【第973回】『オール・イズ・ロスト 〜最後の手紙〜』(J・C・チャンダー/2013)


 男(ロバート・レッドフォード)は自家用ヨット「バージニア・ジーン号」に乗り、たった1人でインド洋に打って出た。70を過ぎての単独航海、男は誰の力も借りず、1人だけで大海原に冒険を試みる。だがスマトラ海峡から3150キロ沖。男は全てを失い、大切な人へ最期の手紙を綴る。ことの起こりは8日前。インド洋をヨットで単独航海中の男は、船体の横っ面を殴られた音で浅い眠りから覚める。船室に徐々に海水が浸水していた。ギョッとした男は甲板に出るが、海上を漂流していたスポーツ・シューズを乗せたコンテナが激突し、ヨットに横穴が開いてしまう。水浸しになった航法装置は故障し、無線もラップトップも使い物にならず、外との通信手段を全て失ってしまう。やがて穏やかだった海には雨雲が迫り、雷鳴が轟き、暴風雨が襲ってきた。波は荒く、激しい揺れにヨットは一回転する。船内で辛抱強く晴れ間を待った男の身体は大海原に投げ出される。かくしてヨットは壊滅的なダメージを受け、居住空間にも水が溢れ出した。船内の支柱に頭をぶつけ、気絶した男は目を覚ました時も浸水と揺れが止まらない。荒天用ジブを見つけかろうじてヨットを捨てることを決意した男は、食糧とサバイバルキットを持って救命ボートに飛び移るのだった。

 おそらく我らの男にとって生涯最期の旅になるだろう単独航海は、彼の予想を遥かに超えた厳しさを見せる。時に自然の脅威の前では、個人の力などちっぽけで脆い。事が起きた時の彼の冷静な対処から、ロバート・レッドフォードは海の男として熟練の技術と経験を持っていることは明らかなのだが、それでも時に自然はちっぽけな個人をひどく惨めにさせる。導入部分のロバート・レッドフォードの最愛の人への一人称の独白の後、話し相手がいない今作には台詞など出て来ない。かろうじて男が吐き出した「FUCK」の言葉があるだけで、気の利いた会話も緊迫感を高める音楽もない今作は、ただひたすらにロバート・レッドフォードの行動のみを映し出す。その原理はいたってシンプルながら力強い。生きようとする「人間の根源」に焦点を当てた物語は、自暴自棄になりそうな男を何度も奮い立たせる。熟練の船乗りでサバイバーを演じたロバート・レッドフォードのサヴァイヴァル術の説得力が素晴らしい。男は理詰めで、一つ一つの物事を秩序づけて考えながら、ただ一つ生存本能のみで動く。海底に沈みかけた男が覗いた世界の深淵、あえてあそこで終わらせたJ・C・チャンダーの手腕が効いている。

【第969回】『マージン・コール』(J・C・チャンダー/2011)


 2008年ニューヨーク、マンハッタンの南端にある世界の金融センター「ウォール街」。巨額のマネーが動く最前線で突然事件は起こる。とある投資銀行で起きる非情な肩叩きの現場、サラ・ロバートソン(デミ・ムーア)に呼び止められた従業員は次々に上司の部屋に通される。リスク管理部門の責任者エリック・デール(スタンリー・トゥッチ)も今回の大量解雇の対象になっていた。ガラス張りの会議室、突然解雇を言い渡された男はその条件として、6ヶ月間の給与の半額を受け取るが、永遠に復職はない。ダンボール箱2つ分の仕事道具を抱え、男は失意の中エレベーターに乗る。これまで戦友として身を粉にして働いて来たウィル・エマーソン(ポール・ベタニー)やサラ・ロバートソン(デミ・ムーア)の返事は冷たく、すっかりうんざりしたエリックは最後に彼の部下だったピーター・サリヴァン(ザカリー・クイント)に「用心しろ」という意味深長な言葉を残し、志半ばの極秘資料が入ったUSBを渡すのだった。職場用の携帯は既に不通にされていた。ヤケを起こしたエリックはプライベート用の携帯の電源を切り、ブルックリンにある自宅へ向かう。その夜、早速直属の上司だったエリックのUSBを見たピーターはその驚愕の中身に思わず目を疑う。

