【第436回】『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』(コルネル・ムン­ドルッツ/2014)


 斜めに走る陸橋の俯瞰ショット、その橋を自転車で優雅に渡るパーカー姿の少女は、やがて路地裏まで走ると後ろを振り返る。曲がり角を左に曲がりながら、彼女に必死でついてくるラブラドール・レトリバーの雑種。一呼吸置いたのち、やがて犬の大群がラブラドール・レトリバーの雑種に追いすがるように、広い通りを一目散で向かってくる。木漏れ日の下の公園、少女と愛犬の束の間のじゃれ合い、その平和な生活は一瞬で崩れ去る。少女リリ(ジョーフィア・プショッタ)は13歳。両親は既に離婚し、幼い娘の親権は母親が持っていた。仕事の海外出張の関係で、3ヶ月ほど家を空けねばならず、嫌々ながら幼い娘を別れた夫に預けるところから物語は始まる。娘は後部座席で浮かない表情をしながら、愛犬の背中をゆっくりと撫ぜている。別れた両親はリリが見ている前でも口論になり、諍いが絶えない。渋々娘を預かることになった父親と娘の間の距離感が、ことの深刻さを物語る。彼女の父親は食肉加工の工場で毎晩、牛の死体の強烈な光景を目にしている。かつては教授だったが、今は屠殺場の不衛生な環境で汚れ仕事を請け負う男は、一体どんな心境なのだろうか?かくしてどこにも居場所のない娘と、人生に疲れきった父親の共同生活は始まる。愛犬をアパルトマンの部屋に招き入れるところからトラブルは起きる。隣人が雑種犬は国の許可がいるのだと力説するが、父親は曖昧に誤魔化す。娘のために奮発したミディアムレアの肉を焼いてご機嫌を取ろうとするが、娘は食欲がないと断る。13歳の多感な時期を過ごす少女には、父親の存在が心底煩わしい。

共同生活1日目の夜、事件は起こる。当たり前のように愛犬ハーゲンとベッドで寝ようとする娘に対し、父親は激怒する。父親と娘では、ペットに対する感覚がまるで違うのである。無理矢理離れの部屋に幽閉するが、ハーゲンの夜泣きが止まない。普段、家畜と向き合い神経をすり減らしている父親には、娘の喪失感に向き合う余裕がない。ことごとく見解の食い違う父娘の対立の末、娘が見ている前で愛犬ハーゲンは無残にも路上に打ち捨てられる。父娘の乗るVOLVOを必死に追おうとする愛犬ハーゲンに対し、VOLVOは無情にも走り去っていく。突如、路上に打ち捨てられたハーゲンの思いはいかがばかりか?車が引っ切り無しに行き交う工業道路を、犬が意を決して渡る場面には不覚にもダルデンヌ兄弟の作品の主人公と同じ感慨を抱く。リリがいれば、食事にことかかなかった犬が路頭に迷い、自分で食べ物を探さなければならない。やがて食肉店の軒先に迷い込み、店主に大包丁で脅されるが、間一髪、野良犬に命を助けられる。いきなり不幸のどん底に叩きつけられた一匹の犬を通して描かれる、徹底的に無秩序で弱肉強食の世界。害獣駆除の職員に殺処分につけ狙われたハーゲンはやがてホームレスの男に助けられる。だがそれは地下で起こる恐るべき動物売買に足を踏み入れてしまう。元の飼い主から人づてにたらい回しにされる様子は、まるでスティーヴン・スピルバーグの『戦火の馬』を思い起こさせる。かろうじて殺処分は逃れたものの、生き地獄とも言える状況がハーゲンに待ち構えているのである。

ハーゲンの生命の危機と時を同じくして、13歳のリリにも数々の厄災が降りかかるが、たかが不良少女の心の叫びにしか聞こえないといったら意地悪だろうか?確かに彼女の感情を汲み取らなかった父親にも非はあるが、その後の娘の行動にも問題は有る。相変わらずギクシャクする父娘関係、学校で所属するオーケストラの教師との諍い、夜遊びからエクスタシーの運び屋としての仕事、不純異性交遊、飲酒など13歳の子供がやってはいけないことのオンパレードはさすがにやり過ぎの感があるだろう。証拠不十分により、釈放された朝の父親の涙。親不孝だった娘がようやく立ち直ろうと決意した矢先、愛犬ハーゲンは落ちるところまで落ちているのである。まるで犬が彼女の身代わりに転落したとは言い過ぎだろうか?プロテインを飲まされ、ドーピング注射を打たれ、人間に対して恐怖心を植え付けられた犬は、生命の危機に際し、遂に人間に牙を剥く。

まるでサミュエル・フラーの『ホワイト・ドッグ~魔犬』のように、人間の勝手な都合で調教され、自我を忘れてしまった犬たちが、人間どもに反旗をひるがえす姿はあまりにも皮肉である。無人の通りを走り去る犬の群れの圧倒的映像が息を呑む。リリの家庭同様に、何らかの理由で捨てられた犬たちが暴徒化し、街を占拠する姿と、リリの晴れ舞台とを平行して描きながら、まるで『猿の惑星』のように人間と動物の知恵比べが始まる。前半部分の人間の行動を逐一追うようなステディカムの動きは、ダルデンヌ兄弟の登場以降ヨーロッパ全土で流行したいわゆる『ロゼッタ』スタイルと似通っているが、ラストの30分はまるでハリウッド映画のような劇画タッチへと劇的に変貌を遂げる。いつの間にかボス猿ならぬボス犬になったハーゲンの復讐はさすがに行き過ぎだと思わなくもないが 笑、今作はある種強烈な人間社会への風刺だろう。身勝手な都合で捨てられ、殺されていった犬の累々たる屍のそしりを受けるべき時が来たのだとコーネル・ムンドルッツォは声高に叫んでいる。楽天的なアニメ『トムとジェリー』で使用された『ハンガリー狂詩曲』は犬たちの怒りと対比し、用いられる。また犬を人間へと置き換えれば、移民への不寛容や抑圧の示唆的な寓話としても機能する。主従関係の逆転と大衆の蜂起はEU圏が最も恐れる危険な状況である。これだけの犬を起用しての撮影はさぞ大変だったんだろうなと撮影の苦労が偲ばれる。それと同時にハーゲンの身の縮むような精神的苦痛を思えば、人間よりも犬こそが賞賛されて然るべきだろう。

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