【第1233回】『君と歩く世界』(ジャック・オーディアール/2012)


 シングル・ファザーとして生きる男(マティアス・スクナールツ)が、たった一人の身寄りである姉を頼り、息子と共に姉夫婦の家に居候する。仕事を見つけなければいけない主人公は『預言者』同様に学がないのだろう。ナイトクラブの用心棒として、自らの体を酷使し働き先を見つける。ある日、彼はナイトクラブで男性が女性を殴るのを目撃する。無残にも殴られ、病院送りになる寸前だった女性(マリオン・コティヤール)を家まで送り届け、部屋でアイシングまでしてあげるが、彼氏に出て行けと言われ電話番号を残し去る。『リード・マイ・リップス』では主人公は最初から耳が不自由という障害を持っており、ドゥボスとカッセルは職場で出会った。今作では主人公がある日突然、不慮の事故から両脚を失う。映画の冒頭では主人公は健常者として何不自由なく暮らす。むしろ男性側の貧困の方が強調され、女性側はイルカの調教師としてそれなりの地位も名誉も得ているように見える。だからこそ、両脚切断に至った主人公の苦悩と転落がドラマの中でこれでもかと胸に迫る。

 出会いの場面に見られたように、女性は時折ストレートな物言いで男を怒らせる。ヒロインは男勝りであり、社会的に見れば男性顔負けの生活をし、ジェンダー差に一際敏感な人間である。そんな彼女が生きる希望の全てを失い、一度だけしか会ったことのない男にすがる。男はナイトクラブの用心棒から夜の警備員に転職するも、どこか満たされない。女は両脚を失い、病室のカーテンを閉め切って光の当たらない生活を送る。その両者が女の電話から再会するところの淡々とした描写が素晴らしい。男はマリファナを吸い、泳いでくると海へ向かう。そんな男に引っ張られるように女も海へ向かう。障害者に対して過保護ではない彼のさりげない行動や態度が、やがてヒロインの心を開いていく。

 オーディアールの映画の特徴である「二重生活」は今作でも実に印象的にシーンを盛り上げる。スクナールツは夜は警備員として働きながら、昼間は賭けの地下格闘技で闘っている。己の身体のみで生きている彼にとって、闘うことしか生活を豊かにする術はない。彼は常に身体を鍛え、新しい技を習得し、地下格闘技のために全てを捧げる。コティヤールもそんな彼の姿を車の中から支える。最初は「男性の世界だから」と傍での観戦を断られた女だったが、後半ある事情の変化から劇的にその地を踏む。中盤のイルカと主人公の窓越しの再会シーンは実に印象的で見事である。こんなにもよく訓練されたイルカ君が、時には残酷さの象徴にもな理、映画内に流れる時間が否応なしに輝き出す。オーディアールの脚本は男性側にも女性側にも当初の生活とは違う2人の成長を促すが、人間同士のつながりが実に密接に誠実に彼らの糸を絡ませたり解したりする。途中までまったく親としての息子への態度に納得していなかったが、監督はクライマックスにしっかりと葛藤の場面を用意する。今作でヒロインを務めたマリオン・コティヤールの生への渇望に思わず涙腺が緩む。

【第1232回】『真夜中のピアニスト』(ジャック・オーディアール/2005)


 ある夜、車で街を走っていた主人公は、ピアニストだった母親のかつてのマネージャーに出くわす。彼がふと言い放った「オーディション」の言葉に、突然音楽への情熱が目覚めた彼は、その日から無我夢中でピアノのレッスンにのめり込んでいく。不動産屋に勤める主人公は常日頃、あくどい仲間や父親に嫌気が差しながらそんな自分の生活を悔い改める事が出来ない。父親の強引な頼みを断る事が出来ないし、会社の同僚の浮気のアリバイ作りにも渋々応じてしまう。今作はそんな優柔不断で何事も断る事が出来ない男の抱いた淡い夢物語である。夢への道と言えば非常に希望に満ちた言葉であるが、この男は母親のマネージャーに会うまでは部屋に置いてあるピアノにも一切触れていない。せいぜいヘッドフォンの中で流行のエレクトロを聴くだけが彼の音楽生活であり、プレイヤーとしての努力は一切していない。そんな彼がふと言われた「オーディション」という言葉にどういうわけか魅了されてしまう。母親の死のショックから一度は距離を置いた音楽家としての夢が再び顔を出し、なぜかそこからは寝ても醒めてもオーディションの課題曲のことが頭から離れない。極端と言えば極端であり、単純と言えば単純なのが主人公の長所であり短所でもある。

 ジャック・オーディアールの映画ではいつも主人公は二重生活をしていた。『リード・マイ・リップス』では昼間は宅地会社でOLをしながら、夜になると男性の頼みを渋々引き受け、夜通しある部屋の様子を伺う。『預言者』では囚人として刑務所に入れられている男が、昼間の時間帯だけ外出を許され、外出先でマフィアのボスの命令を代行する。どちらも最初はあまり乗り気ではないのだが、嫌々やらされ徐々に犯罪に手を染める。今作でも主人公は「オーディション」の言葉に夢への希望を見出すが、昼間は不動産屋の仕事をこれまでと変わりなく続けている。また父親に借金を返さない男を懲らしめるために、時には脅しも辞さない。それどころか浮気のアリバイ作りがバレた途端、同僚の妻を口説き一夜を共にする。父親に頼まれたわけでもないのに、父親が騙しとられた数十万円のお金の復讐のため、ロシア人マフィアの元に行き、マフィアの愛人と関係を持つ。普通はマフィアの愛人に手を出したことで彼はマフィアに追われる身となるはずだが、どういうわけか物語はそちらの方向には行かず、あくまで夢の行方を終着点に持って来る。