 今作は2007年に起きた世界金融危機(リーマンショック)に端を発する。エリックから譲り渡されたUSBを独自に解析したピーターは、会社のポートフォリオにおける不動産担保証券(MBS,いわゆるサブプライム商品)の価格変動率(Volatility)が、HV(ヒストリカル・ボラティリティ;過去のデータに基づいて算出した変動率)を上回る可能性があることに気が付いた。過度のレバレッジにより会社の資産が25%減少すれば、時価総額(Market cap)を上回る損失を負いかねない。すなわち、会社は総資産を超える損害リスクのある大量のMBSを保有している、という結論に達する。ピーターは早速、同僚のセス・ブレッグマン(ペン・バッジリー)や上司のウィル・エマーソンを会社へと呼び戻し、有り得ない危機がいま自分たちの目の前に起きているんだと伝える。昨日まで金融エリートだった33人の生き残りたちは、一瞬で路頭に迷いかねない現実を突きつけられ、向こう24時間以内に物事に対処しなければならない。冷酷非道なサム・ロジャース(ケヴィン・スペイシー)をもってしても、血も涙もない金融業界の巨人として君臨するジョン・テュルド(ジェレミー・アイアンズ)が立ちはだかる。

 1974年、1987年、1992年、1997年、2000年と金融恐慌の歴史を何度も跳ね返して来たテュルドは今回も独特の帝王学で事態改善を臨むが、最悪のビッグ・ウェーヴは巨悪をも呑み込む。1秒ごとに価値が下落するマネー・ゲームのバーチャルな現状、真夜中の摩天楼に佇む権力者たちの欲望と憂鬱、後輩たちのキャリアに傷をつけてしまったサムの焦燥感。シリアスなマネー・ゲームをドキュメンタリー・タッチで描くJ・C・チャンダーの手腕、ハリウッド映画的なドラマチックな要素はほとんどなく、ただひたすらバツがつきたくない男たちの熾烈なパワー・ゲームの緊張感が息を呑む。

【第394回】『 アメリカン・ドリーマー 理想の代償』(J・C・チャンダー/2014)


 なだらかにむき出しになったコンクリート。午前中の光に背中を照らされながら1人の男が軽快な足取りでジョギングしている。カーブを曲がると側面にはまだまだ雪が残っていて歩くのも厳しそうだが、彼は雪のない部分を見つけ出しながら、白い息を吐き、コンクリートの上を軽やかに疾走する。その様子にふいにブロンドの女が鏡を見つめるあまりにも印象的なショットが一瞬挿入される。ラジオからは午前8時台のニュースが届き、いよいよ会社の始業時間が始まろうとしている。1981年NY。明らかにネイティブの顔つきではない男は70年代の燃料危機の後、80年代に急激な成長を遂げたオイル・カンパニーを僅か1代で成し遂げた辣腕オーナーである。まさにアメリカン・ドリームを地で行くような移民の男の出世譚。彼は事業拡張のために、川沿いの広大な土地の購入を決意し、頭金として全財産を投入する。妻に無茶はするなと注意されながら、全財産を持ってする無茶などないなどと至極真っ当な冗談を言いながら、両手にアタッシュケースを抱えて交渉の現場へと向かうことになる。やり手の移民社長と彼を全力でサポートするブロンドヘアでグラマラスな糟糠の妻。雪に囲まれた全面ガラス張りでコンクリートの打ちっ放しの大豪邸での暮らし。3人の子宝にも恵まれ、お手伝いさんを雇い、大きな犬がいて、何不自由のない暮らしを謳歌する夫婦はオイル・カンパニーを更に成長させ、ニューヨークで最大の規模にしようと大きな博打に打って出る。

Marvin Gayeの『Inner City Blues (Make Me Wanna Holler)』がスクリーンに流れる中、男の交渉には一点の曇りも見えない。頭金に全財産を投入したことで、残金を30日以内に支払わなければ頭金を没収されてしまう契約だが、男は明らかな勝算を持って交渉をやり遂げる。その目には一切の淀みがなく、絶対に支払うことが出来るという確信がありありと感じられる。80年代の立身出世の起業ブームの元、多くの移民がアメリカに渡り、大きな富を得ようと博打を繰り返した。そこには当然数%の勝者と90%以上の敗者がいたはずだ。アベル・モラレス(オスカー・アイザック)も最初はオイル・カンパニーの下っ端の運転手からキャリアをスタートさせ、その後セールスマンに転身、彼の仕事のやり方はとにかくクリーンであり、スマートに業務を達成することで遂にはニューヨークで事業を立ち上げるに至る。80年代、雪のニューヨークということでズブズブのマフィアとの関係を想像するかもしれないが、彼は信念としてマフィアに依存することなく、決して暴力に訴えかけることがない。では今作の原題となった「A MOST VIOLENT YEAR」というのはどういう誇張表現なのだろうか?順調に見えた事業の影で、積み荷のオイルがタンクローリーごと強奪される被害に悩まされ続ける彼は、石油業界の第一線から引きずり降ろそうとする外部の圧力に脅かされる。いったい誰が何の目的で事業を妨害するのか?タイミング悪く検察も彼の業務を監視しながら、告発のタイミングを伺っている。順調に見えた明るい事業計画が一転し、見えない敵の姿、検察のプレッシャー、疑心暗鬼に駆られながら男は、それでも自分の信念を決して曲げようとはしない。

