【第1245回】『僕は君のために蝶になる』(ジョニー・トー/2007)


 大学の人気者アトン(ヴィック・チョウ)に密かな想いを寄せるエンジャ(リー・ビンビン)。すでにミス・キャンパスの恋人がいたアトンだったが、いつしか自分に対して無愛想なエンジャに惹かれていく。やがて結ばれる2人。だが、ささいな口論から喧嘩になったエンジャをバイクで追いかけたアトンは事故に遭い、帰らぬ人となってしまう。些細なすれ違いから、主人公の車を追いかけてきたバイクのアトンと口論となり、巻き込み事故により、最愛の恋人は死んでしまう。自分も大ケガをし、その後事故のショックから精神安定剤が手放せなくなる。ジョニー・トー版『岸辺の旅』とも云うべき純愛ラブ・ストーリーである。エンジャは大学を卒業して法律事務所で働いていた。だが、アトンの死によって抜け殻となった彼女は内に閉じこもり、薬に頼る日々を送っていた。過去を乗り越えるため、医師に相談して薬の服用をやめるが、その頃から夢にアトンが現れるようになる。はじめは半信半疑だったものの、やがてその存在を認め、次第に夜を心待ちにするようになるエンジャ。アトンも彼女への想いを断ち切れず、死後も彼女の傍に寄り添う。

 この世とあの世の境目とか、天国と地獄とか、死後の世界のことは本当によくわからない。それは死んだ人がその体験談を書いたレポートがないからである。生きている時に徳を積んだ者が天国に行けるというのも、人間が信じたい妄想の世界の話なのかもしれない。死んだ者は天国に行くのか?それとも自分が死んだ周りをうろつくのか?はたまた墓の中に魂が眠るのか?多くの人が考察を重ねているが、結局のところ我々にはっきりとした真理がないのは、死んだ人がいないからである。つまり死後の世界を描こうとすれば、必然的に自由な世界観が表現出来、制限がないのである。今作では死んだアトンは事故から3年も経過したある日、ヒロインの元に思いがけなく現れる。何の目的で現れたのか?アトンはエンジャに対してなかなか明らかにしない。彼は大学時代と同じく美形でありながら、黒いスーツを着ている。天使の輪っかはないし、足も消えていない。自発的に歩くことも出来るし、おそらく人間が物理的に出来る運動はすべて出来る。そしてふいにヒロインの前に現れたかと思えば、今度はジョギング中のヒロインの呼びかけに天から降りてきたりもする。

 ここで問われているのは、死んだ者の論理とその行動の整合性であろう。例えば『岸辺の旅』でも淡々とした物語の中に、元夫婦の感情の揺らぎが生まれる数々の出来事が散りばめられていた。今作でもヒロインが大学時代の付き合いでは知り得なかったアトンの幼い頃の秘密に触れたことで、彼女の中により深い愛情が生まれるのだが、死んだ者と生きている者が直接戦うことはない。あくまでシューの存在は、ヒロインにもう一度大事件を起こすためだけに存在しており、それ以上でも以下でもない。ヴィック・チョウの美しさに魅了される。

【第1243回】『強奪のトライアングル』(ジョニー・トー/2007)


 エンジニアのサン(サイモン・ヤム)、タクシー運転手のファイ(ルイス・クー)、骨董屋のモク(スン・ホンレイ)の3人がバーで強盗話をしていると、老人が現れ、興味があったら連絡をくれと名刺と1枚の金貨を置き立ち去る。前妻を事故で亡くしたサンは、前妻の友人だったリン(ケリー・リン)と結婚していた。しかし毎晩謎の薬を飲ませるサンに疑惑を持ち、刑事ウェン(ラム・カートン)に相談するうち肉体関係を持つようになっていた。借金に追われるファイは、ヤクザのロンから執拗に強盗の仕事を持ちかけられている。株で失敗したモクは店をたたもうとしていた。3人は名刺の人物チャンに連絡しようとするが、彼が肺炎で死んだことを知る。3人が名刺に書かれていたURLを頼りに調べると、チャンは政府ビルの下に古代の秘法を隠していた。まったく見ず知らずの男たちが金のために結託し、強盗を働く。そこに1人のファム・ファタールが絡み事態が混沌とするというのは、典型的なフィルム・ノワールの型である。実際、ツイ・ハークとリンゴ・ラムが演出した一部二部の演出は、裏切りと仲間割れの主題を逸れることはない。

