【第1150回】『予兆 散歩する侵略者』(黒沢清/2017)


 観葉植物の鉢植えが置かれた鉄の階段を、山際悦子(夏帆)はゆっくりとした足取りで上っていく。ドアを開けたところで、愛する夫の履物に目をやった悦子は居間にいない辰雄(染谷将太)の姿を半透明カーテンで仕切られたパーテーションの向こうで見つけるのだが、辰雄は『トウキョウソナタ』の佐々木恵(小泉今日子)のようにただぼんやりと外を見つめている。パート仕事の後、スーパーで今夜の食事を買って来た妻は風変わりな夫の行動に不信感を抱くが、夫は黙々と家事を手伝う。夫婦バラバラの行動は、真っ先に黒沢Vシネ時代の力作『復讐 運命の訪問者』を想起させる。今作にも『散歩する侵略者』における加瀬鳴海(長澤まさみ)と真治(松田龍平)夫婦同様に、子供のいない夫婦が登場する。外科助手として働く真面目な夫に負けじと生活を楽にしようと、悦子は昼間の縫製工場でパートタイムの仕事をしている。ある日、同僚の浅川みゆき(岸井ゆきの)から、「家に幽霊がいる」と告白される。みゆきの自宅に行くとそこには実の父親がいるだけだった。みゆきの精神状態を心配した悦子は、夫の勤める病院の心療内科へみゆきを連れていく。診察の結果、みゆきは「家族」という《概念》が欠落していることが分かる。職場という平和な日常から1人また1人と人間が消えていく様子は黒沢の『回路』を想起せずにはいられない。みゆきを部屋に泊める悦子の様子は『降霊』の佐藤純子(風吹ジュン)とダブって見える。

 概念を奪う侵略者は他にもいたとし、『散歩する侵略者』を別角度から照らす物語は、もうすぐ世界が終わるとしたらどうする?という究極の問いを加瀬家とは別の夫婦にも突き付ける。加瀬真治(松田龍平)の姿はまるで『CURE』の間宮邦彦(萩原聖人)の静かに拡がる恐怖そっくりだったのに対し、今作では新任の外科医・真壁司郎(東出昌大)が悦子の愛する夫をガイド役に指名する。温厚だった夫の衝動的なビンタ、利き腕の右手を庇うような動き、罪悪感丸出しの眼差し。『降霊』の佐藤純子のように、霊感の強い悦子は真壁の姿に当初からただならぬ何かを感じ取る。田中幸子と黒沢との共同脚本だった『散歩する侵略者』が、原作者の前川知大の世界観を正しく尊重していたのに対し、『復讐 運命の訪問者』 や『蛇の道』などVシネ時代の盟友である高橋洋との共同脚本の物語は、至るところに黒沢清の刻印が溢れる。スクリーン・プロセスで現出する夫婦の空間は例外的に「ここではないどこか」へ辰雄が悦子を誘うことはなく、ただ辰雄との幸せな時間を守りたい悦子が孤軍奮闘する。黒沢清×高橋洋コンビの直々の指名か、勝手知ったる旧知の俳優である諏訪太朗や大杉漣の登場が黒沢映画を観て来たものにはまた堪らなく嬉しい。図らずも今作の西崎(大杉漣)の動きは、『CURE』の藤本本部長同様にオタオタ犯人に振り回され、実に滑稽である。あらためて大杉漣さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

【第1120回】『ビューティフル・ニュー・ベイエリア・プロジェクト』(黒沢清/2013)


