【第857回】『美しきセルジュ』(クロード・シャブロル/1957)


 もうすぐ本格的な冬を迎える11月、フランス中央に位置するクルーズ県サルダン、屋根にカバンを積み込み、旅人を乗せたバスは辺鄙な村へとやって来る。結核を患ったフランソワ・バイヨン(ジャン=クロード・ブリアリ)は病気の療養のため、住み慣れたスイスから生まれ故郷へと12年ぶりにやって来る。後にシャブロルの代名詞となるアヴァン・タイトルの車窓からの風景、男は過去を懐かしみながら、あっという間に家路に着く。だがこの街には親兄弟は既にいない。彼にとって幼馴染のセルジュ(ジェラール・ブラン)だけが家族と言えるような親密な間柄だった。同じく旧友であるミシェルの懐かしい歓待に胸を弾ませたフランソワはセルジュの近況を尋ねるが、ミシェルの表情は曇る。田舎町を出て、パリジャンになったフランソワ同様に、セルジュも建築士になるという大きな夢を抱いていたはずだが、恋人のイヴォンヌ(ミシェル・メリッツ)とはたった2回のSEXで愛の結晶を授かり、自らの夢を封印し故郷に残ることを決めた。だが皮肉にも最初の子供は死産となり、自分の運命を呪ったセルジュは酒浸りの日々を送っていた。妻イヴォンヌの父親グロモーと赤ワインを開ける男は既に酩酊し、前後不覚に陥っているが、そこにかつての親友フランソワが突如現れる。「セルジュ」という呼びかけに顔を上げた男は、義理の妹マリー(ベルナデット・ラフォン)の前で人目も憚らずフランソワの懐に潜り込み涙する。

 ヌーヴェルヴァーグ右岸派クロード・シャブロルの恐るべきデビュー作。当時「カイエ・デュ・シネマ」の編集長だったエリック・ロメールと共著で「ヒッチコック」を出版した後、お金持ちだった妻の叔母の遺産をそのまま相続したシャブロルは映画会社を設立。カイエの同僚だったジャック・リヴェットの短編『王手飛車取り』に全面的に出資する。そして16mmはおろか、8mmさえも撮ったことのなかったシャブロルは今作と次作『いとこ同志』の脚本をほぼ同時に書き上げ、まったくの監督未経験でありながらいきなり今作を長編処女作として世に問う。堕落した男を親友が今の環境から献身的に救い出そうとする物語的主題は、続く『いとこ同志』とも対になる(シャルルとポールの関係がここでは見事に反転している)。都会と田舎、ブルジョワジーと貧困、女ったらしと生真面目、天使と悪魔。およそ2人の間には容易に理解し得ない溝が生まれ、2人は葛藤の中でもがき苦しむ。「友情」の主題は初期作の若さゆえの蒼さに違いないが、シャブロルの遺作になった『刑事ベラミー』の敏腕刑事ポール・ベラミー(ジェラール・ドパルデュー)と彼の腹違いの堕落した弟ジャック・ルバ(クロヴィス・コルニアック)の対比にほとんど同じような構図を見るのは偶然ではあるまい。ヒッチコックの善と悪の描写がここではフランソワとセルジュに憑依し、シャブロルらしいファム・ファタールなマリーを引き裂く過程で更なる病巣に出くわす。ジャック・リヴェットとトリュフの名前で端役出演したフィリップ・ド・ブロカとシャブロル自身の二重三重に張り巡らされた皮肉を込めた未来への署名、今作はシャブロルの可愛い弟分だったトリュフォーの短編『あこがれ』と共にフランス全土で上映される。今作はヌーヴェルヴァーグ前夜を伝える決定的なフィルムとなった。

【第632回】『刑事ベラミー』(クロード・シャブロル/2009)


