【第991回】『ブレードランナー 2049』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ/2017)

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 ロサンゼルスの上空、数1000mをゆっくりと走るポリス・スピナー、操縦桿の前でK(ライアン・ゴズリング)は強い眠気の中で睡魔に誘われている。前作『ブレードランナー』の2019年から30年、彼の眼前に拡がる光景はソーラー・パネルが所狭しと敷き詰められた異様な光景だが、その無機質さはどこか残酷なまでに美しい。今作にはこのような印象的な無人ショットが幾つも散見される。前作で酸性雨に包まれ、アジア系の人種が大挙押し寄せたロサンゼルスは環境破壊により気候が悪化し、地球上の海抜が一気に上昇したことで岩壁には巨大なコンクリートの壁がそそり立つ。生態系崩壊後のアメリカの風景は、オゾン層が破壊され、雨と雪と砂漠に区分される。貧困に喘ぐ人々は遺伝子組み換え食品を享受し、人造動物が動き回る。Kの任務は前作『ブレードランナー』のリック・デッカード(ハリソン・フォード)同様にブレードランナーだが、デッカードと違うのは最初から彼が「レプリカント」であると明示されている点にある。形式番号「KD6-3.7」、ネクサス9型の最新レプリカントである彼は軍用レプリカントを遥かに凌ぐパワーを併せ持つ。嵐の前に本部に戻った彼はジョシ警部補通称マダム(ロビン・ライト)による奴隷のような問答を受けなければならない。部屋に帰れば、3Dホログラムで生身の身体を持たないジョイ(アナ・デ・アルマス)の歓待を受ける。

 すっかり奴隷化し、国家の下僕化した新型レプリカントの運命は、旧式ネクサス8型の討伐に他ならない。2022年のBlackout(大停電)により壊滅的なダメージを受けた世界では、4年の命しか持たなかったネクサス6型に代わり、カランサの戦いの残党兵たちがひっそりと身を隠し、暮らしている。まるでアンドレイ・タルコフスキーの『サクリファイス』のようなサッパー・モートン(デイヴ・バウティスタ)のプラントの庭に植えられた白樺の木の根元、大停電により、電子的なデータが全て破損した近未来で照合した毛髪、そして曰くありげに登場したロバート・ルイス・スティーヴンソンの『宝島』は見事に故人となったフィリップ・K・ディックの世界観を踏襲する。同じくタルコフスキーの『ストーカー』のような水のイメージ、羊水のように侵食した水、大海原にポツンと取り残されたスピナーの構図、そしてニアンダー・ウォレス(ジャレッド・レト)の ロジャー・ディーキンスのオレンジが印象的なアジトの背景にも水は流れている。免疫不全の女を守る無菌状態の透明な部屋「6 10 21」という奇妙な文字列、銀色の折り紙で折られた一角獣ではないおもちゃの木馬、透明なガラス越しで無菌状態で出会ったアナ・ステリン博士(カーラ・ジュリ)の記憶。Kの自分探しの旅は、やがて全てを知る人物との出会いにより男の焦燥は運命に変わる。ドゥニ・ヴィルヌーヴの手捌きは前作を多大にリスペクトするあまり、前半部分がやや冗長な気はするものの、後半部分で「レイチェル」の名前を聞いた時にはうっかり涙腺が緩む。

【第972回】『静かなる叫び』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ/2009)


 凍てつくような寒さの冬、雪が降り積もるモントリオール郊外、大学内のコピー機の前に出来た長い列。平和な光景に突如鳴るけたたましい銃声。友人と隣同士でコピー機の前にいた女学生は肩越しを撃たれ血だらけで倒れ、もう1人の学生は耳を撃たれ助けを求めていて彷徨い歩いていた。ベッドに座り、散弾銃をこめかみに当てた1人の男(マキシム・ゴーデット)。だが男は引き金を引くのを躊躇っていた。共同下宿の冷蔵庫を開けたまま、呆然とする男の表情は鬱々としている。15分で書いた遺書めいたポエジーと懺悔。そこには「フェミニストをあの世へ送る」という狂気じみた差別意識があった。雪に閉ざされた冬の街、ドアを開けても光は差さず、モノクロームの中で男の狂信的な白日夢の世界が疼く。大学の食堂内、どこにも居場所がないまま男は半自動ライフルの引き金を引く。冒頭の狂気じみた殺害宣言のあと、実際に行動を起こす男の残虐非道さは底冷えするような恐ろしい所業である。学生たちの悲鳴を聞いてもなお、無表情な男の攻撃は続いて行く。青年の無軌道な暴走は2003年のガス・ヴァン・サントの『エレファント』よりも、様式的には石井聰亙の1976年の『高校大パニック』を思い出した。

 今作は1989年12月6日、カナダのケベック州モントリオールで起きたモントリオール理工科大学虐殺事件をベースにした衝撃の実話である。犯人はマルク・レピーヌ (Marc Lépine) という25歳の男性で、半自動ライフルと狩猟用ナイフを用いて28人を銃撃、うち14人を殺害(いずれも女性)、14人に怪我を負わせた後、自殺したカナダ最大の銃乱射事件だった。起きた事件は事実だが、今作で焦点を当てられる被害者側の2人はヴィルヌーヴの脚色に依る。負傷しながら生き残ることになるヴァレリー(カリーヌ・ヴァナッス)という女子学生と、怪我をした女子学生を救うことになるジャン=フランソワ(セバスティアン・ユベルドー)という男子学生。親友を殺された後、お腹に赤ちゃんを身篭っていることがわかったヴァレリー、自分がしっかりとした行動をしていれば、もっと多くの人の命が救えたかもしれないと後悔を抱えたまま人生を送るフランソワ。ジャン=フランソワがふと見つめた『ゲルニカの肖像』の絵、窓のそばに置かれた空き瓶の列、ラストの床の奇抜なインテリアまで、ヴィルヌーヴの無人ショットの得も言われぬ存在感には、この頃から後の『メッセージ』や『ブレードランナー2049』への萌芽が見える。

