【第489回】『Dressing UP』(安川有果/2012)


 昼間の光に包まれた大阪府内を切り取るのどかな俯瞰ショット、郊外に向けて走る車の中には3人の姿。助手席に座るのは父親で、運転席に居るのはその後輩。昼間の逆光を浴びながら、後部座席には無表情な少女がポツリと座っている。運転席から「そろそろですかね?」と聞く後輩に対し、「坂が見えたらもう近くだよ」とうろ覚えの道を指示する父親の姿。そんな大人たちのやり取りに対し、強い視線を投げ掛けるヒロインの口から唐突に飛び出した「早く殺して」の言葉。公道を走る前方席に座る大人にも僅かに聞こえるような音量。ヒロインは果たして「早く殺して」と言ったのか?それとも「早く降ろして」と言ったのかはスクリーンの音響では残念ながら聞き取れなかった。やがて狭い道に入ったワゴンは、坂の前で1人の下校中の女子中学生を追い越す。積み荷を下ろす3人の姿を少し離れたところでじっと見守る女子中学生の姿。その視線は遠くヒロインを見つめているはずだが、ヒロインはまったく気付かない。新居に段ボールを降ろし、「少し休みな」という父親の友人に対し、か細い声で伝える「すいません」の言葉。2人が去った個室で、段ボールを降ろす内に、逆さまになっていた荷物が床に転がる。父親のデザイン関係の資料の束、その中に偶然見つけた『良い父親になるための十ヶ条』という本。少女は少し笑みを浮かべた後、曰くありげな箱に手をかける。突然発する鈍い不協和音、少女が偶然開けたのは今は亡き母親の面影を伝える思い出の箱。少女は偶然にもパンドラの匣を開けてしまう。

教室での担任との対話、同性との友情、男の子たちのいじめなど幾つかの既知の光景を織り込みながら、今作が学園物としての定型をいとも簡単に飛び越えるのは、桜井育美(祷キララ)の一風変わった生い立ちに由来する。早くに失った母親の思い出は彼女の中からすっかり消え去り、今はデザイナーとして働く父親(鈴木卓爾)との2人暮らし。仕事の忙しい父親は、多感な時期の娘にかまってやることが出来ない。ソファーに寝そべり、受け身にTVを受け流す娘の退屈な表情。その様子を不憫に思う父親は、毎日新しいぬいぐるみを買って、娘にプレゼントする。過剰な父のご機嫌取りは、娘にとって何の慰めにもならないのは云うまでもない。形状のわかるプレゼントを包んだ過剰な包み紙、それを開ける娘にはどうせ動物のぬいぐるみに違いないと予想出来るのだが、どういうわけかそれらはいつもしっかりと梱包されている。導入部分で、母親のパンドラの匣を開けてしまったヒロインの姿、慰めにもなり得ない父親のプレゼントを開けるヒロインの姿、そしてヒロインの清潔で透明感のある見た目とは裏腹な、狂気に満ちた内面が滲み出る中盤以降の展開が息を呑む。云うまでもなくこれら幾つかのイメージの列挙がDressing UPというタイトルを体現し、そのイメージは徐々に先鋭化する。

それにしても安川有果の映画ではいつだって女性陣の圧倒的な存在感に対して、男性陣の存在は後手に回る。年端もいかない娘に母性の不在という重荷を背負わせながら、彼女の機嫌を損なわないように生きる父親の存在感の希薄、学園内でヒロインとその友達と3人で奇妙な共闘関係を築きながらも、一貫してクラスメイトからも学外でもカツアゲに遭う同級生の肉体的弱さと不幸に満ちた表情。聖と俗を同時に併せ持った祷キララの圧倒的な透明性に対し、父親も担任もクラスメイトも誰も存在感を示せない中、ただ一人彼女と対峙する佐藤歌恋の素晴らしさ。スクール・カースト的な類型の表現に留まらず、モンスター化していくヒロインをただ一人救うべく孤軍奮闘するのが、父親ではなくクラスメイトだというのが昨今のトレンドなのだろうか。深夜の森を彷徨い歩くヒロインの姿は、真っ先に相米慎二の『お引越し』を彷彿とさせる。少女に宿る狂気の精神性は、ロベール・ブレッソン『少女ムシェット』のようでもある。思春期の少女が抱える悪夢が、2歳の頃に死んだ母親の日記を媒介とし、少女の暴走に意味づけをする過程は、安川有果の次作『激写!カジレナ熱愛中!』で現実とVシネマを混同したカジレナのパラノイアとの親和性も見て取れる。だとすればハリボテにDressing UPした母親の姿を目撃するヒロインの描写は、あまりにも奇異に映る。だが冷淡な学園ドラマの着地点を『中学生日記』のような温和なベクトルではなく、『学校の怪談』シリーズの黒沢清のように、血の通わない少年少女の運命へと踏み込む安川有果の舵取りがとにかく素晴らしい。決して大袈裟な表現ではなく、安川有果こそが黒沢清の後継者たる資質を備えている。

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