【第743回】『悲愁物語』(鈴木清順 /1977)


 新体操の跳馬に挑む小柄な選手、観客達のシュプレヒコール。東欧の花チブルスキーは引退後、極東レーヨンの専属モデルに決定した。高層ビルの上層階、無人の社長室デスク、日栄レーヨンの井上社長(仲谷昇)は急遽、森企画室長(玉川伊佐男)を社長室に呼びつける。日栄と極東の過激な引き抜き争いの末、チブルスキーを極東に引き抜かれ、怒り新党の井上社長は対抗馬のタレント発見を急ぐよう命令する。企画室長の森や広告代理店の田所圭介(岡田眞澄)は、22歳のプロゴルファー・桜庭れい子(白木葉子)に白羽の矢を立てる。身長164cm、体重48kg、バスト88cm、ヒップ89cmの抜群のプロポーション、貧しい弟との2人暮らし。雑誌「パワーゴルフ」の編集長でれい子の恋人でもある三宅精一(原田芳雄)に、女子プロゴルフ選手権優勝を条件に、まずは300万円を渡す。三宅は旧知の仲である鬼コーチの高木(佐野周二)にれい子の特訓を頼む。連日連夜、ノーマークの桜庭れい子のスパルタ特訓は原案である梶原一騎のスポ根ドラマの影響が色濃い。ゴルフ雑誌の編集長でありながら、クラブを握ったこともないゴルフ音痴の三宅は、桜庭れい子の自分への恋心を巧みに利用しながら、主人公を勝負の世界へ引きずり込む。間近に置いた送風機、腰紐で縛られた古タイヤ、脚立の間を抜けるようにショットを打つトレーニングの異様さは、真っ先に68年の増村保造の『セックス・チェック 第二の性』を連想させる。

 『セックス・チェック 第二の性』では、オリンピック選手の夢を第二次世界大戦で引き裂かれた宮路司郎(緒形拳)が、インターセクシュアルと診断された南雲ひろ子(安田道代)のコーチとなり、同じ夢を追いかけたが、今作で桜庭れい子の恋人の三宅は金に目が眩み、女を売ったクズに違いない。三宅はSEXを餌にしてれい子を支配し、彼女の隠れた才能を引き出す。当初は三宅に仕事を依頼した田所や日栄レーヨンの井上社長をはじめ、本人すらも意識していなかった1977年の女子プロゴルフ選手権の優勝を境に、ヒロインの暮らしは一変する。5000万円にも及ぶ日栄レーヨンとの独占専属契約、「初夏の風、バーディ・チャンス」を題された広告は飛ぶように売れ、ポスターは貼った隙に盗まれ、TVコマーシャルも大人気となり、遂には午後の人気アフタヌーン・ショーである『さわやか3時』のメインに抜擢される。降って湧いたようなシンデレラストーリー、貧しい弟とあばら家で暮らす彼女は郊外の大きな土地に豪邸を建て、弟に豊かな暮らしをさせる余裕が出来た。深夜遅くまでの芸能の仕事の帰り、ベンツで家まで帰宅したれい子はガレージの扉を勢い良く開け、それが原因で近所の人々から顰蹙を買ってしまう。その些細な出来事はやがて大きな波紋を呼ぶ。『さわやか3時』の楽屋裏、観覧に来た仙波加世(江波杏子)はれい子に大声でサインを求める。その後、れい子が近所に住んでいることがわかった加世は親しげに声を掛けるが、仕事で忙しいれい子はその好意を邪険に扱ってしまう。加世はれい子に冷たい視線を浴びせながら、魔女のような侮蔑の目を浮かべるのである。