 冒頭、汽笛が鳴り、一人の男が車に乗っている。湾岸エリアに降り立った男は助手の男性の話を聞きながら、双眼鏡を覗き見る。するとそこには作業着姿の労働者に混じり、美しい女性が黙々と作業を続けている。男は思わず「あっ」と声を上げ、その勢いで前方にある黄色い線を飛び越えようとするが、助手の男性の制止に遭うのだった。今作も「領域」に関する物語が頭をもたげる。埠頭の床に便宜上設けられた黄色い線は、線の先では新型のノロ・ウイルスが猛威を振るっていることの警告を意味する。その黄色い線がこちらの世界とあちらの世界の境目としてふいに立ち現れる。天野はその黄色い線を躊躇なく飛び越え、相手のフィールドへと踏み込むのである。何もかも自由に出来る二代目社長として、地位も名誉も手に入れた天野は高子に猛烈な愛を伝えるが、高子は「私に近づくと危険だ、ケガするぞ」と静かな警告を発する。キラキラと光る海を背景に、クローズ・アップ・ショットで据えられた高子はカメラ目線でこちらに向かって話しかける。まるで神話の女神のような三田真央の佇まい。「わたしは海の底で生まれた。そこは弱肉強食の世界・・・」彼女の口から語られる新しい世界の秩序に魅了されると共に、更なるミステリーへと引き込まれる。

 やがて天野は更なる猛アプローチをかけ、「ここではないどこか」へ行こうとプロポーズする。何の気なしに彼の口から発せられた行き先はまたもやアメリカである。しかしその男の猛アプローチにも、ここを気に入っているからと高子は彼の口車に乗せられることはない。まるで『勝手にしやがれ!!英雄計画』の寺島進と黒谷友香の兄妹のように、権力を行使する者と労働者のどうしようもない階級の壁(領域)が立ちはだかっていることを自覚した時、天野はついに最終手段に打って出るのだった。クライマックスのアクション・シーンは三田真央の身体性もさることながら、遂に黒沢がシネスコ・サイズでアクションを撮ったことに感嘆を禁じ得ない。逃げまどうビューティフル・ニュー・ベイエリア・プロジェクトの人々、彼女に挑みかかる警備員、ロング・ショットによるアクションの攻防はなかなか大胆で目が離せない。その後オフィスの階層を上がり、大男との1対1の対決が待つのだが、スタローンやシュワルツェネッガーのようなマッチョな肉弾戦に対し、三田真央のしなやかな肉体は時に躍動し、締め技さえも決めようとする。暴力警備員がガラスに突っ込むところなどやはり黒沢はアクション・シーンにも長けている。ここでは地獄の警備員でさえも彼女の前では歯が立たない。階段での攻防を終え、ラストの社長室での攻防から、追いかけっこがまた始まるが、随分あっさりと袋小路へと追い詰められる天野。ここでも水辺が最後の攻防の舞台となる。

【第1086回】『Seventh Code セブンス・コード』(黒沢清/2013)


 秋子(前田敦子)はある男を追い求め、ロシアのウラジオストクまでやって来る。再会した松永(鈴木亮平)は、秋子を覚えていなかったが、外国では絶対に人を信じてはいけないと言い残し、姿を消す。秋子はお金に困り、日本人の斉藤(山本浩司)が営む食堂で働きながら、松永を探し続ける。ある日、マフィアたちの出入りがあるこの街の廃工場に松永と思しき人物が出入りしていると、斉藤から情報が入る。斉藤からこれ以上松永に近寄らない方がいいと忠告されるが、秋子は松永が出入りしている廃工場へ向かう。秋子はトランク1個ぶら下げて街の中を彷徨っている。やがてこの広い街の中で松永という男を見つけ話しかけるが、男ははっきりとは覚えていない。この場面を観て真っ先に思い出したのが、『蜘蛛の瞳』の導入部分である。復讐を終えて抜け殻のようになった新島の元に、岩松という名の男が親しげに話しかける。新島は何とか記憶の糸をたどり、岩松を思い出そうとするが出て来ない。今作においても松永は秋子に覚えがあるのかどうかはっきりしない。彼は明らかに裏のシンジケートに精通する闇の男であるが、秋子に対しては優しく忠告するのである。

