【第651回】『メトロで恋して』(アルノー・ヴィアール/2004)


 アントワーヌ(ジュリアン・ボワスリエ)は32歳の売れない俳優。カウンセラーに父母との親子関係を相談する男は、パリ郊外にある実家に6年間帰っていない。26歳の時、医者を目指していたアントワーヌは突然父の反対を押し切り、役者の道へ。外科医だった父親は彼に何の援助もしてやらなかった。あの日から6年、演劇人としてはまだ駆け出しの男は、50ユーロを払い、カウンセラーの先生に相談するが気分は晴れない。8月のパリ、モンパルナスの群衆の中を掻き分けて駅へ。地下鉄のBOX席に座った男は、次の駅で対角線に座った女クララ(ジュリー・ガイエ)に一目惚れする。その距離数10cm。彼女の全てにインスピレーションを感じたアントワーヌはすぐさまノートと筆を取り、彼女に向かい4択を投げる。その様子に筆記で返すクララの姿。やがて降車の時が来て、彼女は自分の電話番号が書かれた紙を男に残す。アントワーヌにとって33歳になった初めての恋にして、まるで天から授けられた誕生日プレゼントのような恋愛に男の心はときめく。家に帰ると、パリで暮らす姉のイザベル(パスカル・アルビロ)からの誕生日サプライズ。若者たちのどんちゃん騒ぎの中、姉は神妙な面持ちになると、両親の話を持ちかける。始終両親のことが頭から離れない弟は姉貴の言葉を遮るように誤魔化す。

 夢を追うと半ば勘当されるように出て行って6年、アントワーヌの仕事はちっとも軌道に乗っていない。33歳になって思い知る現実は思っていたよりも随分ほろ苦い。軸の定まらない男は今年こそがラスト・チャンスだと決意を新たにするが、彼の前に運命の女クララが現れる。昼間はTGVのウェイトレスとして働く彼女は文学を愛し、処女作の文章を練る28歳の美しい女性である。短い髪と華奢な身体、さりげない微笑みと笑顔に秘められた芯の強さをジャン=ピエール・リモザンの『NOVO』で端役を演じたジュリー・ガイエがキュートに好演する。オデオン広場で8時半に待ち合わせをし、すっかり夜が更けたセーヌ川沿いで触れ合う様子はゼロ年代のパリジャンの圧倒的な共感を浴びた名場面である。「君は僕の新大陸だ」という殺し文句の後のフレンチ・キス。2人のデュエットによる『運命の出会い』のメロディが2人の恋の始まりを高らかに歌い上げる。アレクサンドル・ジャルダンの『恋人たちのアパルトマン』はソフィー・マルソーが可憐に演じたファンファンが魅力的だったが、今作のクララも負けていない。劇的な恋の誕生の機微を繊細に描いている。

 主人公のリュクサンブール公園でのジョギング、アパルトマンでのホーム・パーティ、パリに住む男女の恋のすれ違いや将来への不安などの要素は明らかにアルノー・デプレシャンの96年の名作『そして僕は恋をする』の延長線上にある。アントワーヌという名前の主人公がファニー・アルダンと出会い、役者としての階段を一段飛ばしで駆け上がる様子はフランソワ・トリュフォーの影響は計り知れない。結婚に向け、健康診断を受けた時、クララに訪れる過酷な運命と恋愛の苦い挫折。ケンカをした時、「私は繊細じゃないわ」と自らの本心を認めなかった勝気な性格のクララの弱気を受け止めきれず、ひたすら及び腰になってしまったアントワーヌが役者としてブレイクしない理由は、いざという時に腹を括れない性格にあると断言出来る。自分の身体に生じた病に震え慄くクララは、普段吸わないタバコをふかせるが、ヒリヒリするような不安に気付けない男は、ファニー・アルダンの話を自慢気に語る。幸福の絶頂だった前半部分に対し、後半の父との不和と和解の描写は今ひとつ真に迫らない。クララとの捻れた恋のメンターとなる父親(ミシェル・オーモン)の描写はもう少し熱っぽく描いても良かったはずだ。『ダラス・バイヤーズ・クラブ』の1980年代にはHIVは確実に死に至る恐怖の病だったが、今は治療薬が作られ、抗ウイルス薬治療を一生継続すれば発症リスクを食い止めることが出来る。またどちらか一方がHIVキャリアでも、男性の場合なら体外受精で、女性の場合ならば人工授精で生めば、子どもは健康体で生まれてくることが明らかになっている。病気に対しては、近しい人の正しい理解が求められている。

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