 鈴木清順は松竹から日活へ移籍した後、堅実な仕事ぶりで徐々に上層部の評価を勝ち取る。いわゆるB級プログラム・ピクチュアを量産出来る監督として日活に重宝された清順の仕事ぶりに変化が見え始めたのは63年の『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』や『野獣の青春』辺りからだった。日活上層部との亀裂が決定的になったのは66年の『東京流れ者』である。極彩色のビジュアルや独特のライティング・センスに反し、虚無的なラストシーンが日活上層部から大批判を受け、急遽、ラストシーンを撮り直す事態となる。この頃から日活は清順をトラブル・メイカーとして問題視し始め、翌67年の『殺しの烙印』の難解な作風が当時の堀久作社長の逆鱗に触れ、電話越しに一方的に日活を解雇されてしまう。今作は『殺しの烙印』から鈴木清順が10年間干された後の禊として、松竹×三協映画(梶原一騎の映画プロダクション)の出資の元で製作された。主演を務めた白木葉子は梶原一騎の当時の愛人だったと云う噂もある。『殺しの烙印』の清順×大和屋竺コンビは開巻冒頭から30分ほどは所謂梶原一騎の『あしたのジョー』や『巨人の星』のような定型をなぞりながら出資者の梶原のご機嫌を伺い、仙波加世(江波杏子)の登場辺りから心底トチ狂った物語的破綻を次々に見せつける。原田芳雄扮する三宅精一の共依存的支配体制と、日栄レーヨン側からの抑圧、いかにも魔女狩りを連想させる仙波加世の妄執の餌食となるヒロインの描写は、さながら日活の抑圧の煽りをくらい、不遇の10年を歩んだ鈴木清順の心情吐露に思えて仕方ない。利益優先で商業主義な日活に対し、清順美学とも呼ばれる彼の作家主義が開花し始めた矢先の1967年、清順は突如、映画監督としての仕事を剥奪される。

 大袈裟ではなく、まるで「赤狩り」のような一方的な解雇の後、辛酸を舐め続けた鈴木清順と大和屋竺の日活への私怨の思いは察するに余りある。10年にも及ぶ裁判の長期化・泥沼化で絶縁状態となった日活を離れ、古巣の松竹と梶原一騎の出資で10年ぶりに監督作を製作した鈴木清順の尋常ならざる思いは今作の後半部分に立ち現れる。外部からのパラノイア的な抑圧が滲み出し、シンデレラストーリーを勝ち得たはずの桜庭れい子のその後の運命には心底陰惨な展開が待ち構える。長かった髪を切り落とし、幸せそうだった彼女の笑顔は枯れ、やがてスポーツマンにあるまじき煙草が手放せなくなる。愛する三宅精一の愛を受けられずに女は、出資者である日栄レーヨンの井上社長との愛人契約に溺れる。自分は幸せなのかと自問自答する女は鏡の中の自分を見つめる回数が次第に増える。両親を失い、さながら姉の記憶を母親の記憶と取り違えた弟の桜庭純(水野哲)の自閉症的な精神疾患が実に印象深い。れい子の建てた豪邸内の奇怪なデザイン、弟・純は縄梯子を登りながら、母親の子宮のような浮遊した場所へ閉じ籠る。ジュディ・ダンカンとの大切な仕事を加世の夫である仙波道造(小池朝雄)との寝取られセックスでキャンセルするれい子の元には既に三宅も井上社長も田所もいない。桜の花の満開の下、ボーイ・ミーツ・ガールな純の初恋はキスと拳銃を取り違える。やがてズーム・アウトした桜の木の満開の花の中央にぼんやりと十字架が見えたのは目の錯覚だろうか?あまりにも陰惨なクライマックスを持った物語に純役として出演した水野哲はASKAの親戚としても知られている。

 後年の『ツィゴイネルワイゼン』、『陽炎座』、『夢二』のいわゆる「浪漫3部作」で知られる鈴木清順だが、私はやはり『殺しの烙印』や今作の影響が一番強い。今作を学生時代に初めて二番館で観た頃、言いようもない衝撃を受け、電流が走るような深い感銘を受けた。室生犀星の『蜜のあわれ』の映画化権を石井岳龍に譲ったと聞いた時から、いつか近いうちにこんな日が来るとは予想していたものの、鈴木清順の死を前にして、現実をまだ受け止めきれない自分がいる。映画に愛され、同時に映画に心底憎まれた鈴木清順監督の天才としか言いようがない才気を懐かしみながら、あらためて鈴木清順監督のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

【第564回】『君の名は。』(新海誠/2016)

あらすじ・結末に触れていますので、これから観る方はクリックしないで下さい

【第563回】『言の葉の庭』(新海誠/2013)


