【第996回】『マイティ・ソー/ダーク・ワールド』(アラン・テイラー/2013)


 宇宙誕生前夜、闇の中に誕生したダークエルフ達の集い。最も邪悪なマレキス(クリストファー・エクルストン)が、インフィニティ・ストーンの中に収められた無限の力「エーテル」を使い、宇宙を再び漆黒の闇に戻そうとした。オーディン(アンソニー・ホプキンス)の父・ボー(トニー・カラン)の率いるアスガルド軍が必死に応戦し、何とかエーテル奪還に成功した。その結果ダークエルフ達は何処かに消え、エーテルは地中深くに埋められた。ニューヨークに壊滅的な打撃を与えた「アベンジャーズ」の戦いから1年。英国・ロンドンで原因不明の重力異常が発生した。アズガルドの王子ソー(クリス・ヘムズワース)の恋人であり天文物理学者のジェーン(ナタリー・ポートマン)は、その原因調査のためロンドンへと向かう。だがこの怪異は、宇宙が誕生する以前から存在していた闇の力を復活させ、地球侵略を足掛かりにして全宇宙の滅亡を企むダーク・エルフの仕業だった。コンクリート打ちっ放しの子供施設、調査を進める中、ジェーンは重力が発生するスポットに迫るが、宇宙滅亡を導く鍵となる“ダーク・エルフの力”を自らの身体に宿してしまう。重力異常により5時間行方不明になったヒロインの元へヒーローがやって来る。その瞬間強い雨が振り、ジェーンに両頬を平手打ちにされた男は、口づけをしようとした瞬間に助手のダーシー(カット・デニングス)に制止される。

 「マーベル・コミック」のヒーローコミック『マイティ・ソー』の大ヒットにあやかったシリーズ第二弾。9つの国を統治するオーディンは長らくアスガルドのカリスマとして知られ、後継者に2人の兄弟のうち、兄ソーを指名した父親は暗黒面に落ちた弟ロキ(トム・ヒドルストン)を投獄する。幼馴染のシフ(ジェイミー・アレクサンダー)、「ウォリアーズ・スリー」のヴォルスタッグ(レイ・スティーヴンソン)、ホーガン(浅野忠信)、ファンドラル(ジョシュア・ダラス)たちは黙ってことの次第を見つめるが、すっかり暗黒面に落ちたロキは家族への憎悪を肥大化させ、アズガルドの転覆を企む。前作『マイティ・ソー』では西暦965年から2011年にタイムスリップを遂げる北欧の勇者の姿こそが核となったが、2013年から967年にタイムスリップするヒロインの姿が今作の核となる。フルチンで走り回る中年男エリック・セルヴィグ博士(ステラン・スカルスガルド)やジェーンの求婚者リチャード(クリス・オダウド)やダーシーの助手イアン(ジョナサン・ハワード)の描写はアメコミ映画というよりも、むしろライト・コメディの様相を呈するが、後半のVFX技術に裏打ちされたアクション・シーンの迫力は有無を言わさぬ魅力を誇る。北欧神話と現代とのダイムスリップを主軸にした物語は、『スター・ウォーズ』シリーズのような血筋にまつわる因果に揺れる。惑星直列の瞬間と「エーテル」の巨大な力、前作ではあまりクローズ・アップされることのなかったフリッガ(レネ・ルッソ)の最期、愛と憎悪に揺れる兄弟の姿はラスト1分の驚くべき逆転劇に触れる。

【第361回】『コングレス未来学会議』(アリ・フォルマン/2013)


