【第830回】『メッセージ』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ/2016)

あらすじ・結末に触れていますので、これから観る方はクリックしないで下さい

【第829回】『複製された男』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ/2013)


 カナダ・トロントの無機質な高層ビル群、母親からの留守番電話。マンションの一室で夜な夜な行われるヌード・モデルの鑑賞会、秘密のカギ、銀皿の上に置かれた蜘蛛が妖しく蠢く。大学で歴史学を教えるアダム・ベル(ジェイク・ギレンホール)は新しい生活に慣れたように見えるが、どこか神経症的な症状を抱えている。独裁者たちは支配することを望んでいるという歴史の授業、その夜現れた恋人メアリー(メラニー・ロラン)との愛あるSEXにも男の心は晴れない。同僚教師(ジョシュア・ピース)との何気ない会話の中に出て来た『道は開かれる』という名のカナダ映画。その日、レンタルビデオ屋に吸い込まれるように入ったアダムは何気なく『道は開かれる』を借り、部屋のPCモニターで観る。突然見た悪夢、室外機のNOISE、映画の物語よりもむしろ、アダムは別の思いに導かれもう一度映画を鑑賞する。そこには自分と瓜二つのベルボーイのフレイザー・アッシュが出演していた。エンドロールで名前を書き取り、googleで検索したアダムは、ダニエル・センクレア(ジェイク・ギレンホール=一人二役)という男だと知る。これまで3本の映画に出演した無名の若手俳優に、大学教授であるアダムは会ってみたい衝動に駆られる。ヘーゲルの「世界的に重要な出来事は必ず二度起きる」という文章、ラスバーン通り3650に意中の男は6ヶ月の身重の妻ヘレン(サラ・ガドン)と暮らしていた。

 ポルトガルのノーベル賞作家であるジョゼ・サラマーゴの原作を映画化した物語は、90分の短い物語ながら決してウェルメイドな作品ではなく、むしろ20~30分の短編を無理矢理に90分に引き伸ばした印象を受ける。勅使河原宏の『他人の顔』や黒沢清の『ドッペルゲンガー』ともモチーフの共通する物語は、パラノイア的な妄執を抱えながら、ただただシリアスに地を這うように2人の人格をやがて等価に結ぶ。ドゥニ・ヴィルヌーヴの3作と今作に続く『ボーダーライン』へのフィルモグラフィを眺めた時、彼の物語は構造的に「支配と服従」の大いなるメタファーを孕んでいることに気付く。『灼熱の魂』のナワル・マルワン(ルブナ・アザバル)と監獄の拷問人アブ・タレク(アブデル・ガフール・エラージズ)、『プリズナーズ』の被害者家族の大黒柱であるケラー・ドーヴァー(ヒュー・ジャックマン)と第一容疑者であるアレックス・ジョーンズ(ポール・ダノ)、そして今作のアダム・ベルとダニエル・センクレアの関係性はまさに『ボーダーライン』のケイト・メイサー(エミリー・ブラント)とアレハンドロ(ベニチオ・デル・トロ)にも呼応する。当初は片方の圧倒的な支配と服従に見えた関係性が、終盤突如、位相を変える。それこそがドゥニ・ヴィルヌーヴ作品の醍醐味であり、通奏低音なのは間違いない。

 しかしながら問題は、その明確なモチーフに裏付けられた物語が、観客にしっかりと伝わっているかに尽きる。母親のキャロライン(イザベラ・ロッセリーニ)も登場するブルーベリーのエピソードは、登場人物たちの統合と分裂を見事に暗喩するものの、セピア色のトロントの高層ビル街に一瞬登場した『新世紀エヴァンゲリオン』のような例の唐突な描写と、妄執に囚われた妻ヘレンが様変わりするクライマックスにはしばし呆気にとられる。瓜二つの男が入れ替わったことにヘレンは最初から気付いているが、メアリーは愛し合う矢先にふと目にした左手薬指の痕跡で別人だと気付く。監督ドゥニ・ヴィルヌーヴ×主演ジェイク・ギレンホールの物語は同じコンビ作であるハリウッド映画『プリズナーズ』とは180°異なるアート・フィルムとして今作を仕上げる。圧倒的な説得力を讃えた無人ショット、パラノイア渦を想起させる不気味な不協和音、近未来的で無機質なモチーフはサスペンスの雰囲気を持ちながら、スタンリー・キューブリックやデヴィッド・クローネンバーグのようなSF由来の表現で観客の心根に訴えかける(同じくカナダ出身の天才作家であるクローネンバーグ父子のミューズであるサラ・ガドンの妊婦での起用はその思いを一層強くする)。リドリー・スコットの『ブレードランナー 2049』での監督指名は、ハリウッドの本流に乗ろうとして失敗した『プリズナーズ』よりも、むしろ低予算のカナダ映画として気軽に作られた今作のSF由来の作家としての確固たる絵作りにあったはずである。

