【第764回】『ホリデイ』(ナンシー・マイヤーズ/2006)


 クリスマス・シーズンのロンドン、賑やかなパーティの雰囲気、会社の個室に篭りっきりのコラムニストのアイリス(ケイト・ウィンスレット)は、最愛の人へのクリスマス・プレゼントにリボンをかけ、引き出しにそっとしまう。社内恋愛で3年間、ジャスパー(ルーファス・シーウェル)と付き合って来たアイリスは、販促部の女性サラにフィアンセを奪われている。この3年間、彼女の心はボロボロでカウンセリングに通いながら安定剤が手放せなかったが、皮肉にも「新婚カップルについて」の入稿締め切りの時間がやって来る。パーティの喧騒の中、1人仕事を続けた女の背中でノックの音が聞こえる。ジャスパーはパーティの席でうっかりクリスマス・プレゼントを忘れて来るが、健気な彼女はジャスパーが欲しかった初版本をプレゼントする。しかし次の瞬間、悪夢のような冷たい仕打ちが彼女に待ち構える。一方その頃、ハリウッド映画の予告編製作会社の女社長アマンダ(キャメロン・ディアス)は恋人のイーサン(エドワード・バーンズ)の浮気に気づき、取り乱している。アマンダの名前を何度も呼びかける男の姿に逆に女は殺気立ち、庭先でストレート・パンチでK.O.する。クリスマスとニュー・イヤーを前にした突然の2人の失恋劇。男に振られた女と男を振った女とは共に失意のどん底にあった。

 ネットで見つけたクリスマス休暇の間だけお互いの家を交換するホーム・エクスチェンジの文字。LAに住むアマンダと英国に住むアイリスとは明日から2週間、互いの家を交換する契約を結ぶ。予告編製作会社のやり手の女社長アマンダと、大手新聞社のいちコラムニストであるアイリスでは経済状況があまりにも違い過ぎる。個人的には『王子と乞食』のように振れ幅をもっと極端にすればラブ・コメの要素は強まったはずだ。片やお手伝いさんを多数雇い、庭にプールを持ち、シアター・ルームも完備する豪邸に住むアマンダと、ローズヒル・コテージに立つ地味な一軒家に住み、雪に覆われた土地で一匹の犬を飼うアイリスとは最初から住む世界が違い過ぎる。だが普段の自分から解放されるこのライフ・スタイルのレイヤーの違いこそが、ヒロインたちの自立を促し、真に癒しの体験となる。勝気な女と自信なさげな薄幸の女の対照的な構図は、異国の地で理想的な異性と出会うことで劇的に変化して行く。狭く落ち着かない部屋でアマンダがようやく眠りについた頃、2階で寝ていた犬がドアのノックの音に反応し、勢い良くドア前に駆け下りて行く。アマンダは眠い目をこすりながら、迷惑そうにドアを開けるとそこにはアイリスの実兄であるグレアム(ジュード・ロウ)が震えながら立っていた。前夜しこたまワインを呑み、良い気持ちで眠りについていたアマンダは突然鏡を気にし始める。酔っ払い同士のたどたどしい会話、英国男性と米国男性の習慣の違いが垣間見える3度のキスの後、勝ち気なキャリア・ウーマンのアマンダは一瞬で恋に落ちる。

 初見では、一見プレイボーイを気取るジュード・ロウの真の姿にグッと来てしまい、華やかなキャメロン・ディアスとジュード・ロウのロマンスの方が輝いて見えたのだが、10年経って振り返るとむしろ華やかなキャメロン・ディアスの恋よりも、地味に見えたアイリス(ケイト・ウィンスレット)の恋の方が数倍印象深い。心底ダメな彼氏ジャスパーに振り回され(コイツのクズ中のクズぶりはある意味特筆に値する天晴れなクズぶり 笑)、女としての幸せを失っていたヒロインは隣人のアーサー(イーライ・ウォラック)の歩行困難な脚を心配し、彼を助ける。LAの潮風やサンセット大通りの雰囲気に心を奪われた英国女性は、ゲイリー・グラントと故郷が同じという老人の言葉に励まされる。アマンダが住む高級住宅街のあるビバリーヒルズ地区では、かつてのハリウッドの偉人たちが静かに暮らす。歩行困難なハリウッドのかつての大物を演じるイーライ・ウォラックはジョン・スタージェス『荒野の七人』の盗賊団のボス・カルベラやセルジオ・レオーネの『続・夕陽のガンマン』の卑劣漢トゥーコに他ならない。78年から華やかな街で孤独な人生を生きるアーサーはアイリスをただひたすら励ます。明らかに階級も性格も違うアマンダとアイリスだが、一見何もかもが完璧に見えるアマンダの心の傷が見えた辺りから、普段は社会的な顔を見せなければならない2人のヒロインの本音が露わになる。行きずりの恋は決して綺麗事にはならず、男と女の心を強く揺さぶる。2週間のホリデイの後、4人の男女はそれぞれのプロフェッショナルな持ち場に戻るわけだが、脛に傷持つ男女同士がまるで『マグノリア』のような奇跡の出会いを果たすクライマックス場面が心底心地良い。

