【第909回】『スパイダーマン』(サム・ライミ/2002)


 アメリカ・ニューヨーク、学生生活を謳歌する黄色いスクール・バスを追いかけるピーター・パーカー(トビー・マグワイア)は大通りから数百mに渡って、バスを追いかけダッシュする。フラッシュ・トンプソン(ジョー・マンガニエロ)と運転手(ピーター・アッペル)は構わず進もうとするが、メリー・ジェーン・ワトソン(キルスティン・ダンスト)だけは可哀想だからと無理矢理バスを止めようとする。遅刻常習者のパーカーは大切な社会科見学のこの日も遅刻していた。ミッドタウン高校に通う同級生であるパーカーとMJは6歳の頃から隣同士に住む幼馴染だった。幼い頃に両親を亡くしたパーカーはベン・パーカー(クリフ・ロバートソン)とその妻のメイ(ローズマリー・ハリス)に育てられていた。叔父は35年間必死に働いて来た会社をクビになり、昼間から家にいた。代父とも呼ぶべき叔父との細やかな交流、天涯孤独なピーターは冴えない学生生活を送っていたが、社会科見学でコロンビア大学の研究室を訪れる。親友ハリー・オズボーン(ジェームズ・フランコ)との朝の挨拶、息子を送りに来ていたハリーの父親ノーマン・オズボーン(ウィレム・デフォー)と挨拶程度の会話を交わしたパーカーは、密かに思いを寄せるMJの背景にケージの中の15匹の蜘蛛を収めるのだが、どういうわけか1匹だけ足りない。

 『ブレイド』シリーズに続き作られたマーヴェル製作のサム・ライミの『スパイダーマン』トリロジーの第一弾。学園のいじめられっ子で、意中の女子が振り向いてくれない様子は真っ先にロバート・ゼメキスの『BTTF』シリーズの父親を連想させ、実父のいない天涯孤独な主人公の様子はスティーブン・スピルバーグの一連の作品とも親和性が高い。それどころか今作における科学技術vs政治利用のジレンマはそのまま『ジュラシック・パーク』シリーズを見事に換骨奪胎する。あと数日で実験の効果を出せとスローカム将軍(スタンリー・アンダーソン)に命令された天才科学者は何故か自分自身を被写体に魂を売り飛ばすことで、会社の延命を図ろうとする。今作はベビー・フェイスなアメコミ・ヒーローも哀しきヴィランも半径数十mの中から生まれ、互いが葛藤の中でいがみ合う。密かに思いを寄せていたヒロインとの大願成就の物語なのだが、スタン・リーの原作に思いを寄せるサム・ライミは今作の結びを勧善懲悪ではなく、仄暗い事実に苦悩するパーカー、MJ、ハリーとのトライアングルの屈折した陰影として結ぶ。舞台女優になりたいというヒロインの夢は、「Moondance」と称された場末のファミレスのバイト現場で夢と消え、卒業式と代父の喪失という喜びと悲しみを同時に背負わされた主人公はリトマス試験紙のようなJ・ジョナ・ジェイムソン(J・K・シモンズ)と出会い、正義と悪の葛藤に揺れる。すっかり悪役が板に着いたウィレム・デフォー扮するヴィランに漂うどうしようもない哀しみ、雨の路地裏でヒロインの唇に触れた一瞬の愛だけが、主人公をアメリカの英雄へと駆り立てる。

【第299回】『007 スペクター』(サム・メンデス/2015)


 通算24作目となる007。ジェームズ・ボンドがティモシー・ダルトンやピアース・ブロスナンからダニエル・クレイグになったことで、一番顕著だったのは「英国回帰」であろう。明らかにジェイソン・ボーン3部作への激しいコンプレックスにさらされたマーティン・キャンベル版やマーク・フォースター版を経て、サム・メンデスが打ち出したのは、ハイ・テクな時代の流れに対するアナログな英国紳士の魅力である。『M:I』シリーズよろしく、みんなで頑張ろうを旗印に、新MやQやマネーペニーも次々に登場する設定こそがサム・メンデスの真骨頂なのだ。

冒頭の野心的な長回しや、陰影に彩られた悪の親玉の顔が見えない撮影スタイルは全てホイテ・ヴァン・ホイテマによるものだが、それ以上に我々観客を深い感慨へと導くのは、サム・メンデスの過去の007シリーズへの目配せときめ細やかな引用である。冒頭のメキシコ・シティの死者の日の祭典の上空で行われる華麗なヘリコプターでのアクションは『ムーンレイカー』へのオマージュであろう。中盤の処刑椅子とペルシャ猫のイメージは『サンダーボール作戦』の変奏に違いない。レア・セドゥの雪山の上に立つ診療所の造形には『女王陛下の007』を思い出さない人はいないはずだし、寝台車での乱闘の場面は『ロシアより愛を込めて』を真っ先に思い出すだろう。そういう丁寧な引用とテキストの参照が非常にきめ細やかで素晴らしい。監督の007愛を感じる。