【第1231回】『リード・マイ・リップス』(ジャック・オーディアール/2001)


 耳の不自由なヒロイン(エマニュエル・ドゥヴォス)がオフィスで悪戦苦闘する。鳴り止まない電話、デスクに散らばった飲み物、会社の見えないストレスの中で誰にも手を差し伸べられることがないまま、主人公はその場で倒れてしまう。社長はそんな秘書のために、2,3日の有給を提案するが彼女は乗り気ではなく、逆にアシスタントを付けることを提案される。早速アシスタント探しに乗り出したヒロインは、刑務所帰りの青年ポール(ヴァンサン・カッセル)と運命的な出会いを果たす。彼の素性を会社には内緒で、部屋まで用意してやったヒロインは、ポールに気があるのだと思われて押し倒され逆上する。1つ彼女に貸しを作ったポールは、オフィス内の彼女の敵を倒す作戦に協力する。21世紀のヨーロッパ映画の持つ特徴として、社会的弱者がしばしばクローズ・アップされる。今作もそういうマイノリティを扱った恋愛映画と思いきや、後半部分はまったく別の様相を呈する。

 ポールは毎週決まった時間に、保護監察官のマッソン(オリヴィエ・ペリエ)に接見することが義務づけられている。それを破れば、元のブタ箱行きが確定なのだが、その大切な接見日にヒロインは彼を外回りに行かせてしまう。結局ポールは土地開発会社の仕事を辞め、夜のナイトクラブのボーイとして働き始める。この土地開発会社の秘書のアシスタントからの転職が物語の重大な転換点となる。ナイトクラブに勤め始めてすぐにヤクザのボスであるマルシャン(オリヴィエ・グルメ)を見つけたポールは、彼の大金を奪う計画にヒロインを巻き込んでいく。まるでヒッチコックの『裏窓』のような展開、ヒロインの耳が不自由な設定が、更なるサスペンスを生む。思えば今作は終始、視線の行き交いを利用したフィルム・ノワールである。ヒロインとヴァンサン・カッセルのオフィスでの視線の交換、ナイトクラブでのヤクザのボスとヴァンサン・カッセルの視線の合図など、視線が物語を進める上での重要なキーとなる。

【第1230回】『預言者』(ジャック・オーディアール/2009)


 刑務所は罪人を更正させるための施設だが、どういうわけか映画の中ではそのように機能することがほとんどない。時には刑務所内での人間関係を心理的ドラマに見立て、派閥同士の醜い争いをエンターテイメントに昇華して我々に提示する。刑務所というのは社会の縮図であり、現実社会よりも人間の本性が垣間見える場である。だからこそ男同士の対立を描く際、刑務所という限定された空間は大きな力を持つ。また別の機会では刑期の重さに耐え切れず、しばしば逃亡を図る装置として刑務所が使われることもある。堅牢でどこにも穴がなく、何十年何百年に渡り1人も脱出出来なかった要塞のような空間を脱出することは、主人公にとって格好のミッション足り得る現場と言えるだろう。刑務所が更正のための施設であることを声高に叫ぶ映画も僅かにだがある。主人公は既に死刑判決や終身刑を言い渡されているが、最後まで生きる希望を捨てない。今作はそんな刑務所を巡る物語の一篇である。19歳のアラブ系青年マリク(タハール・ラヒム)は傷害罪で禁固6年の判決を受ける。送られた中央刑務所は様々な人種が入り混じり、弱肉強食の世界を築いていた。入った瞬間に金やヤクを暴力で奪い取られ、最大勢力であるコルシカ・マフィアのボスであるセザール(ニエル・アレストリュプ)には殺しを依頼される。刑務所の中は民主的な組織だと信じて疑わないマリクは上に泣きつくが、密告がバレて袋叩きにされる。

 前半部分では殺人の依頼(というか半ば強引な脅し)を受けた主人公の葛藤を描く。6年の刑を受けた上に、ここでもし殺人がばれたら大事な青年期を棒に振ることになる。それに知りもしない人間を殺すことはマリクにとって堪え難い苦痛に違いないのだが、渋々任務を遂行する。この殺しの描写が残酷で容赦ない。刑務所の中での殺しの場面だから当然銃も刃物も使うことは出来ないのだが、あっと驚くような残忍な方法でマリクは人を殺める。結局マフィアは共犯関係に仕立て上げ、自分たちの末端に手を汚させる。マリクも掃除や買い物などの身の回りの世話を一通り行いながら、彼らの中に溶け込んでいく。ここでマリクの強みとなるのは「言葉」である。学もなければ教育もまるで受けたことのない男が、自分の生活圏にはない言葉を見よう見まねで覚えたことで、マフィアのボスに媒介者として登用されていく。映画がユニークなのは、ここで刑務所の中と外の往復に切り替わる。ここでの刑務所は逃げるための場所でもなければ、主人公が余命を精一杯生きるための場所でもない。主人公はマフィアのボスのスポークスマンとして刑務所の中と外を往来しながら、いつかこの場所を出て、新しい暮らしをしようと願う。その映像の捌き方やシナリオの運びは明らかに70年代のスコセッシを彷彿とさせるが、オーディアールはあえてバイオレンスの瞬間を何度も逸する。冒頭の主人公の殺しの瞬間はじっくり丁寧に描いたオーディールだが、後半の見せ場という見せ場はことごとく外す。そのずらしの妙味をしばし堪能する。

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