【第816回】『カフェ・ソサエティ』(ウディ・アレン/2016)

あらすじ・結末に触れていますので、これから観る方はクリックしないで下さい

【第815回】『ミッドナイト・イン・パリ』(ウディ・アレン/2011)


 遠くに見えるエッフェル塔、シャンゼリゼ通りの賑やかな佇まい、ルーヴル美辞術館のナポレオン広場内にあるピラミッド。世界中の観光客に愛されるパリの美しい風景たちのモンタージュ。脚本家で、小説処女作に苦戦するギル・ペンダー (オーウェン・ウィルソン)は、フィアンセのイネス (レイチェル・マクアダムス) とその裕福な両親のおかげで、婚前旅行にパリへ訪れる。400ページを越えてもまだ未完の小説に、イネスの父親ジョン(カート・フラー)は不安そうな表情を浮かべる。フランスの会社との合併は上手く行ったものの、生粋のアメリカ人であるジョンはフランスの風土を毛嫌いしている。親子4人のレストランのテーブルの席、偶然現れたポール・ベイツ(マイケル・シーン)とその妻キャロル(ニーナ・アリアンダ)がイネスに話しかける。ソルボンヌ大学さえまともに発音出来ない「エセ教養人」の夫婦にギルは嫌悪感を示すも、イネスは翌日の再会を勝手に約束してしまう。心底面白くない偽インテリの知ったかトークに辟易とし、ギルはイネスたちと離れ、1人で歩きたいんだと言って、タクシーを拾わずにレストランからホテルへの道をとぼとぼと歩き出す。案の定、夜の石畳の上で迷子になった男は、石段の上に座りながら途方に暮れる。午前0時を過ぎる頃、静寂の中で鐘が鳴ると、黒のプジョー・クラシックが石畳の上をやって来る。到着早々、シャンパンを呑まされたギルはまるでシンデレラのガラスの靴のように1920年代のパリへタイム・スリップする。

 映画はウディ・アレンの1920年代のフランスへの憧憬に満ちている。時代錯誤な黄金時代に迷い込むのはウディ・アレンの分身となるオーウェン・ウィルソンである。『華麗なるギャツビー』で知られる失われた20年代の作家であるF・スコット・フィッツジェラルド(トム・ヒドルストン)を筆頭に、妻のゼルダ(アリソン・ピル)、ジョゼフィーヌ・バケル(ソニア・ロラン)、アーネスト・ヘミングウェイ(コリー・ストール)、ガートルード・スタイン(キャシー・ベイツ)、パブロ・ピカソ(マルシャル・ディ・フォンソ・ボー)、シュールレアリズムの作家マン・レイ(トム・コルディエ)や若き日の『アンダルシアの犬』前夜のルイス・ブニュエル(アドリアン・ドゥ・ヴァン)、アンリ・マティス(イヴ=アントワーヌ・スポト)、そしてオーウェン・ウィルソンにとって『ダージリン急行』以来の共演となるサルバドール・ダリ(エイドリアン・ブロディ)である。中盤、『皆殺しの天使』の着想をブニュエルに語るギルの描写が何とも痛快で笑える。ロバート・ゼメキスの『バック・トゥ・ザ・フーチャー』シリーズのように、確定した未来から黄金時代にやって来た主人公は、巨人たちの日常に触れることで、スランプに陥っていた処女長編を書き上げる。

 1935年生まれのウディ・アレンにとって1920年代とは全ての芸術家がリンクする様を羨望の眼差しで見つめた幻の時代であり、体感し得なかった時代の丁寧な再現が泣かせる。美術館の案内人を務めたカルラ・ブルーニ(サルコジ大統領夫人)の出演も笑えるが、デヴィッド・ドブキンの『ウエディング・クラッシャーズ 結婚式でハメハメ』(しかし酷い邦題だ 笑)以来のレイチェル・マクアダムスとオーウェン・ウィルソンの再共演が何とも微笑ましい。ギルは口達者で裕福な富豪の娘であるイネスと結婚前にも関わらず、尻に敷かれている。ロマンチックな恋愛期間はとうに消え去り、男にとっては残酷な結婚の儀式が待ち構えている。要は結婚という厳しい現実を前に、厨二病的なギルが自らの愚かさを克服出来るか否かに物語の肝はあるのだが、あろうことかギルは並行世界の住人であるアドリアナ(マリオン・コティヤール)に恋してしまうのである。今や世界のトップ女優へと登り詰めたマリオン・コティヤールとレア・セドゥを同時に起用した世界一の女優の目利きであるウディ・アレンの眼力には改めて驚嘆せざるを得ない。プジョーから貴族用の馬車に乗り換えた2人は、ベル・エポックの時代の登場に驚きを隠さない。「最近の若者は・・・」や「昔の映画は今の映画の何倍も素晴らしかった」という心底凡庸な言説のように、幻の時代に想いを馳せる20世紀人と21世紀人とでは決定的な差異がある。それを踏まえてのクライマックスの高揚感が何度観ても素晴らしい。イギリス、スペイン、イタリアというEU連合の重要都市を行き来しながら、遂にパリの街並みへ着手した物語は、老いてなお、リチャード・リンクレイターの『ビフォア』シリーズやヌーヴェルヴァーグの偉人たちに挑むような野心的で若さに満ちた力作に仕上がっている。

