【第1143回】『トレイン・ミッション』(ジャウム・コレット=セラ/2018)

あらすじ・結末に触れていますので、これから観る方はクリックしないで下さい

【第1138回】『フライト・ゲーム』(ジャウム・コレット=セラ/2014)


 航空保安官ビル(リーアム・ニーソン)が客を装い、アメリカ・ニューヨークからイギリス・ロンドンへ向かう旅客機に乗り込む。大西洋の上空を飛行中の真夜中、機内ではほとんどの乗客が寝静まっていた。その時、ビルの携帯に不審なメールが届く。明らかにビルの行動を監視していると思われる正体不明の送信者は“指定の口座に1億5000万ドル送金しなければ、20分ごとに機内の誰かを殺すという内容だった。単なるいたずらかどうか真偽のほどを疑っているうちに、1人目の犠牲者が出る。大西洋上空をフライト中の密室とも言える航空機内で起こった殺人に、ビルはまず乗客を疑い携行品を調べるが、何も手がかりになるようなものは見つからない。保安局が乗客名簿を調べるも怪しい点は誰にもなく、指定された口座がビル名義であるため、彼へ疑いの目が向けられてしまう。次の犠牲者が出るまでのタイムリミットが迫り、緊張感が高まる中、見えざる敵との頭脳戦が始まる……。

 今作では完全無欠な主人公ではなく、心に悲しみのキズを背負う1人の男が登場する。彼はかつてアルコール中毒で、実の娘を白血病で亡くした悲しい過去を持ち、決して品行方正とは言えない航空保安官として問題のある人物である。冒頭、車の中で誰にも知られずにアルコールを口にした男は、ゆっくりと飛行場へと足を進める。その道中では馴れ馴れしくも、様々な男たちが彼に話しかけてくるが、ビルは気に留めない。やがて搭乗客の最後の1人である少女をビルの機転により中に乗せると、飛行機はロンドンへ出発する。彼の隣の席は黒人のザック・ホワイト(ネイト・パーカー)だったが、窓側を希望する女ジェン・サマーズ(ジュリアン・ムーア)たっての希望により、席を交換し、ビルの隣へ。他にも数人の客が怪しい動きを見せるものの、その時点ではビルも気に留める様子はない。だが寝静まったところで、通信の混線により、彼の元に殺人予告のメールが届く。視覚化され、次々に飛び出すLINEによるやりとり。彼はメールを打っているのが誰なのか探るため、客室乗務員のチーフであるナンシー(ミシェル・ドッカリー)とジェンに助けを求め必死に犯人を探ろうとする。疑心暗鬼に陥る主人公の姿は、『エスター』の父親ともダブる。

 航空機の乗客150人全てが怪しく、ビルの行動は逐一監視されている。いったい誰が?どんな目的で?ジャウム・コレット=セラは「who」を隠し続けることで、事件の緊張感を維持する。ただこの脚本に幾つか難を挙げるとすれば、もう少しビルと副操縦士の心の葛藤に重きを置いて欲しかったことに尽きる。彼は高度を下げて、決死の着陸に挑むのだが、その前段階として主人公と副操縦士の間にもっと心を通じ合うやりとりがあれば良かった。大抵このジャンルの物語は、犯人が犯行に至った理由を独白し始めた途端に白けるのだが、今作も例外ではない。9.11以降のアメリカの問題が出て来たにも関わらず、その程度の大義名分で150人を死に至らしめようとする行為自体が実に愚かで浅ましい。また犯人はどうやってビルの個人口座やメール・アドレスを盗み出したのか?そうい大切な伏線の部分が焦点をぼやかされている。だが今作におけるジャウム・コレット=セラとリーアム・ニーソンのコンビは、全盛期のトニー・スコットとデンゼル・ワシントンのコンビに急接近を果たす。お得意のカー・チェイスも封印し、航空機内という限られた空間の中で、緊迫した心理戦を展開し、興行的に大ヒットさせる。このごく当たり前のことが、近年のアメリカ映画は多くの例で出来ていない。その隙間を埋めるジャウム・コレット=セラ×リーアム・ニーソン・コンビの記念すべき2作目である。

