【第595回】『ブルックリン』(ジョン・クローリー/2015)


 1950年代のアイルランドの田舎町、まだ陽も出ていない日曜日の早朝、エイリシュ・レイシー(シアーシャ・ローナン)は夜露に濡れた石畳の上を職場に向かい静かに歩き出す。閉鎖的なミス・ケリー(ブリッド・ブレナン)の食料品店、彼女はここで日曜日だけのレジ係として働いていた。アイルランドの景気が悪かった1950年代、日曜日のマートは客でごった返し、エイリシュのレジには何十人もの婦人たちの列が出来ている。ミス・ケリーはその集団の中に、1人のお金持ちを見つけ、並んでいる人を尻目に堂々とレジに通す。数十人もの貧乏人よりも1人のお金持ちが優遇される景気の悪い時代を象徴する光景。客の足元を見る意地悪な店主の姿にまた今日も嫌気がさす。彼女の姉ローズ・レイシー(フィオナ・グラスコット)は奇跡的に経理の仕事に就いているが、エイリシュには一生をかけて追いたい夢も、自分の生活を安定させる職業もない。ある日のダンス・パーティ、美人な友達とオシャレして繰り出すが、密かに憧れているラグビークラブのジム・ファレル(ドーナル・グリーソン)の視線はエイリシュを素通りし、親友の前で止まる。ジムと親友とのダンスをただ見つめるしかないエイリシュの姿。やがて彼女は単身、ニューヨークへの移住を決心する。当時のニューヨークには、数多くの移民が移住してきた。その中でも特にアイルランドから、アメリカン・ドリームを求めてこの地に移住する人々が後を絶たなかった。クリント・イーストウッド、ケビン・コスナー、ハリソン・フォード、リーアム・ニーソン、ベン・アフレック、ブラッドリー・クーパー、みんな両親がアイルランド系をルーツとする人々である。

アイルランドから1人の移民の少女が海を渡る物語は、直近で言えばポーランドから移民としてニューヨークに渡った『エヴァの告白』にも近い。父親がいないエイリシュの家庭は、当時圧倒的な経済力を持っていた父性を失っており、彼女がニューヨークに移住すれば、姉が母親の面倒を看るしかない。封建的なアイルランドの田舎町の風土、ヒロインは散々迷うが、生きるためには移住して仕事をするしかない。女系家族の船着場での別れの場面は、涙なしに観ることが出来ない。姉は彼女の背中をゆっくりと押し、母親も気丈に手を振ってみせる。これまで何も成し遂げたことがないアイルランドの片田舎の市井の少女が、ヨーロッパではなく、単身アメリカに渡ることがどれだけの決断だったのかは想像に難くない。アメリカに渡る巨大船の中では、同室となった女が彼女のメンターとなる。船内では絶対に食事を取らず、トイレにカギをかけて居座るように教えられた女は、入国管理の際に「堂々と毅然とした態度でいるのよ」と促される。エイリシュはメンターの忠告通り、堂々と毅然とした表情と態度でアメリカの地を力強く踏む。その時、足を踏み入れた向こう側の世界は白く輝いて見える。働き始めた高級デパート、慣れない寮での女だらけの生活の斡旋をするのは、彼女と同じアイルランド系移民の先輩フラッド神父(ジム・ブロードベント)に他ならない。それ以外にも寮母キーオ夫人(ジュリー・ウォルターズ)が彼女の母親代わりとしてエイリシュを優しく支える。導入部分に登場したミス・ケリー以外の人々は、エイリシュを献身的に見守り続ける。50年代ニューヨーク、デパートの販売員という符号はトッド・ヘインズの傑作『CAROL』をも彷彿とさせる。

最初は化粧もせず、服装も質素だったヒロインが徐々に化粧を覚え、服装も明るくなっていく過程が丁寧で素晴らしい。エイリシュがアイルランドで苦い思いを味わったダンス・パーティのトラウマが、ブルックリン地区では一転して彼女に運命の恋をもたらすことになる。アイルランド系移民の次に多かったイタリア系移民の血統を持つアンソニー"トニー"・フィオレロ(エモリー・コーエン)との出会いは、出自の違いよりもカトリックという共通の基盤で強く結ばれる。当初は入管職員の前のように、気丈な表情を崩さなかったエイリシュの表情が徐々に柔和になり、しまいにはトラットリアでトニーに向かい、自分のことばかり延々と話す様子は、話好きなアイルランド人の気性を据えた名場面である。男に左右されず、自立した女性を演じたシアーシャ・ローナンの演技は、エイリシュの喜怒哀楽を実に繊細に演じている。まだ生々しい戦争の記憶を背負いながらも、60年代という自由な時代に脱皮しようとする過渡期のブルックリンの空気を十分に感じさせるエイリシュの成長ぶりが見事だが、欲を言えば、ブルックリンの市街地の様子がもう少しあればなお良かった。同じ国で2人の男に言い寄られるのではなく、アイルランドとニューヨークの地で熱心な求愛を受けるエイリシュの苦悩。当時は現代と違い、電話やメールは高価でコミュニケーションの手段にはならず、専ら手紙のやり取りだけが遠距離恋愛の彼らを繋ぎ止める手段だった。コニーアイランドとアイルランドの海、明るい服と暗い服、噂ばかりが駆け巡る街と因習に縛られないない自由な街の対比は、そのままジム・ファレルとトニーの間で苦悩する女心を映し出す。ヒロインの決断が正しかったのか否かの真偽を問う資格は我々観客には1mmもないが、ジム・ファレルがふと呟いた「このままイギリスもイタリアもフランスもアメリカも知ることなく、自分が死んでいくのが我慢ならない」という言葉がエンドロールが終わった後も、ひたすら胸を締め付ける。

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