【第828回】『プリズナーズ』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ/2013)


 アメリカ・ペンシルヴェニア州の田舎町、父親ケラー・ドーヴァー(ヒュー・ジャックマン)とその息子のラルフ(ディラン・ミネット)は感謝祭の肉を狩りに森の中に分け入る。信心深い父親はお祖父さんの名前を出し、神に祈りを捧げる。白樺の木々の間から顔を出した一頭の鹿、横を向き、銃口に気付いていない鹿に向かって息子のラルフは一発で仕留める。クリント・イーストウッドの『アメリカン・スナイパー』のような理想的な父子関係、11月末の感謝祭の午後、曇りがちな空の日にドーヴァー家は近所に住むフランクリン・バーチ(テレンス・ハワード)の家を訪ねる。七面鳥ならぬ鹿肉をこしらえた隣人との優雅なディナーの席、ラルフは幼馴染のイライザ(ゾーイ・ソウル)と何やら親しげにイチャつくが、目の前に白いRV車のキャンピングカーによじ登ろうとする末娘たちを発見し、急いで止めに入る。ダイニング・ルームでは酒も入り、ほろ酔いのフランクリンがお得意のサックスでアメリカ国家を披露する。辺りでは夕方から大雨が降り始め、地下室で映画を観ていたラルフとイライザの元に、アンナたちは遂に姿を見せることがない。忽然と姿を消した末娘のアンナとジョイ、ケラーは早速、ペンシルヴェニア州警察に通報する。ガソリンスタンドの駐車場、手配中のRV車を発見したロキ刑事(ジェイク・ギレンホール)にとって、今回の少女2名誘拐事件は簡単なヤマになるはずだった。

 感謝祭の夜、食卓での祈り、部屋に飾られた十字架、酩酊した神父など、今作はキリスト教的宗教観を随所に散りばめながらも、神の道を違えてしまった男の悲劇を浮き彫りにする。ドーヴァー家とアレックス・ジョーンズ(ポール・ダノ)の家族は最初から崩壊している。PTAの『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』のサンデー兄弟に続くポール・ダノの怪演ぶりは本当に素晴らしい。6歳の時に両親が死に、叔母に引き取られたアレックスは新しい環境に何とか順応しようとするが、その矢先にホリー・ジョーンズ(メリッサ・レオ)と夫(デニス・クリストファー)は離婚する。キャンピングカーでアメリカ各地を回っていた頃がジョーンズ家の幸せだった時代であり、両親の突然の死、義理の両親の離婚が彼を幼児退行させてしまう。一方で冒頭、良き父親を演じていたはずのケラー・ドーヴァーも深い病巣を抱えている。工務店店主を務めるケラーにはかつて、地元の名士で刑務所の看守だった自慢の父がいたが、その悲劇的な死の真相をロキ刑事は感じ取る。やがて入り込んだ地下室の異様な備蓄状況を見て、ロキ刑事はケラー・ドーヴァーの強迫観念や深い心的トラウマを確認するのだが、そこに妻はおろか、息子や刑事さえもまったく介入しない物語上の展開が惜しい。今作において、被害者の父親であるケラーはただひたすら野放図な振る舞いが許され、何らかの外部的な圧力が一切加わることがない。それは果たして是なのかそれとも否なのだろうか?