 ジョルジュ・ブラッサンスの『パリジャン気質』の口笛によるメロディ、エメラルドの海を見渡す場所に立つセート墓地、懐かしいジョルジュ・ブラッサンスの墓石はここに眠る。カメラはクレーンでゆっくりと動きながら180度切り返すと、断崖絶壁の向こうに海が見えて来る。崖の方に近付き下を見降ろすと、焼け焦げた車が見え、所々まだ煙が上がっている。側にはハンドルを握ったまま焼死した人間の姿。首から上はすっかり焦げて転げ落ちている。一方その頃、パリの警視ポール・ベラミー(ジェラール・ドパルデュー)はヴァカンスを過ごすために、妻フランソワーズ(マリー・ビュネル)の故郷の近くにあるニースに静養に来ていた。ソファーに寝そべりながら、クロスワード・パズルを楽しむベラミーはその体勢のまま眠りこけている。TV画面では、崖の下の焼死体は当初、エミール・ルレという保険会社社員のものと見られていたが、別人と判明したことが明かされる。ソファーに寝そべる夫は突然目を覚まし、クロスワード・パズルの余白部分に「至福」と「幸福」の単語を入れる。妻はキッチンで作業しながら、居間にいる夫と会話を交わす。ベラミーの姿を庭先からじっと見つめている男がいる。男は3日間、回想録で有名な警視の元に通い続けていた。妻は気味悪がって取り合わないが、ベラミーは職業病から彼の電話番号をメモする。妻の馴染みの歯医者とのディナーを終えて、キッチンでいちゃつくベラミーの元に、突然の電話が鳴る。電話をかけて来るような時間じゃないだろとベラミーは語気を強めるが、電話の向こうのノエル・ジャンティ(ジャック・ガンブラン)の様子が気がかりで、いそいそと出かけて行く。

 冒頭の2人のジョルジュへ捧ぐというシャブロルの弔辞は、前述の墓石のジョルジュ・ブラッサンスと、ミステリー作家ジョルジュ・シムノンに他ならない。ジョルジュ・シムノンの代表作となった『メグレ警視』シリーズを彷彿とさせるポール・ベラミー警視のキャラクター造形。取るに足りない三面記事をブラッシュ・アップさせた物語構成、24時間365日プロフェッショナルとしての警視の仕事、捜査に専念するたびに家族に起こる不和などは『メグレ警視』シリーズと同工異曲の様相を呈す。妻は仕事人間の夫を何とか事件から引き離そうとするが、ノエル・ジャンティがもたらした報せが彼を事件の迷宮へと導いて行く。刑事が主人公で、犯人が自分から刑事にすり寄って来たとなれば、主人公が事件の真相をゆっくりとだが確実に暴いて行くのがミステリー映画の定石だが、シャブロルはベラミーとノエルの事件をめぐる駆け引きを本線としながらも、逸脱の塊のような弟ジャック・ルバ(クロヴィス・コルニアック)を複線として紛れ込ませ、シンプルだった物語構造は途端に複雑になる。シャブロルは自身のフィルモグラフィにポールとシャルルの鏡像関係を好んで登場させたが、今作も例外ではない。原題となったベラミーはモーパッサンの「Bel Ami」が語源の「美貌の友」という言葉に起因するが、ベラミーの名前は紛れもないポールであり、妻がフランソワーズという発音なのも、『いとこ同志』のフロランスを彷彿とさせる。

 回想録で有名なポールとは対照的に、弟ジャックはつい先日、刑務所から出て来たばかりの出来の悪い弟である。弟は精一杯の思いを込めてお土産を兄夫婦に渡すが、アンス酒は酒立ちをする兄に、ヌガーも歯医者通いの妻にことごとく拒否される。弟がスクリーンに登場した瞬間、チャイコフスキーの『悲愴交響曲第6番』が大音量で流れるが、芸術嫌いの弟はその旋律を毛嫌いする。異父兄弟の家はすっかり没落し弟は堕落しているが、ポール・ベラミーは妻の叔母の遺産で優雅な生活をしながら、地元の名士として国家権力の名の下に任務を遂行する。兄弟の経済格差がことさら強調されるのは、妻フランソワーズがお世話になっている歯科医の夕食会の席である。同性愛のパートナーが腕を振るった食事、世界各国を周り続けるブルジョワジーの自慢話に弟ジャックはとても付いていけない。堕落した男はブルジョワジーの家主のコートのポケットから2000ユーロをくすねる。要領の良い男と何もかも上手くいかない男の描写はここでは異父兄弟の構図にトレースされる。本来ならば弟ジャックに向き合うはずのベラミーの心は、ジャック、ノエル、エミールの3つのキャラを往来するジャック・ガンブランによって現される。「目に見えぬ別の物語がある」というW・H・オーデンの言葉はシャブロルの生涯に渡る哲学をも代弁する。世界の不均衡を綴る51本もの映画を残し、クロード・シャブロルは2010年に今作を撮り終えた後、80年の生涯を閉じた。

