【第879回】『ジョン・ウィック: チャプター2』(チャド・スタエルスキ/2017)

あらすじ・結末に触れていますので、これから観る方はクリックしないで下さい

【第283回】『ジョン・ウィック』(チャド・スタエルスキ/2014)


 チャド・スタエルスキの監督デビュー作。この人、実は『マトリックス』でキアヌのスタント・ダブルをやったアクションの名人らしい。あの『エクスペンダブルズ2』ではB班監督も務めたという。その後も『コンスタンティン』のアクション部分を組み立てるなど、キアヌ・リーブスのアクション映画の右腕として働いていた人物のようなのだが、肝心の映画はというとこれが今ひとつ乗り切れなかった。

最愛の妻ヘレンを病で亡くしたジョン・ウィック(キアヌ・リーブス)。友人マーカス(ウィレム・デフォー)らの慰めはあったものの、彼の深い悲しみが癒えることはなかった。ある日、ジョンのもとに、デイジーという名の小さな犬が届く。ジョンには愛すべき存在が必要と考えたヘレンが、亡くなる直前に贈っていたのだった。デイジーと共に暮らす中で、次第に穏やかな気持ちになっていくジョン。しかしある日、ロシア語を話す男たちから彼の愛車マスタングが目を付けられてしまう。

冒頭、車がゆっくりと壁にぶつかり、中から主人公らしき人物が出て来る。彼は全身血だらけになりながら、スマフォを取り出して、懐かしい妻との思い出の動画をしばし眺める。パネルには血がつき、彼はその場に気絶するように倒れて寝てしまう。50人以上の人物を次々に殺していくヒーローとは思えない立ち上がりである。そもそも妻との思い出が心象風景の中に存在するならまだしも、実際にスマフォの動画として出て来ること自体が実に危険だ。妻が殺された。そのことに思い悩む主人公の描写として何を選択すべきなのか?この新進気鋭の監督はまるでわかっていない。

男が殺戮の中からゆっくりと日常の生活の中に戻って行く。それを描写するのは一向に構わないが、わざわざ朝6:00の目覚ましを厳密に何度も持ち出すのはいただけない。ドリフト走行の練習に行ったりするものの、それらの場面も明らかに不要である。早く犬を登場させなければ物語は進んでいかないのだが、この導入部分の描写がとにかくトロいのだ。ようやく犬が配達されてきた。宅配業者にサインするところも別にカットして構わない。そこには愛した妻からのメッセージが添えられており、その文章を読んだ瞬間、男は涙する。しかし肝心なのはむしろその後の犬との生活ではなかろうか?犬を亡き妻の分身として愛する男とその傍に座る犬。ここでの主人公と犬とのコミュニケーションはもっとあっても良かったはず。それがたかだか2,3日面倒を見たくらいで、いちいち情が移るほどのことではないだろう。殺し屋というのは、躊躇なく何百人もの人間を殺すことの出来る神経なんだから殺し屋をしているはずである。

そもそも、この脚本の致命的な欠陥として、妻を殺されたことへの復讐では駄目だったのだろうか?嫁からプレゼントで贈られた犬が自宅に届く以上、少なくとも嫁の死亡は数日前だと理解している。そうであるならば、最初から嫁を殺した犯人への復讐で良い。それを律儀にガソリン・スタンドに給油しに行き、宅配便で犬を受け取り、その後2,3日世話したくらいで凶行に及ぶ犯人に対して復讐を仕掛けるというのはあまりにも解せない。

復讐に至るまでも無駄に長い。ヴィゴというマフィアのボスが、息子と繋がりのある自動車修理工場のオーナーに電話をかける。なぜ息子を殴ったのか聞くと、男は「ジョン・ウィックの車を盗み、犬を殺したからだ」と白状する。そこにちょうど首尾よく帰ってきた息子が父親に報告すると、「ヘマをやったな」と言われいきなり殴られ、そこからジョン・ウィックの解説が始まる。とにかく長い、アクション映画としては致命的に語りが長過ぎる。マフィアの掟の見せ方も下手だし、主人公の裏の顔を説明するのも冗長すぎる。

私は近年でもここまで導入部分が下手な監督を見たことがない。アクション映画ならば、つなぎの面白さとリズム感こそが生命線であるにも関わらず、長い人間ドラマの隅にアクションが追いやられてしまっている。最初のマイホームへの殺し屋軍団の襲撃は決して悪くない。しかしその後の警察や死体処理会社とのやりとりはまったくの蛇足だろう。その程度の主人公の人物造形であれば、見せなくて大いに結構ではないか。

かと思うと治外法権でコインを使用するホテル・コンチネンタルには警察、FBIなど全ての国家権力が侵入出来ない稚拙さにも呆れた。そこでもロビーの黒人と主人公は毎度毎度長ったらしい台詞のやりとりに終始しており、一向にアクション部分が弾まない。またアクションの起こるロケーションとして、温水プールとクラブというのもあまりにも既知の光景で萎えた。そもそも敵側の人物設計がロシアン・マフィアの親子というのも、いったいいつの時代の映画なのか?その旧態依然としたキャラクター設定にも首を傾げざるを得ない。

唯一良かったのはキアヌの唯一無二の親友であるヒットマンを演じたウィリアム・デフォーである。冒頭から妻の葬儀に顔を出し、ヴィゴに2億円でジョン・ウィック殺しを依頼された苦悩する人物を、ウィリアム・デフォーはその身体に刻まれた皺や彫りの深い表情で演じている。他にもヴィゴの息子のボディガード役の元WCWのケビン・ナッシュとか、どうでも良い脇役が意外とはまっていたのはせめてもの救いだろうか?

アクション・シーンも中盤くらいまでは凡庸に期したが、後半の息子のブルックリンのアジトにキアヌが攻め込む場面はなかなか見応えがあった。あそこだけは唯一、身体と身体をぶつけ合う肉弾戦とは違う、銃による距離の設計による高揚感を感じた。アクションのつなぎの良いアクセントになっていたし、あそこであの人物があっさり殺されることにもびっくりした。結局、ジョン・ウィックが殺したいのは車を奪い、犬を殺した犯人たちだけであり、その後静かに暮らそうと一旦は考えたのにも疑問は残るし、そこでもう一波乱起こさせるために、無駄な命が犠牲になったのは否めない。最後の敵味方入れ違う二転三転するやりとりは果たして必要だったのだろうか?その辺りも含め、最後まで盛り上がらなかった。ラストの豪雨の中でのアクションも『GONIN3』と比較すると明らかに物足りない。もっと表情がわからないくらい、大量の雨が降る中でのアクションでも一向に構わない。そのくらいの気概や迫力やロマンが、この映画からは残念ながら最後まで感じられなかった。

私がこの映画で一番笑った場面は、ロシアン・マフィアのボスであるヴィゴが揺りかごに揺られながら、「ブギー・マン」の歌を歌った場面である。あのうすら寒い演出は間違いなく今年のラジー賞ものだろう。このチャド・スタエルスキという監督、明らかにジャウマ・コレット=セラ『ラン・オールナイト』の活躍に刺激を受けたようだが、そのアクションの演出はジャウマ・コレット=セラの足元にも及ばない。だが皮肉にも大ヒットした今作の続編には、敵役でコモンの出演が決まったという。

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