【第933回】『ジャンゴ 繋がれざる者』(クエンティン・タランティーノ/2012)


 南北戦争勃発前夜のアメリカ南部。賞金稼ぎのドイツ人歯科医キング・シュルツ(クリストフ・ヴァルツ)は、お尋ね者三兄弟の顔を知る黒人奴隷ジャンゴ(ジェイミー・フォックス)を見つけると、彼を奴隷から買い上げ、お供に連れて三兄弟の追跡に繰り出す。その後、ジャンゴの腕を見込んだシュルツは、彼を賞金稼ぎの相棒にして2人で旅を続けることに。しかし、そんなジャンゴが真に目指す先は、奴隷市場で生き別れた最愛の妻ブルームヒルダ(ケリー・ワシントン)を探すことだった。やがて、彼女が極悪非道な農園領主カルビン・キャンディ(レオナルド・ディカプリオ)に売り飛ばされたことを突き止めたジャンゴとシュルツ。2人はキャンディに近づくため、ある周到な作戦を準備する。冒頭、『ジャッキー・ブラウン』以来、久方ぶりの最高に格好良いタイトルバックに痺れる。ゴツゴツした岩場をカメラはゆっくり後退しながらパンしていくと、足を鎖で繋がれた黒人たちがゆっくりと歩いている。その背中には何回も何十回もムチで打たれて爛れた皮膚が映し出され、BGMにはセルジオ・コルブッチの『続・荒野の用心棒』のメイン・テーマが流れる。赤色のタイトル文字もセルジオ・コルブッチが手がけたマカロニ・ウエスタンによく似ている。

 今作では最初からタランティーノの「復讐」のモチーフが1本の線として明確に提示される。これまで以上に単純明快な、主人公ジャンゴによるお姫様奪還劇である。ドイツ人歯科医キング・シュルツによって、鉄の鎖を解かれたジャンゴは、白人と同じように正装し、馬に乗っている。肌の色が黒い人間が、あたかも白人と同じように振る舞い、時にはブルジョワジーである白人にさえ盾突く。その異様な姿は、シュルツとジャンゴがキャンディが営むキャンディランドという農園に着いた時に沸点を迎える。キャンディはスティーヴン(サミュエル・L・ジャクソン)という執事に客人を持て成すよう求めるが、彼は自分と同じ黒人であるジャンゴに対し、あからさまな不快感を露にする。『ジャッキー・ブラウン』には白人vs黒人の単純な図式には収まらないアメリカ合衆国の病巣が隠れていた。南北戦争勃発前夜のアメリカ南部において、白人が多くの黒人を奴隷のように扱っていたのは紛れもない事実であるが、その富裕層の白人たちに媚びて取り入っていた黒人も存在したのである。彼らは自分たちと同じ黒人をひたすら軽蔑し、白人オーナーのご機嫌を取ろうとする。彼らの姑息なご機嫌取りが、とんでもない事件へ誘い込む食卓の場面は実にスリリングで目が離せない。

【第929回】『イングロリアス・バスターズ』(クエンティン・タランティーノ/2009)


 畑仕事をしている農場主の後ろに、2台の車がゆっくりと近づいてくる。その気配を感じた農場主は、女たちに家の中に入るよう命令する。男は不安を隠すために、一人の女に水を汲んでくれと伝える。やがて家の前の道に停まった車から、1人の男が出て来て、農場主に親しげに語りかける。その場で立ち話で帰す腹づもりだったが、大佐の巧妙な話術によって覆される。屋敷に入ると、大佐の口ぶりは一層巧妙になり、レア・セドゥらユダヤ人たちの目は明らかに怯えている。おそらくこの農場では、主人が女たちを一手に匿い、男手がない中、何とか生活してきたはずである。だがそんな大黒柱の逞しさよりも、遥かに力のある大佐の悪知恵は、やがて農場主を追い詰め、一切を白状させることになる。第1章と題されたこのシークエンスのシリアスさには、文字通り目を見張る。時に軽妙なやりとりに逃げていたタランティーノの映画が、ここに来て明らかにシリアスな雰囲気を讃えていることに誰もが驚くはずである。地面の底には二重に敷かれた空間があり、農場主の弁論の勝利を信じて、祈るような気持ちで隠れている。ここでも『キル・ビルvol.2』同様に、横になる女性のイメージが浮かび上がる。だがその願いも空しく、彼女たちは無残にも殺されてしまう。そこで1人残ったショシャナ(メラニー・ロラン)という少女を、ランダ大佐(クリストフ・ヴァルツ)は無理に殺そうとしない。そのことが後に決定的な災いをもたらす羽目になるのである。