 中盤、サンが自分の妻の浮気に気付き、カーチェイスで命を狙う側と狙われる側の主従関係は一瞬で入れ替わる。夫は妻の浮気を許せない強迫観念に駆られ、事件とは関係ないところで口論となり、それをファイとモクの2人は半ば呆れつつ見ている。どうしてウェンの手錠が外れたかの描写が抜け落ちており謎は残されるが、古代の秘法をめぐる奪い合いは激しさを増していく。ここからがジョニー・トーの出番であるが、あてもなくウェン刑事の車を追いかけていた一行のタクシーは、道路上に落ちていた障害物を拾い、4本のタイヤが全てパンクする。そこに現れるのがヤク中のデブ男(ラム・シュー)である。彼の言動は明らかにラリっているが、どうもこの男は故意に車をパンクさせ、修理代をせしめようとしているように見える。案の定、先にこの現場を通ったウェイ刑事の車もパンクしており、修理工が作業を続け、この場所に足止めを食らっているのである。しかもここの土地は携帯の電話も届かない場所で、沼にはワニがいる。ここでのラム・シューは明らかにレザー・フェイス的なキャラクターとして描かれることになる。ラストは、手形の奪い合いのようなコミカルなやりとりに溢れている。一見見分けのつかない新聞紙にくるんだお宝が白いポリ袋に入っているのだが、これがそれぞれの持ち主の手の中で次々に入れ替わっていく。彼らが動くのはもっぱらブレーカーが落ちたほんの一瞬であり、偶然屋根から落ちてきた拳銃二丁からクライマックスへとなだれ込む。

【第1242回】『奪命金』(ジョニー・トー/2011)


 金融都市、香港。妻から新しいマンションの購入をしつこく相談されている香港警察のチョン警部補(リッチー・レン)は仕事を口実にいつも話を逸らす。銀行に勤める成績下位の金融商品営業担当テレサ(デニス・ホー)はノルマ達成のため、中年の女性顧客チェン(ソン・ハンシェン)に、躊躇いながらもリスクの高い投資信託商品を売り付ける。気がよくて人望の厚いヤクザのパンサー(ラウ・チンワン)は、逮捕された兄貴分のために保釈金を作ろうと同郷の投資会社社長ドラゴンに相談する。3人それぞれが金銭の悩みを抱えていたところにギリシャ債務危機が発生し、金融資産が突然の下落。投資家たちは大騒ぎになる。21世紀に入り、トーは香港の様変わりする現状を闊達に描写した。香港のイギリスから中国への返還、SARSによるパニック、リーマン・ショックに揺れるビジネス業界。そこに描かれるのは何の変哲も無い市井の人々であり、香港経済の末端を生きる裏社会の人物たちや、香港経済を牛耳っている人々を階級関係なく描写してきた。今作では登場人物たちは普段はまるで関わり合いのない世界に生きていながら、ギリシャの債務危機により、それぞれの環境が交錯していく。その様子を時系列シャッフルとアンサンブル・プレイで描写する様は、さながらタランティーノの『パルプ・フィクション』のようである。

 金融商品営業担当テレサ(デニス・ホー)は営業成績が悪く、上司に無視され、何とかノルマを達成しようと必死である。そこへ運悪く、年金暮らしの中年女性(ソン・ハンシェン)が現れると、テレサはあの手この手で熱心に売り込む。金融商品の投資話は、後々売った売らないで話が揉めるため、契約書の他に、会話の内容まで録音している。お金に差し迫られた中年女性と、ノルマに追い詰められたテレサの間柄では、どんどん話が進んでいくのは止むを得ない。中年女性はあまり内容を把握しないままに、契約書にサインをしてしまう。それが後々、不幸を巻き起こすことになる。ヤクザのパンサー(ラウ・チンワン)は昔ながらの仁義を重んじるヤクザであり、最近流行りの経済ヤクザや情のないチンピラとは一線を画す。当初は逮捕された兄貴分のために保釈金を懸命に作ろうとかつての仲間を頼るも、警察のヤクザ一掃作戦により、すぐに資金繰りに困窮する。最後の頼みの綱として、同郷の投資会社社長ドラゴンに相談するが、最初は気のいい返事だったドラゴンも、ギリシャ債務危機の発生により、万策が尽きる。もともとパンサーには2人の舎弟がいたが、彼らは金の工面に困るパンサーの姿を見て、すぐに足を洗ってしまう。ここにも21世紀のジョニー・トーのヤクザへの思いがしっかりと顔を出す。イギリスから中国への香港返還を経て、ヤクザのあり方が180度変わってしまったことを示す象徴的な場面である。

