【第1235回】『BPM ビート・パー・ミニット』(ロバン・カンピヨ/2017)


 白熱した討論会に水を差す1組の集団、ソフィ(アデル・エネル)はジャンヌ・ダルクのように中央に駆け寄ると、主催者の男に疑問をぶつける。だが後ろの方から血液の入ったゴムボールが投げ込まれ、突如場は白ける。やり場のない怒りが込み上げる中、今日も「Act-Up -Paris」には4人の新人が加入する。「Act Up」とは(AIDS Coalition to Unleash Power)の略であり、現在まで続くアクティビスト・グループとして知られている。エイズが蔓延した80年代、最初にアメリカで誕生し、その支部がフランスに出来た。監督であるロバン・カンピヨはゲイであり、実際に当時「Act-Up -Paris」の活動に参加した。彼が脚本を務めたローラン・カンテの『パリ20区、僕たちのクラス』のように、今作も極めてシリアスなディスカッションの様子を3台のカメラがドキュメンタリー・タッチで追う。急勾配の会議室、その上の方に座る男ショーン(ナウエル・ペレーズ・ビスカヤート)は時に大胆な提案をし、時に前に出てその空間にいる人間たちを鼓舞する。その姿は大胆不敵で、カリスマ的魅力に満ちているが、彼は16歳の頃、数学の教師で既婚者の男性と、たった一度関係を持ったことでHIVに感染した。

 この日初めて「Act-Up -Paris」に加入したナタン(アルノー・ヴァロワ)は場の活気に圧倒されつつも、徐々にカリスマ的な魅力を発するショーンに惹かれてゆく。それは繊細でナイーヴな感情を持ちながら、いつ死ぬかわからない不治の病に侵されたショーンの刹那の匂いを嗅ぐことにもなる。一刻の猶予もならない彼らの日常、タイマーで4時間置きに口に放り込む複数の錠剤、それは文字通り生死を賭けた闘争であり、SNSがない時代、彼らはより過激にセンセーショナルに人々へ訴えかけねばならない。討論会への乱入も、高校の授業中への介入も彼らにとっては闘争の手段であり、その矛先はある製薬会社に向けられる。彼らの行動は決して褒めれらたものではないが、それが死の恐怖と闘う彼らの焦燥だとすれば合点が行く。徐々に病に侵されたショーンは、朦朧とする感覚の中で1人壇上に立ち、孤独と闘う。その姿に26歳で奇跡的に病気にかかっていない男はただただ震え、涙する。

 映画は彼らの微かな希望として、エクスタシーとフラッシュに抱かれたフロアで流れたMr. Fingersの『What About This Love? (Kenlou Mix) 』やBronski Beatの『Smalltown Boy』リミックスの喧騒、イーブン・キックと光の粒子だけが彼らを多幸感に包み込む。さながらここではミア・ハンセン=ラヴの『EDEN』と地続きの世界で揺れる。性交渉でエイズになり、この世に召された人だけでなく、血友病で天に召された人々のことを思う今作はやはり当時、現場にいたロバン・カンピヨにしか描けない世界だろう。徐々に深刻さを増すクライマックスに涙する。

【第589回】『人生の特等席』(ロバート・ロレンツ/2012)


 グラウンドをこちらに向かって走って来る一頭の黒い馬のスロー・モーション。恐怖に襲われた男は『父親たちの星条旗』のジョン・“ドク”・ブラッドリーのように脂汗をかきながら、悪夢から目覚める。壁に貼られた錚々たる大リーガーたちの額縁、ガス・ロベル(クリント・イーストウッド)は朝一の小便をしているが、乏尿でほとんど出ないことに苦笑いする。テーブルに足をぶつけ、癇癪を起こして蹴り飛ばす姿は血気盛んだが、彼の身には老いが迫っている。長年メジャーリーグのアトランタ・ブレーブスのスカウトマンとして生きてきたガスは、名スカウトとして腕を振るってきたが、ここのところ年のせいで視力が衰えてきていた。馴染みのスカウトマンたちとの軽い馬鹿話、『明日に向かって撃て』のトリビアを自慢気に話しながら、選手たちを見定める。しかしガスの目は霞みがかって視界がはっきりしない。21世紀的なデータを駆使し、有能な人材を青田買いするフィリップ・サンダーソン(マシュー・リラード)の台頭もあり、アトランタ・ブレーブスのCEOヴィンス(ロバート・パトリック)は3ヶ月後のガスとの契約更新を迷っていた。ガスの盟友でスカウト主任であるピート・クライン(ジョン・グッドマン)は彼の身体を心配し、1人娘のミッキー・ロベル(エイミー・アダムス)に声をかける。父と娘は幼い頃から互いにギクシャクしていた。ガスの妻は30年前に死去し、娘は有能な弁護士としてバリバリと仕事をこなしていた。だが33歳になりながら、仕事命で婚期が遅れている。ここでも『許されざる者』以降のイーストウッド映画に通底する歪な父娘関係が露わになる。

