【第1086回】『Seventh Code セブンス・コード』(黒沢清/2013)


 秋子(前田敦子)はある男を追い求め、ロシアのウラジオストクまでやって来る。再会した松永(鈴木亮平)は、秋子を覚えていなかったが、外国では絶対に人を信じてはいけないと言い残し、姿を消す。秋子はお金に困り、日本人の斉藤(山本浩司)が営む食堂で働きながら、松永を探し続ける。ある日、マフィアたちの出入りがあるこの街の廃工場に松永と思しき人物が出入りしていると、斉藤から情報が入る。斉藤からこれ以上松永に近寄らない方がいいと忠告されるが、秋子は松永が出入りしている廃工場へ向かう。秋子はトランク1個ぶら下げて街の中を彷徨っている。やがてこの広い街の中で松永という男を見つけ話しかけるが、男ははっきりとは覚えていない。この場面を観て真っ先に思い出したのが、『蜘蛛の瞳』の導入部分である。復讐を終えて抜け殻のようになった新島の元に、岩松という名の男が親しげに話しかける。新島は何とか記憶の糸をたどり、岩松を思い出そうとするが出て来ない。今作においても松永は秋子に覚えがあるのかどうかはっきりしない。彼は明らかに裏のシンジケートに精通する闇の男であるが、秋子に対しては優しく忠告するのである。

 思えばここ数作における男女のあり方は完全に逆転してしまっている。90年代の黒沢映画においては、男性の主人公の力が絶対であり、女性はそれに従属する形で家庭にいることが多かった。それが『大いなる幻影』あたりから、男性が主人公である場合も、主人公に連れ沿うパートナーの方が主人公よりも聡明で、今を生きていこうと必死でもがいていた。『大いなる幻影』のミチも、『回路』のミチも同様である。『LOFT』ではクライマックス、愛を誓い合った橋の突端から男だけが消えてしまう。『トウキョウソナタ』では会社をリストラされた父親の威厳ばかりを気にする姿が妻の失望を買い、冷笑の末、心底投げやりな言葉を投げかけていた。秋子と松永の関係性の中にも、最初は何の因果関係もなかった斉藤が触発されてしまう。彼は「1億円を稼ぐ」とシャオイェンを口説き落とし、小さなレストランを開業するが状況はさっぱりで、毎日閑古鳥が泣いている。男は全てを失いかけているのだ。そこに降ってわいた松永の登場に、人生の一発逆転を掛けるが無残にも散って行く。まさに「無駄死に」の人生だった斉藤の死を秋子が看取る。クライマックス、松永は秋子を心配し、部屋に招き入れる。スタンガンを仕込み、絶対に有利だと思われた松永がまさかの展開に持って行かれる。ここでは『ビューティフル・ニュー・ベイエリア・プロジェクト』の三田真央同様に、ガン・ショットではない武術に長けた女の強さが光る。

【第1081回】『リアル〜完全なる首長竜の日〜』(黒沢清/2013)


 淳美(綾瀬はるか)は多忙な漫画家だったが、締め切りのストレスで自殺を図り、一命を取り留めたものの昏睡状態となる。彼女と幼い頃から一緒に過ごし、いつしか恋人となった浩市(佐藤健)でも淳美が自殺を図った理由がわからない。彼女を救うために、浩市はセンシングと呼ばれる眠り続ける患者と意思疎通ができる手法を用い、淳美の意識内へ潜り込む。センシングを繰り返すうち、浩市の脳と淳美の意識が混線するようになり、二人は現実と仮想が入り乱れる意識の迷宮を彷徨う。そして二人がかつて過ごした飛古根島へ向かった浩市は、記憶を封印していた15年前の事件に触れる。今作は意識の中で、あちら側からこちら側の世界へとパートナーを取り戻す果てしない実験である。浩市は淳美の意識下で現実には出来なかった真面目な話を淳美に持ちかける。ここでの淳美は黙々と漫画を描き続けていて、90年代の黒沢映画で立て続けに出て来た夫婦の会話に似た雰囲気さえ醸し出す。浩市はそんな妻の態度を見て、漫画を描くのを止めさせようとするが、淳美は聞き入れようとしない。それどころか自分の意識の醒めないうちに、気前良く代理執筆し、勝手に物事を進めようとする編集部の態度に怒りをぶつけるのである。