 今作はジャンル映画としては「戦争映画」に違いない。ナチス占領下のフランスを舞台に、バスターズと呼ばれる連合軍側の秘密部隊と、“ユダヤ・ハンター”の異名を持つ冷血漢ランダ、そしてランダ大佐に幼少時代、家族を皆殺しにされたことで、ナチスへの復讐に燃える若いユダヤ人シャシャナの三つ巴の攻防を描く。しかしながらここにあるのは、ナチスvsフランス軍の戦争そのものではないし、史実としての第二次世界大戦でもない。これまでのクエンティン・タランティーノのフィルモグラフィと同様に、実は何てことない「裏切りと復讐」の主題が繰り返されている。何気ない無駄話は質的に変化する。流石に第1章の荘厳なショットの並びと役者たちの緊迫したやりとりほどではないが、今作では卓を囲む人間たちのやりとりが、そのまま生死に関わる重要な問題に直結する。例えば、英国の二重スパイでドイツの人気女優ブリジット(ダイアン・クルーガー)にバーで接触する場面、ここでは卓を囲む男女がゲームに興じるが、一人のドイツ人の疑惑によって、一触即発の雰囲気を醸し出して行く。彼が気付いたのは、独特のイントネーション(訛り)であり、それはその土地に生活する者にとっては、本物と偽物を分かつリトマス試験紙にもなり得る。彼女たちは一見、馬鹿話をしているように見えるが、実際にはその質はある意味、銃撃戦以上の緊迫感を生んでいるのである。クライマックスの爽快さは、チャールズ・チャップリンの『独裁者』やフリッツ・ラングの『死刑執行人もまた死す』と並ぶような高揚感を齎らす。数発の銃声でも後の粛清でもなく、焼け焦げたフィルムが巻き付くイメージが何よりも雄弁に物語る。

【第926回】『デスプルーフ in グラインドハウス』(クエンティン・タランティーノ/2007)


 映画は冒頭、一つの車に乗った3人の女の他愛もない馬鹿話を延々描写する。それはまるで『レザボア・ドッグス』冒頭の円卓を囲んでの馬鹿話のように、一見何の当たり障りもない会話に見えて、各々のキャラクターを伝える役割を担っている。その会話の内容から、女たちの中にオースティンのラジオ局で一番の人気DJ、ジャングル・ジュリア(シドニー・タミーア・ポワチエ)がいることがわかる。彼女は久しぶりに地元に戻ってきた大学時代の女友達アーリーン(ヴァネッサ・フェルリト)と親友のシャナ(ジョーダン・ラッド)を連れて、田舎町の酒場で派手に遊ぼうと画策する。その後、車はあるバーの前で停まる。そこはグエロスという名の田舎町の感じの良いBARで、1人また1人と店に吸い込まれるように入っていくが、嫌な視線を感じたのか、女は後ろを振り返る。彼女たちを付けて来た1台の車が停まり、明らかにこちらの様子を伺っている。光の加減なのか何なのか、女の視点からは残念ながら運転手の顔は見えない。この場面を観ていくつかの映画との類似点を見つけるのは容易い。女たちの楽しい時間は、ドライバーによって脅かされている。店内で散々馬鹿話をした後、女たちは2件目にテキサス・チリ・パーラーへと足を運ぶ。話と共に酒も弾み、女たちは徐々にタガが外れ始める。猛烈な雨の中、一服するために外に出たジャングル・ジュリアは、激しい雨の中、停車する一台の車を発見する。それはグエロスで自分たちを見ていたあの車である。ドクロマークの付いた不気味なシボレーを乗り回し、顔に傷痕のある謎の中年男は、通称スタントマン・マイク(カート・ラッセル)というらしい。女たちは当初はスタントマン・マイクの存在を気味悪く思うが、酒で陽気になっているのも手伝い、つい心を許してしまう。テキサス・チリ・パーラーのジャンクフードで食欲を満たした初老の男にも、果たすことの出来ない欲望がある。その夜、凶行は起こる。

 今作は『デス・プルーフ in グラインドハウス』というタイトルからも明らかなように、エクスプロイテーション映画やB級映画などを2、3本立てで上映していたアメリカの映画館へオマージュ的作品である。フィルムに傷が入っていたり、焼けたような独特の質感をしているのは、これらの劇場にかかっているフィルムが全国各地の使い回しによるものだからに他ならない。タランティーノはこのある種の「ロー・ファイ」な表現方法として、フィルムを故意に劣化させる。これらの映画館では、間違っても文芸大作などかかるはずもなく、劇場に足を運ぶ若者の趣味・嗜好は専ら下品で猥雑な方向へ向かっていくのは致し方ないことだった。ポルノ系映画やスラッシャー映画において、女たちは男の性欲を満たすために存在し、破壊的な車はしばしば男性器のメタファーとして使用された。スタントマン・マイクの一つ目の犯行から時制が14ヶ月後に飛び、テキサスからテネシーへ、やがて第二の犯行は準備される。路面店の前で、スタントウーマンのキム(トレイシー・トムズ)とゾーイ(ゾーイ・ベル)、メイク係のアバナシー(ロザリオ・ドーソン)、新進女優のリー(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)の4人の乗る車が、新たな男のターゲットになろうとしている。4人の女の他愛もない馬鹿話はいつまで続くのかと思われた矢先、タランティーノのオールタイム・フェイバリットであるリチャード・C・サラフィアンの『バニシング・ポイント』やジョン・ハフの『ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー』が唐突に引用され(『ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー』は『ジャッキー・ブラウン』のテレビの中でかかっていた)、女たちの狂乱の終着地点として、1970年代型ダッジ・チャレンジャーでのアクロバティックなスタントライドに挑戦することになる。

