【第530回】『ロスト・バケーション』(ジャウマ・コレット=セラ/2016)

あらすじ・結末に触れていますので、これから観る方はクリックしないで下さい

【第282回】『ラン・オールナイト』(ジャウマ・コレット=セラ/2015)


 ジャウマ・コレット=セラとリーアム・ニーソンのコンビによる好調に飛ばしまくる通算3作目。『アンノウン』の特大ヒットから、次作では主人公をもっと若返らせるかと思ったが、トム・クルーズもブラッド・ピットもショーン・ペンもレオナルド・ディカプリオも起用せずに、あえてリーアム・ニーソン主演で押し通すジャウマ・コレット=セラの昔気質な頑固さが素晴らしい。今作はこれまでの3作の中で一番ハードなアクションながら、2人の信頼感からかリーアム・ニーソンの演技もいつになく光る大作に仕上がっている。

殺し屋として闇の世界に生きるジミー(リーアム・ニーソン)は、仕事のために家族を捨て、一人息子のマイク(ジョエル・キナマン)とも疎遠になっていた。しかし、ある日、殺人現場を目撃して殺されそうになっていたマイクを救うため、NYを牛耳るマフィアのボスの息子ダニーを射殺してしまう。ボスのショーン(エド・ハリス)とは固い絆で結ばれた30年来の親友だったが、息子を殺されたショーンは、嘆き、怒り、ジミーに宣告する。「お前の息子を殺して、お前も殺す」と。朝が来る前にジミーたちを葬ろうと、ニューヨークは今、街中が敵となった。父と子の決死の戦いが始まる─。

冒頭、リーアム・ニーソン演じるジミーの境遇は実に孤独で寂しい。ベトナム戦争では特殊部隊として活躍し、帰国後アイルランド系マフィアに雇われる殺し屋となり、実に20人以上もの人間を殺してきた。そのため、既に初老になる年齢にも関わらず、家族にも疎まれ、半ば絶縁されている。マイクは父親をほとんど知らないまま育ち、ボクサーを目指す父親のいない貧困家庭の子供にボクシングを教えている。彼は同じニューヨークに住む父親を徹底的に嫌い、父親との一切の思い出さえ断ち切って生きているのである。

今作において最も重要なのは、アイルランド系マフィアの掟である。マフィアのボスであるショーン・マグワイア(エド・ハリス)とは共に戦地で戦った戦友であり、今はニューヨークの暴力に塗れた歴史の生きた証人である。家族よりも大切な仲間というのがマフィアであり、その集団の掟であるとジミーは常々信じて生きてきたのである。マフィアにおいて忠誠とは何よりも重いボスと自分との契りである。だからこそジミーは息子のサンタ役の無茶振りにも嫌々応じ、クリスマスにサンタ役を嬉々として演じようとする。

そんな父親とは対照的に、息子は父親の足跡を見ないように堅実に生きている。2人の娘と、『エスター』でもエピソードとして登場した死んでしまった娘の挿話がふいに明かされる時、この息子は妻と娘たちの父親として堅実に生きていこうとしているのだと知る。今作においては出て来ないが、おそらく昼間は背広を着た別の仕事をしながら、夜もハイヤーの運転手として二重仕事をしてまで、娘たちを扶養しようとしている健気な父親である。それが何の因果かある夜、この街の触れたくない殺人事件に巻き込まれてしまう。

アイルランド系マフィアのボスであるショーンもショーンで、息子のダニーとの間に、マフィア同士のどうしようもない考え方の隔たりを抱えている。今作においてエド・ハリスが演じるのは、70年代に隆盛を誇った実在のマフィア・グループである「ヘルズ・キッチン」を仕切っていた“ウエスティーズ”という組織の人物から着想を得ている。彼は残忍なやり方でニューヨーク中に恐れられていたが、魔薬の売買に関わったことが元で、ほとんどの仲間が逮捕されたか過剰摂取で死んだ。だからこそ今は表向き堅気の商売をしながら裏社会を牛耳っているのだが、息子はそれが気に入らない。彼はヤクを売りさばき、手っ取り早く稼ごうとするが、ことごとく父親に止められる。この敵味方両者の、父と子の葛藤こそが物語の根幹にある。