【第631回】『引き裂かれた女』(クロード・シャブロル/2007)


 オペラに彩られ、赤に着色された車窓からの風景。景色はパリからリヨンへ、シャブロルお得意のゆっくりと滑らかな繋ぎが物事の深層を漂わせる。イメージは変わりゆく風景と共に、全面ガラス張りの虚空へと消え入る。車はある別荘の前に停まり、一拍躊躇った後、クラクションが鳴る。この躊躇いの意味は明らかにされることなく、我々観客は想像するより他ない。全面ガラス張りの打放しコンクリートの別荘。庭にプールが付いた豪勢な部屋から出て来たのは、人気作家シャルル・サン・ドニ(フランソワ・ベルレアン)。白いガウンを着込んだ男は葉巻をくわえながら、カプシーヌ・ジャメ(マチルダ・メイ)を迎える。バックドアを開けると彼の新刊本が山のように眠っている。都会の生活に嫌気がさし、田舎で半ば隠居生活を送るサン・ドニだが、右手が微かにカプシーヌの左手に触れている。奥様(ヴァレリア・カヴァッリ)は元気と尋ねたカプシーヌにサン・ドニは「彼女は聖女さ」と言いながらほくそ笑む。絵に描いたような初老のプレイボーイであるサン・ドニの描写は、これまでのシャブロル作品に通底していた勃起不全の男とは一線を画す。脚だけプールに浸かりながら、後ろの椅子に水着姿の妻と編集者が寝そべる異様な光景。老いてますます盛んなインテリ老人の描写は、妻だけではなく編集者との愛人関係をも暗喩する。

 隠居した中年作家の本のプロモーション。ケーブルテレビに出演したサン・ドニは、メイク室で新進気鋭のお天気キャスターであるガブリエル・ドネージュ(リュディヴィーヌ・サニエ)と鉢合わせする。男と女の鏡越しのカット・バック。プロのメイクさんにメイクを施された男の顔は素顔よりも3割素敵に見える。案の定、ガブリエルはそんな高名な作家の第一印象が強く残る。遅い仕事帰りにも関わらず、彼女の母親マリー・ドネージュ(マリー・ビュネル)は娘の帰りを待っている。真っ先にサン・ドニの印象を聞かれた娘は、母の問答に大した答えが浮かばないまま、中途半端に誤魔化す。だが女の好奇心はオム・ファタールを前に、運命のギアを踏んでしまう。母親の本屋で行われるサン・ドニのサイン会。好奇心で立ち寄った娘に対し、「今度の土曜日、オークション会場で会うのが楽しみだ」。文学好きの血を引く娘に不意に届けられたサインペンで綴る折り返しの文章。父親不在でファザー・コンプレックスを抱えるガブリエルはオム・ファタールの罠にいとも簡単に落ちて行く。そこに突如、1人の男が現れる。同い年くらいのお手伝いの運転で、マリー・ドネージュの本屋で横付けした高級車。そこから出て来た男は、かつてパリでサン・ドニと顔馴染みだった大富豪ゴダンス創業家の息子ポール・ゴダンス(ブノワ・マジメル)。リヨンから久方ぶりにパリへ戻った中年作家を冷やかすためにサイン会に訪れた男は、偶然出会ったガブリエルに心を奪われる。

