【第1161回】『レディ・プレイヤー1』(スティーヴン・スピルバーグ/2018)

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【第1140回】『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』(スティーヴン・スピルバーグ/2017)

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【第1132回】『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(スティーヴン・スピルバーグ/1981)


 舞台は1936年、プリンストン大学で教鞭を執る高名な考古学者インディアナ・ジョーンズ教授(ハリソン・フォード)には、世界中の宝物を探し集めるというトレジャーハンターとしての顔があった。第2次世界大戦直前の混乱期。勢力を拡大する一方のナチスドイツのヒトラーは、幻のお宝となる伝説のアーク「聖櫃」の行方を執拗に追っていた。そのことを知ったアメリカ側は、ヒトラーに渡るのを阻止すべくあらゆる手段を用いて妨害しようとしている。その困難な任務を受けることになったのはインディで、アメリカ政府からアーク発掘の要請を受け早速エジプトに渡った。

 インディはアブナーの日記を手掛かりとして、ネパールの村へと向かう。アブナーの娘であり、かつてインディの恋人でもあったマリオン・レイヴンウッド(カレン・アレン)が営む酒場を訪れるが、既にアブナーは死亡していた。マリオンは日を改めて来るように言ってインディを追い返すが、直後にインディを尾行していたゲシュタポのエージェントアーノルド・エルンスト・トート(ロナルド・レイシー)らが酒場に現れ、マリオンに杖飾りを渡すように強要する。両親がユダヤ人であるスピルバーグは、巧妙にナチスの非人道的行いを告発する。常に黒いレインコート姿で薄笑いを浮かべているこの男は、生意気な女から力づくで杖飾りを強奪しようとする。その姿は冷酷非道であり、容赦がない。間一髪のところでインディが救出に入るのだが、炎に包まれた酒場での銃撃戦はまるで西部劇である。至近距離からの撃ち合い、自分が撃たれたと思ったら男の裏に女が隠れているなど、射撃のバリエーションには事欠かない。やがて手柄をせしめたかに見えたトートだったが、その代償として手のひらに大きなヤケドを負うことになる。

インディとサラーがエジプト人採掘者に紛れて、タニス遺跡の発掘現場へと潜入し、本物の杖飾りを用いて「魂の井戸」の場所を突き止める中盤以降の怒涛の展開はいま観ても素晴らしい。一度は死んだかに思えたマリオンとの再会でインディは大喜びするが、その後再び捕虜として戻す頭の良さも見せる。その後のカー・チェイスならぬ馬による追跡は、ジョン・フォード『駅馬車』への実にあっけらかんとしたオマージュに他ならない。馬で追走し追いついたインディはトラックの幌へよじ登り、やがて運転席に乗った男を蹴散らす。その後お宝を奪還したインディの逃亡は古き良き西部劇の変奏となる。途中複数の樽を使ったトリックやチュニジアの町並みを上手く利用した活劇はスピルバーグのセンスの良さを感じさせる。後ろに誰かがいるというたったそれだけのことが、スピルバーグにとっては真に劇的な活劇の場となる。

 クライマックスは『未知との遭遇』同様に、旧約聖書から伝わる十戒のイメージが全ての活劇を打ち消すかのように現れるが、『新たなる希望』と『帝国の逆襲』の延長線上で再び結集したインダストリアル・ライト&マジックの特撮が、『未知との遭遇』のダグラス・トランブルとは一味違うテイストを醸し出す。たかだか目を閉じていただけで災いから逃げる主人公たちの姿にはやや首を傾げたが 笑、この目をつぶることの大切さは後にスピルバーグの作品で顕在化することになる。それにしても途中毒を飲んで死んだ猿の哀れが随分と容赦ない。

【第1131回】『JAWS/ジョーズ』(スティーヴン・スピルバーグ/1975)


 小さな海水浴場アミティの夜の浜辺では、夏を待つ若者のグループが焚き火を囲んで、アルコールを呑みながらギターをかき鳴らしていた。その中にはクリシーという美貌の女子大生がおり、彼女と目が合った少年が波打ち際めがけて走り出すクリシーを追いかけると、クリシーは一糸まとわぬ姿で夜の海に飛び込んだ。少年はズボンが脱げないまま、その場に寝てしまうが、女はどんどん沖へ出ると、やがて何かが自分の足をひっぱっているような衝撃に襲われる。次の瞬間、女の身体は絶叫とともに、かき消されるように海面から消えた。彼女がこの海の最初の犠牲者だった。この真に大胆でセンセーショナルな導入部分を持つ映画は、70年代のスピルバーグの代表作になっただけでなく、アメリカ映画の歴代興行収入記録を塗り替える金字塔を打ち立てた。今作におけるスピルバーグの「見えない恐怖」はヒッチコックばりにとてつもない恐怖心を幼い心に植え付ける。

