【第432回】『サンローラン』(ヴェルトラン・ボネロ/2014)


 ホテルのロビーを撮った印象的なロング・ショット、足音も立てずにカウンターまでたどり着いた男は受付係に対し、「スワンという名前で予約しているんだけど」と静かに柔らかい口調で話しかける。男はゆっくりと予約していた部屋に入り、ベッドに腰掛ける。寝るために部屋を取ったんだと何者かに電話で話しながら、ゆったりとベッドに腰を落とすが、いったい誰と話しているのかは見当もつかない。真っ白な磨りガラス越しには、フランスの象徴であるエッフェル塔のシルエットが透けて見えるのだが、窓を開ける気配はない。男はなぜ偽名を使い、エッフェル塔が見える絶好の見晴らしを遮ってまで身を隠すのか?それは後々明らかになるが、この曖昧模糊とした暗喩的イメージの羅列は、今作の本質を突いている。イヴ・サン=ローラン(キャスパー・ウリエル) - ココ・シャネル、クリスチャン・ディオールやポール・ポワレと並ぶ伝説的なファッション・デザイナー。19歳の時にクリスチャン・ディオールのアシスタントとして雇われ、彼の急死に伴い、僅か21歳の若さで当時のディオールのチーフ・デザイナーに昇格。その後25歳で独立し、ブランド「イヴ・サンローラン」を立ち上げる。まさに順風満帆に見えた彼のデザイナー人生だが、いきなり人生の苦い挫折の瞬間が物語をキリキリと駆動させる。1960年、どこかの精神病院、彼は徴兵制で戦地に駆り出されてまもなく、神経衰弱により除隊され、精神病院に送られる。奇しくもフランソワ・トリュフォーと同じ理由により、彼の男としての誇りはズタズタにされる。その翌年、彼は自らの子供と云うべき「イヴ・サンローラン」を立ち上げるのだった。

生涯のパートナーとなったピエール・ベルジュ(ジェレミー・レニエ)とは映画ではもう既に出会っている。次々に産み落とされる衣装デザイン、それを寸分違わぬ衣装として縫製するのは衣装部のお針子たちの仕事に他ならない。彼は実際に衣装デザインを完璧に再現した衣服をモデルに着せ、イメージに忠実かどうかしばし模索する。「もっとシンプルでなければ・・・」頭の中にあるイメージを実際の服がどれだけ越えてみせるか?女性が実際に身につけた際のテクスチャーやシルエットに神経を尖らせた男は、いきなり袖をばっさりと切り落とす決断をする。モデルも周囲の人間も困惑する中、躊躇せず伐採した彼は手応えを口にする。そこで鏡にゆっくりとピエール・ベルジュが姿を現わすのである。ここでのジェレミー・レニエはまるでトリュフォーのルックスのようなクラシック・スタイルを隠そうとしない。ポマードを塗りたくった8・2分けの髪型、シックなスーツ姿、およそここにはダルデンヌ兄弟の作品群で見せた現代的な若者の姿を見つけることが出来ない。彼はさながらイヴ・サン=ローランの女房役のような立場を引き受け、天才に華麗な手綱捌きを施す。かくしてマルグリット・デュラス、カトリーヌ・ドヌーヴ、ヌーヴェルヴァーグらとの共同作業は次々に成功を収め、彼は時代の寵児として祭り上げられる。あのPOP ARTの伝説の巨人アンディ・ウォーホールまでもが彼への賛辞を伝え、次々にサンローランの店をオープンさせ、商売は軌道に乗るかに思えた。しかし71年の新作コレクション、それに続くまさかの男性用香水のヌード・モデルが物議を醸すことになる。

今作は「モードの帝王」と呼ばれた才人の成功する姿=光の部分ではなく、闇の部分にスポットライトを当てる。栄光と挫折で言えば、挫折、その先に見える退廃的な暗黒期をも照らし出す。ピエール・ベルジュとのある種倒錯した愛情世界、夜の街の彷徨、異性との友情以上の発展のない愛情関係、ナイトクラブの喧騒とその後訪れる寂しさ、ドラッグ中毒になった焦燥感。あえてピエール・ベルジュはイヴ・サン=ローランを秘密のベールに包み込む。その秘部では、天才であるが故の葛藤に悶え苦しむアーティストの姿があった。優れた人間の自伝でありながら、同時期に製作された俳優のジャリル・レスペールの監督作『イヴ・サンローラン』がサンローラン財団の公認を得たのに対し、今作に許可が下りることはなかった。 イヴ・サン=ローラン本人も2008年に71歳で死に、財団の協力も取り付けられなかったことで、監督であるベルトラン・ボネロは非公認の自伝という行為を逆手に取り、天使と悪魔の間で引き裂かれた創造主イヴ・サン=ローランというデカダンスの権化を作り上げる。後半、彼の前に現れるジャック・ド・パシェール(ルイ・ガレル)はさながらイヴ・サン=ローランの合わせ鏡のような男として主人公に立ちはだかる。

ナイトクラブでの視線の交差、夜の街での怪しい隠れんぼ、情熱的なキス、口移しのカプセル・ドラッグなどの幾つかの強烈に官能的な錯綜するイメージの羅列が、やがてイヴ・サン=ローランの愛犬ムジークの悲劇を生むあたりの方法論は芸術的教養を刺激してやまない。フレームの中に突如現れた赤色の年号のスタイリッシュさ、ヌーヴェルヴァーグと5月革命、ヤン・パラフの自殺と対照的な歴史映像とデザインの2分割画面による対比、クライマックスの76年のショーの場面に登場したダイナミックな5分割画面の革新性は、今作の根底にある抽象画家ピエト・モンドリアンのコンポジション・シリーズへの映画的挑発に他ならない。冒頭の「スワン」という偽名に込められたマルセル・プルースト『失われた時を求めて』への思い、後半ふいに現れるヘルムート・バーガーが全身に漂わせた映画的記憶が、イタリアの巨人ルキノ・ヴィスコンティをも想起させる。それどころか今作にはイヴ・サン=ローランの母親として、あのドミニク・サンダも登場するのである。ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、マリア・カラス、ヘンリー・パーセル、夜の舗道でのスモーキングによるマスキュリン・フェミニン・スタイル、シースルー・ドレスが醸し出す時代錯誤的な強烈なデカダン、この圧倒的な自己流スタイルこそが真に最前線の映画のルックを形成する。その語りのスタイルは難解を極めるが、個人的には2016年、トッド・ヘインズ『キャロル』と双璧を成すあまりにも印象深い作品である。

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