【第914回】『スパイダーマン:ホームカミング』(ジョン・ワッツ/2017)

あらすじ・結末に触れていますので、これから観る方はクリックしないで下さい

【第553回】『COP CAR/コップ・カー』(ジョン・ワッツ/2015)


 アメリカ合衆国の西部のコロラド州、山岳地帯にポツリと佇む街並み。チンコ、ウンコ、プッシー、ケツなどのダーティワードを歩きながら連呼する2人組の姿。ガキ大将の小学生トラヴィス(ジェームズ・フリードソン=ジャクソン)とその親友のハリソン(ヘイズ・ウェルフォード)は木の棒で出来た杖をつきながら、草むらを横切っていく。目の前に見える4本の有刺鉄線。トラヴィスはいとも簡単に進入禁止の有刺鉄線をくぐり、更に遠くへと向かう。ハリソンは一瞬躊躇しながらも、水色のダウンジャケットの背中を気にしながら、先を急ぐトラヴィスの後を必死で追いかけていく。乾燥した冬晴れの日、2人はこっそりと家を抜け出し、人気のない空き地へとたどり着く。視線の下には人の乗っていないパトカー。最初は石を投げて様子を伺う2人はやがてパトカーに近付き、左右のドアに手をかける。車にキーが付けられたままだと気づいた2人は、パトカーのエンジンをかける。まるでテレビ・ゲームの「マリオカート」をプレイするかのように、2人は生まれて初めてのドライブへと出かけていく。名作『スタンド・バイ・ミー』のような少年たちの大人になるための冒険が始まるが、2人はその先に待ち構える危険など知る由もない。

数日前の『イット・フォローズ』同様に、低予算を逆手に取ったアイデア1発勝負の映画である。パトカーの持ち主がいったい誰なのかは我々観客に導入部分で提示される。保安官ミッチ・クレッツァー(ケヴィン・ベーコン)は何らかのトラブルで人を殺し、パトカーのトランクから死体を引きずり出し、地面に掘った穴に埋めていた。ようやく死体を処理したミッチは車のもとへ大急ぎで引き返すが、先ほどまであったはずのパトカーがこつ然と姿を消している。悪徳警官の用意周到に練られた隠蔽工作(アリバイ作り)の歯車は音を立てて崩れていく。そんな危機的な状況を知る由もない少年たちは車を乗り回しながら、仮初めの大人生活を満喫する。警察から割り当てられた拳銃、防弾チョッキ、殺人鬼として仕事を執行するために自前で用意しただろうショットガンに、トラヴィスとハリソンの心は高ぶる。おもちゃのような無造作な扱いはかなり危険だが、銃にいつでも触れることの出来る銃社会アメリカの空恐ろしい日常を提示するのには十分過ぎる。日常に潜む狂気の地雷をうっかり踏んでしまった2人の無邪気さとは対照的に、少年たちがダウンジャケットを着込むような季節に、制服を脱ぎ捨て、捲り上げた半袖1枚で脂汗をかきながら焦る殺人鬼ミッチの狂気が、クライマックスに起こる狂気の沙汰を否応なしに期待させる。

中盤以降、第三者の問答から導き出されるように、トラヴィスもハリソンも父親のいない不幸な少年である。彼らは一貫して父性の喪失を埋めるために有刺鉄線をくぐり、パトカーのエンジンに手をかける。その無邪気な暴走は、明らかにオヤジの雷を欲しているのだが、妙なことにジョン・ワッツはここでアメリカ映画お得意の堅物な保安官を念頭に置いていない。トラヴィスとハリソンを叱るのは、またしても父性ではなく、通報おばさんペブ(カムリン・マンハイム)の厚かましいお節介であり、トラヴィスとハリソンはここでもオヤジの雷に出会うことはない。では肝心要のオヤジのゲンコツを浴びせるはずのケヴィン・ベーコンの怪演ぶりはどうかと言えば、随分大人しい、というか拍子抜けするくらい間抜けに転落していくだけなのだ。ホラー映画出身監督ならば、涙が枯れるほどの無慈悲な暴力で少年たちを黙らすことは可能だが、どういうわけかタランティーノの『レザボア・ドッグス』ばりに三すくみになった男たちは、仲間割れの復讐の銃弾にあっさりと散る。その一部始終を後部座席から見ていた少年たちには遂に、銃の装塡を教えてくれるビッグ・ダディにも、アクセルの踏み方を教えてくれる優しい保安官にも出会うことがない。現代アメリカ映画らしく父性の喪失が議題に上りながらも、ノワール・サスペンスとしての体裁にこだ割り過ぎるあまり、軽く流してしまうのは勿体ない。余談だが、無線の向こうの女性の声を演じているのは、ケヴィン・ベーコンの妻キーラ・セジウィックである。

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