 アミティの警察署長ブロディ(ロイ・シャイダー)はニューヨークの都会から、仕事の関係でこの辺ぴな田舎町に越して来る。この街は凶悪な犯罪はおろか、軽犯罪すらも起こらない平和な街であり、そのことは導入部分の翌朝の老人の嘆きの相談の内容からも窺い知れる。アミティという小さな街にとって夏の海開きのシーズンは1年を通しての書き入れ時であり、1週間後に迫った海開きを街の人たちは皆、楽しみにしていた。そこにこの忌々しい事件は起こる。当初は大したことのない事件として取り合わなかったブロディも、2人目3人目の犠牲者が出る頃になると、正気ではいられなくなる。彼は警察官の当然の判断として海水浴の中止を決めるが、その判断に市長ボーン(マーレイ・ハミルトン)が待ったをかける。

 スピルバーグは導入部分で一度サメを襲来させ、我々観客の興味を引きつけてから、今度は街の思惑と人間ドラマに重心を移す。警察署長の責任感、市長の利潤最優先の判断、2人目の犠牲者の母親の罵倒、それぞれの思惑を提示した上で、主人公に実に悩ましい判断を委ねる。最初は市長の圧力に屈していたブロディがやがて海開きを中止し、サメの退治へと向かうことを決めるまで、ブロディの葛藤をきめ細かく描いたことで、この物語全体のクオリティは決まった。スピルバーグは丁寧にもブロディが水嫌いで海に近寄らない人間であることも観客に見せて、海アレルギーと警察署長としての海の保全活動との板挟みで揺れるブロディの心情を的確に描写するのである。その後悩んだ末、一つの決断を下す前の父親と息子との仕草を真似るやりとりがまた素晴らしい。これは台本にはなく彼らの即興だったようだが、あそこのほんの一瞬に父子の関係性が集約されている。

 初期のスピルバーグ作品の特徴として、偏屈な親父と経験のない未熟な若者の対立がしばしば描かれるが、フーパーとクィントの対立関係はまさにその典型であろう。長年自分の勘だけを頼りにサメを退治して生計を立てていたクィントは、あくまで学術としてサメと向き合ってきたフーパーとは住んでいる世界が違うと言い張る一匹狼である。当初はブロディやフーパーさえも船には乗せないとつっぱねていたくらいだが、やがて3人でサメ退治の航海に出ることとなる。

 甲板上でもフーパーとクィントの意見はことごとく食い違い、その度ブロディがなだめる綱渡りの航海が続くが、その緊張状態を緩和する名場面がある。それは夜の帳の中、船内に戻ったフーパーとクィントが互いのキズを自慢する戦争映画の1シーンのような素晴らしい場面である。体のキズを勲章だと誇るクィントにとって、フーパーのキズは言葉では共感出来ない2人の距離を縮める格好の判断材料となり、束の間の友情を交わすことになるのだが、ここでのスピルバーグの描写がいちいち素晴らしい。最初は2人の言い争いを静観していたブロディもフーパーとクィントと並び座り、一緒に歌を歌うのである。やがてクィントの口からサメを退治して生計を立てることになった理由が明かされ、この男の生きる理由が静かに開示されるのだが、それを知った上でクライマックスを眺めるのはなんとも忍びない。

 ブロディとフーパー、そして観客にとっては依然としてジョーズは「見えない恐怖」として存在し、処女作『突撃!』のタンクローリーのような見えない恐怖は常に彼らのメンタルを押さえつけるのだが、クィントにとっては敵は8mの巨体であろうが、第二次世界大戦の時と同じようにはっきりと見える敵に他ならない。その判断ミスが3人のその後の運命を決めたことは何とも皮肉な事実である。ラスト・シーンでは去勢されていたかに見えた2人の男が、人間としての生存本能を目覚めさせ、いつの間にか海への恐怖心すら克服している。

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