【第527回】『シティヒート』(リチャード・ベンジャミン/1984)


 1933年カンザス・シティ、禁酒法最後の年、雨に濡れた石畳。スピア警部(クリント・イーストウッド)が一軒の喫茶店に出向く。カウンターで飲むのはブラック・コーヒー。一杯のミルクティーで粘る娼婦たちは、警部の姿を見るや街角に消え、マスターは大喜びだが、今度はチンピラが「マーフィーはどこだ?」と凄む。店主は知らないと答えると胸ぐらを掴み、待たせてもらうからなと右側のカウンターの隅に陣取る。何も知らずに意気揚々と現れた私立探偵マイク・マーフィー(バート・レイノルズ)の姿。チンピラ2人組は待ってましたとばかりにマーフィーを挟み撃ちにする。その様子を少し遠くから笑顔で見つめるスピア警部の姿。かくして場末の喫茶店では烈しい乱闘騒ぎが起きる。マスターに「助けないのか?」と言われた警部は、「コーヒーをもう1杯」とまったく意に介す素振りもない。2対1の男同士の殴り合いが続く中、チンピラの腕が警部の背中に当たり、カップのコーヒーが少しだけ零れる。その様子に激怒した警部はマーフィーの助太刀に入り、あっという間に2人のチンピラを病院送りにしてしまう。この2人、実は警察時代の同期だが、互いにライバル意識を剥き出しにするほどの犬猿の仲であり、会えばいつも喧嘩ばかり。警部はケチな探偵がマフィアと裏取引しているという噂を聞きつけ、旧知の仲のマーフィーの身辺を尾行している。そんな騒ぎの中、事件は起こる。

イーストウッド作品には極めて珍しい30年代の暗黒街を舞台にしたノワール・サスペンス。セルジオ・レオーネの『荒野の用心棒』や『夕陽のガンマン』に主演したクリント・イーストウッド。それにセルジオ・コルブッチの『さすらいのガンマン』の主役だったバート・レイノルズという「マカロニ・ウェスタンの2大スター奇跡の共演」を呼び水に、外部からリチャード・ベンジャミンを監督に招聘した。いつも金のないマーフィ&スウィフト探偵事務所の所長マーフィーは、急に羽振りの良くなった黒人の相棒スウィフト(リチャード・ラウンドトゥリー)を怪しむ。ブラック・プロイテーション映画のヒーローだった『黒いジャガー』シリーズのジョン・シャフトが、ここでは暗黒街の帝王レオン・コル(トニー・ロビアンコ)の裏帳簿をくすねてしまったため、マーフィーともども闇組織に命をつけ狙われる。イーストウッドにレイノルズ、ラウンドトゥリーにロビアンコ、70年代のいぶし銀のスターたちの共演による男たちのドラマがなかなか素晴らしい。だが男優陣の充実に対し、女優陣の演出や人物造形がいささか物足りない。『大統領の陰謀』と『クレイマー、クレイマー』の2本の映画が永遠に刻まれるジェーン・アレクサンダーは、マーフィーの秘書で運命の女を好演するが、肝心要のファム・ファタール役になるはずのキャロライン(マデリーン・カーン)の人物造形が、いま観るとだいぶ物足りない。ボクシングの興行主を務める暗黒街の帝王レオン・コルとの三つ巴の設定は悪くないのだが、それにしてもバート・レイノルズの立ち振る舞いはコメディのように軽い。

今作はどちらかと言えば、バート・レイノルズが主演で、クリント・イーストウッドが客演という印象が強い。その証拠にスピア警部の家族関係や生い立ち、署内での力関係などは一切明らかにされない。マイク・マーフィー探偵の絶体絶命のピンチに、いつも現れるホワイトナイトとしてのスピアの造形をもう少し掘り下げれば、正調ノワールとして十分な傑作になったはずである。当時、イーストウッドとレイノルズは出演料や撮影の段取りでことごとく揉め、ロケーション撮影重視のイーストウッドの主張に対し、セット撮影を強行したリチャード・ベンジャミンのスタイルはまさに水と油だった。結果的に興行成績も振るわず、彼は効率重視のマルパソ・スタイルに戻り、その後リチャード・ベンジャミンやバート・レイノルズとの共演は二度となかった。ラグタイム、禁酒法、葉巻、スーツに帽子、黒のキャディラックなど数々の道具立てが盛り上げる光と影のドラマ。酒を洗剤という隠語で呼び合い、チンピラ、闇医者、娼婦、ギャングのボスなど裏稼業に足を突っ込んだ人間たちを描いた闇の物語に、差し込んだ一筋の光のようなアイリーン・キャラのジャズ・ボーカルの天使のような存在感。心なしかクリント・イーストウッドのセリフ回しも、40年代〜50年代の名優たちのようなぶっきらぼうな言い回しとトーンを心掛けていると感じるのは気のせいだろうか?イーストウッドのフィルモグラフィにおいて、最も論じられることの少ない作品である。

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