ジミーの息子マイクは、ある夜ダニーの殺人を目撃したところから、マフィアのボスの息子であるダニー達に命を狙われる羽目になる。父親であるジミーはその危機を救うために、マフィアの絶対的な掟を破り、ダニーを射殺してしまう。この事件により、2つの家族の関係性は一夜にして変わり、ジミーとマイクは組織に追われる身となる。一番巻きこみたくなかったマイクとその家族さえ危険に晒すことになったジミーは、親友であるショーンに「マイクの命だけは助けてくれ」と懇願するが、息子を殺されたショーンは彼ら2人を組織の掟に背いた無法者として抹殺しようとする。この三者三様の葛藤をジャウマ・コレット=セラは実に丁寧に練り上げる。ジミーは身の安全を確保しようと警察に出頭しようとするが、この街では警官さえもマフィアのボスであるショーンに牛耳られてしまっている。マイクにとって、絶対に避けたかった父親と一緒に逃げなければ2人の命はない。この葛藤が緊迫したアクションの高揚感とは別に、ずっと胸を締め付けてやまない。

事件の発端となったダニーの隠れ家での壮絶な打ち合いから、息をもつかせぬアクション・シーンの連続が目まぐるしく続いていく。マイクの部屋、続いてジャウマ・コレット=セラお得意のカー・チェイス(それも殺し屋がパトカーを追う斬新さ 笑)、地下鉄での追いかけっこ、そしてブルックリンの低所得者向けの巨大アパートでの夜の打ち合いが実に新鮮で目が離せない。ジェームズ・グレイの雄株を奪うようなNYの地下鉄の中での攻防に始まり、深夜の低所得者向けアパートの周りにヘリコプターを飛ばし、スコープ・ライトで2人の姿を照らす姿はもはやアクションの名人級である。火事場での死闘の後、烈しい雨が降って来る奇跡も手伝い、列車の停車場での夜の死闘はまさにジミーとショーンの見せ場であるが、くぐって来た修羅場の違いからか、随分あっけなく勝負がついてしまう。逆説的だが、ここでもエド・ハリスの死に方はあまりにも素晴らしい。サミュエル・L・ジャクソンが現れるまで、彼の死に様こそがアメリカだったと言わんばかりの名演である。エド・ハリスの名脇役たる所以がそこには備わっている。

今作におけるもう一つ欠かせない制約とは、ジミーがいかにマイクに引き金を弾かせることなく、自分の手で始末をつけるかである。それは彼を逮捕させないための父親として出来る精一杯の思いやりに他ならない。息子を自分の世界に巻き込んでしまった過ちに対し、出来るだけ自分一人で処理したい。それがジミーの最後の願いであり、ショーンを殺したことでその希望は果たされたように見えた。彼は長年追われてきたNY市警の刑事ジョン・ハーディング(ビンセント・ドノフリオ)に自らの殺した全ての人間のリストを提出することを約束し、牢獄の中で死ぬと宣言もしている。しかしショーンに雇われた殺し屋アンドリュー・プライス(コモン)の狂気に満ちた思いに油断していた親子は一転、森の中に追い詰められる。

クライマックスの銃撃シーンはやや様式的すぎるきらいはあるものの、今作においてジャウマ・コレット=セラが一貫して我々に提示したいのは、誰が撃った弾がいったい誰に当たったのか?それだけである。そこにはジョン・ウーやジョニー・トーのような何十発何百発ものおびただしい銃弾や、近年のアメリカ産ガン・アクションにありがちな闇雲な乱射はない。そこにあるのは、敵に当たったのはマイクの弾ではなく、ジミーのものであるという明確な印となる引き算の銃撃戦なのである。

これまでの2作のようなあからさまなハッピー・エンドではないが、ラストの鏡の場面にはぐっと来た。確かに例のハイ・アングルの過剰な処理の仕方には賛否両論あると思うが、ジャウマ・コレット=セラとリーアム・ニーソンのコンビは、トニー・スコットの後継者としてアメリカ映画の勢力図の中で三たび爪痕を残すのである。

