【第908回】『キル・ビルvol.2』(クエンティン・タランティーノ/2004)


 4年間の昏睡状態から覚めた主人公ザ・ブライド(ユマ・サーマン)は、あの日教会で自分とかけがえのない家族を襲った面々に一人ずつ復讐を仕掛ける。vol.1では時系列がシャッフルされているものの、ナイフの使い手であるヴァニータ・グリーンをあっさり殺し、日本刀の名手である難敵オーレン・イシイ(ルーシー・リュー)との剣戟がクライマックスに待ち構える。最終的にはかつてのボスだったビルに復讐することが最終的な目標であるが、そこに至る前にビル(デイヴィッド・キャラダイン)の手先だった殺し屋をもう2人殺さなければならない。今作はそこから物語がスタートする。導入部分では、4年前の教会での惨劇を描く。モノクロームで回想される物語と、主人公とビルの愛憎入り混じった歪な関係性が明らかにされ、その凶行は北野武『ソナチネ』のようにハイ・アングルで撮られたカメラによる銃声と悲鳴を捉えるが、残酷な描写は一切明らかにされない(年齢制限への配慮だろう)。だがvol.1と同じように、最後にビルが主人公の頭を打ち抜いた瞬間だけは今作でも繰り返される。前作の日本パートは、異国の人が観たオリエンタルな理想と現実のズレが全編を覆っていたが、今回はアメリカ〜メキシコ・ロケで、流石に安定した物語とショット構成である。

 クエンティン・タランティーノの映画は、常に裏切りと復讐が物語の根底にある。『レザボア・ドッグス』では宝石強盗のために集められたギャングたちが実際に犯罪を犯すが、既に行動を察知した警察に先回りされ、彼らの計画はいとも簡単に崩れ去る。疑心暗鬼にかられた男たちは、隠れ家で相打ちの銃撃戦を仕掛ける。『パルプ・フィクション』ではジョン・トラボルタとサミュエル・L・ジャクソンの両名が、ボスの命令で騙し取られたスーツケースを取り返しに行く。それと並行し、一旦は八百長の依頼を受けたブルース・ウィリス扮するボクサーが約束を裏切り、愛する恋人と大金を持ち逃げしようとする。『ジャッキー・ブラウン』では、サミュエル・L・ジャクソンがボーマンを釈放後にいとも簡単に殺したことを知り、彼とのビッグ・ビジネスを巧妙に維持しながら、いつどこで裏切るのかが物語の焦点となる。FBI保安官や保釈金融業者の初老の男を巻き込み、どちらかがミスを犯したら負けの心理戦を繰り広げる。『キル・ビル』もそんな裏切りと復讐が物語の核となる。主人公は自分の結婚式の最中に、友達も夫も、腹の中に宿っていた子供さえも殺されてしまう。

 最初はビルの弟を殺しにテキサスへ向かう。ビルの弟バド(マイケル・マドセン)はストリップ・クラブの用心棒をしながら、薄汚れたトレーラーで酒浸りの日々を送っている。男の住むトレーラー・ハウスも雰囲気抜群だが、扉を媒介としたアクション・シーンもvol.1とは比べものにならないくらい素晴らしい。彼女は一度は彼の動物的勘にやられ、土の中に埋められる絶体絶命の危機を迎えることになるが、ここで彼女のメンターとなった2人の男のうち、服部半蔵ともう一人、パイ・メイ(ゴードン・リュー)との思い出が回想される。マイケル・マドセンは『レザボア・ドッグス』同様に、サディスティックな暴力を好む極めて冷徹な男として描かれている。前作の時代劇以上に、ショウ・ブラザーズ映画へのオマージュが心地良い。しかしそんな彼よりも片目にアイ・パッチをした女、エル・ドライバー(ダリル・ハンナ)やラスボスとの決戦は更に強力な魅力に満ち溢れる。思えばタランティーノが、太陽が燦々と輝く陽の元で、アクション・シーンを行ったことがかつてあっただろうか?ここでもタランティーノはあえて狭い室内にこだわり、トレーラー・ハウスというあまりにも狭い空間の中で、女同士の果たし合いを強引に完結させている。彼の密室アクションというもう一つのこだわりが炸裂するシリーズ第二弾である。

【第898回】『キル・ビル Vol.1』(クエンティン・タランティーノ/2003)


