【第202回】『楽日』(ツァイ・ミンリャン/2003)


 過ぎ行く時代へのノスタルジーの感情は日本でも台湾でもアメリカでもどこでも同じであろう。これを書いているいま現在もどこかの国の映画館が閉鎖され、一つの時代に終わりを告げているに違いない。映画館というのは我々にとっては楽しみの象徴であり、娯楽の殿堂であり、若い頃には逃げ込む場所の象徴だった。思春期には弐番館やミニシアターにも駆けつけたし、今は亡きたくさんの映画館が観た映画の記憶と共に思い出として蘇る。人間は誰も時代の流れには逆らえない。サイクルは常にあらゆる文化を呑み込みながら回り続け、時には古い思い出さえも奪ってしまう。

今作においてツァイ・ミンリャンは、いま終わりを迎えつつある台湾のうらぶれた映画館を舞台にしている。正面のポスターだけは当時の面影を残すけれど、裏側や通路はどこも殺風景で暗い。まるで廃墟のような静けさの中で、土砂降りの雨の音だけが映画館を包み込む。トイレの汚さなんてショットから独特の臭気が匂ってきそうである。台北市にある「福和大戯院」という古い映画館の閉館の報せを受けた監督はこの映画館を半年あまり借り受け、今作を撮った。実際の閉館日には名残を惜しむ大勢の観客が集まったはずだが、今作においてはほんの僅かな人間しか劇場の最後を看取りに来ていない設定になっている。

閉館日にかかる映画はキン・フーの67年作『残酷ドラゴン・血斗!竜門の宿』。若い子たちはあまり知らないだろうが、キン・フーは香港の映画会社であるショウ・ブラザーズで監督デビューした当時の台湾のヒット・メイカーである。「香港の黒澤明」と呼ばれ、アクション映画の父とされている。あのツイ・ハークが師と仰ぐ人物であり、ミンリャンは過ぎ行く時代を象徴する作家としてキン・フーを選んでいるのである。時代に取り残された映画が、皮肉にも映画館のフィナーレをいま飾ろうとしているのである。

映画館の最後を飾る人間たちも、どこか癖のある人間たちが並ぶ。当時の映画館はゲイの発展場としての側面を持っており、広い場内で席はたくさんあるのにどういうわけか隣り合わせに座る男たちの姿が異様な光景を綴る。彼らは暗闇を愛し、スクリーンそっちのけで来場者を物色している。日本からやって来た男も、どういうわけかトイレで隣り合わせで連れションしたり、狭い路地裏をホモ同士ですれ違うことに快感を覚えていたり、異様とも言える行動が続く。タバコの火を借りた男から「この映画館は幽霊が出る」と聞かされたその日本人の男は、二段後ろに座った女性の行動に恐れおののき、映画館を足早に立ち去る。彼らは誰一人として映画館の最後の瞬間を悲しんではいない。自分たちの快楽に応えてくれる暗闇としての映画館を愛しているのであって、文化的な役割には無頓着な人物ばかりというのが悲しい。

観客側もクセの強い人たちが並ぶが、劇場側の2人の関係性がまた心地良い。かつては何十人もの従業員を雇っていただろう映画館に、今は映写技師の男ともぎりの女の2人しかいない。足の不自由なもぎりの女は、密かにこの映写技師の男に恋をしているがなかなか思いを伝えられない。やがて2人の距離には無情にもタイム・リミットが訪れる。このなんとも言えないエピソードをミンリャンは映画館の閉館の挿話として丁寧に付け足していく。

クライマックス、人がいなくなった館内にたった2人だけ残った観客のアイコンタクトが泣ける。実は彼らこそが『残酷ドラゴン・血斗!竜門の宿』で主演を務めたシー・チュンとミャオ・ティエンその人である。彼らをスペシャル・ゲストに呼んで盛大なイベントでも打てばもっともっと人は入ったのだろうが、そんな姑息なアイデアすらこの「福和大戯院」の最期にはない。終演後人がいなくなった座席を、スクリーン側から据え置きのカメラで長回しにした5分間がとにかく強烈で容赦ない。ヴェネチア国際映画祭ではあまりの長回しに、フィルムが壊れたのではと客席がざわついたらしいが 笑、そこまでして描きたかった何かがあのショットには詰まっていた。

かつて台湾にはホウ・シャオシェンとエドワード・ヤンという、後に世界に羽ばたつことになる2人の偉大な映画作家がいた。21世紀の映画においては大陸中国のジャ・ジャンクーと台湾のツァイ・ミンリャンが彼らの後継者として21世紀のアジア映画を牽引する。そこにあるのは大陸中国や台湾にかつてあったものの、今は跡形もなく消え去ってしまった時代へのある種のノスタルジーに他ならない。しかしながら2人の眼差しは対照的なポジションに陣取る。ジャンクーがいわゆる「中国第五世代」に対し、言いようのない怒りや憤りの感情をぶつける一方で、ツァイ・ミンリャンのショットから感じるエドワード・ヤン的への憧れ、ホウ・シャオシェン的な長回しへの帰依は明らかであり、中国と台湾の置かれている現状の違いとしてそこに明確に横たわっているのである。

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