【第908回】『キル・ビルvol.2』(クエンティン・タランティーノ/2004)


 4年間の昏睡状態から覚めた主人公ザ・ブライド(ユマ・サーマン)は、あの日教会で自分とかけがえのない家族を襲った面々に一人ずつ復讐を仕掛ける。vol.1では時系列がシャッフルされているものの、ナイフの使い手であるヴァニータ・グリーンをあっさり殺し、日本刀の名手である難敵オーレン・イシイ(ルーシー・リュー)との剣戟がクライマックスに待ち構える。最終的にはかつてのボスだったビルに復讐することが最終的な目標であるが、そこに至る前にビル(デイヴィッド・キャラダイン)の手先だった殺し屋をもう2人殺さなければならない。今作はそこから物語がスタートする。導入部分では、4年前の教会での惨劇を描く。モノクロームで回想される物語と、主人公とビルの愛憎入り混じった歪な関係性が明らかにされ、その凶行は北野武『ソナチネ』のようにハイ・アングルで撮られたカメラによる銃声と悲鳴を捉えるが、残酷な描写は一切明らかにされない(年齢制限への配慮だろう)。だがvol.1と同じように、最後にビルが主人公の頭を打ち抜いた瞬間だけは今作でも繰り返される。前作の日本パートは、異国の人が観たオリエンタルな理想と現実のズレが全編を覆っていたが、今回はアメリカ〜メキシコ・ロケで、流石に安定した物語とショット構成である。

 クエンティン・タランティーノの映画は、常に裏切りと復讐が物語の根底にある。『レザボア・ドッグス』では宝石強盗のために集められたギャングたちが実際に犯罪を犯すが、既に行動を察知した警察に先回りされ、彼らの計画はいとも簡単に崩れ去る。疑心暗鬼にかられた男たちは、隠れ家で相打ちの銃撃戦を仕掛ける。『パルプ・フィクション』ではジョン・トラボルタとサミュエル・L・ジャクソンの両名が、ボスの命令で騙し取られたスーツケースを取り返しに行く。それと並行し、一旦は八百長の依頼を受けたブルース・ウィリス扮するボクサーが約束を裏切り、愛する恋人と大金を持ち逃げしようとする。『ジャッキー・ブラウン』では、サミュエル・L・ジャクソンがボーマンを釈放後にいとも簡単に殺したことを知り、彼とのビッグ・ビジネスを巧妙に維持しながら、いつどこで裏切るのかが物語の焦点となる。FBI保安官や保釈金融業者の初老の男を巻き込み、どちらかがミスを犯したら負けの心理戦を繰り広げる。『キル・ビル』もそんな裏切りと復讐が物語の核となる。主人公は自分の結婚式の最中に、友達も夫も、腹の中に宿っていた子供さえも殺されてしまう。

 最初はビルの弟を殺しにテキサスへ向かう。ビルの弟バド(マイケル・マドセン)はストリップ・クラブの用心棒をしながら、薄汚れたトレーラーで酒浸りの日々を送っている。男の住むトレーラー・ハウスも雰囲気抜群だが、扉を媒介としたアクション・シーンもvol.1とは比べものにならないくらい素晴らしい。彼女は一度は彼の動物的勘にやられ、土の中に埋められる絶体絶命の危機を迎えることになるが、ここで彼女のメンターとなった2人の男のうち、服部半蔵ともう一人、パイ・メイ(ゴードン・リュー)との思い出が回想される。マイケル・マドセンは『レザボア・ドッグス』同様に、サディスティックな暴力を好む極めて冷徹な男として描かれている。前作の時代劇以上に、ショウ・ブラザーズ映画へのオマージュが心地良い。しかしそんな彼よりも片目にアイ・パッチをした女、エル・ドライバー(ダリル・ハンナ)やラスボスとの決戦は更に強力な魅力に満ち溢れる。思えばタランティーノが、太陽が燦々と輝く陽の元で、アクション・シーンを行ったことがかつてあっただろうか?ここでもタランティーノはあえて狭い室内にこだわり、トレーラー・ハウスというあまりにも狭い空間の中で、女同士の果たし合いを強引に完結させている。彼の密室アクションというもう一つのこだわりが炸裂するシリーズ第二弾である。

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