【第281回】『フライト・ゲーム』(ジャウマ・コレット=セラ/2014)


 航空機ハイジャックというジャンルの作品としては、『コン・エアー』や『エア・フォース・ワン』、それに『エグゼクティブ・デシジョン』を思い出す。そのものズバリなグリーングラスの『ユナイテッド93』などもあるが、今作の念頭にあったのはおそらく『ダイ・ハード2』ではないか?というのも前作『アンノウン』のクライマックスは高層ビルでの爆破をめぐる攻防戦だった。『ダイ・ハード』も非番の刑事が高層ビルでたった一人で敵と攻防を繰り広げる映画だった。おそらくジャウマ・コレット=セラは前作で『ダイ・ハード』に曲がりなりにもオマージュを捧げ、今作では実際に機内にいながら、見えない犯人との爆破を巡る攻防を描いている。

航空保安官ビル(リーアム・ニーソン)が客を装い、アメリカ・ニューヨークからイギリス・ロンドンへ向かう旅客機に乗り込む。大西洋の上空を飛行中の真夜中、機内ではほとんどの乗客が寝静まっていた。その時、ビルの携帯に不審なメールが届く。明らかにビルの行動を監視していると思われる正体不明の送信者は“指定の口座に1億5000万ドル送金しなければ、20分ごとに機内の誰かを殺すという内容だった。単なるいたずらかどうか真偽のほどを疑っているうちに、1人目の犠牲者が出る。大西洋上空をフライト中の密室とも言える航空機内で起こった殺人に、ビルはまず乗客を疑い携行品を調べるが、何も手がかりになるようなものは見つからない。保安局が乗客名簿を調べるも怪しい点は誰にもなく、指定された口座がビル名義であるため、彼へ疑いの目が向けられてしまう。次の犠牲者が出るまでのタイムリミットが迫り、緊張感が高まる中、見えざる敵との頭脳戦が始まる……。

今作では完全無欠な主人公ではなく、心に悲しみのキズを負った1人の男が登場する。彼はかつてアルコール中毒で、実の娘を白血病で亡くした悲しい過去を持ち、決して品行方正とは言えない航空保安官としても問題のある人物である。この主人公の設定はジャウマ・コレット=セラの前々作である『エスター』にも近い。冒頭、車の中で誰にも知られずにアルコールを口にした男は、ゆっくりと飛行場へと足を進める。その道中では馴れ馴れしくも、様々な男たちが彼に話しかけてくるが、ビルは気に留めない。やがて搭乗客の最後の1人である少女をビルの機転により中に乗せると、飛行機はロンドンへ出発する。

彼の隣の席は黒人ザック・ホワイト(ネイト・パーカー)だったが、窓側を希望する女ジェン・サマーズ(ジュリアン・ムーア)たっての希望により、席を交換し、ビルの隣へ。他にも数人の客が怪しい動きを見せるものの、その時点ではビルも気に留める様子もない。だが寝静まったところで、通信の混線により、彼の元に殺人予告のメールが届く。ここでの映像の処理は賛否両論あるだろう。LINEによるやりとりが背景にそのまま視覚化され次々に出て来る。彼はメールを打っているのが誰なのか探るため、客室乗務員のチーフであるナンシー(ミシェル・ドッカリー)とジェンに助けを求め必死に犯人を探ろうとする。ここで疑心暗鬼に陥る主人公の姿は、『エスター』の父親ともダブる。この航空機の乗客150人全てが怪しく、ビルの行動は逐一監視されている。いったい誰が?どんな目的で?ジャウマ・コレット=セラは「who」を隠し続けることで、事件の緊張感を持続させる。

その中で20世紀のあらゆる犯罪ものとは違う「9.11」以降という言葉が急にクローズ・アップされる。彼が最初に疑った東洋人は医者でシロだったが、結局人間とは有事になった時、マイノリティを疑うのである。またビジネス・クラスとエコノミー・クラスの乗客の間で諍いが起こり、事態は混乱する。そのうちテレビ・モニターに映し出された「犯人はビル」の報に乗客は全員釘付けになり、NY市警の警察官のライリーが中心となり、ビルを取り押さえることになる。そうしている間にも、時限爆弾のタイマーは刻一刻とゼロになろうとしている。犯人はラスト20分まで明かされることはない。こういう物語の場合、一番怪しくない人物が犯人であることが多いが、個人的には意外な人物だった。