【第429回】『マイ・インターン』(ナンシー・マイヤーズ/2015)


 木漏れ日の下、緑あふれる公園で太極拳にいそしむ初老の男。黒縁メガネに幾重にも刻まれた皺。ゆったりとした時間に悠々自適のスロー・ライフを満喫しているのかと思いきや、彼はもう一度社会への復帰を仄かに願う。ビデオ・レターに込めた初老の男の切なる思いは汲み取られ、無事アパレル企業にインターンとして滑り込むこととなる。一応の骨子は、冒頭の太極拳にもあるように、ある種の悟りを追い求めた男が、妻に先立たれたセカンド・ライフで社会貢献しようともがく物語である。料理教室に通い、ゴルフやヨガを試し、北京語を習い、たまったマイレージで世界各国を旅するも、どこか心にぽっかりと穴が空いた男が第二の人生を考え、就職する。そこにひりひりするような再就職のリアリティや社会の拒絶は一切必要ない。アメリカ社会とは自由であり、人種差別はおろか、年齢差別なく誰もがチャンスを獲得出来る社会なのだと監督であるナンシー・マイヤーズは嘯く。かくして『プラダを着た悪魔』から順調にキャリア・アップしたファッション業界のやり手の女社長ジュールズ(アン・ハサウェイ)は、40歳も歳の離れた初老の男ベン・ウィテカー(ロバート・デ・ニーロ)を迎い入れる。

全面ガラス張りで意欲溢れる社内、活気を帯びる会議室でのやりとり、デスクワークでの色恋沙汰など幾つかのハリウッド映画の記号的羅列を散りばめながら、一貫してウェルメイドなナンシー・マイヤーズの手捌きは実に鮮やかで隙がない。社会貢献のポーズということで嫌々ながら老人を引き受けたエリート社長と、元エリート部長だが今はただのインターンの身の老人の小さな軋轢を幾つも積み重ねる。会話のやり取りからドアの開閉、受信メール・チェックなど40歳年上が気を遣って社長に取り入ろうとするが、社長の態度は一貫してつれない。要は彼の存在が厄介なのだが、プライドは捨て置き、彼女に取り入ろうとするインターンの愚直なアピールにジュールズが徐々に心を開いていく様子は女性ならではの観察眼が光る。これまでも一貫して友情を題材にしてきたナンシー・マイヤーズだが、一見して恋愛アプローチと交錯しかねない嗜好性に対し、ベン・ウィテカーとジュールズの間にしっかりフィオナ(レネ・ルッソ)を投入し、一切の倒錯を起こさせない段取りを取るあたりは、リベラリストたるナンシー・マイヤーズの真骨頂である。片付けられない病理を、インターンが朝7時に出勤し、綺麗にしたことでジュールズはベンに対する見方を180℃変えるのだが、それでも彼女の心は頑なに動かない。

中盤からクライマックスまでのジュールズの家庭の不和とそれを慰めるベンへの心変わりはやや強引に見えたが、前半の早い段階でフィオナ(レネ・ルッソ)という一手を打ったことで最悪の様相にはなり得ない。むしろ部屋の前で振り返り、彼女が呟く「サヨナラ」があまりにも強烈な余韻を残す。ジュールズは最愛の夫との不和に悩み、大きな父性を追い求める。今作には彼女の母親は出て来るが、父親は出て来ない。さながらここでは実の娘のような悲哀がベンの心に突き刺さり、彼女に寄り添う。次期CEO候補との話し合いの旅の前夜、精神不安定になったジュールズは実父のようなベンにすがり、悩みを告白する。ここでテレビ画面からふいになだれ込むヴィンセント・ミネリの『巴里のアメリカ人』の映像に中庸の作家ナンシー・マイヤーズの思いが滲む。アメリカ人の画家とフランス人の女性の恋を描いた悲恋がまるでベンとジュールズの不透明な関係性を描くかのように佇む。その映画を観て、思わずベン・ウィテカーはポロポロと涙を流す。

キャリアウーマンの仕事と愛の両立を描いたまごうことなき女性向けの映画ながら、ロバート・デ・ニーロの老獪さが実に素晴らしい。『ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります』のモーガン・フリーマン、『ヴィンセントが教えてくれたこと』のビル・マーレイも最高のオヤジぶりで期待に応えてくれたが、ロバート・デ・ニーロの完璧な仕事ぶりも大胆で余念がない。彼はジュールズの頑張りを100%受け入れる。そのメンターとしての一点の曇りもない活躍ぶりに今作は支えられる。Facebookのやりとりで打ち解け合う父親と娘のような2人。母親に送信されたメールを巡るドタバタなやりとりなど、9.11以前ならばウディ・アレンが撮っていたかもしれないニューヨークの見事な群像劇である。やはりここでもアメリカは強い父性の復活を望んでいる。

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