【第435回】『これが私の人生設計』(リッカルド・ミラーニ/2014)


 片田舎に現れたデッサン力に秀でた才女。優秀な成績で学校を飛び級で卒業し、幾つかの大学で博士号を取得。ある建築デザインコンテストではあのアップル社の共同設立者の1人であるスティーブ・ジョブズからパソコンを貰うなど、イタリアの山奥の村一番の誇りとなったヒロイン。その才能を世界が見放すはずはなく、世界各国で引く手数多となり、建築家として順風満帆な生活を送る中、突然彼女の人生に転機が訪れる。忙しく働くロンドンの生活、大雨が止んだかと思えば、突然雪が降るイギリスの不安定な気候の中、ビゴリのような太麺にミートソースをかけ、一輪だけ生けてあった緑の葉を突然ちぎり乗せる。部屋の中からしんしんと雪が降るのを見つめながら、ヒロインは自分の人生に不安定ながら大きな決断をする。建築仲間たちは言語を必要としないためか、ドバイや中国など景気の良い国にどんどん移住し、外貨を稼ぐ。ノーマン・フォスターも最近亡くなったザハ・ハディッドもヨーロッパだけに留まらず、アジアやアメリカなど広く海外の発注を受け、世界を股にかけて活躍している。しかし今作のヒロインであるセレーナ・ブルーノ(パオラ・コルテッレージ)はそんな世界の潮流とは真逆の自殺行為とも言えるIターンを決断する。かくして30台半ば、独身、子供なしの女は住み慣れたロンドンのアパートメントから、祖国イタリアに何の計画性もなしにIターンする。別に仕事に疲れたわけでもなく、父母の病気でも恋人の仕事の都合でもなく、彼女はどうして本国へと戻ったのか?グローバル経済の中で社会はより不透明化し、安定性が求められるのは日本もEU圏のイタリアも同じである。彼女ほどのキャリアなら仕事の伝がありそうなものだが、イタリアに戻ったものの、建築関係の仕事などどこにもない。仕方なしに彼女はその日暮らしで食いつなぐために、レストランでウェイターとして働くのだ。そこに運命の出会いが待ち構えている。

レストランのオーナーであるフランチェスコ(ラウル・ボヴァ)の登場シーンはさながらイタリア版の『黒崎くんの言いなりになんてならない』のようで唖然とする。2階から一歩ずつ階段を降りてくる彼の足をスロー・モーションで捉えた映像、ロマンチックな音楽、肝心の顔がなかなかフレーム・インせず、散々焦らしてイケメン男子ラウル・ボヴァ様の登場となるのだが、案の定、ヒロインはその見事なジェントルマンぶりに心奪われるのである。数カ国語を操る彼女の仕事ぶりは、やがてオーナーのフランチェスコも知るところとなり、ナプキンに書いた何気ないスケッチを見られたヒロインは、ゆっくりと自分の夢を語り始める。急場凌ぎのバイト、天井の低い屋根裏部屋での窮屈な生活。何が悲しくてIターンなんかしたんだと思った矢先、彼女に更なる悲劇が訪れる。スクーターバイクの奪還のために小高い丘を下ると、一際印象的なコルヴィアーレが広がっている。その姿に彼女は次の生き方を朧げながら見つけるのである。1980年代にローマ郊外に建てられたコルヴィアーレはローマ市内の人口過密の緩和のために建てられた巨大公営住宅である。直径は1km、部屋数は1200を超える公営住宅は大蛇にも喩えられ、モダニズム建築の巨匠ル・コルビュジエを彷彿とさせるようなコンクリート造りで注目を集めた。当初は4階部分に公共施設や商業空間が出来る予定だったものの、建設費の超過により工事は中断。手付かずの空間に不法占拠者たちがたむろし、さながらゲットーのような貧民街となった。しかしそこには何十年も暮らす住民も確かにおり、行政は取り壊すわけにもいかず、対応に苦慮していた。この壮大なコルヴィアーレの再生計画に、ヒロインは名乗りを挙げるのである。

だがヒロインの勇気の前に、イタリア社会の男尊女卑の因習が立ちはだかる。誰もがみんな社会の中で、自分本来の顔をイミテーションして暮らしているということを、形式的にはドタバタ喜劇の手法で描いているのだが、その実リッカルド・ミラーニが描くイタリア社会の病巣は物語に暗い影を落とす。妊娠したら解雇される他ない会社、プレゼンに通るために女であることを偽らなければならない社会、オーナーの顔色を窺い続けるオフィスの空気、父親の形見の品を躊躇なく盗む少年たちの貧困と犯罪、オマケに最愛の男が実はゲイだったことに深い悲しみを滲ませるヒロインの姿は可笑しいというよりもむしろ同情すべきだろう。土曜日の辺鄙なナイトクラブ、自分でレストランを経営しているにもかかわらず、ネオンライトに包まれる秘密の地下室でしか、自分本来の姿を発散出来ないフランチェスコの闇に、自分の才能で正面からぶつかろうとしないヒロインは、女としての尊厳をいたく傷つけられながらも同時に共感する。ここではTVドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』キャリー・ブラッドショーとスタンフォード・ブラッチのように、異性として心許せる最愛のパートナーとしてのフランチェスコがヒロインの精一杯の支えになるのだ。セレーナ・ブルーノという男女共用の名前にイミテーションされた架空の男性セレーナ・ブルーノをフランチェスコが演じ、ヒロインは彼を支える秘書として捏造された物語の架空の人物を演じる。大阪出張のドタバタはかなり笑えるところだが、何よりも最後の決断が心地良い。奴隷72(だっけ?)が小指を立てながらコーヒーを飲む場面とか、ママと伯母さんが結婚を急かしていらぬお節介をする場面とか、いかにも楽天的なイタリア人気質が垣間見えるものの、実際は笑ってなんていられない下降線をたどるイタリア経済の中で、それぞれがもがきながら生きる希望を失わない姿を、エンターテインメント作品として仕上げた作品である。