【第830回】『メッセージ』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ/2016)

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【第829回】『複製された男』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ/2013)


 カナダ・トロントの無機質な高層ビル群、母親からの留守番電話。マンションの一室で夜な夜な行われるヌード・モデルの鑑賞会、秘密のカギ、銀皿の上に置かれた蜘蛛が妖しく蠢く。大学で歴史学を教えるアダム・ベル(ジェイク・ギレンホール)は新しい生活に慣れたように見えるが、どこか神経症的な症状を抱えている。独裁者たちは支配することを望んでいるという歴史の授業、その夜現れた恋人メアリー(メラニー・ロラン)との愛あるSEXにも男の心は晴れない。同僚教師(ジョシュア・ピース)との何気ない会話の中に出て来た『道は開かれる』という名のカナダ映画。その日、レンタルビデオ屋に吸い込まれるように入ったアダムは何気なく『道は開かれる』を借り、部屋のPCモニターで観る。突然見た悪夢、室外機のNOISE、映画の物語よりもむしろ、アダムは別の思いに導かれもう一度映画を鑑賞する。そこには自分と瓜二つのベルボーイのフレイザー・アッシュが出演していた。エンドロールで名前を書き取り、googleで検索したアダムは、ダニエル・センクレア(ジェイク・ギレンホール=一人二役)という男だと知る。これまで3本の映画に出演した無名の若手俳優に、大学教授であるアダムは会ってみたい衝動に駆られる。ヘーゲルの「世界的に重要な出来事は必ず二度起きる」という文章、ラスバーン通り3650に意中の男は6ヶ月の身重の妻ヘレン(サラ・ガドン)と暮らしていた。

 ポルトガルのノーベル賞作家であるジョゼ・サラマーゴの原作を映画化した物語は、90分の短い物語ながら決してウェルメイドな作品ではなく、むしろ20~30分の短編を無理矢理に90分に引き伸ばした印象を受ける。勅使河原宏の『他人の顔』や黒沢清の『ドッペルゲンガー』ともモチーフの共通する物語は、パラノイア的な妄執を抱えながら、ただただシリアスに地を這うように2人の人格をやがて等価に結ぶ。ドゥニ・ヴィルヌーヴの3作と今作に続く『ボーダーライン』へのフィルモグラフィを眺めた時、彼の物語は構造的に「支配と服従」の大いなるメタファーを孕んでいることに気付く。『灼熱の魂』のナワル・マルワン(ルブナ・アザバル)と監獄の拷問人アブ・タレク(アブデル・ガフール・エラージズ)、『プリズナーズ』の被害者家族の大黒柱であるケラー・ドーヴァー(ヒュー・ジャックマン)と第一容疑者であるアレックス・ジョーンズ(ポール・ダノ)、そして今作のアダム・ベルとダニエル・センクレアの関係性はまさに『ボーダーライン』のケイト・メイサー(エミリー・ブラント)とアレハンドロ(ベニチオ・デル・トロ)にも呼応する。当初は片方の圧倒的な支配と服従に見えた関係性が、終盤突如、位相を変える。それこそがドゥニ・ヴィルヌーヴ作品の醍醐味であり、通奏低音なのは間違いない。

 しかしながら問題は、その明確なモチーフに裏付けられた物語が、観客にしっかりと伝わっているかに尽きる。母親のキャロライン(イザベラ・ロッセリーニ)も登場するブルーベリーのエピソードは、登場人物たちの統合と分裂を見事に暗喩するものの、セピア色のトロントの高層ビル街に一瞬登場した『新世紀エヴァンゲリオン』のような例の唐突な描写と、妄執に囚われた妻ヘレンが様変わりするクライマックスにはしばし呆気にとられる。瓜二つの男が入れ替わったことにヘレンは最初から気付いているが、メアリーは愛し合う矢先にふと目にした左手薬指の痕跡で別人だと気付く。監督ドゥニ・ヴィルヌーヴ×主演ジェイク・ギレンホールの物語は同じコンビ作であるハリウッド映画『プリズナーズ』とは180°異なるアート・フィルムとして今作を仕上げる。圧倒的な説得力を讃えた無人ショット、パラノイア渦を想起させる不気味な不協和音、近未来的で無機質なモチーフはサスペンスの雰囲気を持ちながら、スタンリー・キューブリックやデヴィッド・クローネンバーグのようなSF由来の表現で観客の心根に訴えかける(同じくカナダ出身の天才作家であるクローネンバーグ父子のミューズであるサラ・ガドンの妊婦での起用はその思いを一層強くする)。リドリー・スコットの『ブレードランナー 2049』での監督指名は、ハリウッドの本流に乗ろうとして失敗した『プリズナーズ』よりも、むしろ低予算のカナダ映画として気軽に作られた今作のSF由来の作家としての確固たる絵作りにあったはずである。

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