【第470回】『ひつじ村の兄弟』(グリームル・ハゥコーナルソン/2015)


 緑溢れる牧草地帯、冬の曇り空と一面山に囲まれた麓の湖が印象的なこの村では、広大な敷地に羊たちが暮らしている。羊と目と目を合わせ、首の辺りをさすりながら声をかける老人の姿、尋常ならざる愛情。赤い屋根、煙突のある白い建物は隣り合わせで建っているが、羊飼い同士の行き来はない。兄キディー(テオドル・ユーリウソン)と弟グミー(シグルヅル・シグルヨンソン)は互いの羊に興味は持っているが、どういうわけか40年間一言も会話をしていない。品評会目前のある日、男は敷地内で手塩にかけて育てた羊が倒れているのを発見する。あまりにも不穏な予兆の中、1年に1度、雄羊のNo.1を決める大会の幕が上がる。横並びに並んだ羊飼いたちのシュールな光景。そこに審査員がやって来ると、一頭ずつ毛並み、ツヤ、背中の筋肉の張りなどを10点満点で評価していく。やがて食堂で待ち侘びた結果発表の瞬間、弟グミーの羊は最高に近い評価を貰うも、僅かに0.5点差で兄貴に優勝を奪われる。弟は悔しさのあまり、賑やかな食堂を後にする。おそらくこれは毎年繰り返されている光景に違いない。彼ら兄弟の羊は、先祖代々受け継がれてきた優良種の種馬の血統になる。つまり自分たちも兄弟ならば、羊も兄弟なのである。不機嫌さを隠そうとしないグミーは、優勝したキディーの羊の顔を触り、ある異変に気付く。先祖代々育てて来た羊に静かに危機が訪れる。

アイスランドは人口約25万人に対し、およそ100万頭もの羊を飼う「ひつじ大国」である。キリスト教の旧約聖書にもあるように、メシアに導かれた者たちがしばしば羊の群れに例えられている。この国にとって、羊は牛や馬よりも神聖な動物であり、1000年以上もの間、国民に親しまれてきた。キディーとグミーの兄弟は広大な土地を所有しながらも、羊しか放牧していない。彼らにとって大事なのは、先祖代々受け継がれてきたこの血統を守ることであり、それ以上でも以下でもない。兄弟が40年間仲違いしている間も、羊の血統は脈々と受け継がれ、幻想的な田舎町のシンボルとしてそこにある。兄貴の羊の病名はスクレイピーと呼ばれている。伝達性海綿状脳症の1つで、プリオンが原因の致死性の高い変性病である。この病は強い感染力があり、感染の恐れのある全ての動物を殺処分しなければならなくなる。日本でも6年前に宮崎で起こったBSE騒動を思い出す方も多いだろう。病気の発見された場所から半径数km以内で育てられた牛や豚は全て殺処分され、厳重な殺菌・消毒が施される。今作で起こる出来事も同様に、長年羊を育てきた飼い主たちの思いを逆撫でにする。羊は全て殺処分し、牧草や木製の小屋さえも全て消去しなければ再開出来ない。最初は冗談じゃないと突っぱねた兄弟も、周りの酪農家との話し合いで折れざるを得ない。自分の育てた羊を殺める場面の吐き気のするような息苦しさ。まさに断腸の思いで生きている命を止めること。これが長年飼育してきた人物にとっては、どれだけ想像を絶するものであるかは察するに余りある。

弟がクリスマス・ムード溢れる食事をし、落ち込みがちな気持ちを何とか紛らわせようとするところに、酔った勢いで厄介ごとを仕掛けてくる兄の対照的な構図。トラックのショベル部分に酔っ払いを乗せて、病院に捨ててくる場面のブラック・ジョークは北欧ならではだろう。監督は結局、この兄弟がどのようにして40年間、口を聞かなくなったのか理由を明らかにしない。グミーが国の職員に対し、「母親が兄貴に土地を相続させたがらなかった」と述べる言葉からも察せられるように、おそらく兄と母親の関係が破綻して以来、兄貴は心を閉ざしたのだと類推出来る。せめて彼らに妻や子供がいれば、このような40年間の断絶は有り得なかったのだろうが、1日中曇り空の北極点に近い土地で、ひたすら心を閉ざしながら、羊と向き合うことが唯一の癒しだった兄弟の断絶はあまりにも印象深い。羊の血統を絶やすことが皮肉にも兄弟のアイデンティティの再生を促すクライマックス場面は、兄弟の悲劇的な寓話を浄化する強い眼差しに溢れている。疫病の恐怖を伝える橋にかけられた立て看板、獣医と捜査官の高圧的な態度など、人間が獣より偉く尊いという感情の蔓延は、何よりも罪深い。今作に出て来る羊たちは、種類としてはアイスランディックシープと言うらしいが、あまりにも可愛い。特徴的なのは耳の周りを一周した雄羊の螺旋型の角。角を持たない日本の羊とは一線を画した愛くるしいルックスに大いに魅了される。

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