 間宮と吉岡が黒沢清の映画にしばしば出て来たシンボリックな符牒だとすれば、クロード・シャブロルの物語にも『いとこ同志』以来、ポールとシャルルという対立軸が存在する。ガブリエル・ドネージュを巡る人気作家シャルル・サン・ドニとブルジョワジーのどら息子ポール・ゴダンスの構図は、『いとこ同志』から連綿と続くポールとシャルルの愛憎関係を繰り返す。長年、父性の不在を抱え、理想の父親のイメージを追い求めて来たガブリエルの心は一気にシャルル・サン・ドニへと傾く。中盤に出て来た「乱行」を暗喩させる会員制パーティの退廃は、真っ先に『いとこ同志』でセーヌ左岸にあったカルチェ・ラタンの売春宿「結座」を想起させる。物語の中には一度も「乱行」の描写は出て来ないが、シャブロルのフィルモグラフィを見れば、今作の靄のかかった部分が一目瞭然となる。才能のある中年男と、親に罪を帳消しにしてもらった芸術的才能ゼロの男の対比は『女鹿』のホワイとフレデリークや、『嘘の心』のルネとデモの対比にも近い。まるで『二重の鍵』のような鍵穴のクローズ・アップから幸福だった女は奈落の底に転落し、夢遊病のような廃人生活を送る。その時に手を差し伸べてくれた男にヒロインの心は傾くが、皮肉にも女の情念が男の病巣をえぐることとなる。これまでブルジョワジー一家の滅亡を静かに描いて来たクロード・シャブロルの手腕は、シャルルとポール、ガブリエルの三角関係それぞれに重い十字架を背負わせる。あまりにも陰惨で救いのないクライマックス。女の目に浮かぶ涙の退廃的美しさ。淀みない演出と神懸かり的な編集を見せる今作は、当時77歳とはとても思えない瑞々しさを漂わせる。『石の微笑』と並ぶシャブロル後期の紛れもない傑作である。

【第617回】『石の微笑』(クロード・シャブロル/2004)


 フランス・パリの10区と19区の境にあるジョレス郊外、スターリングラードの先に姿を現わす高級住宅街。淡い乳白色から水色に色彩が変化し、青みがかった美しい海辺の風景が見えて来る。車中からの風景は海辺を映した後、この辺りの住宅街の建物の白い壁を映しながらゆっくりと進む。やがて右に曲がると、赤いサイレンのランプ、物々しい人だかりが見えて来る。乳白色から薄い水色、青、白、赤と刻々と変化する導入部分の色彩イメージの妙。マスコミのカメラはこぞってこの家を好奇の目で見つめている。女性キャスターはこの地で起きた陰惨な事件をレポートする。この家の少女ラファエルが最後に目撃されたのは、豪邸の前のジョレス通りだった。まるで『嘘の心』の冒頭の少女誘拐事件のような醜悪な事件を、テレビを通して見つめる長女ソフィ・タルデュ(ソレーヌ・ブトン)と次女パトリシアの姿に、この家の長男で大黒柱でもあるフィリップ(ブノワ・マジメル)は苛立つ。テレビのスイッチを消した兄の姿に、2人の妹がブーイングをする頃、美容室から母親クリスティーヌ(オーロール・クレマン)が戻る。今日は母親の新しい恋人ジェラール・クルトワ(ベルナール・ル・コク)との初めての顔合わせの日。母親は少女のようにウキウキとした様子で家に戻ると、フィリップの亡くなった父がクリスティーヌにプレゼントした石像「フローラ」をジェラールにプレゼントしたいと息子に話す。命の次に大事な石像を知らない誰かにあげることに内心、複雑な気持ちだったフィリップだが、母親のたっての希望を断ることなど出来ない。

