【第444回】『リザとキツネと恋する死者たち』(ウッイ・メーサーロシュ・カーロイ/2014)


 雷鳴が轟く夕暮れ時、警察署の取調室、天井から俯瞰で撮影された机の上から、男はシガレット・ケースを手に取り、煙草に火をつける。詰問する男の鋭い眼光、横にいるのは記録係の婦警、ゆっくりと後退するカメラはやがて詰問の対象である容疑者を映し出す。びしょびしょの体にタオルをかけられ、指先からは一滴ずつ血が滴り落ちる。「人を殺してしまったんです」と憔悴しきった様子でつぶやく女の姿に、取り調べ中の男は困惑気味の表情を浮かべる。そこから物語は遡り、彼女の行動を回想する。趣のあるアパートメント、老婆マルタの専属看護師として働くお手伝いのリザ(モーニカ・バルシャイ)はスープを作り、寝たきりのこの部屋の主の元へと運ぶ。彼女の唯一の楽しみは、日本の恋愛小説を読み、ハンガリーから遠く日本へ思いを馳せること。老婆の世話で気の置けない毎日、友人も恋人もいない孤独な生活、まるで幽閉された籠の鳥のような気詰まりな生活を癒してくれるのは、彼女にしか見えない謎の幽霊歌手トミー谷(デヴィッド・サクライ)。エメラルド・グリーンのスーツでビシッと決め、ハンドマイクの先端部分を握り、ノリノリで歌う男が操るのは、何ともたどたどしい日本語の歌謡曲 笑。この映画はいったい何なのか?

トミー谷というインチキくさい名前から察せられるように、トミー谷とは大正生まれの舞台芸人トニー谷のもじりに他ならない。短めのオールバックにコールマン髭、吊りあがったフォックスめがねがトレードマークの昭和初期に活躍した芸人を、若い人がどれだけご存知かは謎だが 笑、そろばん片手に「さいざんす」とのたまう芸人が、ハンガリーのアパルトマンに、幽霊に化けて出て来るという圧倒的に突飛な発想が破壊力抜群である。たどたどしい日本語で歌われる歌謡曲、壁に飾られた浮世絵の写真、掛け軸にミニ屏風、ヒロインが妄想で着る和服など、今作の監督ウッイ・メーサーロシュ・カーロイの日本愛と極東の島国へのリスペクト溢れる描写の数々は新鮮な驚きに満ちている。日本に住んでいる者からすれば、ある種決定的に勘違いし、倒錯したジャボニズム的解釈なのだが 笑、この風変わりな発想は今作の持つシュールな世界観に相応しい。いつものように主の元へ美味しいスープを届ける健気な姿に、30歳の誕生日に一つ願いを叶えてあげると言われたリザは、僅か2時間だけの外出を主に請う。かくして狭い部屋に幽閉された籠の鳥は、2時間だけ大人の恋の夢を見ることが許される。目一杯お洒落し、彼女が向かうのは一軒の店メック・バーガー(Mekk Burger)。赤を基調としたレトロな店内、70年代風のお洒落な包み紙、ジューシーなバーガーを頬張る恋に奥手だったヒロインは、初めて恋することの恍惚に震える中、その裏で一つ目の恐るべき惨劇が始まる。現代に蘇ったシンデレラの物語は凄惨さを極める。

今作は栃木県・那須市に古来から伝わる九尾の狐にインスパイアされた物語である。帝を誘惑し、日本を乗っ取ろうと絶世の美女に化けた狐の妖怪の民話が、なぜ性別まで変えてトミー谷にトレースされるのかはさっぱりわからないが 笑、彼はさながらファム・ファタールの代用となり、籠の鳥を幽閉し続けようと殺人を繰り返す。1人また1人と、彼女を愛し誘惑した者たちが、嫉妬に狂った幽霊の犠牲となる。だがヒロインはトミー谷が真に邪悪な幽霊だと気付かない。典型的なフィルム・ノワール構造を下敷きにしながらも、田舎から都会に赴任してきたよそ者の刑事と田舎娘の恋のモチーフは、デヴィッド・リンチ『ツイン・ピークス』のクーパー捜査官とアニー・ブラックバーンのロマンスを連想させる。冒頭の雷鳴轟く警察署内の様子も『ツイン・ピークス』そのものであり、不死身の刑事ゾルタンを演じたサボルチ・ベデ=ファゼカシュは心なしかカイル・マクラクランによく似ている。彼が常に携帯していたのは録音機だったが、ゾルタンが携帯するのはテープレコーダー。フィンランドの曲が好きで絶えず聴いている描写や絵画的でシュールな構図は、フィンランドのアキ・カウリスマキからの影響も色濃い。時代背景となったハンガリーの1970年代といえば、社会主義真っ只中であり、当然今作に出て来たようなメック・バーガーや雑誌コスモポリタンは市場には流入しない。監督は思春期の西側諸国への憧れを処女作に込める。フィルム・ノワール、ツイン・ピークス、アキ・カウリスマキ、ジャポニズム、歌謡曲、そしてトニー谷。インターネットが進み、グローバル化が急速に進んだ現代のような世界各国の文化の洪水を、1本の映画の中に強引に全て詰め込んだらどうなるか?今作はそんなおもちゃ箱をひっくり返したような自由さに溢れている。斬新な物語とシュールなユーモア、処女作にしかない初期衝動に溢れた恐るべきハンガリー映画である。

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