まるで正反対の生活をしてきた父と娘。肉食で朝からピザを頬張る父に対し、現代的な菜食主義の娘。スカウトマンとしてその日暮らしをしてきた父親と、安定した収入と出世欲のため、私生活や結婚を犠牲にしてきたキャリアウーマンの娘の対比。行きつけのBARで2人はカウンターに座り、まったく顔を合わせないまま父娘の会話をする。2人とも頑固で、なかなか思うことが口に出せない。アメリカ中をスカウトに走る父親の車には、娘のモノクロ写真が大事そうに飾られている。妻の墓参りに行く時、彼の口から漏れるのは決まって娘のことだけである。娘も娘で、堅物でタフガイな父親の虚像を追い続け、パートナーにも父親の像を重ね合わせる。7年間、昼夜を惜しまず働き続け、ようやく手にした共同パートナーへのチャンス。そんなある日、父の親友ピート・クラインからお父さんは病気なんじゃないかと告げられたことで、娘の人生は少しずつ変化していく。イーストウッド映画に特徴的な大雨の夜、キッチンでハンバーグを焦がす不器用な父親の元に、娘はやって来る。窓を開けたら吹き込むじゃないかと叱りつける父親に対し、家の中が火事だわと娘は言い返す。エイミー・アダムスは気が強く、口達者なイーストウッド好みの娘を好演している。注目の高校生バッター、ボー・ジェントリー(ジョー・マッシンギル)に目をつけていたアトランタ・ブレーブス首脳陣の命令により、ノースカロライナへと旅する父ガスに同行する娘の描写は『センチメンタル・アドベンチャー』のようなロード・ムーヴィーの様相を呈す。有力なドラフト1位候補ボー・ジェントリーの同行を探るのは何もガスだけではない。かつて自らがスカウトしながら、連投のし過ぎで肩を壊してしまった元投手で、レッドソックスのスカウトのジョニー・フラナガン(ジャスティン・ティンバーレイク)もボーの将来性を厳しく見つめている。

冒頭の悪夢の目覚め、BARでの乱闘、数々の老いの描写、物語の重大な転機となる大雨、ハンドルを切れずに事故を起こす車など、幾つもの描写がイーストウッドの刻印を確かに残す。極め付けは父娘を引き裂く要因となった加虐描写である。まるで『ミスティック・リバー』のデイヴ・ボイルのように、大人の歪んだ性愛描写が父と娘を引き裂いてしまう。それでも父の目となり、真実の耳で感じ取ろうとするミッキーの姿が素晴らしい。当初、2008年の『グラン・トリノ』で50年に及ぶ俳優人生に終止符を打ったはずのイーストウッドだったが、愛弟子ロバート・ロレンツの監督デビュー作のために、4年ぶりの主演俳優を買って出る。イーストウッドにとって自身が監督をやらない作品に出演するのは1993年の『ザ・シークレット・サービス』以来20年ぶりのことだった。『マディソン郡の橋』の第二班助監督をを皮切りに、『ミリオンダラー・ベイビー』まで助監督を務めたロレンツは『ブラッド・ワーク』から製作総指揮に昇進する。以降マルパソ・プロダクションのプロデューサーとして、イーストウッドの右腕として働いてきた。PCやデータなど現代的な手法には頼らないガスの屈強なアナクロニズムは、『許されざる者』のウィリアム・マニー、『スペース カウボーイ』のフランク・コーヴィン、『グラン・トリノ』のウォルト・コワルスキーら頑固オヤジたちの系譜に属している。その一貫したアナクロニズムとテクノロジー批判、身体性への絶対的信頼もまた、「法と正義の行使の不一致」と共に21世紀のイーストウッドの根底には息づいている。

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