【第606回】『ジェイソン・ボーン』(ポール・グリーングラス/2016)

あらすじ・結末に触れていますので、これから観る方はクリックしないで下さい。

【第605回】『ボーン・アルティメイタム』(ポール・グリーングラス/2007)


 ロシア・モスクワ、警察隊に追われ列車に逃げ込んだジェイソン・ボーン(マット・デイモン)は追っ手の追跡を辛くも逃がれ、キエフ駅を出て再び地下に身を隠す。偏頭痛に見舞われ、薬が手放せない男は贖罪の気持ちに駆られ、自らの傭兵としてのポテンシャルに苦悩し、もはや誰一人殺したくないという思いを貫く。時折彼の脳裏を掠める記憶の断片、どこかの施設に監禁され、頭から真っ黒な布を被らされて、拷問を受ける自分の姿。いつもと同じフラッシュバックだが、どうしても全てが思い出せない。6週間後、CIA長官パメラ・ランディ(ジョアン・アレン)がマリーの復讐のために訪れたワード・アボット(ブライアン・コックス)との会話記録を流し、これまでのジェイソン・ボーンの素性を明らかにする。CIA本部ではジェイソン・ボーンを最重要危険人物としてリストアップしていた。数ヶ月後のパリ、部屋に戻ったマーティン・クルーツ(ダニエル・ブリュール)の元には姉貴の恋人ジェイソンが座っている。「姉さんは?」と聞かれた彼は、弟に悲しみの報告をする。その頃、イギリスの新聞記者サイモン・ロス(バディ・コンシダイン)は、CIAの暗殺部隊“トレッドストーン”計画と、ジェイソン・ボーンの存在の情報を極秘に掴み、独自に調査を続けていた。新聞の一面を飾った自身の写真を見て、ジェイソンは英国に住むサイモン・ロスに接触を試みる。

『ジェイソン・ボーン』シリーズ旧3部作の怒涛のフィナーレ。前作のイタリア〜ドイツ〜ロシアの三ヶ国を股にかけたアクションを経て、物語の起点は前作『ボーン・スプレマシー』のラストの少し前に巻き戻される。1作目『ボーン・アイデンティティ』では一貫して追われる男を演じたマット・デイモンが、2作目では21世紀的なハイテク自警システムの裏をかく。ラストには見る者と見られる者の主従関係が逆転する痛快さが活劇の快楽を駆動させた。今作でも更に進化した全方位的な衆人環視システムの網の目を主人公はいとも簡単そうに掻い潜る。前作において決定的にアクションの質を変容させたマルチカメラで撮影されたショットを矢継ぎ早に積み重ねる苛烈なモンタージュ、手持ちカメラによる至近距離のアクション、見る者と見られる者のショットを無尽蔵に積み上げたパラレル・モンタージュのテンポは前作以上にスピードを増している。CIAのヴォーゼン(デヴィット・ストラザーン)らがモニター画面を興味深く注視する中、現場のジェイソン・ボーンはコンピューターの事前の予測を全て裏切るような見事な逃走(動線)を見せる。トニー・スコット以降の現代映画は、全方位的な都市の衆人環視システムにより、モニター画面を見ているだけでターゲットを追い込むことが可能なのに対し、前半部分の活劇は、衆人環視システムで身動きの取れないごく普通の一般人サイモン・ロスをジェイソン・ボーンが遠隔操作し、逃がそうとする。極限の精神状態の中、一般人の判断ミスが悲劇を生むものの、衆人環視システムに対し、遠隔操作で対応しようとする活劇の動線と距離感が素晴らしい。

3作目ではヒロインの死を経て、天涯孤独だったはずの男にまさかの援軍が訪れる。シリーズ1作目『ボーン・アイデンティティ』では単なる端役に過ぎなかったはずのニコレット"ニッキー"・パーソンズ(ジュリア・スタイルズ)の突然の躍動感にはただただ唖然としたが、1作目では確かに言葉の端々にジェイソンの体調を気遣う素振りを見せていたのを思い出した。髪を切り、ふと鏡の前の自分を見つめるニッキーの視線の先に見えるジェイソン・ボーンは、過去に起きた愛の軌跡など覚えているはずもない。マリー亡き後、天涯孤独だったはずの男に起死回生の転機を呼び込むのは、またしても女性であるニッキーとパメラの見事なアシストである。ポール・グリーングラスはEU統合を経て、往来がし易くなったヨーロッパのボーダレスな魅力をアクションの舞台として活かしながら、ロンドン〜マドリード〜ニューヨークと活劇の現場ををシームレスに繋ぐ。その一方でただ一つ異色となるモロッコのタンジールの美しい風景と、そこで繰り広げられるプリミティブな活劇の妙。ここでも前作『ボーン・スプレマシー』の導入場面のように、少し離れた場所にいるジェイソン・ボーンとニッキーとを交互にモンタージュしながら、そこに迫り来る殺し屋デッシュを挿入するパラレル・モンタージュの苛烈なテンポには、D.W.グリフィスから連綿と続くラスト・ミニッツ・レスキューの快楽が息づく。編集という観点で言えばトニスコ以降、『24 -TWENTY FOUR-』や『プリズン・ブレイク』などTVドラマにお株を奪われる一方だったハリウッド製活劇が、その覇権をようやく奪い返した。クリストファー・ラウズの革命的な編集がアクション映画の流れを決定的に変えた。

