【第1149回】『ユーズド・カー』(ロバート・ゼメキス/1980)


 アリゾナ州フェニックス市にある広大な土地。そこにクラシック・カーの販売で生計を立てるニューディール中古車販売株式会社はある。大きな道を挟んだ向かい側にはロイ・フュークスというライバル会社があり、彼らは私生活では実の兄弟でありながらどういうわけか仲が悪い。高速道路誘致の計画を事前に関係者から仕入れた弟は、兄の販売会社の用地買収を目論む。この兄弟の不和から来る土地買収騒動を食い止めようと、野心的な若者が顔を出す。彼はニューディールのルーク社長(ジャック・ウォーデン)に雇われたルディ・ラソー(カート・ラッセル)である。ハンサムで口が達者な青年はセールス・マンとして、天賦の才能を誇る若きエースとして君臨する。このルークとルディの関係はまさに『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズのマーティとドクのプロトタイプのような師弟関係である。高齢で心臓の弱いルーク社長は、心臓の薬が手放せない。しょっちゅう心臓麻痺を起こし、その度に薬の世話になっているが、弟は兄の心臓の弱さに目をつける。

 発作に見せて殺してしまえば、誰も罪に問われず、合法的に土地も自分のものになると試算した弟は兄を躊躇なく殺す。まさに高所に置かれたディスプレイが示す通り、「ONE OWNER」になった弟だったが死亡の発表はおろか、死体すらも出て来ない。間接的に弟に殺められた兄の仇を討とうと復讐に燃えるニューディール中古車販売株式会社の3人の若者は、彼を広大な土地に穴を掘り埋め、弟にはマイアミへ行ったと嘘をつくのである。これは『ハリウッド・ナイトメア』における教師殺しのエピソードと相関関係にある。あちらでは一度は埋めた教師を黒魔術で生き返らせた高校生カップルの悲劇を描いていたが、今作では弟の用地買収を食い止めるアリバイ作りとして死体の埋葬が機能し、後に実際に一度蘇らせたように見せかけた死体が更なるアリバイとなる。天涯孤独な兄の遺産を受け取れるのは従業員ではなく弟だが、予期せぬ血縁者が顔を出す。10年間消息不明だったルークの娘バーバラ(デボラ・ハーモン)が突然ひょっこり現れたことで、乗っ取られる側だったニューディールと乗っ取る側のロイ・フュークスの関係性は一気に形勢逆転していく。

 口八丁手八丁でやってきたルディはバーバラにも嘘をつき通そうとするが、この女の持つ不思議な引力に嘘を見抜かれ、一転して不利な状況に陥る。隣から1ドル札で客を釣ったり、しっかりと接着剤でつけなければならないバンパーをチューインガムで付けたり、アメフトの試合中にお色気中継で電波をジャックしたりと、初期ゼメキスのやりたい放題感はここに極まる。ゼメキスノーユーモアは師匠スピルバーグにはない冴えを見せるのだが、特に素晴らしいのはビーグル犬の死んだ振りの場面だろう。酒場でのアメフト賭博の場面も初期ゼメキスの真骨頂ひ他ならない。時に超然的な行動で幾多の困難を一発逆転する主人公のアイデアの源流がここにある。所詮はただの一発逆転の大博打なのだが、室内で傘を差し、大量の塩をこぼし、鏡を割るなど縁起でもない行動を積み重ねた3人に奇跡が起きる。乗っ取る側との息を呑むような攻防を積み重ねながら、法廷シーンを経て、自動車教習所の生徒たちをも巻き込み、中古車250台がアリゾナの町を疾走するクライマックスは、まるで師匠スピルバーグの『続・激突! カージャック』のようなカタルシスをもたらす。それはアメリカン・ニュー・シネマで育った若者からのニューシネマへの無邪気な返答にも見える。

【第1146回】『ロジャー・ラビット』(ロバート・ゼメキス/1988)