【第1137回】『アンノウン』(ジャウマ・コレット=セラ/2011)


 植物学者マーティン・ハリス博士(リーアム・ニーソン)は、学会に出席するために、妻エリザベス(ジャニュアリー・ジョーンズ)とベルリンへ旅立つ。ホテルに着いたところで忘れ物に気付いたマーティンは、タクシーで空港へと引き返すが、途中で交通事故に遭遇。彼が目を覚ましたのは病院のベッドの上だった。急いでホテルへ向かい、妻の姿を認めて安心したのも束の間、彼女は自分を知らないと言う。そればかりか、自分の名を名乗る見ず知らずの男が彼女の傍らに……。マーティンの所持品は、携帯電話と一冊の本だけ。一方のマーティンを名乗る男(エイダン・クイン)は、パスポートはもちろん、妻との新婚旅行の写真まで持っていた。当然、警察はマーティンの訴えに耳を貸そうとしない。自らの正気を疑い始めるマーティン。だが、何者かに命を狙われたことで、陰謀の存在を確信する。ドイツの学会に招かれた1組の夫婦の引き裂かれたミステリーと言えば、真っ先にロマン・ポランスキーの『フランティック』を思い出す。あちらはフランスでこっちはドイツだが、取り違えたスーツ・ケースが発端となり、主人公がミステリーに巻き込まれる流れはまったく同じである。ただ今作は4日間の昏睡状態を経て主人公が目を覚ました時、あっさりと妻は見つかる。しかしながら妻は夫の顔を見ても「知らない人」と言い、彼女には別の夫がいる。

 パスポートやお金など身分証明や生活をするのにかかる持ち物を一切取られ、途方に暮れる彼を消そうという殺し屋が現れる。彼らはいったい何の目的で自分を襲うのか?ますます疑問が膨らむも身を隠す場所がない。そこでマーティンはタクシー運転手ジーナ(ダイアン・クルーガー)と元秘密警察の男エルンスト・ユルゲン(ブルーノ・ガンツ)の協力を得て、事件の核心に迫っていく。貧乏な移民であるジーナがポランスキーの『フランティック』のエマニュエル・セニエと被る。古びた彼女の部屋と窓を開けると出て来る急斜面の屋根などアパートのディテイルもよく似ている。そこで一夜だけという約束で暖を取ろうとしたマーティンは、シャワー中にまたしても殺し屋の来訪を食らう。ここでのアクションは建物の構造を考えた実に見事な構成である。病院の場面、この古いアパートメントの場面、殺された人間は可哀想だったが、かろうじてマーティンはジーナを伴い逃げて行く。もう一人の救世主となるブルーノ・ガンツがまた素晴らしく味のある演技を見せてくれる。『アメリカの友人』のヨナタン・ツィマーマン、『ベルリン・天使の詩』の守護天使ダミエル、が旧東ドイツの秘密警察で暗躍したキャラクターとしてマーティンを助けることになる。いかにもドイツらしいミステリアスな存在感がアメリカ映画の語りの重要なアクセントになっている。

 後半、無事トランクを取り返した時、マーティンはジーナと一旦は別れるものの、スタンガンで無理矢理トラックに押し込まれるマーティンの姿を見て、ジーナが敵中に突っ込んでいく一連のシークエンスの破れかぶれがとにかく素晴らしい。『フランティック』ではエマニュエル・セニエの役柄自体が若きファム・ファタールといった趣きだったが、ここではまるで彼の相棒のように大いに活躍する。クライマックスの爆破ボタンを巡る攻防は『ダイ・ハード』の沸点を21世紀に蘇らせる。それ以外にも写真展の場面などは思いっきりブライアン・デ・パーマだったし、ジャウム・コレット=セラは過去の作品を引用しながら、アクション映画の21世紀の進化系を我々に提示する。主演のリーアム・ニーソンと言えば、我々は真っ先に『シンドラーのリスト』のオスカー・シンドラーや『ファントム・メナス』のクワイ=ガン・ジンを思い浮かべるが、若い人の間では『96時間』の人として再び脚光を浴びている。少ない制作費にも関わらず、第一線で活躍する監督たちに勝るとも劣らないクオリティ。B級映画から一躍最前線に躍り出た ジャウム・コレット=セラ×リーアム・ニーソン・コンビの記念すべき第1作である。