 6月、雨の日の水溜りに出来た小さな波紋、朝方の都心を列車が走る音、制服の裾を濡らす誰かの傘、誰かのスーツに染み付いたナフタリンの匂い、背中に押し付けられた体温、顔を吹き付けるエアコンの風。高校生の秋月孝雄(声=入野自由)は雨の日になると、満員電車の喧騒が嫌で1限は授業をサボって、雨宿り出来るとある場所で靴のデザインを考えていた。新宿副都心のビルディング街、傘を差した人たちが行き交う交差点、タカオは都心の喧騒を離れ、今日も新宿御苑にやって来る。物々しい入り口、飲酒禁止の文字。散歩がてら少し歩くと、雨宿りの出来るウッド・スペースがあるが、今日に限ってそこには先客がいる。その手に握られた板チョコレートと発泡酒。昼間からビールに甘いもので休憩を取るパンチの効いた女の姿に圧倒されながらも、タカオは対になった椅子に座る。いつものようにスケッチしながら、女の足を見つめるタカオの目。ビジネススーツの裾から覗く足首は色白で、女性らしく細く引き締まっている。「どこかで会いませんでしたか?」というタカオの問いかけに対し、目の前に座る女・雪野百香里(声=花澤香菜)は否定し、万葉集の短歌 「雷神(なるかみ)の 少し響みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ」 を言い残して去っていく。

タカオには母親と兄がいるが、父親は既にいない。主人公は『彼女と彼女の猫 -Everything Flows』や前作『星を追う子ども』同様に、父親の不在を抱えている。母親が新しい父親を見つける様子は『彼女と彼女の猫 -Everything Flows』に近い。タカオの仲の良い兄貴である秋月翔太(声=前田剛)も母親同様に寺本梨花(声=寺崎裕香)という彼女を見つけ、この部屋を出て行く。主人公はいままさに巣立ちと成長の時期を迎えている。高校一年生で既に将来の夢を靴職人に決めているタカオは、学校のクラスメイト達にはその夢を内緒にしているが、ユキノにだけは正直に胸の内を吐露出来ている。最初は距離があった赤の他人の2人だったが、少しずつ打ちとけ合い、男女の境界を取っ払って友情が育まれる様子は『雲のむこう、約束の場所』や『秒速5センチメートル』にも近い。やがてタカオの将来の夢を興味深そうに聞くユキノの方も、出社拒否という問題を抱えていることが明らかにされる。同じ職場での年上男性との恋、ベランダでタバコを吸いながらユキノの話を聞く伊藤先生(声=星野貴紀)の後ろには、幸せな家族の姿がぼんやりと見える。新海誠にとって初めての大人の恋の描写は実に新鮮で生々しい。雨の日の湿気を帯びた艶めきの官能性、大人の女性を見つめる高校生という新たなキミとボクの構図が一際鮮明に映る。

女性用の靴を作ってみたいという欲望を発端にして、タカオがユキノの足型を採寸する場面の官能性は、これまでの新海ファンをあまりにも大胆に挑発する。梅雨を媒介にした6月~8月の湿気の多い季節、そうでなくても高温多湿な新宿の空の下で、雨の日にだけ会う機会を得る男女の光景。少年の大志となる靴職人という夢が、ユキノの上手く歩くことが出来ない感情に呼応し、新米教師の心の葛藤を静かに引き起こす展開の妙。蒼く純粋なタカオの心は、大人のしがらみに覆い尽くされたユキノの心をゆっくりと氷解させていく。『秒速5センチメートル』や『星を追う子ども』のような極端なキス・シーンは見られないが、そのことがかえってタカオとユキノのプラトニックな大人の友情を想起させる。手も握れず、唇にも触れることの出来ないタカオのひ弱さは現代の若者そのものだが、夏のある日の叩きつけるような雨が2人の心のズレを否応なしに盛り上げる。ストレスで味覚障害に陥り、いつの間にか上手く歩けなくなった女が、マンションの階段をおぼろげに降りていく際の艶やかだが確かな足取り。ここでは雨の新宿の空を呆然と見つめるタカオの言葉が再びユキノの心を震わせる。