 実体のない銃を持ち、彼らを意識の中で殺める様子はデヴィッド・クローネンバーグの影響が垣間見える。そんな淳美の怒りが乗り移ったかのように、浩市は拳銃を握るが、放った銃弾はオダギリジョーにも染谷将太にも決して当たることなくその場に落ちる。海の中に浮かぶ遊泳禁止の赤い旗は、唐突にこの世とあの世、こちらの世界とあちらの世界との境界線として登場する。15年前の苦い思い出が2人の記憶の中でフラッシュ・バックし、1頭の首長竜のイラストとして丸く収めたかのように見えた子供じみた願いは、身勝手過ぎて反故となる。15年前の苦い思いという設定は、『叫』や『贖罪』と同様である。過去の念がつまった死者が化けて出ると言えば、『LOFT』もそうである。これまで何度も主人公の姿を一定の離れた距離で見つめていた幽霊が、今作でも少年や首長竜の身体をもって立ち現れる。浩市がボートに乗り、ここではないどこかへと旅に出ようとする場面は、この世ではないあの世へと旅立とうすることと同義である。再度のセンシングで彼を連れ戻そうと躍起になった淳美は、門の外側から再び内側へ浩市を連れ戻すことに成功する。その後も首長竜になった少年の霊は執拗に浩市の足を絡め取ろうとする。そのことは今回の事件の発端になった浩市の自殺の意図さえも明らかにする。

【第1076回】『トウキョウソナタ』(黒沢清/2008)


 冒頭嵐の昼間、大風にカーテンが揺れ、雨が部屋に吹き込んできている。母親は急いで窓を閉め、水浸しになった床を拭くが、どういうわけかもう一度窓を開け外を見る。彼女がいったい何を見ているのか?その答えとなるショットは遂には出て来ない。しかしながら彼女が4人家族の中で率先して出て来たことを忘れてはならない。次に父親の会社での様子がフレームに映される。彼は部下を軽く叱責するも、上司の部屋へと足早に急ぐ。総務課の移転計画が矢継ぎ早に繰り広げられ、父親の仕事は残酷にも下請けの連中に奪われたことを上司が告げる。開巻早々、路頭に迷った父親は、家族に失業した事実を言い出せないでいる。次男(井之脇海)は次男で、授業中にマンガ雑誌を廻し読みしたことを先生に咎められる。彼は冤罪を主張するが、先生は頑なに後ろに立っていろと彼に促す。ヒート・アップした少年は、先生が列車の中でエロマンガを読んでいたことを咎めるが、逆に先生の逆鱗に触れ、彼の主張は一切通らない。自暴自棄になった彼の楽しみは、帰りの道中にあるピアノ教室のレッスンの様子を眺めることだった。長男(小柳友)はアルバイトに明け暮れ、毎日朝帰りで、昼夜逆転の生活で父親との接点はほぼない。ティッシュ配りのアルバイトで明るい未来の見えない青年は、いつか「ここではないどこか」への旅立ちを夢見ている。

 4人家族はそれぞれに言い出せない悩みや事情を抱えている。言いようもない人生の不幸を抱えながら、それでも家族の風景を頑なに守ろうとする父親がどこか滑稽で、浅はかに映る。40代そこそこの彼は、自分の威厳を守ることに必死で、目の前にあるリストラという事実をうまく口に出せない。そうこうしている間にも、息子たちは将来のビジョンを考え、自分たちの人生を歩もうとしている。長男はアメリカの軍隊に入隊したいと言い、次男はピアノが習いたいと言う。だが父親は自分の威厳のために、息子たちに対して簡単にはYESと言えない。そのことが必要以上の軋轢を生み、物語の求心力となる。アメリカ行きを決めた長男をバス停まで見送るのは母親である小泉今日子の役割であり、そこに父親の姿はない。ブレッソンの『ラルジャン』への無邪気なオマージュのように、少年と中年が二階で攻防を続けるうちに、思いがけず次男は階段を転げ落ちる。ここに来て家族関係は明らかに崩壊し、音を立てて崩れ始める。黒沢にとって家族関係とはそのくらい薄い成り立ちであるが、『ニンゲン合格』や『アカルイミライ』の時とは違い、家族間に激しい言い合いの場面を作ることで、より家族の危うさを緊密に表現する。

 ゆっくりではあるが、用意周到に家族が崩壊していく様子は、21世紀を挟み、黒沢映画が世界の不均衡や崩壊を描き始めたことと近い。映画の前半部分では母親の存在が堰き止め役を担っていたものの、後半、そうとも言っていられない危機が突如母親にも降りかかる。ここからの性急さは、黒沢お得意の転調と飄々とした魅力を讃える。父親の権威に正論で反応し、精神的ダメージを与えた妻の受け身の行動を、能動的判断へと変えるのは皮肉にも家に押し入った犯人である。黒沢映画においては禁じ手とも言える回想シーンの利用が、彼女の覚悟を象徴し、母親はやがて逃れられない運命の中で、岸辺へと辿り着く。ここでは役所広司扮する泥棒と母親が行為に及んだのかかどうかはまったく問題ではない。常に受け身だった母親の態度が、この一夜の旅を境として変容している。それは早朝の小泉今日子の美しいワンカットが全てを物語る。長男や次男や、ましてや父親でもなく、母親の自立が今作では最も目に留まる。クライマックスの中学受験の音楽試験を映したラスト・シーンの筆舌に尽くしがたい美しさは、何と形容したらいいのだろう?感極まる父親の脇で、小泉今日子だけはその事態をあっさりと許容する。