【第604回】『ボーン・スプレマシー』(ポール・グリーングラス/2004)


 『ボーン・アイデンティティ』におけるコンクリンへの警告から2年後、フランスの陸の孤島で幸せに暮らしていたはずのジェイソン・ボーン(マット・デイモン)とマリー・クルーツ(フランカ・ポテンテ)は、インドのゴアに身を潜めていた。様々な記憶の断片がフラッシュバックする悪い夢を見たジェイソンは脂汗をかきながら飛び起きる。アレクサンダー・コンクリン(クリス・クーパー)の「これは訓練ではない、わかっているな」という警告の言葉、聞いたことのない少女の叫び声。頭痛薬に手を伸ばす彼を心配そうに見つめるマリーの姿。ジェイソンは相変わらず酷い熱と偏頭痛に悩まされていた。彼らが潜むアジトの前には、美しく広大なアラビア海が拡がっていて、夜になっても鳥たちが泣き続ける。自然豊かな環境の中に身を置いても、心に平穏が訪れないジェイソンは手帳に苦悩する自らの言葉を綴り、翌朝、日課のジョギングに出掛ける。いつものコースを回り、ジュースを飲みながらいつもの癖で前後左右を確認する逃亡者の姿。その時明らかに異質な外国人を発見する。離れた場所にいるジェイソン・ボーンとマリーの姿を交互にモンタージュし、そこに迫り来る殺し屋キリル(カール・アーバン)を挿入するパラレル・モンタージュのテンポ。前作とはあまりにも異質な編集の性急なリズムにまず面食らう。

2002年に大ヒットを記録した『ボーン・アイデンティティー』の続編にして、旧3部作第2弾。ロバート・ラドラムの原作本でも2作目に当たる『殺戮のオデッセイ』を映画化した物語は、ユニバーサル・ピクチャーズと揉めに揉めて、最終的には降板騒ぎにまで至ったダグ・リーマンが製作総指揮という名ばかり管理職に降格。代わって『ブラディ・サンデー』の監督を務めたポール・グリーングラスに白羽の矢が立つ。まるでフリッツ・ラング『暗黒街の弾痕』のヘンリー・フォンダとシルヴィア・シドニーのように、スイス〜フランスと逃避行を続けながら、愛するマリーと自分探しの旅を続けた『ボーン・アイデンティティー』とは打って変わり、今作のジェイソン・ボーンは悪の凶弾に倒れた最愛の人の復讐譚に他ならない。前作にあったロマンス・ムードはすっかり後退し、ジェイソン・ボーンの静かな怒りだけが加速度的に増幅していく。1人に戻ったジェイソンの悲しきヒットマンぶりが、イタリア〜ドイツ〜ロシアの三ヶ国を股にかけて繰り広げられる。前作では自分がいったい何者なのかを巡る心理ドラマの持続が物語を活性化させていたが、今作は複雑な心理ドラマよりもアクションに特化する。マルチカメラで撮影されたショットを矢継ぎ早に積み重ねる苛烈なモンタージュ、手持ちカメラによる至近距離のアクション。ジャーナリストからキャリアをスタートし、ドキュメンタリーでのし上がったポール・グリーングラスと編集技師のクリストファー・ラウズは、IT化によってもたらされた衆人環視システムの網の目を掻い潜る主人公の姿を無尽蔵に積み重ねることで、アクションに革命を起こす。

まるで『女王陛下の007』のようなヒロインの死後、前作の黒幕だったワード・アボット(ブライアン・コックス)が静かに姿を現すが、前作でもう十分にジェイソンの恐ろしさを知ってしまった彼は、真綿で首を絞めるような恐怖にさらされる。前作で終われ続けたヒーローは一転して追う側に回り、無双の強さを誇るジェイソン・ボーンが次第にアボット長官のテリトリーに踏み込む展開は見事というより他ない。記憶を失くし、最愛の人まで奪われた悲しきヒットマンであるジェイソン・ボーンは喪失感に浸る間も無く、物凄いテンポでCIAの陰謀と石油利権を巡る醜悪な事件を暴く。だが彼は熱血漢というよりもむしろ、事態そのものを達観している。極めて冷徹な頭脳の持ち主である。それまで散々、IT化による現代の衆人環視システムにより、全方位から逐一行動をチェックされていた男が、CIAの長官パメラ・ランディ(ジョアン・アレン)のすぐそばで高みの見物に興じるカタルシス。見られるものが見るものに変わる攻守の逆転劇の妙。ファスビンダー・ファンにはあまりにも有名なベルリン・アレクサンダー広場の地下で、一度だけ感情を露わにした男の怒りは、新作『ジェイソン・ボーン』とも見事な鏡像関係を築く。

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