【第1142回】『ドラッグ・ウォー 毒戦』(ジョニー・トー/2012)


 中国・津海。コカイン製造工場で爆発事故が発生、ひとりの男が車で逃亡後、衝突事故を起こし病院に担ぎ込まれる。中国公安警察の麻薬捜査官・ジャン警部(スン・ホンレイ)は、その男テンミン(ルイス・クー)が麻薬取引に大きく関わっていると察し、減刑と引き換えに捜査協力を依頼する。彼によれば黒社会の大物・チェンビャオ(リー・ズェンチ)から原材料をテンミンが受け取り、自身の工場で精製。完成したブツを津海の魚港を牛耳るハハ(ハオ・ピン)に受け渡すというのだ。かくして、ジャンや女刑事ベイ(クリスタル・ホアン)、シャン刑事(ガオ・ユンシャン)らが所属する津海警察、原材料を積んだチェンビャオのトラックを追跡中のグオ刑事(ウォレス・チョン)らが所属する珠江警察による合同捜査隊が結成される。ジョニー・トーはヤクザ同士の対立を何度も映画化してきたが、警察vs犯罪組織の対立もまた何度も描いている。中国におけるコカイン密売の闇に踏み込んだ麻薬捜査官たちの活躍を描きながら、死刑という極刑をも辞さない罪人と麻薬シンジケート撲滅に闘志を燃やす男の交流を描いた力作に仕上がっている。テンミンはどう考えても死刑になる。麻薬シンジケートを是が非でも壊滅させたいジャン警部は、テンミンに減刑をチラつかせながら、組織の重要人物を知りうるこの男の情報に賭ける。

 テンミンの手引きにより、チェンビャオの甥・チャン(ケビン・タン)をハハに紹介しようとしていたテンミンとともに、商談場所のホテルへと向かう捜査隊。チャンとハハは互いの顔を知らないこともあり、ジャンがチャンを装い、ハハに接触。ハハは東北部の大物を知るだけでなく、光州と釜山にシマを持つ韓国マフィア、さらに歌舞伎町をシマに持つ日本のヤクザとも密接な関係があり、アジア麻薬シンジケートを形成しようとしていた。彼との商談をまとめたジャンは、続いてハハを装いチャンに接触。チェンビャオ逮捕へと一歩ずつ近づく。このホテルでの一幕は、過剰にサスペンスフルな演出を施したジョニー・トーの面目躍如である。トーの映画には珍しく、テーブルを囲む敵味方が食事をすることなく、互いが相手を疑いながら交渉をするのだが、盗撮カメラを仕込んだシガレット・ケースの扱いに右往左往する。約束の時間が差し迫っており、エレベーターの上り下りが入れ違いになるハラハラする状況の中、ジャン警部はハハの訛りやしゃべり方の癖を完璧に盗み、イミテーションする。ジャン警部も役者なら、チャン(ケビン・タン)もしたたかな男であり、手元にあるコカインを鼻で吸引するよう強いる場面は問答無用に面白い。やがてチャンが去った後、水をガブ飲みし、水風呂へと入ったが、まずは鼻の粘膜に付着した白い粉を取り除かなければ、重篤化は避けられない。

 聾唖の兄弟との銃撃の場面は、至近距離だというのにこちら側(警察)の弾はまったく当たらず、たった2人の聾唖者に壊滅させられる体たらくぶりを見せる。黒幕を読み違えたジャン警部は、テンミンに強く迫り、ようやく7人の香港人が黒幕であると吐かせるのだった。ここでもジャン警部はチェンビャオの甥のチャンを騙したように、7人を騙そうと罠を仕掛ける。ここでの大群衆シーンと船出の場面はおそらく一番バジェットを使った場面であるが、最後の戦いはここでは起きない。小学校前の大きな道路が殺戮の舞台になるのである。これまでのジョニー・トー映画では、育ってきた環境も立場も違う者同士に、徐々に奇妙な友情が芽生えることが多かった。今作においても、ジャン警部とテンミンの間で友情は育まれているかに見えたが、ラストに呆気ない寝返りが待つ。女性が横たわり、拷問のようにゆっくりとなぶり殺される場面は実に陰惨で救いがない。警察vs麻薬シンジケートの抗争の構図の中に。強引に聾唖の兄弟が組み込まれる時、『ザ・ミッション 非情の掟』や『PTU』のような三すくみの構図が生まれるのだが、闇雲に発砲される弾の焦燥感。にも関わらず夥しい数の人々が転がり、陰惨な光景は辺り一面に広がっている。

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