【第1026回】『スリ』(ジョニー・トー/2008)


 冒頭、ケイの部屋の窓から文鳥が入り込み、彼は文鳥を粋に窓から再び外へ放つが、ほどなくして戻ってきてしまう。彼はその文鳥に運命を感じ飼い始める。言うまでもなくカゴの中の鳥は、香港を牛耳るマフィアのボスであるフーに自由を奪われたケリー・リンの立場の暗喩であり、来るべき事件の幕開けとなる。その導入部分のかつてない仕上がりの素晴らしさに舌を巻く。ケイはいつもの定食屋で3人の男と待ち合わせしている。彼らは食卓を囲みながら、気の置ける仲間だからこその楽しい食事を繰り広げる。思えばジョニー・トー映画ではこの食卓を囲む場面が、彼らに親愛の情を何度ももたらせてきた。この食卓の場面だけで、4人の友情と粋のあった間柄などの背景はまったく説明を必要としないまま、しっかりと落ち着いている。その後のスリのシーンは、チェン・チュウキョン、トー・フンモの一つの到達点であり、ジョニー・トー映画のハイライトとも言えよう。流れるようなカメラの流麗な動きと細かいショット割りから一転して、一連のスリのシークエンスは長回しで一気に据える。最後のハイ・アングルまで完璧なショット構成にはジョニー・トーの完成された様式美が垣間見えるかのようである。

 これまでのジョニー・トーが描く香港ノワールの特徴として、男同士の立場を超えた友情が過剰に描かれるのとは対照的に、「ファム・ファタールの不在」が極めて濃厚な世界観を形成していた。だが前作となるオムニバス映画『強奪のトライアングル』において、ケリー・リン扮するサンの前妻の友人だったリンは、刑事ウェン(ラム・カートン)と道ならぬ恋に走っていた。このファム・ファタールな女性の設定自体が、ジョニー・トー本人によるものなのか、脚本家であるジャック・ンによるものなのかは定かではないものの、ジョニー・トーがこのケリー・リンの人物造形に今作のヒントを見出したのは間違いない事実であろう。ケリー・リンは当初、スリの4人組の一人一人の前に立ち現れては、彼らを誘惑し、そのお株であるスリ行為を逆に働くことで、自尊心に傷をつけていく。いったい彼女は何者で、どんな目的で自分たちを罠に落とすのか?彼ら4人は次第に事件の核心に足を踏み入れてしまう。エレベーターの天井にふいに現れた3色のバルーン、車の助手席にケイが乗った際に見た紅い口紅のついた煙草、暗室で干されたモノクローム写真。それら細やかなショットが積み重なりながら、ケリー・リンの魔性の側面がふわふわと宙に漂ったまま、ジョニー・トーお得意の屋上から、ヒッチコックのような螺旋階段に至るまで、男たちを上り下りさせるのである。

 まるでミシェル・ルグランのようなJAZZに彩られた軽妙な映画音楽が挙げられるが、そんな我々観客の連想を知ってか知らずか、クライマックスにはまさにジャック・ドゥミとミシェル・ルグランによる『シェルブールの雨傘』を彷彿とさせるような様式美に彩られた素晴らしいシーンがある。この場面はかつて『ターンレフト ターンライト』のオープニングでも変奏をしているが、今作における傘のシーンの緊迫感やスローモーションの美しさはあの映画を遥かに凌ぐ出来だと断言する。黒い傘に全身黒ずくめの男たち、冷たく激しい雨が降る中、男たちの友情と仁義が約束されたスリ同士の奇妙なゲームは、一発の銃弾よりも遥かに美しくタペストリーを形成している。流れるようなカメラワーク、香港の街並みを思い入れたっぷりに切り取ったロケーション、視線の交差、軽妙な脚本、1時間30分以内に収めた職人技に至るまで、久しぶりに完璧なジョニー・トー演出を見た。間違いなく2000年代のジョニー・トーを代表する傑作中の傑作であり、ジョニー・トー作品の中で最もフランス・ヌーヴェルヴァーグと親和性の高い作品である。

【第1021回】『ヒーロー・ネバー・ダイ』(ジョニー・トー/1998)