 デヴィッド・フィンチャーの2007年作『ゾディアック』において、風刺漫画家ロバート・グレイスミスを演じたジェイク・ギレンホールの演技は明らかに同一線上の演技が求められ、心底陰惨ながら未解決の事件に全力で投入されたはずだが、ロキ刑事の無能ぶりはあまりにも腑に落ちない。そもそもTVの報道ニュースに取り上げられるような少女2名誘拐事件に対し、ペンシルヴェニア州警察はロキ刑事1人しか捜査につけられないほど、犯罪が多発しているのだろうか?また被疑者であり、第一重要参考人であるアレックス・ジョーンズの所在を把握出来ていない警察組織の怠慢は断罪されるべきではないか?マスコミの車がドーヴァー家の前に張る中で、いとも簡単に事に及ぶケラー・ドーヴァーの姿は著しくリアリティに欠けるし、そもそも任意同行や取り調べを求めた被疑者が、保安検査なしでペンシルヴェニア州警察の取調室の中に入れたとはとても思えない。このように今作の脚本には幾つかの決定的な綻びが生じている。しかしながら、行方不明の娘を思う両親の描写は、真にヨーロッパ的なリアリズム重視の移民映画の様相を呈した前作『灼熱の魂』とは180°転換し、『ゾディアック』やクリント・イーストウッドの『チェンジリング』のようなハリウッド映画の典型的な話法への劇的な変換を試みる。ヨーロッパ的な物語からハリウッド的な物語構造を讃えた物語へ、その試みの成否は観客に委ねられるものの、起こる事件を骨太に据えたドゥニ・ヴィルヌーヴの圧倒的力業は今作で決定的となる。だがウェルメイドな作品を求められたはずのヴィルヌーヴは今作を2時間30分の大作に仕上げる。クライマックスのあの描写は厳しい言い方になるが、ウェルメイドに仕上げるならばあと8分フィルムが足りない。

【第826回】『灼熱の魂』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ/2010)


 1本のヤシの木が伸びたパレスチナの砂漠地帯、1列に並ばされた年端も行かない子供たちはバリカンで坊主にされている。Radioheadの『You and Whose Army?』の物悲しいメロディが流れ、踵に3つの黒丸タトゥーを入れられた少年はどこか寂しそうな目で外の様子を見つめている。場面は変わり、カナダ・ケベック。どこか風変わりだった母親ナワル・マルワン(ルブナ・アザバル)を亡くした双子の姉弟ジャンヌ・マルワン(メリッサ・デゾルモー=プーラン)とシモン・マルワン(マクシム・ゴーデット)は母親が15年間もの長き間、秘書を務めた会社のオーナーであり、公証人でもあるジャン・ルベル(レミ・ジラール)から母親ナワルからの遺言を受け取る。開封される遺言状、死の瞬間に立ち会えなかった2人の姉弟に指令のように届けられた母ナワルの最後の言葉に姉弟は絶句する。その衝撃の展開を姉は受け入れるが、弟は現実を受け止めきれずに拒む。ジャンヌは自身の出自を知るために、あえて危険な運命に身を投じるが、臆病な弟は興味すら示さない。画面上に映し出された赤文字のロゴ、ロング・ショットで映された母親の故郷であるパレスチナの光景の途方もない美しさ。そして娘は母親の出自を巡る旅に自らを重ね合せる。

 ドゥニ・ヴィルヌーヴの映画は初期作から登場人物の足跡を、主人公が同じように巡ることで物語が駆動する。血縁関係にある母親との自己同一視はヴィルヌーヴの独特のパラノイア的疾患を内外に振りまきながら、母親の歩みを振り返った娘はやがて衝撃の事実に直面する。ジャンヌが巡る現代の描写など所詮は添え物に過ぎず、亡き母親の生い立ちこそが心底壮絶で言葉を失うようなリアリティに溢れている。パスポートの上に置かれた黒い十字架のネックレス、ダレシュ大学で数学を教わっていたはずのナワルは、難民の息子ワハブと恋に落ちたことが元で、数奇な運命を辿る。かくしてダレシュからクファルファット、そしてデレッサへ、囚人No.72番と記号化された歌う女は、キリスト教徒とイスラム教徒の宗教対立、『オマールの壁』を先んじたパレスチナ問題による情勢不安により、我が子との関係性を引き裂かれる。黒煙をもくもくと上げながら燃えるバス、鉄格子に入れられた彼女が、大きくなる一方のお腹を何度も殴る描写に絶句する。男尊女卑のイスラム圏に呼応せんばかりに、中盤からジャンヌ以上にその存在が前景化するジャンの戸惑いが素晴らしい。だが血を分けた兄弟はまったく異なる運命に翻弄されたはずだが、現実には近しい場所にいたというクライマックスの描写は果たしてどうなのかという疑問は拭えない。終盤の見せ場をことごとく踏み外した心底惜しい物語でありながら、序盤のリアリティに溢れる怒涛の骨太な描写力に、新人ドゥニ・ヴィルヌーヴの抜きん出た才能の萌芽が既に垣間見える。

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