【第132回】『早春』(小津安二郎/1956)


丸ビルの保険会社に務める杉山(池部良)は、
毎朝蒲田発大宮行きの列車に乗るのが日課だった。
その列車の同じ車両に乗る通勤仲間たちとはやがて親しくなり、
休日はハイキングに向かう仲になった。
杉山には子供が1人いたが、幼い頃に結核で命を落とす。
それっきり妻の昌子(淡島千景)とは倦怠期でときめきのない生活を送っていた。

小津にとっては主演に池部良と淡島千景という当時の若手スターを起用した最初で最後の作品。
何不自由なく暮らす若いサラリーマン夫婦に起きた突然の危機と不倫関係の清算を描いた
小津らしくない一見ドロっとした作りながら、最終的な着地点は上手くこしらえている。

冒頭から珍しくロケーション撮影した場面が続く。
このロケーション撮影の長さはそれこそ『お早う』と今作ぐらいではないか?
無人の風景ショットが幾つか積み重なり、列車が到着する。
目覚まし時計が鳴り、急いでスーツに着替え家を出ると、いつもの通勤・通学の姿が。
線路を挟んだ向こう側から整列し電車を待つ列をロング・ショットで据えると
池部良や岸恵子、田中春男などいつもの松竹映画とは幾分違う面々が並ぶ。
小津はエキストラが大勢映る場面をあまり好まないので、当然満員電車のショットはない。

池部良のサラリーマンぶりを正面からではなく、
あえて横からロー・アングルで据えた職場の場面が素晴らしい。
ここではカメラの位置は晩年の他の作品と同じように、右側から撮っている。
タイピストの女性たちがいて、書き物をする男たちがいて、上司の部屋は別にある。
この時代はまだ電話が代表電話しかなかった時代である。

例の縦の構図も障子や開け放たれた引き戸ではなく、
当時の丸の内のビルの外壁ショットが場面転換の際、何度も出て来る。
この前『晩春』もちらっと見たが、この縦の構図を厳密にやり出したのは
おそらく『麦秋』や『お茶漬けの味』くらいではなかっただろうか?

ハイキングの列のユーモラスな描写がまた素晴らしい。
先頭のグループがハーモニカを吹きながら歩いていて、後ろの方ではハイキングに文句を言うやつもいる。
やがて一番後ろにいた杉山とキンギョ(岸恵子)がトラックの荷台に乗り、
トラックの荷台の2ショットと置いてけぼりを食らったハイキングの列を交互にモンタージュする。

とはいえこれは若い人たちの繰り広げる青春群像劇かと思うとそうではない。
池部良には昔会社の先輩で今はBARブルー・マウンテンのマスター阿合(山村聰)と
かつては結婚式の仲人を務めた小野寺(笠智衆)がメンターのような存在で何度も現れる。

淡島千景にも母親しげ(浦邊粂子)や隣人(杉村春子)、
友人(中北千枝子)など人生の先輩が何人もいて相談に乗ってくれるのである。
彼ら年寄り世代の温かい目が、本作の若者たちを裏から支えている。

池部良と岸恵子の不倫の場面には何度観ても妙にドキドキしてしまう。
あえて正面切って不貞の場面を描写しないからこそ、我々現代の観客は想像をめぐらせる。
最初の個室での夕食の場面では、彼らのキスの瞬間に扇風機のクローズ・アップに切り替わる。
その夜のホテルでの密会の場面では行為を思わせる瞬間はない。
僅かにYシャツについた赤い紅が2人の関係を連想させるのである。

池部良が外泊し、翌日帰って来た時の池部良と嘘と淡島千景のやりとりが実に濃厚で説得力がある。
淡島千景は持っていたタオルをくるっと首に巻き付けたり、地面に落としたり
小津さんのそういう台詞のない部分の所作の演出が素晴らしい。
彼女が首を傾げ、ゆっくりと団扇であおぐ場面は夫の不貞に気付いた妻の落胆を暗示している。

岸恵子の岸恵子らしからぬ小悪魔ぶりも本作の魅力だろう。
寡黙でぶっきらぼうの男と2人の女の三角関係が始まるが、
キンギョ役の岸恵子が金魚のフンのようにおろおろとしているのに対し、
妻である淡島千景は常にどしっと構えており、その女っぷりの対比も面白い。

一つの家族の室内劇であれば、もっと尺を縮められたのかもしれないが
当時のサラリーマンたちの生活や風俗を切り取る場合、脚本が長くなってしまうのは致し方ない。
特に兵隊時代の同窓会から加東大介ら2人を連れて家に帰宅する場面の過剰さは強烈な印象を残す。
1階にいる淡島千景と2階の男3人の階段越しのやりとりが光る名場面である。

池部良の転勤先である岡山県三石というのは、今は備前市となっている。
映画の始まりと終わりに配置された列車の到着が爽やかな余韻を醸し出している。

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