【第131回】『わたしに会うまでの1600キロ』(ジャン=マルク・ヴァレ/2014)


昨年最も意外性があった作品は
ジャン=マルク・ヴァレの『ダラス・バイヤーズクラブ』ではなかったか。
HIVに感染した男が治療薬を求めて、製薬会社や政府と戦う姿を描いた映画は
久しぶりにアメリカ社会の病巣をあぶり出すリアルな筆致に好感を持った。
今でこそ治療薬が見つかり、HIVという病気への世間の認識も高まっているが
80年代後半の時代背景では今とはまったく違う偏見や差別があり、
多くの患者が死ななくてもいい命を落とした。

ただ『ダラス・バイヤーズクラブ』の良さは脚本の素晴らしさもさることながら
20kg以上の減量をして主人公を演じたマシュー・マコノヒーによるところが大きい。
ジャン=マルク・ヴァレの演出に対しても別段注文はないが、
監督の作家性というものがさっぱり見えて来なかったのも事実である。

だからこそジャン=マルク・ヴァレの『ダラス・バイヤーズクラブ』の次の映画である。
今作は『ダラス・バイヤーズクラブ』と同じくベストセラー小説の映画化で実話を元にしている。

最愛の母親(ローラ・ダーン)の死に耐えきれず、
優しい夫(トーマス・サドスキー)を裏切り、ヘロインや複数の男との不倫に走る主人公リース・ウィザースプーン。
結婚生活も破綻を迎え、自分自身を変えるために1600kmものトレイルを女性1人で踏破する旅に出る。

山登りの経験もなく、何のトレーニングもしていない主人公には幾多の困難が待ち構えている。
詰め込み過ぎたバックパックの45kgの重量、立ち上がるのも困難なところから山歩きを始めるのだが
コンロの燃料を間違えたり、テントが脹れず何度もやり直したり、主人公の行く手には様々な困難が起きてしまう。

ただこの旅の過酷さがイマイチ伝わって来ないのである。
ファースト・シーンこそ主人公が断崖絶壁の上で、靴下を脱ぎ、
血だらけの生爪を剥がすショッキングな場面があるのだが、
本当に危険な旅に見えたのはそのファースト・シーンくらいで
それ以外の場面は山ではなくむしろ平地を歩いていてただの無難な旅にしか見えない。

45kgの重さを担いで歩くのであれば、
山だろうが平地だろうがどちらでもしんどいのに変わりはないが
向かうべき場所の風景ショットや高低差をわからせるショットだったり
自然の中に佇む主人公の小ささをロングで据えたショットは絶対に必要であろう。
それがこの映画にはまったくと言っていい程描かれないのである。

そもそも山を登る主人公を据えたショットはどの方向からカメラを向けるのが適切だろうか?
ジャン=マルク・ヴァレはほとんどの場面で
リース・ウィザースプーンを前からクローズ・アップで据えている。
この判断が私には監督として正しい選択とは最後まで思えなかった。

大体、どんなに暑かろうがショート・パンツで山を歩いたりするだろうか 笑?
どんなに暑くても肌は露出するなは山歩きをする者にとって基本だろう。
まともに山を登ったことがある人間ならば、主人公の服装にまず違和感を覚えるはずである。

バックパックの45kgの重量も、衣服の匂いも観客に何らかの形で伝わらなければ意味がない。
その重量が裸になった時のアザでしか明示されておらず、
スクリーンからは彼女の衣服汚れや汗の強烈な匂いを最後まで感じることが出来なかった。

またこういう変化球であっても旅に出る映画はそこで出会う人たちとの出会いをどう描くかが肝心なのに
途中出て来る複数の人物との交流も実に凡庸で味がない。
食べ物がなく最初に会った農家のおじさんもただ食べ物を恵んでもらっただけにしか見えず、
主人公の成長につながる些細な話とか教訓とかがまるで滲み出て来ない。

それは旅先で会った青年やヘビメタ一家も同様である。
アレクサンダー・ペインの諸作やリンチ『ストレイト・ストーリー』
ジム・ジャームッシュ『ブロークン・フラワーズ』との明確な違いがここにはある。
ジャン=マルク・ヴァレは出会いは出来事ではなく、運命という発想をそもそもしていない。
出会いというのは、主人公が1600km踏破するためのツールでしかなくなっている。

クライマックスの4 non blondesを歌う若者には思わず笑ったが、
ジャン=マルク・ヴァレには山を登ることの過酷さがわかっていないのではないか。
人間にとって険しい山そのものが脅威であって、
アナコンダやレイプしようとする青年の登場はそれに付随する別の種類の怖さでしかない。

どうして2人組の若者の登場にあれだけ時間を割いたのか?
またあの2人組を危険だと判断した主人公が、
最終的にはグレイトフル・デッドの追悼パーティで出会った青年とSEXをしたのか?
結局彼女の判断というのは、普通に街を歩いている時の主観と同じでしかない。
だからこそカッコいい男と出会ったら、簡単に身を委ねてしまうのだと思う。

ラスト・シーンはイーストウッド『マディソン郡の橋』へのオマージュだろうか?
1600kmに及ぶ旅の過酷さも大変さも困難さも伝えることが出来ずに、
最後にあの橋の上でリース・ウィザースプーンがつぶやいた感動の台詞はないだろう。

『ダラス・バイヤーズクラブ』では判断保留としたジャン=マルク・ヴァレの作家性だが
申し訳ないが今作を観ると才能はないと断言出来る。
手持ちカメラでの室内シーンとか、あの不快なモスキート音のような音響効果とか
短いショットを連発しながら不安を煽るモンタージュとかギミックは面白いがあくまでギミックである。

『ダラス・バイヤーズクラブ』では死の瞬間という主人公の避け難い恐怖が画面を支配する中、
人間の本性や生きること生き続けることへの欲求が画面中に充満していた。
しかしこの映画には人間の心の底からの成長とか真に目的を達成した喜びが描かれていない。
自然という極限状態の中で、夏も冬も全ての季節を歩き続け、遂に1600km歩き切る葛藤が描かれていない。
そこをしっかり描けなければ映画としては残念ながら成立しないのである。

ジャン=マルク・ヴァレの監督としての才能には疑問を呈してしまったが、
リース・ウィザースプーンとローラ・ダーンの演技は文句なしに素晴らしかった。
特にデヴィッド・リンチ作品の常連俳優ローラ・ダーンの母親ぶりは相当味わい深い。
それだけでも十分に観る価値はある作品と言えるのではないか。

8/28(金)から全国ロードショー
http://www.foxmovies-jp.com/1600kilo/

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