【第1095回】『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』(ジョン・リー・ハンコック/2016)


 1954年ミズーリ州セントルイス、シェイクミキサーのセールスマンとして中西部を回っていたレイ・クロック(マイケル・キートン)は、今日も空振りばかりだった。52歳という年齢にも関わらず、田舎の飲食店を積極的に回る彼は、ステーキ屋のドライブスルーの不便さにげんなりしていた。最愛の妻エセル・クロック(ローラ・ダーン)が待つ家には戻れず、今日も1人モーテルでアルコールを煽りながら、寂しい夜を過ごしていた。「ポジティブの力」のアナログ・レコードに針を落とし、「執念と覚悟さえあれば、人は考えた通りの自分になる」という言葉に今日も鼓舞されていた彼は、翌日からも中西部の田舎町を精力的に回り続ける。だが「ニワトリが先か卵が先か」という取ってつけたようなセールスの口上に誰も耳を傾けることはない。プリンス・キャッスル社というあまり流行らない企業に、マクドナルドなるハンバーガー・ショップから、ミキサー8台の注文が届く。翌日レイはお馴染みの青い車で、ミズーリからアリゾナへ渡り、サンバーナディーノへはるばるやって来る。いつものようにハンバーガー・ショップに並ぶ長蛇の列の最後尾に並んだレイは、この店のスピード・システムに驚く。

 世界最大級のファーストフードチェーン「マクドナルド」の影の歴史に光を当てた物語は、野心家レイ・クロックの破天荒な人生にフォーカスする。彼の姿は21世紀の今なお起業家たちに絶大な影響を与え続けている。鳴かず飛ばずの人生を送った52歳はマック&ディック兄弟が経営する「マクドナルド」と出会い、その革新的なシステムに勝機を見出し、手段を選ばず資本主義経済や競争社会の中でのし上がっていく。その姿は19世紀のゴールド・ラッシュのようなアメリカン・ドリームを体現する。手段を選ばず資本主義経済や競争社会の中でのし上がっていくレイと、兄弟の対立が決定的になる過程は、残酷なまでに夢の行き先を分かつ。レイの野心的な好奇心ある提案に対し、臆病で職人肌の兄弟はことごとく『No』と言い放つ。その守りに入った人生を更に助長するのは、最愛の妻エセルに他ならない。やっとの思いで手に入れた夢のマイホームでさえも抵当に入れたレイのなりふり構わぬ強かさには、周りの人間が呆気にとられる。稀代の人たらしとしての才能で、ハリー・J・ソネンボーン(B・J・ノヴァク)やロリー・スミス(パトリック・ウィルソン )、フレッド・ターナー(ジャスティン・ランデル・ブルック)らを懐柔しながら、自分には導き出せなかったアイデアを取り入れ、アメリカ全土に進出する。黄色いキャンディに託した子供たちの夢、グラスに付いた口紅の真っ赤、インチキパウダーだと揶揄されたインスタ・ミックス。仕事一筋の狂信的な野心家を演じたマイケル・キートンの佇まいが素晴らしい。

【第914回】『スパイダーマン:ホームカミング』(ジョン・ワッツ/2017)

あらすじ・結末に触れていますので、これから観る方はクリックしないで下さい

【第553回】『COP CAR/コップ・カー』(ジョン・ワッツ/2015)