【第1136回】『エスター』(ジャウム・コレット=セラ/2009)


 めでたく3人目の赤ちゃんを身ごもったケイト・コールマン(ヴェラ・ファーミガ)だったが、運悪く流産という悲劇に見舞われる。それは、ケイトの精神に耐え難い苦痛をもたらし、コールマン家の安定を脅かしかねない事態となる。そこで夫婦は養子を迎えることを決意し、地元の孤児院を訪れる。そこで夫婦は聡明で大人びた一人の少女、エスター(イザベル・ファーマン)に惹きつけられる。彼女を養子として引き取ることにしたケイトだったが、やがてエスターの恐るべき本性に気づいてしまう。家族に共通する心の傷は、3 人目の赤ん坊を死産してしまったことに起因する悲しい出来事である。加えて主人公のかつてアルコール依存症がもとで、娘のマックス(アリアーナ・エンジニア)を溺れさせかけた過去があったことを提示する。この出来事が後のドラマへの布石となる。夫婦仲は決して悪くないが、彼女は死産の時の心の傷が元になり、SEXが出来ない体になってしまったことを恥じている。なんとか普通の生活に戻そうと必死だった夫婦は、ある日急に子供に内緒で養子を迎えることを決意する。

 夫婦はエスターという少女を死産した3人目の子供の身代わりのように育てる。そこに夫婦が掛け違えたボタンを修復する鍵があると信じて。実際にエスターが来て一度は夫婦の仲は元のような関係に戻るが、ある時キッチンでSEXをする夫婦の姿をエスターが目撃したところから、家族の関係は徐々に崩壊へと向かう。処女作『蝋人形の館』においては、辿り着いた先に恐怖の空間があった。地図にも載らないその場所で分断されたグループは、1人また1人と恐怖の兄弟の犠牲になった。今作は同じホラー映画でありながらそのベクトルは真逆である。少女を養子にもらったことが元で、家族のバランスが崩壊寸前を迎える。特に彼女の表裏を現した描写として、教えてもらっていたピアノをいとも簡単にエスターが弾きこなした際の、ケイトの狼狽ぶりが怖い。あの日SEXを目撃するまでは穏やかな子供だと思っていたエスターが、その日を境に豹変した姿を次々に見せていく。但しその豹変ぶりはケイト、長男のダニエル、末っ子のマックスにだけで、父親のジョンには相変わらず純粋な子供として振る舞う。

 ジャウム・コレット=セラの抑制の効いた演出はここでも冴えを見せ、家族4人とエスターとの緊迫したやり取りにのみフォーカスする。夫が主人公である妻の言葉を信じられないのは、かつてアルコール依存症となり、最愛の娘を溺れさせた過去があるからに他ならない。夫はエスターはただの子供だと信じて疑わないが、妻と2人の子供はエスターの邪悪さに気付いてしまっている。しかし彼女の犯罪に気付いていながら、子供たちはエスターの悪知恵に口を塞がれてもいる。その様子をつまびらかにしながら、夫も精神科医も医者も誰もが家族の助けにならないサスペンス演出が実に見事である。ある種の真空状態を作り出した上で、クライマックスで雁字搦めに見えたケイトとマックスの布石をしっかりと回収する。「最後の瞬間の脱出」に腕力のある男性陣が絡むことはない。『蝋人形の館』の設定がさながら『悪魔のいけにえ』だとすれば、今作はジョン・カーペンターの『ハロウィン』のようである。惨劇の舞台となってしまった家族の象徴であるマイホームの崩壊とラストのどんでん返しまで息を呑むような演出が続いていく。

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