【第600回】『SCOOP!』(大根仁/2016)

あらすじ・結末に触れていますので、これから観る方はクリックしないで下さい

【第266回】『バクマン。』(大根仁/2015)


 原作は大場つぐみ、作画・小畑健による人気漫画だったようだが、まったく読んだことが無い。というか漫画をまったく読まない人間の意見なのでその点はご容赦頂きたいが、これは近年の高校生を扱った作品の中では、なかなかの掘り出し物であるように思う。

冒頭、雑然とモノが敷き詰められた空間で、うとうとしている男の携帯が鳴る。漫画の持ち込みに関する連絡で、適当にあしらうというよりは、彼らの作品に期待する立派な編集者である。そこからタイトルバックで少年ジャンプの歴史と発行部数を観客に伝え、「友情・努力・勝利」の三カ条がジャンプの協議だと訴えかける。この時点で、ここから先に主人公たちに起こる全ての不条理は、少年ジャンプの壮大な歴史と「友情・努力・勝利」の三カ条の末端にあって、守らなければならない因果として成立するのである。なんと鮮やかな導入部分であろうか?

真城最高(佐藤健)と高木秋人(神木隆之介)、それに亜豆美保(小松菜奈)の出会いの場面も回想として描かなければならない。普通はここがスタートである。教室で勉強なんかせずに、鉛筆で亜豆美保のスケッチをしている。答案を回す時だけが唯一のドキドキする場面で、あとは学校には何もない。友人も欲していない真城に対し、高木は自分の夢にしつこく勧誘する。高木のしつこさに苛立つ真城は高木ともみ合いになり、階段を転げ落ちる。そこで先ほどの亜豆美保が顔を出す。あまりにもベタな描写ではあるが、ここで3人の因果が運命的な出会いを果たす。

次のシークエンスで2人の最初の漫画の持ち込みの場面を見せているのも好感を持った。ここで冒頭の編集者である服部(山田孝之)が再登場するが、彼のコメントが実に的確で的を得ている。モノを作る実感とリアリティが書き加えられたところで、服部にも理解出来ない驚きの事実が伝えられる。初めて書いた漫画なのだと。この一節を加えるだけで、2人の才能が並ではないことがわかる。持ち込みは厳しい。でも彼らには可能性がある。それが十分に伝わる場面である。

こういう青春ドラマにおいて核となるのは大抵、主人公の恋敵である。だが今作では亜豆美保を奪い合う恋敵は一切出て来ない。それどころか主人公は亜豆美保と階段で交わした約束だけで、その肉付けを現実に埋めて行こうとはしない。このあたりが21世紀の青春映画ならではだと感じた。だからこそ主人公は彼女の退学の相談も受けていない。聞いていないからクラスでのその知らせに驚き、慌てて彼女の後を追うのである。普通は結婚の約束をするならば、まずはラインのアドレスを交換すると思うが、それでは映画にならないと大根仁は悟っているのである。

手塚賞の授賞式の場面はあまりにも漫画的だが、ここで真城と高木の仲間とライバルを同時に登場させる。それが福田真太(桐谷健太)、平丸一也(新井浩文)、中井巧朗(皆川猿時)ら仲間の登場であり、新妻エイジ(染谷将太)によるあまりにも巨大なライバルの登場である。ここでは『リアル~完全なる首長竜の日~』で漫画家とアシスタントの関係性だった佐藤健と染谷将太が、漫画家同士のぶつかり合いになる。今作における染谷将太の演技は出色の出来である。もしかしたら主演の2人を凌ぐ存在感を見せているかもしれない。同じ作者の『DEATH NOTE』のLのような少し猫背に曲がった姿勢で、自分は全てを悟っているんだという不敵な笑みを浮かべながら、主人公2人に立ち塞がる。ギミックと言えばギミックなのだろうが、こんな漫画家いるよなぁという人間臭いリアリティも併せ持つ稀代のモンスターぶり。今作は新妻エイジのキャスティングに染谷将太を持って来たことが、驚くべき効果を上げている。

またライバル同様に、3人の仲間の配役とキャラクター作りもすこぶる良い。特に授賞式の夜に、真城の部屋に3人と編集者の服部を呼び、どんちゃん騒ぎをするところは今年観た映画の中では抜群に素晴らしい。監督である大根仁は、この群衆シーンの描き方が実に手慣れている。別に大した動きはないのだが、それぞれのキャラクターの違いをしっかりと踏まえ、それぞれにさせるべき行動をさせている。酒に酔っ払って皆川猿時が歌を歌う場面はどう切り取っても21世紀ではないが 笑、おそらく若い人にもしっかりと伝わる名場面となっている。

描く対象が漫画である以上、野球やサッカーのような躍動感は出て来ない。この点についてどう克服するのかしばらく観ていたら、ペン先の音を効果的に使用していた。まずGペンの滑りの難しさでリアリティを持たせ、そこから先はまるで優れた音楽の演奏のように、ショットとショットを短くつなぎながら、次々に積み上げていく。けれどこれは漫画であってアニメーションではない。その禁止事項をしっかり踏まえながら、立体的な描写として成立させている。サカナクションの音楽もテクノの躍動感と疾走感があり、不思議と前に進んで行く熱のようなものを確かに感じた。中盤のプロジェクションマッピングのシーンはその躍動感の最たるものであろう。普通は机と椅子があって、紙にペンを走らせるだけだから、どうしたって動的な場面にはならない。それをあのようにアレンジした大根仁の大胆な演出には驚いた。

中盤以降、トイレで血尿が出て倒れるところからは、今年のアメリカ映画で散々議論になった『セッション』のような強迫観念の世界へとなだれ込む。だが『セッション』においては、主人公が全てのコミュニティとの接点を自ら率先して絶っていったのに対し、巻頭カラーの締め切りに間に合わせる為には、自分一人の力では駄目なんだと連帯するほかない状況に追い込んだことも素晴らしい判断であった。あそこでもう一度授賞式の夜のどんちゃん騒ぎのボルテージになり、あとはどう描こうが見事な映画になるほかない。大根仁の丁寧な仕事ぶりが静かに身を結んだ瞬間である。

クライマックスの描写は、21世紀の『キッズ・リターン』の再来と称したくなる。これは今年の日本映画の中でも見逃せない、実に丁寧な仕事ぶりの掘り出し物である。

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