 ヤクザが短い景気を終え、シャバへ戻ると組の雰囲気も力関係も何もかもが昔と違っていたというのは、かつての日本のヤクザ映画が得意とした風景だったが、今作も皮肉な運命に導かれたかつての親友同士が出て来る。香港の裏社会の実権を握る2つの組織が、血みどろの抗争を繰り広げている。その敵対する2つの組織でトップを張るのは、ジャックとチャウというかつての親友同士であり、クールで凄腕の用心棒ジャック(レオン・ライ)は策略家のペイの配下、そして腕利きの殺し屋チャウ(ラウ・チンワン)は残虐なチョイの配下で、お互いに敵のボスの命を狙っていた。B級プログラムピクチュアの例に習い、なぜジャックとチャウが対抗する組織についたのかは明かされることはない。チョイの組の奇襲攻撃により、夜の湾岸道路における銃撃戦がいきなり幕を開けるが、チャウはジャックに対して光線銃を当てるも、最後まで彼の命を狙うことはない。殺し屋でありながら、2人ともかつての親友である互いを意識しあい、情けをかける間柄にある。赤い光線を当てられようが、涼しい顔でタバコに火をつけるジャックの姿からは、ジャックとチャウの並々ならぬ信頼関係が伺える。

 笑ってしまうくらいのハードボイルドの最高沸点は、かつての遊び場だったクラブでのワイングラスをめぐる一幕であろう。彼らは年代物のワインを用意するが、互いに相手のグラスを割り合い、一向にワインに口をつける気配がない。ここのアクションは十分に様式化され、最後にはコインの遊戯にたわむれる。彼らは互いに情婦を連れてきているが、2人がサシで話し合いをする場面は遂に現れない。そして互いの組の抗争は最終段階に突入する。ジャックが組長のベイをかくまっている屋敷に、チャウが侵入するのは明らかであるが、それにしてもたった1人でジャックの手下を一掃するのにはさすがに驚いた。ジャックは光線銃に対し、照明を消して対処するも、時すでに遅しで、残されたのはジャックと組長のベイの2人だけになる。暗闇の中を互いに気配を消しながら近づき、弾が貫通した穴から打ち合う様はまたしても様式的な構図になる。最初、闇雲に乱射した互いの弾は的を外れているようにも見えたが、それは互いに貫通し、致命傷を受けた2人はその場に倒れこむ。

 だがヒーローは死なない。相当な至近距離からログハウスの壁伝いに拳銃を乱射し合いながらも、2人は辛くも一命を取り留める。ジャックは永遠の昏睡状態となりながらも、最愛の情婦の機転により、命だけは助かるものの、最愛の情婦は全身に大やけどを負うことになる。チャウは両脚を切断する手術を受けながら、車椅子で香港へ戻る。クライマックスの攻防や、クラブというロケーションは明らかに石井隆『GONIN』の影響だろう。ここではちあきなおみの『紅い花』ではなく、坂本九の『sukiyaki(上を向いて歩こう)』がジャックとチャウの友情を象徴する通奏低音として流れるのである。しかし彼らの友情は最後のクラブ内での銃撃戦にほんの一瞬だけ出て来るのみである。ラストの銃撃戦は、目の前で何が起きているのかさっぱりわからない。そもそも営業時間外のクラブならばこんなに照明を動かさないはずだが、ジョニー・トーの銃撃戦の様式美においてはそういうデタラメも何もかもが許されてしまう。右胸に致命的な銃撃を受けながらも、何とかここまで息をしていた顔面蒼白のチャウの姿は、心なしか『GONINサーガ』の氷頭に見える。

【第805回】『ターンレフト ターンライト』(ジョニー・トー/2002)


 雨の台北。交差点で信号待ちをする人の群れ。その中に無名のバイオリニスト、ジョン(金城武)と、雇われ翻訳家イブ(ジジ・リョン)の姿があった。2人は互いを知らず、その存在に気づくこともない。実は、2人が住む部屋は、壁一枚を隔てたお隣同士だった。でもジョンはアパートの右側から出入りし、出る時は必ず右側へ歩き出す。方やイブはアパートの玄関の左側から入り、出る時は左側へ歩き出す癖があった。だから、彼らは一度も顔を合わせたことがない。冒頭、黒い傘を差した集団の中で、何やら目立つ緑の傘を差した男と、赤い傘の女がいる。彼らの出会いそうで出会わないやりとりを俯瞰で見せた導入部分の記号的明示にまずは驚かされる。彼らの住む部屋は隣同士であるが、階段の存在が事態をややこしくしている。マンションの左右には同じような階段と同じような入り口があり、彼らは隣り合っているけれども決して顔を合わせることはない。隣人に興味・関心のない社会というのはここ日本でも香港でも同様である。シーンが変わると、ジョンとイブの2人はたまたま公園の噴水の端と端に座っている。円形になった公園の噴水のちょうど対角線上に2人は座り、互いに仕事の資料に目を通すが、うっかり者のイブの資料が風の悪戯で噴水に飛ばされてしまう。その光景を見たジョンは対角線上にいるイブに話しかける。それが2人の出会いだった。