 1947年のハリウッド。ロサンゼルスの東部のどこかにアニメーションの登場人物が住む町トゥーンタウンがあった。この町の人気者ロジャー(声=チャールズ・フライシャー)は映画の撮影に失敗し、ぼんやりして仕事に身が入らない状態になっていた。心配した社長のマルーン(アラン・ティルヴァーン)は、探偵のエディ・ヴァリアント(ボブ・ホスキンス)を雇い、ロジャーの妻で官能釣なジェシカ(声=キャスリーン・ターナー/エイミー・アーヴィング)を尾行させる。エディはインク・アンド・ペイント・クラブに行き、ジェシカと彼女の愛人だと噂のマーヴィン・アクメ(スタッビー・ケイ)の2人の信用を堕とすような写真を撮る。ところがそのマーヴィンが何者かによって殺されてしまい、ロジャーが第1容疑者にされてしまう。実写にアニメーションを合成するという当時は画期的な方法で作られた大ヒット作。制作はディズニー出資のタッチストーン・ピクチャーズが担当し、ワーナー・ブラザーズが配給。ワーナーはディズニーとのキャラクター交換により、ミッキーマウスとバッグス・バニー、ドナルド・ダックとダフィー・ダックの夢の共演があるだけでなく、どういうわけか『ベティ・ブープ』のウィッフル・ピッフル、『ウッディー・ウッドペッカー』のパパ・パンダ、ルーニー・テューンズの『幻のドードーを探せ』のドードー鳥なども参加し、さながら当時のトゥーン祭りの様相を呈す。個人的にはウィッフル・ピッフルがうらぶれた女を哀愁たっぷりに演じていたのがぐっと来る。

 だが物語の構造は1940年代を背景にしたフィルム・ノワールであり、当時の子供達に理解出来たかは定かでない。探偵事務所の私立探偵エディは弟を殺された重荷を背負い、生きている。彼はその時からトゥーンを憎んでおり、当初は容疑者となったロジャーにも救いの手を差し伸べない。だがこの事件には裏があることを知ったエディはロジャーを匿い、独自に調査を始めることになる。ロジャーの妻ジェシカ・ラビットも自他共に認めるダイナマイトボディの持ち主で、会員制ナイトクラブの歌姫というキャラクター設定も典型的なファム・ファタールとして登場する。トゥーンも実写もカラフルな色彩だが、作品全体に漂うトーンは明らかに漆黒の闇であり、影そのものである。そのようなフィルム・ノワール的な展開でサスペンスを持続させるものの、クライマックスの種明かしにはやや拍子抜けした。トゥーン・パトロールが笑いながら次々に天国に召されていく場面の異様さはあまり見たことがないバカバカしさを誇る。緑色をした溶解液が少しでも体にかかれば、彼らはこの世から消えてしまう。クリストファー・ロイドの『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズでドク博士を演じながら、一方ではこんな悪役を纏っているという出鱈目さ。ラストの道具を使いまくったアクションは、限定された空間の中でバリエーション豊かにアクションを作ることが出来るゼメキスの才能が開花した場面であろう。一方では宙づりにされたカップルが溶解液の中に落とされようとしている。その一方で様々な道具を駆使しながら、エディはクリストファー・ロイドに対峙する。それは亡き弟の弔いの作業となる。

【第1049回】『Disney's クリスマス・キャロル』(ロバート・ゼメキス/2009)


 19世紀半ばのロンドン。金貸業を営むスクルージは金がすべての嫌われ者。クリスマス・イヴだというのに貧しい人への寄付をはねつけ、“貧乏人は死んでも構わない。余計な人口が減るだけだ”と悪態をつく始末。そんな彼の前に、7年前に死んだ共同経営者マーレイの亡霊が現われる。彼は怯えるスクルージに対し未来への警告を発し、その運命を変えるために3人の霊がやって来ると言い残して姿を消す。やがて一人目の霊が現われ、スクルージを過去のクリスマスの日々へと連れ出す。そこで彼が目にしたのは、少年から青年時代にかけての、夢を抱き優しい心を持っていたスクルージ自身の姿だった。師匠のスピルバーグも『タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密』で、ジェームズ・キャメロンも『アバター』でハリウッド映画におけるモーション・キャプチャの可能性を探っていたが、ゼメキスのこの技術へのこだわりは尋常ではない。90年代には生身の人間と既に他界した人間の映像との融合を試みた男は、21世紀になって実際の俳優たちの身体表現をCGに変換する。『ポーラー・エクスプレス』ではトム・ハンクス、『ベオウルフ/呪われし勇者』ではアンソニー・ホプキンスやジョン・マルコヴィッチ等の性格俳優を担ぎ出したが、ここに来てコメディ俳優として一時代を築いたジム・キャリーに主人公他7役の身体表現を託している。