 毒ヘビ暗殺団で最強と言われた元エージェントの女、ザ・ブライド(ユマ・サーマン)が、4年間の昏睡状態から奇跡的に目を覚ます。彼女を自分の結婚式の最中襲った、かつてのボスであるビル(デイヴィッド・キャラダイン)とその手下たちの突然の凶弾。友達も夫も、腹の中に宿っていた子供も死にザ・ブライドは復讐の旅に出る。冒頭、彼女に銃口を向ける男の腕が映し出され、やがて絶望的な引き金が引かれる。女は4年間の昏睡状態から一命を取り留め、無事生還したらしい。今作ではタイトルバックの後、ナイフの使い手であるヴァニータ・グリーン(ヴィヴィカ・A・フォックス)との激しい決戦がいきなり幕を開ける。ここでの攻防はさながらジャッキー・チェンのようなカンフー・アクションである。女は娘の帰宅に気付き、殺しの手を止めるがあっけなく殺されてしまう。彼女は復讐のために、単身沖縄へ飛ぶ。今作の主なロケーションは沖縄と東京である。人影もない寂れた寿司屋に入ったザ・ブライドは寿司を食べながら、復讐のための刀を作って欲しいと服部半蔵(サニー千葉)に直談判する。半蔵の傍にいる愛弟子は、実際にJ.A.C.の1期生であり、『女必殺拳』や『脱走遊戯』、『ゴルゴ13 九竜の首』などの千葉真一主演作に立て続けに出演した大葉健二である。

 彼女は一ヶ月間、服部半蔵の作る刀を待ち続け、ようやく完成した刀を持って、東京にいる日本刀の名手オーレン・イシイ(ルーシー・リュー)の元へ向かう。手荷物検査を抜け、飛行機の座席に刀を持ち込んでいること自体がナンセンスだが 笑、一路、青葉屋に殴り込みをかけるのだった。中盤のオーレン・イシイの大立ち回りの場面は、明らかに三池崇史の『殺し屋1』の無邪気なオマージュに他ならない。それどころか今作でもタランティーノ独特の無節操な引用が目立つ。海外でも人気のある藤田敏八の『修羅雪姫』シリーズ、同じく梶芽衣子主演の『女囚さそり』シリーズ、深作欣二の『吸血鬼ゴケミドロ』や『柳生一族の陰謀』『バトルロワイヤル』、千葉真一の『服部半蔵・影の軍団』シリーズまで実に無邪気なオマージュに満ちている。日本に縁もゆかりもない人間が、日本を舞台に映画を撮ろうとすると、大抵はどうしようもない勘違いに溢れたフィルムになってしまうのだが、今作も例外ではない。クライマックスに出て来た青葉屋の造形は、丸っきり宮崎駿の『千と千尋の神隠し』における油屋の造形に酷似している。当然あのような店は現代の東京のどこにもない。今作にはタランティーノが現代日本を模した日本にはない光景が次々に登場する。クライマックスの雪の場面も、鈴木清順なら果たしてどう雪の白を活かしたかしばし考え込んでしまった。

【第897回】『ジャッキー・ブラウン』(クエンティン・タランティーノ/1997)


 ロサンゼルス・コンプトン。ジャッキー・ブラウン(パム・グリアー)はメキシコの航空会社に勤めるスチュワーデス。安月給で苦しい生活のため、裏で武器密売人オディール・ロビー(サミュエル・L・ジャクソン)の隠し金の運び屋をつとめていた。オディールは刑務所を出たばかりで少しボケ気味の相棒ルイス・ガーラ(ロバート・デ・ニーロ)を連れて、保釈金融業者のマックス・チェリー(ロバート・フォースター)の元へ赴く。逮捕された配下のボーマンの保釈のためだったが、オデールは保釈されたボーマン(クリス・タッカー)の口を自ら封じ、ルイスに服従を誓わせる。『コフィー』では昼間は看護師をしながら、夜は娼婦で稼ぐ2重生活だったが、今作も例外ではない。彼女はスーツ姿もバッチリ決まったCAでありながら、実は運び屋として暗躍する裏の顔を持つ。ジャッキー・ブラウンが怯えるのは、同じ黒人である銃の密売人オディールである。黒人が黒人を搾取する構図は、今作の中で何度も繰り返される。ピンプと呼ばれる派手な衣装を着た黒人は、貧しい白人をも搾取しながら、ビッグ・ビジネスをしているのである。

 ジャッキー・ブラウンの心強い味方となるロバート・フォスターのコクのある渋みや、マイケル・キートン扮するFBI捜査官など、癖は強いが頼りになるキャラクター造形もさることながら、今作ではむしろ敵役の人選こそ冴えに冴える。特にサミュエル・L・ジャクソンの刑務所時代の仲間で、最近銀行強盗の罪から出所したロバート・デ・ニーロの老いぼれぶりが絶妙である。タランティーノは『レザボア・ドッグス』でもハーヴェイ・カイテルを、『パルプ・フィクション』でもジョン・トラボルタやブルース・ウィリスを独特の人物造形でハリウッドに見事蘇らせたが、今作のロバート・デ・ニーロの疲れ果てた演技は、悪役としてこれ以上ない存在感を放つ。また彼の相棒として体を預けるドラッグ・ジャンキー役のブリジット・フォンダもすこぶる良い。ピーター・フォンダの娘であるブリジット・フォンダや、キース・キャラダインとは異母兄弟のマイケル・ボーウェンなど、アメリカ映画の血筋にもこだわった配役を見せている。