この脚本に幾つか難を挙げるとすれば、もう少しビルと副操縦士の心の葛藤に重きを置いて欲しかったということに尽きる。彼は高度を下げて、決死の着陸に挑むのだが、その前段階として主人公と副操縦士の間にもっと心を通じ合うやりとりが欲しかった。あとは少女のことだが、彼女はあの歳でいったいどうやって1人で飛行機に乗ったのだろうか 笑?NY市警の非番の刑事もそうだが、乗客になる必然性のない人物が結構混じっていた。

大抵このジャンルの物語は、犯人が犯行に至った理由を述べ始めた途端に白けるのだが、今作も例外ではなかった。9.11以降の問題が出て来たにも関わらず、その程度の大義名分で150人を死に至らしめようとする行為自体が実に愚かである。また犯人はどうやってビルの個人口座やメール・アドレスを盗み出したのか?そういう実は大切な伏線の部分が結構ないがしろにされているのも気になった。だが今作におけるジャウマ・コレット=セラとリーアム・ニーソンのコンビを見て、全盛期のトニー・スコットとデンゼル・ワシントンのコンビに近付いていることに気付いた人は多いだろう。お得意のカー・チェイスも封印し、航空機内という限られた空間の中で、緊迫した心理戦を展開し、大ヒットさせる。このごく当たり前のことが、近年のアメリカ映画には出来ていない。その隙間を埋める存在としてジャウマ・コレット=セラは現代アメリカ映画史に堂々位置する。

【第280回】『アンノウン』(ジャウマ・コレット=セラ/2011)


 世界共通の正しい理屈として、どこの馬の骨だかわからない実績も積んでいないスペイン人に、大枚をはたいて映画を撮らせようという博打打ちな会社などどこにもない。そこには出資者を説得するだけの条件も整っておらず、ヨーロッパでの華々しいフィルモグラフィもない。ましてやCMや有名バンドのM.V.の実績もない。このことにより監督であるジャウマ・コレット=セラの30代は文字通り迂回に次ぐ迂回だった。31歳の時に撮った記念すべき処女作『蝋人形の館』は同名映画の3度目のリメイクだったし、33歳で撮った『GOAL!2』はFIFA&レアル・マドリード全面協力のフットボール啓蒙映画であり、『GOAL!』シリーズ3部作のうちの2作目だった。35歳で撮った『エスター』もホラー映画というか猟奇サスペンスの新しい解釈として、ホラー映画ファンに絶賛され、大ヒットを記録する。この映画でようやく大ヒットという実績を作り、遂に自分の撮りたかった映画である今作『アンノウン』を撮ることになる。

彼は監督としては屈辱的なB級映画の世界から自力で這い上がったのである。アメリカ生まれの作家であるアレクサンダー・ペイン、ウェス・アンダーソン、クエンティン・タランティーノ、JJエイブラムス、ジェームズ・グレイ、デヴィッド・O・ラッセル、デヴィッド・フィンチャー、ノア・バームバック、ベネット・ミラー、ポール・トーマス・アンダーソンら、ある程度最初から作家主義のレールの上で自分たちの個性を開花させていたアメリカの監督と同じ立ち位置に、このデビューから6年間の迂回を経て、ようやく追いついたと言えるのかもしれない。

植物学者マーティン・ハリス博士(リーアム・ニーソン)は、学会に出席するために、妻エリザベス(ジャニュアリー・ジョーンズ)とベルリンへ旅立つ。ホテルに着いたところで忘れ物に気付いたマーティンは、タクシーで空港へと引き返すが、途中で交通事故に遭遇。彼が目を覚ましたのは病院のベッドの上だった。急いでホテルへ向かい、妻の姿を認めて安心したのも束の間、彼女は自分を知らないと言う。そればかりか、自分の名を名乗る見ず知らずの男が彼女の傍らに……。マーティンの所持品は、携帯電話と一冊の本だけ。一方のマーティンを名乗る男(エイダン・クイン)は、パスポートはもちろん、妻との新婚旅行の写真まで持っていた。当然、警察はマーティンの訴えに耳を貸そうとしない。自らの正気を疑い始めるマーティン。だが、何者かに命を狙われたことで、陰謀の存在を確信する。