 過去・現在・未来を司る3人の亡霊が順番に現れる様は、かつて『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズを撮ったゼメキスの専売特許だろう。まず過去の亡霊が現れ、彼の昔の姿と対面させる場面は子供向け映画らしからぬ展開を見せる。子供の頃から孤独な少年だったスクルージは、亡き妹の存在だけが唯一の希望だった。やがて彼にはベルという聡明な女性が現れるが、お金に執着し始めた彼を見限り、去って行く。現在の亡霊は彼に仕えるクラチット家の様子を俯瞰で提示する。自分のことをどう思っているのかを盗み見するのは誰だって嫌なことだが、クラチットの息子ティムの身体が弱いことを知ったスクルージは亡霊に命乞いをするが、余分な人口が減った方がマシだと言い取り合わない。正気を奪われた男が亡霊の力で正気を取り戻した途端、かつての自分の合わせ鏡のような言動をする亡霊を見るという倒錯的な光景。次いで出て来た未来の亡霊がスクルージに提示する物語は、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズにおけるマーティが辿ることになる運命よりも遥かに厳しい。

 モーション・キャプチャによるゼメキスの活劇は、基本的に追いかけられるか滑り落ちるかのどちらかである。中でも高所からの落下のイメージにゼメキスは異様に執着する。空撮では絶対に成し得ない冒頭のロンドン上空の撮影もさることながら、現在の亡霊が俯瞰で真上から見る光景や、雪に覆われたロンドン郊外をまるでスキーをするかのように滑り落ちる場面にもゼメキスのモーション・キャプチャの特色が見える。要は3Dを奥行きで据えるか高低差で据えるかの感覚的な問題なのだが、ゼメキスは徹底した高低差主義者なのである。あとは自宅の間取りも室内を降りてくる印象的な長い階段を中心にレイアウトされているのは言うまでもない。かつて実写映画『永遠に美しく』でも同じような階段が出て来たが、スクルージは階段をその足で降りるのではなく、倒れこみ、滑り降りるのである。ジム・キャリーが老い先短い老人を演じて、ゲイリー・オールドマンが病弱のティム少年を演じるというある種の時間的倒錯性も、ロバート・ゼメキスの専売特許であろう。

【第793回】『ロマンシング・ストーン/秘宝の谷』(ロバート・ゼメキス/1984)


 ロマンス作家のジョーン・ワイルダー(キャスリン・ターナー)は、新作を出版社の編集者グロリア(ホーランド・テイラー)に届けて帰宅すると、部屋中がめちゃくちゃになっていた。やがて、南米コロンビアにいる姉イレイン(メアリー・エレン・トレイナー)から電話がかかって来る。彼女はギャングに誘拐されており、数日前にジョーン宛に夫が出した手紙の中にある地図を持って来てほしいというのだ。ジョーンは、早速コロンビアに飛ぶ。処女作『抱きしめたい』でビートルズの上陸に浮かれる若者たちの青春群像劇を描き、スピルバーグの『1941』の脚本に抜擢されたボブことロバート・ゼメキスの長編3作目。音楽にフォーカスした処女作『抱きしめたい』とクラシック・カーにフォーカスした2作目『ユーズド・カー』はどちらかと言えばスピルバーグよりもジョージ・ルーカスの強い影響を感じたゼメキスだったが、ここでは盛大にスピルバーグの『インディ・ジョーンズ』の二番煎じをやっている。あちらは考古学者インディアナ・ジョーンズがお宝探しのために自ら財宝の眠る国に飛んでいたが、今作ではジョーン・ワイルダーという名前の売れっ子女流作家が主人公であり、彼女の危機にジャック・コルトン(マイケル・ダグラス)が着込まれるいわゆる「巻き込まれ型」のサスペンスである。構造として、最初に偶然、ある情報や財宝を手に入れ、次にその奪還を目的とした謎の組織に命をつけ狙われる羽目になるのだが、今作の構造はまさに優等生的に「巻き込まれ型」サスペンスの王道パターンを反復する。