 今作も正面切ったアクション映画とはならず、悪と悪との恐るべき心理戦である。ジャッキー・ブラウンはオディールによって先んじて保釈されたボーマン(クリス・タッカー)が既に彼の手により消されたことを自覚しており、自分の運命も同じく銃殺刑に処されることを知っている。だからこそオディールと親しげに振舞いながらも、彼に決して油断しない。彼の性格を把握した上で、FBIや保釈業者と結託し、お互いwin-winの関係を続けながら、敵が油断する時を今か今かと待ちわびているのである。『レザボア・ドッグス』や『パルプ・フィクション』では登場人物たちの凶行が昼間に行われていたのに対して、二重生活を続けるジャッキー・ブラウンにとって、重要な事件は夜の闇の中で起こる。コンプトンの閑静な住宅街の中で、ホンダ製のシビックを乗り回し、デルフォニックスを愛聴するジャッキー・ブラウンは、夜の闇の中で粛々と包囲網を築いていく。『ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー』、『マッド・ドッグ/ファイアー・ガンを持つ豚ども』、そしてバート・レイノルズの『シャーキーズ・マシン』のオープニング・テーマだったRandy Crawfordの『Street Life』もファンには堪らない。センスの塊の155分に酔いしれる。

【第875回】『パルプ・フィクション』(クエンティン・タランティーノ/1994)


 冒頭、ダイナーの強盗シーンに始まる今作は明確な主人公を持たず、アンサンブル・プレイとして最後には一つに繋がる。強盗の計画を立てているカップル(ティム・ロス、アマンダ・プラマー)を導入部分に据え、盗まれたトランクを取り戻そうとする二人組のギャング、ヴィンセント(ジョン・トラボルタ)とジュールス(サミュエル・L・ジャクソン)。ボスの情婦と一晩のデートをするハメになるヴィンセント。ボクシングの八百長試合で金を受け取るボクサーのブッチ(ブルース・ウィリス)。誤って人を殺し血塗れになった車の処理に右往左往するヴィンセントとジュールス。ギャングのボス、マーセルスを軸としたこれらの物語がラストに向けて円環状に大団円を迎える。タランティーノの時系列を壊す手捌きは処女作『レザボア・ドッグス』よりも遥かに巧妙化しており、一度観ただけでは本筋の流れは正確に把握出来ない。70年代ファッション、クラシック・カー、ファストフード、ブラック・ミュージックとサーフ・ミュージック、コカインと注射器、Go-Goダンス。それら文化的記憶の体現者として、一時期不振にあえいでいたジョン・トラボルタとブルース・ウィリスの起用も一役買っている。

 特にジョン・トラボルタがマーセルから留守中、ギャングのボスの若く美しい妻ミア(ユマ・サーマン)の食事に誘う場面は90年代屈指の名場面に違いない。2人は50年代風のクラブ・レストランに行きダンスを踊り、互いに魅かれ合う。マリリン・モンローやバディ・ホリーらに扮した店員が接客してくれる夢のようなレストラン。メニューにはダグラス・サーク・ステーキやダーワード・カービイ・バーガー。2人は高揚感に浸り、ダンス・コンテストで軽やかで息のあった動きを見せる。肝心の結果までは把握できないものの、足取りも軽やかに部屋に帰ってくる。自分のボスの女に手を出してはならないという掟と欲望の間に揺れるジョン・トラボルタが、トイレの個室でしばらく葛藤する場面の可笑しさ。しかしそんな葛藤の最中、ミアが知らぬ間にヴィンセントの持っていたヘロインを吸いこんで意識を失いオーバードーズで倒れ、狼狽したヴィンセントがヤクの売人の家に直行するシークエンスは底なしの面白さを発揮している。

 前作『レザボア・ドッグス』では見られなかった女性たちの登場も印象深い。アマンダ・プラマーはともかくとしても、ユマ・サーマンもマリア・デ・メディロスも、物語の起爆剤までは至らないまでも、ジョン・トラヴォルタやブルース・ウィリスを幸福な気持ちから一転、ピンチにさせるファム・ファタールな人物として登場する。ジョン・トラヴォルタにとっては、ボスの妻をコカイン中毒で死なせてしまえば待つのは死だし、ブルース・ウィリスにとっても、明らかにギャングが張っているだろう自分の部屋に戻ることは自殺行為である。それでも彼らはパートナーの不思議な魅力に抗えない。映画の中で誰が死に誰が生きるかというのは、結局のところ脚本家のさじ加減でしかない。九死に一生を得た人物でも死ぬ時は随分あっさり死ぬし、逆に神の奇跡を信じた者にはバカバカしくも幸福が訪れる。台詞におけるおびただしいまでの「Fuck」の数、ブラック・ミュージックを基調としたサウンド、センスの良い台詞や活きた脚本と役者の演技に満たされた今作はまさに、90年代アメリカ映画の傑作中の傑作である。

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