【第814回】『それでも恋するバルセロナ』(ウディ・アレン/2008)


 アメリカ人のヴィッキー(レベッカ・ホール)とクリスティーナ(スカーレット・ヨハンソン)は親友同士。ヴィッキーは修士論文を仕上げるために、クリスティーナは短編映画撮了を楽しむために、2人は夏のスペイン・バルセロナへ旅行に来ていた。何かとウマが合う2人だが、ただ一つ恋愛観だけはまるで違っていた。慎重派で貞淑なインテリであるヴィッキーに対し、クリスティーナは肉食系で自由奔放、SEXも含め直感を信じる女だった。2人の関係性は『マッチポイント』のクロエ・ヒューイット(エミリー・モーティマー)とノーラ・ライス(スカーレット・ヨハンソン)の関係性にもトレース出来るし、アレンの映画においては両極を司る2人の女性は往々にしていつも出て来る。ガードの硬い貞淑なヴィッキーは婚約者ダグ(クリス・メッシーナ)との結婚を控えている。親友クリスティーナの自由奔放な態度に対しても、当初は姉のような立場で上から目線で語りかけるヴィッキーの姿に、クリスティーナは一切悪びれる様子もない。ホームステイ先のホテル、ヴィッキーの遠縁のジュディ・ナッシュ(パトリシア・クラークソン)と夫のマーク・ナッシュ(ケヴィン・ダン)夫婦は2人を笑顔で向かい入れる。昼間は別行動、夜は一緒に過ごそうと約束した2人は、思い思いの時間を過ごす過程で、妻に暴力を振るい、離婚した画家のフアン・アントニオ(ハビエル・バルデム)と出会う。

 女と見れば手当たり次第に口説くフアン・アントニオのプレイボーイっぷりにヴィッキーは嫌悪感を隠さないのだが、案の定、クリスティーナは男の誘いに軽々しく乗る。「カタルーニャの国民性について」という名の修士論文を書き、いずれはアメリカで教師になろうとしているヴィッキーは自身の貞操観念を誇りながら、上から目線で親友に助言をする。しかし肉食系男子のフアン・アントニオの行動パターンは2人のアメリカ系女子の斜め上を行っている。今作のフォルムは古くはエリック・ロメールやジャック・ロジエ、近年ではホン・サンスやジョー・スワンバーグのような半径150cmの恋愛映画をを好む層にはどストライクに違いない。すっかり老成したウディ・アレンの真に力が抜けた物語は、個人の倫理観よりも偶然の出会いに重きを置いている。観念よりも衝動が優先され、ロジックよりもエモーションが上回る物語はフアン・アントニオの存在を物語の中心に置きながらも、女たちの感情のズレを徐々に浮き彫りにする。女同士の台詞はあくまで口をつぐんだ言葉であって本心ではない。その証拠にヒロインたちはエラーのような恋愛物語に没入し、素敵な男の深淵に触れたところで、我を取り戻す。一見、緊密な三角関係に見えた物語にもう1人の女マリア・エレーナ(ペネロペ・クルス)が登場するところから、物語は一気に息を吹き返す。70歳を過ぎて妙に肩の力の抜けたウディ・アレンの突き放すような登場人物への客観視が絶妙な味わい深い佳作である。

【第813回】『マッチポイント』(ウディ・アレン/2005)