 2人はすぐに打ち解け、思ひ出話で盛り上がるうちに、同じメリーゴーランドに乗ったことに気付く。なんと彼らは、学生時代に一度出会っていたのだ。互いに意識しながらも名前すら聞けずじまい、相手の学生番号だけをいつまでも忘れずにいたふたりは、こうして運命的に再会したのである。『ダイエット・ラブ』でも10年後の出会いがあったが、この場面はジョニー・トー作品の中でも最も運命的な出会いであろう。互いの回想シーンが入り、途切れることのなかった赤い糸はこうして結ばれていたかに見えた。しかしながらポーランドの小説の台詞で明示された通り、運命の出会いは時として残酷な運命にかき消されていく。突然の夕立の中、電話番号を交換して慌ただしく別れたふたりは、翌朝になって言葉を失う。電話番号を書いたメモが、雨でにじんで読めなくなっていたのだ。21世紀の映画であれば、当然互いの携帯電話を赤外線送信したり、フルフルしたりするのだろうが、ジョニー・トーはこの古典的な運命のラブストーリーの中に、最新の連絡手段を挟むことがない。彼らは携帯電話など持っておらず、家では留守番電話録音機能付きの自宅電話を使用しているのである。互いに手当たり次第に電話をかけるが、ハズレつづき。しかも雨に濡れたせいで、ひどい風邪をこじらせてしまう。たまたま相前後して同じ食堂に電話をかけ、同じ出前を頼んだふたりに、シャオホン(テリー・クワン)が配達に行く。ハンサムなジョンに一目惚れしたシャオホンは、彼が探している女性が隣のイブだと一瞬でピンときたが、知らんぷりを通す。かたやイブは入院先で、昔自分を追い回していた医師のフー(エドマンド・チェン)に出くわす。イブに好きな人がいることを知ったフーは、探偵を雇ってイブの身辺を探る。

 その結果、思いがけないことが判明する。イブが写っている写真のどこかに、必ずジョンが写っていることを。フーとシャオホンは、イブとジョンが振り向いてくれない腹いせに、2人を絶対に会わせまいと同盟を結成し、いやがらせを決意する。ジョニー・トーのご都合主義の脚本も、ここまで来れば天晴れであろう。ジョンとイブが伺い知らないところで、2人の周辺が俄かに慌しくなり、恋敵が現れる。彼らはいつも決まって押しが強く、今作ではジョンとイブの居ない間に2人の部屋に勝手に押しかけ、留守番電話録音機能付きの自宅電話のメッセージの内容を勝手に恋人設定に書き換えてしまう。この恋敵たちの強引さは日本ではストーカーとして絶対に理解されることはないが、香港映画では許されるらしい。ジョニー・トーの映画では決まって、主人公たちにフられてしまった人たちの赤い糸さえも強引に結びつけるのである(ここでは大家さんまで)。クライマックスのあっと驚く強引な展開には、半ば呆れながら笑ってしまった。アナログな手法にこだわってきたジョニー・トーだからこそ、2人が再会するあまりにもドラマチックな場面が必要だったのである。チェン・チュウキョンとトー・フンモの2000年代に入ってからのカメラワークはハイ・アングルを多用しながら、ショット同士を細かくつなぎ、ドラマを盛り上げる。その手法はアクション映画においてもラブ・ストーリーにおいても変わることがない。結果的にこれ以降、金城武の出演作はないものの、管理人の偏愛映画に違いない。

【第792回】『ホワイト・バレット』(ジョニー・トー/2016)