 思えばここ数作における男女のあり方は完全に逆転してしまっている。90年代の黒沢映画においては、男性の主人公の力が絶対であり、女性はそれに従属する形で家庭にいることが多かった。それが『大いなる幻影』あたりから、男性が主人公である場合も、主人公に連れ沿うパートナーの方が主人公よりも聡明で、今を生きていこうと必死でもがいていた。『大いなる幻影』のミチも、『回路』のミチも同様である。『LOFT』ではクライマックス、愛を誓い合った橋の突端から男だけが消えてしまう。『トウキョウソナタ』では会社をリストラされた父親の威厳ばかりを気にする姿が妻の失望を買い、冷笑の末、心底投げやりな言葉を投げかけていた。秋子と松永の関係性の中にも、最初は何の因果関係もなかった斉藤が触発されてしまう。彼は「1億円を稼ぐ」とシャオイェンを口説き落とし、小さなレストランを開業するが状況はさっぱりで、毎日閑古鳥が泣いている。男は全てを失いかけているのだ。そこに降ってわいた松永の登場に、人生の一発逆転を掛けるが無残にも散って行く。まさに「無駄死に」の人生だった斉藤の死を秋子が看取る。クライマックス、松永は秋子を心配し、部屋に招き入れる。スタンガンを仕込み、絶対に有利だと思われた松永がまさかの展開に持って行かれる。ここでは『ビューティフル・ニュー・ベイエリア・プロジェクト』の三田真央同様に、ガン・ショットではない武術に長けた女の強さが光る。

【第1081回】『リアル〜完全なる首長竜の日〜』(黒沢清/2013)


 淳美(綾瀬はるか)は多忙な漫画家だったが、締め切りのストレスで自殺を図り、一命を取り留めたものの昏睡状態となる。彼女と幼い頃から一緒に過ごし、いつしか恋人となった浩市(佐藤健)でも淳美が自殺を図った理由がわからない。彼女を救うために、浩市はセンシングと呼ばれる眠り続ける患者と意思疎通ができる手法を用い、淳美の意識内へ潜り込む。センシングを繰り返すうち、浩市の脳と淳美の意識が混線するようになり、二人は現実と仮想が入り乱れる意識の迷宮を彷徨う。そして二人がかつて過ごした飛古根島へ向かった浩市は、記憶を封印していた15年前の事件に触れる。今作は意識の中で、あちら側からこちら側の世界へとパートナーを取り戻す果てしない実験である。浩市は淳美の意識下で現実には出来なかった真面目な話を淳美に持ちかける。ここでの淳美は黙々と漫画を描き続けていて、90年代の黒沢映画で立て続けに出て来た夫婦の会話に似た雰囲気さえ醸し出す。浩市はそんな妻の態度を見て、漫画を描くのを止めさせようとするが、淳美は聞き入れようとしない。それどころか自分の意識の醒めないうちに、気前良く代理執筆し、勝手に物事を進めようとする編集部の態度に怒りをぶつけるのである。

 実体のない銃を持ち、彼らを意識の中で殺める様子はデヴィッド・クローネンバーグの影響が垣間見える。そんな淳美の怒りが乗り移ったかのように、浩市は拳銃を握るが、放った銃弾はオダギリジョーにも染谷将太にも決して当たることなくその場に落ちる。海の中に浮かぶ遊泳禁止の赤い旗は、唐突にこの世とあの世、こちらの世界とあちらの世界との境界線として登場する。15年前の苦い思い出が2人の記憶の中でフラッシュ・バックし、1頭の首長竜のイラストとして丸く収めたかのように見えた子供じみた願いは、身勝手過ぎて反故となる。15年前の苦い思いという設定は、『叫』や『贖罪』と同様である。過去の念がつまった死者が化けて出ると言えば、『LOFT』もそうである。これまで何度も主人公の姿を一定の離れた距離で見つめていた幽霊が、今作でも少年や首長竜の身体をもって立ち現れる。浩市がボートに乗り、ここではないどこかへと旅に出ようとする場面は、この世ではないあの世へと旅立とうすることと同義である。再度のセンシングで彼を連れ戻そうと躍起になった淳美は、門の外側から再び内側へ浩市を連れ戻すことに成功する。その後も首長竜になった少年の霊は執拗に浩市の足を絡め取ろうとする。そのことは今回の事件の発端になった浩市の自殺の意図さえも明らかにする。

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