ドイツの学会に招かれた1組の夫婦の引き裂かれたミステリーと言えば、真っ先にロマン・ポランスキーの『フランティック』を思い出す。あちらはフランスでこっちはドイツだが、取り違えたスーツ・ケースが発端となり、主人公がミステリーに巻き込まれる流れはまったく同じである。ただ今作は4日間の昏睡状態を経て主人公が目を覚ました時、あっさりと妻は見つかる。しかしながら妻は夫の顔を見ても「知らない人」と言い、彼女には別の夫がいる。昏睡状態による脳の記憶障害に関しては、最近でもシャマランの『ウェイワード・パインズ』があった。主人公の正気を疑い、疑心暗鬼に陥らせるのだが、結局のところ、主人公の記憶は正しい。では今作においてはどうか?

パスポートやお金など身分証明や生活をするのにかかる持ち物を一切取られ、途方に暮れる彼を消そうという殺し屋が現れる。彼らはいったい何の目的で自分を襲うのか?ますます疑問が膨らむも身を隠す場所がない。そこでマーティンはタクシー運転手ジーナ(ダイアン・クルーガー)と元秘密警察の男エルンスト・ユルゲン(ブルーノ・ガンツ)の協力を得て、事件の核心に迫っていく。貧乏な移民であるジーナがポランスキーの『フランティック』のエマニュエル・セニエと被る。古びた彼女の部屋と窓を開けると出て来る急斜面の屋根などアパートのディテイルもよく似ている。そこで一夜だけという約束で暖を取ろうとしたマーティンは、シャワー中にまたしても殺し屋の来訪を食らう。ここでのアクションは建物の構造を考えた実に見事な構成である。この監督、カー・チェイスの専門家かと思いきや、人間の追いかけっこを描くのにも長けている。病院の場面、この古いアパートメントの場面、殺された人間は可哀想だったが、かろうじてマーティンはジーナを伴い逃げて行く。

もう一人の救世主となるブルーノ・ガンツがまた素晴らしく味のある演技を見せてくれる。『アメリカの友人』のヨナタン・ツィマーマン、『ベルリン・天使の詩』の守護天使ダミエル、ヘルツォーク『ノスフェラトゥ』のジョナサンと言ったらお分かりだろうか?近年でも『ヒトラー 〜最期の12日間〜』でアドルフ・ヒトラーを演じたことが記憶に新しい。彼が旧東ドイツの秘密警察で暗躍したキャラクターとしてマーティンを助けることになる。いかにもドイツらしいミステリアスな存在感がアメリカ映画の語りの重要なアクセントになっている。

後半、無事トランクを取り返した時、マーティンはジーナと一旦は別れるものの、スタンガンで無理矢理トラックに押し込まれるマーティンの姿を見て、ジーナが敵中に突っ込んでいく一連のシークエンスの無謀さが良い。『フランティック』では彼女の役柄自体が若きファム・ファタールといった趣きだったが、ここではまるで彼の相棒のように大いに活躍する。クライマックスの爆破ボタンを巡る攻防は『ダイ・ハード』再びという感じであろう。それ以外にも写真展の場面などは思いっきりブライアン・デ・パーマだったし、ジャウマ・コレット=セラは過去の作品を引用しながら、アクション映画の21世紀の定型というものを我々に提示するのである。

主演のリーアム・ニーソンと言えば、我々は真っ先に『シンドラーのリスト』や『ファントム・メナス』を思い浮かべるが、若い人の間では『96時間』の人として記憶されているらしい。21世紀の映画において、主人公と言うよりもどちらかと言えば脇役・悪役のイメージのある俳優を主演に据え、少ない制作費にも関わらず、第一線で活躍する監督たちに勝るとも劣らないクオリティ。トニー・スコット亡き今、21世紀の活劇の行方はこの男に託されたと言ってもいい。

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