 会員制テニスコートの面接現場、元プロ・テニス・プレイヤーのクリス(ジョナサン・リース=マイヤーズ)は自信満々な表情で自らをプレゼンする。アイルランド出身の彼は、自分の人生を変えようと、心機一転イギリスのロンドンへやって来ていた。勝負への執念に負けていたと話す彼は晴れて、会員制サロンでのテニス・コーチの職を勝ち得る。上流階級の人々へのコーチングは昨日までプロのライセンスを持っていた彼には随分手緩い。やがて上流階級の御曹司であるトム・ヒューイット(マシュー・グッド)が彼にコーチングを依頼する。昼食の席で、クリスがオペラ好きだと知ったトムは、明日の夜に父アレックス・ヒューイット(ブライアン・コックス)が主催するオペラの観劇会に招かれる。ヒューイット家の家族が総出でクリスに自己紹介するが、トムの妹であるクロエ・ヒューイット(エミリー・モーティマー)だけは満更でもない表情を浮かべている。オペラ歌手のステージを前に、気もそぞろなクロエは後ろに座るクリスの方をチラチラと振り返る。翌日、トムが習うテニス練習の現場にクロエがやって来る。当時、三十路をとうに過ぎたエミリー・モーティマーの少女のようなファッションが可憐な印象を残す。純白のTシャツにセクシーなミニのスカート、癖の強いラリーでも食らいつくクロエの姿に、クリスは恋をしてしまう。

 ブルジョワジーなヒューイット一家の末娘と野心家のクリスの身分不相応な恋は成り行きで盛り上がる。当初、クロエの母親であるエレノア・ヒューイット(ペネロープ・ウィルトン)はクリスのことを快く思っていないが、愛娘クロエの恋の情熱に負け、2人の恋仲を許さざるを得なくなる。クリスにとっては何よりヒューイット家の家長であり、投資会社の経営者である父アレックスに存在を認められたことが大きい。父親は娘を幸せにしてくれるなら、クリスへの投資を惜しまない。下世話な言い方になるが、生まれながらに階級が厳密に区分けされるイギリス社会において、男たちにとって唯一の人生の逆転の手段は逆玉の輿しかない。『シング・ストリート 未来へのうた』のように、目の前に大英帝国を臨みながら小国であるアイルランドに生まれて来た若者には、明るい未来など殆ど残されていない。『トレインスポッティング』の若者たちのように一か八かの賭けを強いられるはずのクリスは、クロエに惚れられたことにより、トントン拍子に惨めな労働者階級のレイヤーから、飛び級で上流階級へと駆け上がる。文学好きのクリスが思わず呆気に取られるアレックスの書庫の圧倒的物量のインパクトと自身との対比。ドストエフスキーの『罪と罰』を読んでいたはずのクリスが、次の瞬間『ドストエフスキー入門』を読む様の滑稽さは、彼にとってハイ・カルチャーへの認識が所詮その程度にしか過ぎないことを観客に明らかにする。

 それ故にというか、行き掛かり上とも言えるが、そもそもヒューイット家とクリスではあまりにも住むレイヤーが違い過ぎる。上流階級の中で、最終決定権を持つ姑の迫害を受けた女と、愛娘の庇護を受けるクリスとは、一家のつまはじき者として互いに尋常ならざる傷を互いに舐め合う。女優としての夢をエレノアに木っ端微塵に砕かれたノーラ(スカーレット・ヨハンソン)は大雨の中、ヒューイット家の別荘の庭を彷徨う。ストリンドベリの本を探しに部屋を出たクリスは、雨に濡れたノーラの姿を見つけ、大雨の中愛し合う。大雨の下の情事の後、男と女の間の絶望的な温度差が何ともウディ・アレンらしい。行き掛かり上関係を持った女はそれ故に彼のその後の猛アピールを拒絶する。しかし運命の歯車に導かれた2人は、皮肉にも二度目の再会を果たす。最初は電話番号など教えるつもりも無かったが、何度倒れてもへこたれない上に、クロエの前で電話番号を強請る男の姿に女は根負けする。情緒不安定を理由に、妊娠で揺するファム・ファタールの描写も暗いが、それ以上に中盤から心底屈折した表情を見せるクリスの描写が心底クズで居た堪れない。一見、緻密に練られた物語のように見えるが、その実、レミ・アデファラシンの構図は今一つ登場人物たちの欲望に肉薄しているとは言い難い。後半1時間のサスペンス描写も冗長で今一つハッキリとしない。とはいえノーラ・ライスを演じたスカーレット・ヨハンソンの若き日の輝きに今作は支えられる。不倫の代償を背負いながらも、孤独な叫びを続けるヒロインの願いは宙に浮いたまま叶わない。バナー刑事のアシスタントして登場するダウド捜査官(ユエン・ブレムナー)が圧倒的な存在感を放つ。

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