【第417回】『ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります』(リチャード・ロンクレイン/2014)


 ブルックリンの散歩道に年老いた黒人と一匹の犬が歩いている。交通量が多く、人通りの激しい表通り、路面店が立ち並ぶストリートからは、店主の気前の良い馴染みの挨拶が聞こえて来る。彼はニューヨークの街に40年暮らす画家アレックス・カーヴァー(モーガン・フリーマン)という初老の男。妻に頼まれたお使いをしながらも、愛犬ドロシーに引っ張られるでもなく、ゆったりとした足取りで優雅にブルックリンの街を闊歩する。ニューヨーク・タイムスは買えなかったが、いつものように自分と妻の分のコーヒーをトレイに乗せると、長年住むアパートメントの前に降り立つ。だが目の前に拡がるのは果てしなき階段と永遠に続きそうな距離。目が眩むような試練の中、アレックスは覚悟を決めたかのように一歩目を踏み出す。しかし愛犬のドロシーはその一歩目をなかなか踏み出すことが出来ない。年老いた夫婦の物語と言えば想起される終着点は妻あるいは夫の死であるが、まるでその物語構造を予期し、回避するかのように、夫でも妻でもなく、愛犬が病に倒れる。床でのお漏らしの後、妻に抱えられた瞬間に悲鳴を上げた愛犬の症状は医師曰く「椎間板ヘルニア」らしい。翌日に40年住み慣れた部屋を手放すための内覧会を控えた夫婦は、深いダメージを負いながらその日を迎えることになる。

あらゆる人種や性別、職業さえも受け入れる「人種のるつぼ」たるニューヨークの街並み。最初に話しかけてきた男の褐色の肌にも明らかなように、アメリカ中で最も部外者を受け入れてきただろう由緒あるニューヨークの街並みは、9.11の惨劇以降、少しずつ様変わりしている。子供のいない夫婦に降って沸いた愛犬の死の予兆は、偶然にもブルックリン橋で起きたテロ事件と同時刻に起こり、タクシーでの動物病院への道のりは普段の何倍もの時間を要する。ニューヨークの狭い交通網は麻痺し、我先にニューヨークを脱出せんとする勢いの中で、当の夫婦は脱出など考える余裕もないままに、愛犬ドロシーを一旦病院に緊急入院させる。40年この街に住み慣れた夫婦には、ニューヨークの街を離れる気は毛頭ない。アドバイザーのリリー・ポートマン(シンシア・ニクソン)の案内のもと、カーテンを開け、光を取り入れ、雑然とした部屋を綺麗に片付けた夫婦はシナモンの香りを漂わせながら内覧会の朝を迎える。ブルックリンの街を一望出来るアパートメントの最上階、オマケに屋上には家庭菜園ありという条件が功を奏したのか、買い手は次々に現れ、引く手数多の様相を呈するが、妻のルース(ダイアン・キートン)の嬉しい悲鳴をよそに、アレックスの表情は終始浮かない。人嫌いの皮肉屋である彼の元に寄り付く人間などいないが、唯一黒縁メガネの少女だけが彼に懐きながら、アレックスの核心を突くような哲学的な言葉を投げ掛けるのである。

金融関係者夫婦、盲導犬を育てる家族、辛辣な整形医師、冷やかしで内覧会巡りをする親子など、個性豊かな面々が内覧会に集う中、夫婦は40年間住んだ家を売り、新たに終の住処となる部屋を探している。彼ら夫婦のエンディング・ノート作りは順調に進んでいるかに見えるが、愛犬の入院と共に忍び寄るテロの恐怖が、物件価値の上下動となって夫婦の生活に静かに影響を及ぼす。今回のテロ騒動は直接、夫婦を標的にはしないものの、結果的にニューヨーカー全員と新たにニューヨークに移り住もうとする人々の生活を脅かす。今回のテロ騒動はあまりにもタイムリーな事件として、地価の上下動を促し、それに翻弄されたカーヴァー夫婦は平和な日常の中で、何度も物騒なニュースをテレビ画面から目にすることになる。何度かの回想シーンが指し示すのは、モーガン・フリーマンとダイアン・キートン夫婦の強い絆に他ならない。彼らが夫婦の契りを結んだ40年前と言えば、今のように白人と黒人の結婚が当たり前ではなかった時代を意味する。それはルースの家族にも例外なく不和をもたらすことになる。普通に結婚し、白人の子供を身籠った姉妹の幸せに対し、母親の暗黙のプレッシャーが娘との不和を生む70年代のカフェの場面の息苦しさ、当初は画家とヌード・モデルだった関係性が強い信念としての夫婦生活40年間を育むきっかけとなる。それが最愛の人と結婚しながら、生涯子供を授からない決断をした夫婦の生き方である。その後の人生の指針ともなるラスト・シーンの決断にはうっかり涙がこぼれそうになる。真にリベラルな夫婦の決意表明は、9.11以降のテロ行為を経ても決して揺らぐことはない。その普遍性に心打たれる。

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