 アメリカ合衆国の西部のコロラド州、山岳地帯にポツリと佇む街並み。チンコ、ウンコ、プッシー、ケツなどのダーティワードを歩きながら連呼する2人組の姿。ガキ大将の小学生トラヴィス(ジェームズ・フリードソン=ジャクソン)とその親友のハリソン(ヘイズ・ウェルフォード)は木の棒で出来た杖をつきながら、草むらを横切っていく。目の前に見える4本の有刺鉄線。トラヴィスはいとも簡単に進入禁止の有刺鉄線をくぐり、更に遠くへと向かう。ハリソンは一瞬躊躇しながらも、水色のダウンジャケットの背中を気にしながら、先を急ぐトラヴィスの後を必死で追いかけていく。乾燥した冬晴れの日、2人はこっそりと家を抜け出し、人気のない空き地へとたどり着く。視線の下には人の乗っていないパトカー。最初は石を投げて様子を伺う2人はやがてパトカーに近付き、左右のドアに手をかける。車にキーが付けられたままだと気づいた2人は、パトカーのエンジンをかける。まるでテレビ・ゲームの「マリオカート」をプレイするかのように、2人は生まれて初めてのドライブへと出かけていく。名作『スタンド・バイ・ミー』のような少年たちの大人になるための冒険が始まるが、2人はその先に待ち構える危険など知る由もない。

数日前の『イット・フォローズ』同様に、低予算を逆手に取ったアイデア1発勝負の映画である。パトカーの持ち主がいったい誰なのかは我々観客に導入部分で提示される。保安官ミッチ・クレッツァー(ケヴィン・ベーコン)は何らかのトラブルで人を殺し、パトカーのトランクから死体を引きずり出し、地面に掘った穴に埋めていた。ようやく死体を処理したミッチは車のもとへ大急ぎで引き返すが、先ほどまであったはずのパトカーがこつ然と姿を消している。悪徳警官の用意周到に練られた隠蔽工作(アリバイ作り)の歯車は音を立てて崩れていく。そんな危機的な状況を知る由もない少年たちは車を乗り回しながら、仮初めの大人生活を満喫する。警察から割り当てられた拳銃、防弾チョッキ、殺人鬼として仕事を執行するために自前で用意しただろうショットガンに、トラヴィスとハリソンの心は高ぶる。おもちゃのような無造作な扱いはかなり危険だが、銃にいつでも触れることの出来る銃社会アメリカの空恐ろしい日常を提示するのには十分過ぎる。日常に潜む狂気の地雷をうっかり踏んでしまった2人の無邪気さとは対照的に、少年たちがダウンジャケットを着込むような季節に、制服を脱ぎ捨て、捲り上げた半袖1枚で脂汗をかきながら焦る殺人鬼ミッチの狂気が、クライマックスに起こる狂気の沙汰を否応なしに期待させる。

中盤以降、第三者の問答から導き出されるように、トラヴィスもハリソンも父親のいない不幸な少年である。彼らは一貫して父性の喪失を埋めるために有刺鉄線をくぐり、パトカーのエンジンに手をかける。その無邪気な暴走は、明らかにオヤジの雷を欲しているのだが、妙なことにジョン・ワッツはここでアメリカ映画お得意の堅物な保安官を念頭に置いていない。トラヴィスとハリソンを叱るのは、またしても父性ではなく、通報おばさんペブ(カムリン・マンハイム)の厚かましいお節介であり、トラヴィスとハリソンはここでもオヤジの雷に出会うことはない。では肝心要のオヤジのゲンコツを浴びせるはずのケヴィン・ベーコンの怪演ぶりはどうかと言えば、随分大人しい、というか拍子抜けするくらい間抜けに転落していくだけなのだ。ホラー映画出身監督ならば、涙が枯れるほどの無慈悲な暴力で少年たちを黙らすことは可能だが、どういうわけかタランティーノの『レザボア・ドッグス』ばりに三すくみになった男たちは、仲間割れの復讐の銃弾にあっさりと散る。その一部始終を後部座席から見ていた少年たちには遂に、銃の装塡を教えてくれるビッグ・ダディにも、アクセルの踏み方を教えてくれる優しい保安官にも出会うことがない。現代アメリカ映画らしく父性の喪失が議題に上りながらも、ノワール・サスペンスとしての体裁にこだ割り過ぎるあまり、軽く流してしまうのは勿体ない。余談だが、無線の向こうの女性の声を演じているのは、ケヴィン・ベーコンの妻キーラ・セジウィックである。

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