 冒頭の西部劇、服のはだけた女は凶悪な男の毒牙につかまりそうになるが、彼女が太ももに忍ばせていたナイフが心臓を一刺しする。こんな安直な結末の小説で何がベストセラー作家だよと思うのも事実なのだが 笑、彼女の現実は小説ほど満たされていない。執筆に夢中になりトイレット・ペーパーの買い出しをすっかり忘れ、洗い物をするのが面倒で、暖炉に食器を投げる様子から主人公のガサツで枯れた生活が伺える。いま観ると主人公のキャスリン・ターナーの生活ぶりはもう少し丁寧に炙り出しても良かったはずだ。急転直下、マンションの廊下で管理人が刺され、部屋が荒らされたところから主人公は否応なしにサスペンスに引きずり込まれる。彼女の夫はなぜ妻の妹に大事な地図を託したのか?そういう細部は無視しても、どんどん力業でアクションは起動する。言葉が通じない異国、誰ともコミュニケーションの取れない恐怖の中、彼女にとって救世主となる人物が唐突に現れるが、実は彼は救世主でも何でもなく、主人公の持っている地図を狙う悪徳軍人のゾロ(マヌエル・オヘイダ)である。彼女にとって真の救世主となるのは、待ち構えている人間たちではなく、そこを偶然別の用事で通りがかったトラックの持ち主ジャック(マイケル・ダグラス)の方である。女の頼みにも金銭を要求し、重いスーツケースさえ持ってやらない彼の自己中心的な行動に困り果てているのかと思いきや、そうではない。

 今作は本格的なサスペンスでありながら、主人公にとって運命の出会いを横軸に用意する。80年代のコロンビアの治安の悪さの大げさな描写にはやや首を捻りつつも、実はメキシコの山奥で撮影されたアクション・シーンの金のかからない上手さに職人監督ロバート・ゼメキスの名人芸がある。スピルバーグのように派手なカー・チェイスは出来なくとも、100mくらいの車の交差だったり、草原での疾走で十分スリリングに見せるし、断崖絶壁からのスタントマンによるターザンも文句なく面白い。麻薬シンジケートに主人公の小説のファンがいるというのは幾ら何でも信じ難いが 笑、マリファナの焚き火で決まり気絶した運命の人ワイルダーをジャックは決して犯したりしない。『インディ・ジョーンズ』シリーズでは、スピルバーグが虫や爬虫類を細かな演出の一部として用いる中、ロバート・ゼメキスはヘビやワニをあえてアクションの起爆剤として起用する。男女のすれ違いの場面では大蛇が、ラストのエメラルド強奪戦においては凶悪なワニがゾロの片腕を噛みちぎろうとする。そしてアクションの終点にも、エメラルドを呑み込んだワニを取るか?それともジョーン・ワイルダーを助けるのか?ジャックは二者択一を迫られることになる。スピルバーグが『1941』でコメディエンヌとしての決定的な才覚の無さを披露する中、アクションの中にコメディの萌芽を少しずつ混ぜ込もうとするゼメキスとスピルバーグとの作家性の違いが鮮明になる。それを一手に引き受けるのが、80年代に一斉を風靡したダニー・デヴィートその人である。ジャックがワイルダーのために新しい服をベッドに用意する場面は、スピルバーグが後に『オールウェイズ』でオマージュを捧げている。ゼメキスはキャリア初期からロマンス描写もすこぶる上手かったことを再確認した。

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