事業がぬかるみにはまる一方で、家族というよりも夫婦の亀裂が大きな波紋を呼ぶ。ニューヨークの見通しの良い夜道、偶然タイミング悪く鹿を轢いてしまった夫婦の車、夫は自らが轢いてしまった鹿を呆然と眺めながら、鹿の微かな呻き声を聞く。もし今病院に運び込めば、動物の命は助かるんじゃないかと感じたかどうかはともかく、今後の算段を考えた矢先、複数の銃声が辺り一面に響く。ぎょっとして振り返った男は、最愛の妻の躊躇ない暴力を受け入れるしかない。妻と娘に豊かな暮らしをさせたいと成り上がった男の希望は、妻の不用意な行動のせいで暗礁に乗り上げることになる。夫は妻の本心に苛立ち、身綺麗な活動を求めるが、妻は愛する家族を守りたいなら暴力には暴力で対抗しろと去勢された夫の奮起を促す。父親が追い求めた理想と妻が求めた現実との埋められないギャップ。ここでも現代アメリカ映画特有の父性の喪失が頭をもたげる。ギャングもマフィアも介さないシリアスな人間ドラマは、やがてアベルが直近でタンクローリー強奪事件を聞いてしまったせいで、まるで『フレンチ・コネクション』のようなカー・チェイスから地下鉄を伴った追走劇へと変化していく。これまで80年代の刻印をあえて明示せず、シリアスな人間ドラマに傾倒していたJ・C・チャンダーだが、珍しく当時のニューヨークの落書きだらけの地下鉄を記号的に登場させる。車両を跨いだ追跡劇の後、遂に犯人の男を捕まえたアベルの拳を使った公開リンチは彼の理性により、突如中途半端に終わってしまう。そこで事件の真相を知ってしまった男は、直接関係者を聴取する。

それでもアベル・モラレスという男は、目には目を、歯には歯をの安易な復讐劇には乗ることがない。それはクリーンなビジネスという信条を誇示するためであり、告発のタイミングを伺う検察の目を逃れるために必要な手段とも言えるが、見えないパズルを構築するようなサクセス・ストーリーの亀裂に唐突に旧知の友人が顔を出す。81年当時は今よりも富を得る者と失う者の格差が拡がることのない世界ながら、30年前を描写する監督の意図は明らかに21世紀的である。自らが追い続けたアメリカン・ドリームの行方に足を引っ張るのは糟糠の妻でもローレンス検事でも顧問のアルバート・ブルックスでも危険なマフィアの友人アレッサンドロ・ニヴォラでもなく、彼だったというのが何とも皮肉であるが、事件は起こるべくして起こってしまう。弱肉強食と自由というアンビバレントな精神を同時に孕んだ国家アメリカ。銃撃戦も縄張り争いもない静かな心理ドラマに巧みに織り交ぜられた銃規制問題、昨今のアメリカ映画の傾向とも言えるクローズ・アップ多用のショット構成に陥らないシリアスな人間ドラマ、その重厚な会話劇には非常にレベルが高い。問題は主人公の糟糠の妻を演じたジェシカ・チャステイン以外の俳優陣が、おしなべて小粒で線が細い演技をしていることだろう。ショットの構図の審美眼的な美しさに呼応するような密度の高い演技が求められていたはずだが、そこだけが唯一の不満といえば不満である。しかしながら80年代の意匠をあえてことごとく外し、現代でも通じる普遍的なドラマを構築しながら、一貫してシリアスな人間ドラマを作り上げたJ・C・チャンダーの手腕は賞賛に価する。

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