その存在をすっかり忘れていたMr.ホワイトの登場にもびっくりしたが 笑、それよりも際立つのはエルンスト・ブロフェルドの久方ぶりの登場である。『007は二度死ぬ』でのドナルド・プレザンス、『女王陛下の007』のテリー・サヴァラスの奇怪なイメージを形成した秘密結社スペクターが21世紀に再び顔を出す斬新な展開を主軸に据えながらも、00部門の閉鎖に圧力をかけるCの存在が、脚本の構造上、重層的に絡んでいるのは言うまでもない。

英国紳士であるダニエル・クレイグを際立たせるために、オーストリア人であるクリストフ・ヴァルツを対立軸に据え、そこにWWEのスーパースターだったバティスタをかませた敵の構造、イタリアの悲しき未亡人モニカ・ベルッチ(ほとんど出番がない 笑)、英国紳士にとって永遠の憧れであるフランス人レア・セドゥ(大胆な脱ぎっぷりで知られるが今回は脱いでいない)などの人物の配置も順当かつ鉄板な流れをしているし、クリストフ・ヴァルツ(途中から萩原流行にしか見えない 笑)の顔の上半分をまったく動かさず話す拷問シーンの残酷さ(先端恐怖症の方は注意)には、タランティーノ・ファンも思わずニヤついてしまうだろう。相変わらずMの言う事を聞かないダニエル・クレイグの人格破綻者ぶりも必見だが、それ以上にタブーに首を突っ込むのはボンド出生の秘密である。前作でもさりげなく明かされていたものが、今作でも大きく開示されたことで、今後のシリーズに更なる足枷が増えたのは言うまでもない。

役者の演技や相関関係を丁寧に描き、これまでの007シリーズの歴史を紐解き、丁寧に引用しながら、幾つかのアクション・シーンを組み立てていったサム・メンデスだったが、そのアクションの描き方は正攻法かもしれないが、決して上手くない。特にカー・チェイスの場面で、バティスタの猛烈なプレッシャーを受けたボンドが、石畳の狭い路地をアストンマーチンDB10ですり抜ける場面で、カー・チェイスに観客の目を釘付けにしているにも関わらず、どうしてボンドとマネーペニーとの会話の中で、物語を押し進めてしまったのか理解に苦しむ。マネーペニーとのあまりにも急な会話の脱線により、カー・チェイスそのものの魅力が薄れてしまった。

更に致命的なのは、続くレア・セドゥを人質にした3台の車をヘリで追跡する場面で、両翼がもがれたヘリが物凄い時速を出しながら、雪の中でコントロールが効かなくなる場面である。ここでヘリが山小屋にぶつかりそうになった時、どういうわけかカメラは山小屋の裏側に回り、ヘリが小屋を破壊する様子を待ち構えているのである。この一連のモンタージュされたショット構成のスペクタクル性の排除や作為的なカメラの配置を見るにつけ、サム・メンデスには決定的にアクションを撮る才覚がないと言わざるを得ない。

クライマックスの3分間のビル爆破の場面も、冒頭にメキシコでマンション爆破があっただけに、単純なアクションの配置ミスとしてしかカウントされない。カーチェイスと物語の進行の交錯もそうだが、サム・メンデスはこういう残念な初歩的なミスを幾つも重ねてしまっているため、物語全体の心象は必ずしも良くない。007シリーズの根幹はアクションであって、伏線の回収や丁寧な引用やキャラクターの配置は二の次である。どんなに伏線やサイド・ストーリーに力を入れようが、肝心のアクションが単純なミスばかりならば、点は辛くならざるを得ない。

結果、これまでのシリーズを全て観ている人たちには概ね好評だが、今作で初めて007に触れた人や、特にシリーズに思い入れがない人には、すこぶる評判が悪い歪な作品に仕上がったのはあまりにも皮肉な事実だと言える。高額で貴重なアストンマーチンDB10をあっさりと海に水没させ、代わりに『ゴールドフィンガー』でボンドが愛用したDB5に回帰する真に後ろ向きなアイロニーを包括したエンディングを、我々年寄り世代が熱狂的に受け入れる中で、いったい若者たちがどんな表情でこの感動的な結びを支持すれば良いのか?最後の最後に007ファンにとって重い踏み絵が用意された今作で、ダニエル・クレイグのボンドは遂に見納めとなるらしい。

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