 香港にある外科病院、緊急の手術室では脳外科の女性医師トン(ヴィッキー・チャオ)が手術を執刀している。院長に代わるかと尋ねられるが、自信家の彼女は上司の助言を断り、自ら執刀する。トンたち医療チームと緊急病棟の患者たちの顔合わせ。飄々とした73歳のお爺ちゃん、植物人間ら個性的な面子の中で、ただ一人ある男だけはトンを見るなり、恨みの言葉を隠さない。トンに勧められた手術の影響で両脚が麻痺を起こし、動かなくなった(そんなはずはないだろう 笑)青年はトンをなじる。そんな折、1台の救急車が病院に搬送される。警察との銃撃戦中に凶悪強盗団一味のチョン(ウォレス・チョン)が頭に被弾し、緊急搬送されたのだった。彼を撃ったチャン警部(ルイス・クー)はチョンに瀕死の重傷を負わせた挙句、一味にも逃げられてしまった。エリート・コースを歩むチャン警部はこのままでは帰れないと、自分がチョンを撃ったことを上司に誤魔化し、女性医師トンの技術に賭けようとしていた。緊急手術室のドアが閉まり、全身麻酔の注射を打たれたチョンは突然暴れ出し、頭部に撃ち込まれた弾丸の摘出手術を拒否する。いかにもジョニー・トーらしい劇画的で稚拙な脚本だが 笑、権力構造下で事件をもみ消し、何とか犯人を炙り出したい警部。大陸から香港へ引っ越して来て、エリート街道を突き進みながら執刀ミスで自信喪失気味の女医。病院のベッドに手錠で縛られ、仲間の救出を待つ妙に哲学的な組織の容疑者の三者三様の駆け引きを明らかにする。

 本来ならばICU(集中治療室)に入れられるべき重病患者たちが、パーテーションのない1つの空間に収められていること自体が、ジョニー・トー信者にとっては何かきな臭い匂いを最初から漂よわせているのだが 笑、それにしても脚本の冗長な展開にはほとほと参った 笑。『奪命金』では投資銀行の内部、『香港、華麗なるオフィス・ライフ』では書き割りのような心底斬新なオフィス内部で事件は起こったが、それにしてもジョニー・トーの映画で一度も屋外に出ないのは初めてではないか?いわゆる1シチュエーションもののシンプルな構造の中で、全てが円環状に繋がっている見事なアンサンブル・プレイにジョニー・トーは果敢に挑戦しているものの、人には向き不向きがある 笑。脚本の整合性や演出は、ちょうど同じ頃に公開されたイエジー・スコリモフスキの『イレブン・ミニッツ』とは比べるべくもないが、ラスト9分間に唖然とさせられた『イレブン・ミニッツ』に対し、今作もラスト18分間の力業の描写には心底唖然とさせられた 笑。『アンディ・ラウの 麻雀大将』あたりからジョニー・トー組のアクション活劇の常連となったルイス・クーのニヒリストぶりは、明らかにアンディ・ラウとジョニー・トーの90年代の歩みを懐古するものだが、『名探偵ゴッドアイ』を観てしまった我々にはアンディ・ラウにはないルイス・クーならではの+αが欲しい。一切の笑みを見せないチャン警部と、ヒステリックに彼をなじる女性医師トンの対比には一瞬だけ歪な化学反応が香るものの、善と悪を超えた男同士の友情を前に、ヒロインの意思は今回も徐々に後退して行く。

 冒頭からの冗長な1時間10分に目を瞑れば、真にジョニー・トーらしい活劇の妙に心底唸らされる。その口火を切るのは、ケツにナイフをぶっ刺されたラム・シューの大逆転に他ならない。クライマックスのカタルシスはジョニー・トーの傑作であり代表作である『スリ』の傘の場面を彷彿とさせる。ザック・スナイダーの『300 〈スリーハンドレッド〉』にモロに影響されたクライマックス場面は、ハリウッドの流儀をわかりやすい形で香港映画のフォルムに移植しようとするジョニー・トーの職人的世界観が滲む。トーの映画では警察組織もマフィア組織も互いにチームワークを競い合いながら、やがて運動会のクライマックスのようなシンパシーへと帰結する。原題の「三人行」とは孔子の「論語」に書かれている「三人行えば必ず我が師有り」の事で、要約すれば「自分の心の持ち方一つで、あらゆる人がわが師となる。」という人間の心理に違いない。だが一切の哲学的な問いを一生に臥すようなジョニー・トーならではの馬鹿馬鹿しさの方を私は断固支持する。明らかにCGで足したわざとらしい出鱈目なデジタル処理も、近年のハリウッド映画ではなかなか見られない香港映画の香具師なプロダクションに、思わず笑みが溢れた 笑。

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