 冒頭、難聴の息子が自ら編んだ赤い飛行機(凪)を大空に飛ばすが、本物の飛行機の風に阻まれコントロールを失い、柵を越えようとする。その柵は越えてはいけない領域を暗示する柵であり、息子の飛行機は黒人警備員に強制的に敷地内に戻され、もう二度とやらないようにと厳重な警告を受ける。この導入部分の一連のイメージが母親であるロビン・ライトの倫理的には越えてはならない境界線を犯すことにつながっていく前半部分の演出は見事というより他ない。ミラマウントという架空の映画会社がパラマウント+ミラマックスを暗示し、ハリウッド帝国を揶揄していることは誰の目にも明らかだが、この会社は生身の人間としてではなく、CGとしての契約を彼女に持ちかける。女優としてのプライドからか最初はすぐに断るが、息子の病気の進行を医師に聞かされて判断が180度変化する。それは生身の人間としてハリウッドに残り続けるよりも、息子の記憶に残る女優として元気な姿をスクリーンに刻みつけながら、自らは完全引退し、献身的に息子の看病に100%専念したいという母親としての決意表明に他ならない。いわば彼女は母親としての自分を選び、女優としての成長を捨てたのである。それはスキャンされる直前のハーヴェイ・カイテルの泣きの告白でも明らかである。

問題はスキャンされてからいきなり20年経過したその後の光景だろう。ライトと息子のその後の関係は明らかにされないまま、対向車とすれ違うことのない田舎道をロビン・ライトは走っている。関門に差し掛かると、彼女は何かの会議に参加しようとしているのだとわかるのだが、おもむろに提示された謎の液体を飲まされ、彼女はその道の先へと進むことになる。ここで映画はどういうわけか実写だった世界から2Dアニメーションへと唐突に移行するのである。この未来への移行が2Dになる演出はなかなかユニークである。ロバート・ゼメキスの映画を観るとわかるが、2Dと3Dの世界とは相容れない性質を持っているのは間違いない。『ロジャー・ラビット』はかろうじて実写とアニメーションの融和を図った映画だったが、VFXが発達した現在では、実写にVFXが足されることはあっても、2Dに実写が混じることはない。それが今作では20年後の世界で、ロビン・ライトは迂闊にも息子のいない2Dの世界へとタイムワープするのである。そこではミラマウント社が、グループ会社のミラマウント=ナカザキが開発した薬物により誰でも彼女になれるようにするという契約をロビンに強引に結ばせようとする。何でも彼女は生身の肉体を捨て、CGキャラクターになったことで、20年後の大衆の莫大な支持を得ているというのである。この設定がそもそもナンセンスにしか見えないが、斜陽化に歯止めがきかない映画会社は、グループ企業の製薬会社に特許を使いまわし、何とか延命しようとするのである。

一番難儀で不明瞭なのは、ロビン・ライトが女優業を廃業させた理由が息子の世話のためだったにもかかわらず、なぜ彼女が息子を置いて、この恐怖の会議に出席したのかに尽きる。前半の物語の整合性から言えば、彼女の傍には絶対に息子がいるべきなのだ。恐らく死んでいるだろうハーヴェイ・カイテルの生死さえほったらかしにしたまま、ライトは強引に2D世界の住人となる。そこではやはり、正義感の人一倍強い女優だったロビン・ライトの見解が会社の倫理に歯止めをかけようとしゃしゃり出て来るのだが、この唐突な展開に観客は上手く感情移入できないまま、痛みのない活劇・追走劇が幕を開ける。2D世界は2014年から20年後の世界だから2034年になるが、モーション・キャプチャ全盛の現代から20年経過したところで、幻覚の匂いを嗅いで女優になり切る薬が一般化するとはとても思えない。いや遅かれ早かれそういう未来に近づいているのはわかるが、それでも展開があまりにも急過ぎる感はある。ディラン・トゥルーリナーとの束の間の情事の後、彼女はバーチャル・リアリティの幻の世界から荒廃した現実へと戻るが、息子の姿を捕まえることは出来ない。それが再び仮想現実に戻る時、あっけなく息子と再会する。この労せずしての息子との再会の薄いリアリティこそが、アリ・フォルマンが提唱した仮想現実なのかもしれない。バーチャルはただのバーチャルであり、そこに焦燥や葛藤は生まれにくい。

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