【第420回】『イマジン』(アンジェイ・ヤキモフスキ/2012)


 四方を高い壁で覆われた石造りの建物。日陰で黒い犬が寝そべっている。黒いドアの門構えをカメラが内側から撮っているが、黒い扉に犬が反応し、声を上げている。黒い扉のちょうど真横にある茶色の地下室からゆっくりと出てきた男は黒い扉を開けると、ある男が背中を向けて立っている。そこはポルトガルの首都リスボンにある視覚障害者のための大きな診療所。耳を済ますと、通りを行き交う車やバイクの音、鳥の鳴き声、虫の音などがフレームの外から盛んに聴こえて来るのがわかる。寄付を集め運営するその診療所は古い修道院を間借りし、世界各国から集まった患者たちに治療やトレーニングをおこなっている。そこにイアン(エドワード・ホッグ)という名の一人の男がやって来る。「ドアを叩いたか?」と用務員に尋ねられた男は、「いや、誰もいなかったから」と笑顔で答える。ロックンローラーのような革ジャンを着て、サングラスをかけた無精髭の男。診療所の庭先では鳥が羽ばたき、窓の向こうからは患者たちが知らない来訪者を見ている。サングラスをした男も実は視覚障害者であり、目が不自由なのだが、五感を使いながらあらゆる情報を読み取っている。突然現れたイアンという先生と視覚障害者の生徒たち。最初は生徒たちの好奇の目に晒される先生だが、その哲学的な語りと好奇心を煽るような教育法に多くの生徒が次第に魅了されていく。はじめは白杖を使わないイアンを不審気に見ていた生徒たちも、徐々に先生の教えを信じ、視覚障害者にとって希望の光となる彼の教えを積極的に聞こうとする。デカンタに並々と入った水をグラスに入れる作業、中庭で目の前を誰が通ったのか、あるいは前にいる人が何をしているかを当てる授業を通して、生徒たちは自分の知覚を信じ、外の世界を見たいという欲求を強くしていく。

イアンのその教えは「反響定位」と呼ばれている。コウモリやクジラが実際に超音波低域を飛ばし、その跳ね返りを感受し、餌を捕食する方法から名付けられたこの技法は、人間にも応用可能なのだ。生徒たちがこの授業に魅せられていくのと時を同じくして、彼に興味を抱くのは、イアンの隣の部屋に暮らす外国人女性のエヴァ(アレクサンドラ・マリア・ララ)である。部屋に籠もりがちで、窓辺にやって来る鳥にしか興味を持たない薄幸で自閉症気味の目の見えない女が、イアンの登場により徐々に自分らしさを取り戻していく様子は今作のもう一つの核を成している。目が見えない者同士、最初は向こうから歩いて来る足音に過敏に反応し、壁に張り付いて恐怖を示していたエヴァ。自らが履いていたサンダルを脱ぎ捨て、素足で音や気配を消そうとする彼女に対し、イアンは声をかけるでもなく、咄嗟に脱ぎ捨てられたエヴァのサンダルの向きをそっと揃え、そのまま通り過ぎる。籠の中に閉じ込められた青い鳥はようやく羽ばたく時をむかえるかに見えたが、ある一つの不安が2人を静かに引き裂いていく。バリアフリーの環境は視覚障害者にとっては居心地の良い場所だが、それと同時に見えない枷にも成り得ることをイアンは生徒たちに身をもって教える。中盤以降、リスボンの雑踏の中に意を決して飛び込むイアンやエヴァ、セラーノの恐怖心の克服は簡単そうに見えて並大抵ではない。我々健常者が目をつぶって歩いた場合、住み慣れた住環境でも数歩歩けば怖くて足がすくむ。彼らは迷路のようなリスボンの雑踏、コンクリートで舗装された道路とは違い、歩きにくいゴツゴツした石畳、引っ切り無しに続く忙しない交通渋滞を縫うようにして、目も見えない中、意を決して歩き出すのだ。車の通過音、人間の足音や匂いを頼りにしながら、イアンは狭い檻の中に閉じ込められていたヒロインを海を遥かに臨むBARへと導くのである。

おそらく生まれて初めてのカフェを楽しむエヴァ、サングラスで目を隠したその美しい姿に、すれ違う男たちは皆、優しく声をかける。エヴァは昼間の光の中でワインを呑みながら、男たちに話しかけられることに恍惚の表情を浮かべている。それは女にとって、生まれて初めての幸せだったに違いない。ペタペタで歩きやすいサンダルからお洒落なハイヒールへの変化は、エヴァの女性としての自立のメタファーとなる。イアンは道行く男たちの浮き足立つ様子に、エヴァの顔や体型を思い浮かべ、密かに嫉妬する。これまで声色や匂い、歩き方などで彼女の容姿をImagine(想像)し、朧げながらに想像していた姿が、街頭に出たことで具現化し、見ることの叶わない彼女の美しさに主人公は何度も悶える。云うまでもなく『イマジン』というタイトルの意味はイアンの「反響定位」による教育法を示したものだが、図らずもそれがイアンにとってのエヴァのImagine(想像)とも見事に重なり合いながら、美しいアンサンブルを織り成していく。車のエンジン音、リスボンの雑踏、人々のざわめきや木々のせせらぎ、様々な音が私たちの五感に訴えかけてくる。今作はその渾然一体となったイメージの洪水のようだ。ポーランド人監督とスタッフによる全篇に及ぶポルトガル・ロケの緊張感は、まさにリスボンの雑踏の中に意を決して飛び込むイアンやエヴァ、セラーノの恐怖心と我々観客とを同化させ、非職業俳優の実際の視覚障害者の子供達の起用は現実と虚構との間の壁をあっさりと融和させる。クライマックスの唐突な俯瞰ショットの才気やオリジナリティには驚嘆する他ない。ただ一つの問題は、主人公イアンと雇い主の診療所側の不和の描写をもう少し丹念に描くべきだっただろう。この描き方では、診療所側の要望をほとんど組まず、イアンが勝手に先走りすぎた印象はどうしても否めない。イアンの「反響定位」による独創的な教育法と、それに反抗し得る診療所側の事情はもう少し丁寧に描いても良かった。それは途中、唐突に反抗的な態度を見せるセラーノも同様である。温室から明るい世界への抵抗の主題や組織に刃向かう構造自体は『カッコーの巣の上で』ともよく似ているが、今作はもう少し作家的な立ち位置を気にかけている。出て来た船ももう少し製作資金があればと物足りなさは残るが、ラストのロング・ショットに滲む距離感や男女の葛藤にはうっすらと涙がこぼれた。路面電車に揺られながら、観客がImagine(想像)する他ないラスト・シーンはアンジェイ・ヤキモフスキから我々へのあまりにも挑発的な問いかけでもある。

このカテゴリーに該当する記事はありません。