【第562回】『星を追う子ども』(新海誠/2011)


 小高い山を望む美しい自然の残る小さな集落、学級委員長で成績優秀な小学生・明日菜(声=金元寿子)は、母と二人で暮らしていた。家に戻ればお線香を立てて、父親の遺影に手を合わせる。幼い頃に父を亡くしたアスナは、仕事で家を空けがちな母に代わって家事全般をしながら、空いた時間に近くの山の頂に作った自作の秘密基地で、父の形見である石をダイオード代わりに使い、鉱石ラジオを聞いて、遠い世界に想いを馳せていた。彼女にとっては、同級生のユミと猫のミミだけが唯一の遊び相手だった。ある日秘密基地へ向かう途中、線路の上で見たこともない怪獣に襲われたところを、「アガルタ」から来たという少年・シュン(声=入野自由)に助けられる。翌日、アスナが作った秘密基地で再会し、怪獣に襲われた腕のキズの状態を見るアスナ。その姿に優しく微笑みかけるシュン。仲良くなった二人は一瞬のキスの余韻を残し、翌日また会う約束をする。大雨の降る田舎の静寂。一瞬「クラヴィス(clavis)」が鈍い光を放ち、暗闇の中へと消えていく。翌日アスナは信じられないような話を母親から聞かされる。

『秒速5センチメートル』に続く、新海誠の4年ぶりとなる第5作目の監督作品。『彼女と彼女の猫 -Everything Flows』同様に、今作のヒロインであるアスナも父親の不在を抱えている。母親は彼女を育てるために夜勤の看護師として働く一方、思春期の一番大事な時期である娘のアスナとはなかなかコミュ二ケーションが取れない。アスナは小学校高学年の年頃ながら、炊事・洗濯・掃除など家事全般をこなし、傍らには猫がいる。精神的に自立した少女は父親の形見の品である水色の鉱石で空と交信を図る。『ほしのこえ』や『雲のむこう、約束の場所』同様に、登場人物たちはことあるごとに空を見つめ、思案に暮れる。時には思いの丈をぶつけながら、キミ=少女とボク=少年は別の「距離・速度・時間」の中で同じ空を見つめている。身重になった担任の先生の代わりに、アスナのクラスには二学期になって新しい教師である森崎先生(声=井上和彦)がやって来る。実はアガルタの秘密を探る組織・アルカンジェリに所属し、階級は中佐であるモリサキの登場は、シュンの絶命と入れ子構造になり、ヒロインであるアスナの前に立ち現れる。『古事記』に出て来るいざなぎの黄泉の扉の話を意味ありげに話すミステリアスなモリサキの姿に、ヒロインは亡き父親の像を重ね合わせている。

部屋の扉を開けた瞬間、世界の危機が突如ヒロインに降りかかった『ほしのこえ』や『雲のむこう、約束の場所』同様に、前半部分の淡々としたアスナの日常は異空間の出現で180度様変わりする。だが『ほしのこえ』の何万光年も離れた宇宙空間でも『雲のむこう、約束の場所』のシンボリックなユニオンの塔でもなく、彼女は自分たちが普段生活している環境の下に、地上世界とは別のアガルタへの入り口を見つける。こうして異世界から地球にやって来た少年と、一貫して父親の不在を克服出来ていない少女、10年前の妻の死を受け入れることが出来ない教師とがこちらの世界とあちらの世界の境界線を彷徨う。今作は新海が初めて「セカイ系」の物語を脱し、ここではないどこかで死を受け入れる登場人物たちの在りようを映し出す。闇に棲む「夷族(イゾク)」やケツァルトルからヒロインを守るシュンとソックリな弟シン(声=入野自由)の描写には、これまであえて接近を避けてきた宮崎駿とジブリ・アニメの強い影響が感じ取れる。ただ2時間弱の物語を語る新海誠の視点はいつも以上に混乱しているのは否めない。キミとボクの住む世界に対し、登場人物が増えれば増えるほど、登場人物たちを生き生きと動かす装置が必要になって来る。前作『秒速5センチメートル』もSF描写を極端に省いた内容が印象に残っているが、今作でもSFよりもファンタジー世界に没入するヒロインの姿が印象に残る。

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