市役所に勤めるジャッキー(エリーク・セーニュ)と23歳で早々に結婚を決めた長女ソフィに対し、建築事務所で働く兄フィリップには婚期が訪れる気配がない。彼にはマリオンという美しい彼女がいたが、自然消滅的に恋は終わった。一家の大黒柱であるフィリップは、軽薄な母の恋人ジェラールが捨てて行った石像「フローラ」を深夜の闇の中、1人家に持ち帰る。仕事で遅くなるからと母に嘘をつき、善人であるフィリップは満を辞して、精一杯の覚悟で家主の居ない庭先から愛する石像を盗み去る。その姿は明らかに常軌を逸している。シャブロルはフィリップ役に、ミヒャエル・ハネケの『ピアニスト』でカンヌ国際映画祭男優賞に輝いたブノワ・マジメルを起用する。『悪の華』から3作連続の起用である。ジュリエット・ビノシュの元夫としても知られるマジメルは、長身でイケメンの美青年だが、内向的で妹たちの好奇の目に苛立つようないたって真面目な善人である。職場ではモンスター・クレイマーであるクレスパン夫人(シュザンヌ・フロン)の注文を軽くいなしながら、実生活では石像「フローラ」に妄執する。彼が自分のベッドで石像と見つめ合い、口づけを交わす様子は明らかに母親クリスティーヌへの近親相関的な関係を想起させる。シャブロルは2000年代に入り、『甘い罠』と『悪の華』において、常軌を逸した近親者の血縁の濃さを描いてきた。今作でもマザー・コンプレックスなフィリップは、『甘い罠』の息子ギヨームや『二重の鍵』の長男リシャール、『主婦マリーがしたこと』の夫ポールを真っ先に想起させる勃起不全で偏執的な病理を抱えている。

シャブロルの映画には往々にして勃起不全の男たちが出て来るが、『嘘の心』においてデモとの不倫のヴァカンスを知ったルネが、皮肉にも生来の画家としての本能を呼び覚ましたように、フィリップが偏愛し続けた母親の失恋と偶然戻った石像が、皮肉にも彼に久方ぶりのロマンスをもたらす。妹ソフィーの晴れの席で、花嫁介添人たちがソフィとジャッキーに祝福の表情を見せる中、フィリップは列の左端に陣取った女ステファン・"センタ"・ベランジェ(ローラ・スメット)に心奪われる。あろうことか彼女の顔は石像「フローラ」と瓜二つなのだ。彼女の水色のドレスが見えた時、初めて我々観客は導入場面のアヴァン・タイトルが乳白色から水色に変化した意味に気付く。ファム・ファタールな女が突然彼の住居を訪ねた時、外にはおびただしい雨が降っている。名コンビとなったエドゥアルド・セラのカメラは最初のセンタの侵入にたった一度だけズームを取り入れる。びしょ濡れになった女は不躾にもシャワールームを借りた後、真っ白な裸体を晒しながらフィリップに迫る。こうして愛に免疫のない男はいとも簡単にファム・ファタールの罠に落ちて行く。

彼女と結んだ4つの約束。「木を植えること」、「詩を書くこと」、「同性と寝ること」、そして「誰かを殺すこと」。2つ目までは承服出来ても、3つ目以降は堅物で倫理観のある善人フィリップには到底理解出来ない。しかし古今東西あらゆる犯罪映画において、理性を保とうとする主人公の善行を、ファム・ファタールの狂気の愛がいとも簡単に打ち砕く。結婚というゴールに結びつく長女、破綻した母親、堕落した次女のレイヤーを丁寧に描写しながら、制御不可能になった争いごとを好まない気弱な美青年に訪れる苛烈な運命を、シャブロルはじっくりと丁寧に描写する。かくして全てのショットは淀みなく、散りばめられた伏線は見事に回収され、モンタージュは奇跡のような結び目を見せる。前作『悪の華』において、弟分フランソワ・トリュフォーの寵愛を受けたナタリー・バイを初めて主役に起用したシャブロルの極私的「ヌーヴェルヴァーグ」総括は、トリュフォーが天国に旅立つ1年前に生まれたナタリー・バイの愛娘ローラ・スメットを遂にスクリーンの前に引っ張り出す。シャブロル映画史上、最も悪女なセンタの暴れぶり、平和な郊外の街に起こる波紋。その手触りはジャンル映画の範疇に収まりながらも、シャブロルの強烈な作家性を見せつける。シャブロルのフィルモグラフィに留まらず、2000年代のフランス映画においても忘れることの出来ない傑作である。

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