにかくわがままで自分勝手なソニの行動が可笑しくもあり、
周りの人間の迷惑を顧みない身勝手な姿勢にイライラもする。
誰とも連絡を取っていなかったにも関わらず、急に学校に現れ、教授に頼み事をする。
彼女の目的はアメリカ留学のために恩師に推薦状を書いてもらうことだった。

急に推薦状を書けと言われても教授だって困るはずだが、
チェ教授はソニに好意を持っており、その要求をあっさりと受けてしまう。
更に30分で書き上げた推薦状が気に入らず、書き直しを要求する始末。

学生時代付き合っていた先輩ムンス(イ・ソンギュン)に偶然会えば、
建物の上階から呼びつけ一緒に酒を呑み、
もう1人の先輩ジェハク(チョン・ジェヨン)は妻子ある身だと知っているにも関わらず
酔った勢いでキスをしてしまう。

これまでのホン・サンス作品に出て来た女性たちは、
男性の奔放さやわがままを黙って受け入れて来たが、今作はその逆である。
ソニのわがままを男性たちは誰1人断らないし、無謀な要求でも全て受け入れてしまう。

しかもソニが若いのにたちが悪いのは、実はこの男たち3人は裏で深くつながっているのである。
ムンスにとってジェハクは先輩であり、ソニとの偶然の再会で寂しさが襲って来たムンスは
真っ先にジェンスの家を尋ねるのである。

そしてジェハクとチェ教授の関わり合いもまた深い。
妻子がありながら、独り暮らしをするジェハクを心配し何度も声をかける教授。
しかも彼はいま好きな女性がいることを、ジェハクに告白までするのである。

しかしそんな3人の深い関係性を知ってか知らずか、ソニはまったく気にも留めない。
びっくりするくらい無意識的にだが、小悪魔っぷりを発揮し、
やがてそれはクライマックスのとんでもない事件に至るのだった。

今作では初めて男たちの欲望が絶頂に達することなく宙ぶらりんな状態でぶら下がっている。
ソニの方も自分の生き方や将来に自信が持てず、
メンターたる3人の言葉に一喜一憂し、年上の男性に依存しているのである。
そういう意味ではファム・ファタールとしては幾分不完全な状態ではある。

本国でも海外でもこの路線変更は好意的に受け止められているらしいが、
私としては承服しかねる。これは不完全なものを不完全なまま投げ出しただけではないか?

確かにソニの生き様には多少同情する余地はあるものの、
問題なのは残る3人の男性たちの従属的な描かれ方と韓国人男性としてのリアリティだろう。
これまでにも列車で隣に座った女をストーカーしたり、
昼間っからチキンを食べながらベロベロに酔っぱらいフェラチオを強要したり、
恋人の浮気現場に彼女を呼んで強引に別れさせるなど
ホン・サンス作品では実に様々なアホな男たちが登場した。

しかしソニを救う可能性がある男というのは、そんなアホな男の再登場ではないか?
簡単に推薦状を書き直したり、別れた女を思ってメソメソしたり、
キスまで簡単に進んでもその先にはまったく進めない男たちの情けなさに最後まで違和感を感じ続けた。

ホン・サンス映画の本気というのはこんなものではないだろう。

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