【第1067回】『叫』(黒沢清/2006)


 東京湾岸地帯で“赤い服”を着た女の殺人死体が発見され、捜査に当たる事になったベテラン刑事・吉岡(役所広司)は同僚の宮路(伊原剛志)と共にに犯人を追いはじめた。同様の手口による殺人事件が相次ぎ、連続殺人事件として捜査が進められる中、吉岡はそれぞれの事件被害者の周辺に“自分の痕跡”を見つけ、「自分が犯人ではないか…」という思いに苛まれ始める。彼の疑心暗鬼は日に日に悪化し、宮地は吉岡を疑い始める。ここでは『CURE』の高部刑事のように、常に冷静沈着で現場叩き上げの凄腕刑事・吉岡がいる。彼は現場に急行し、殺人事件の痕跡となる物証を探るが、その過程で見覚えのあるボタンを見つける。部屋に戻って古いコートを探ると、コートのボタンはちぎれていた。その後警察の取り調べで、物的証拠とDNA反応とをコンピューターにかけると、照合率97%で出て来たのは、何と吉岡本人だった。ほどなくして第二の殺人が起こる。息子を注射器で殺した医師の殺人の手口は1件目の事件と酷似している。海水の水たまりに顔を無理矢理つけ、窒息させ殺すという残忍なものだが、加害者は1件目の事件とは直接関係ないことがわかる。それどころか同一手口の殺人が互いに無関係に別の地点で複数明らかになる。ここで事件の全容は『CURE』のように不気味に苛烈さを極め、主人公の刑事はやがて精神的に追い詰められる。

 やがて加害者のある共通点を見つけ出した吉岡刑事は、真相究明のため単独でその地を訪れる。世界の崩壊を実感として予期した吉岡刑事は、自分の恋人である仁村春江(小西真奈美)と共に、「ここではないどこか」へ旅に出ようとする。ここでも彼は無計画にどこか遠くとか海外かもしれないと嘯くのだが、彼女は黙ってその指令に従う。小西真奈美が演ずる吉岡刑事の恋人は最初から、物静かで聡明で彼に寄り添う人物として描写される。おそらく刑事である恋人のために、身の回りのことを手伝ってくれるこの女性は、彼の妻ではないが理想の女性である。女性は少し笑みを浮かべた後、静かに彼の部屋を立ち去る。また一方で、事件の捜査の心的ストレスで情緒不安定になる吉岡を、優しく包み込むような包容力を見せる。吉岡はこの女性の膝枕で横になり、彼女の身体をゆっくりと抱きしめ、そっと押し倒すが、どういうわけかその時の彼女の表情は満ち足りたようにも、この世のものではないようにも見え、はっとしてしまう。思えば冒頭から彼女が登場する場面には、決まって吉岡刑事以外の人間は出て来ない。2人で外で会う場面でも、明らかにその場所が東京のどこかであるにもかかわらず、背景には人っ子一人いないことに気付く。その推測はあながち間違いではないようで、吉岡刑事が「ここではないどこか」へ行こうとトランク一つで彼女を誘い、ある列車の駅に着いた時、そこが駅であるにもかかわらず、まったく人の気配がしないのである。

 対照的に、吉岡の周りは常に人で溢れている。事件の捜査中も人で溢れかえり、下手したらアリバイを聞かれさえする環境なのだが、春江と一緒の時だけはそこに誰一人介在してこない。ここで春江と聞いて重要なことを思い出す。それは『回路』の登場人物の中で、小雪扮する唐沢春江の存在である。間宮や吉岡と同様に、この名前が何らかの偶然に過ぎないのだとしても、黒沢の中である種の意図した傾向を示すキャラクターであることは間違いない。クライマックスの何もいないところを抱きしめる場面はリチャード・フライシャー『絞殺魔』への静かなオマージュに他ならない。核心に少し触れるが、役所広司は物語の最初から彼女の存在を受け入れていたのではないかと考える。一見、ごく普通の猟奇殺人ものに見えた今作だが、15年前の忌まわしい過去が明らかになっただけで、事件は何一つ解決していないばかりか、有能な刑事がこの世から消えてしまう。彼女は最初からこの世ではないあの世に行ってしまった。その人間をこの世に留まらせ、どこか遠くへ行こうと役所広司は誘う。黒沢の語りは、『カリスマ』の頃のように実に難解で不明瞭である。

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